第十三話 過去との対話

『助……けて……』


 あぁ、まただ。

 また、あの声だ。

 夢の時間をたゆたうマイアの耳元に反響する、子どもの声。


『私たちを……助けて……』


 どこの誰かも知らない子ども。そして、それはすぐに少年少女の協奏曲へと変化していく。


「ねぇ、教えて? あなたたちはどこから私に助けを求めているの?」


 前に会ったときよりも強く、マイアは呼びかけてみる。


「あなたたちは皆一緒のところにいるの? どこかに閉じ込められているとか?」


 これだけの人数による救命シグナルだ。彼等は全員同じ場所にいると考えるのが自然。そして、自分の置かれている現状と重ねても、彼等もまた、自分と同等の感応能力の持ち主たちではないか。多人数であれば個々の能力値が低くても、遠距離の相手に発信することは可能だ。

 恐らく『助けて』という短い単語でしか届けられないのも、自分に送るのが精一杯で、機能的な制限によるものに違いない。

 そこまで理解していても、マイアは諦めずに呼びかけ続ける。救助を求められても、こちらが居場所が特定できないのであれば無意味なのだから。


『私……たち……助……て……』


 人数が次第に減っていくのに従って、通信障害でも起こしているかのように弱々しく途切れ途切れになっていく。能力の限界なのか。子どもということは、それだけ精霊を生む負担は大きい。発信元である彼等の疲弊も早いのだ。

 駄目か。マイアが諦めかけた、そのとき。


『ぼくたちは……』


 ハッと顔を上げるマイア。真正面にいる少年らしき光からだ。どうにか輪郭が保たれている程度だが、まだ他の光よりはくっきりとしている。ようやく紡がれた別の言葉に、マイアはじっと見据えて、耳を傾ける。


『とても寒くて、暗いところにいます。力を吸い取られ、みんなどんどん弱っていって……』

「どこ!? 私行くから、お願い、教えて!!」

『もう限界……。あまり長い時間話してられないんだ……。でも、ここはきっと……君も行くはずだったところ……』


 そう言い残して、光は消滅した。他の子どもたちも跡形もなく消え去り、マイアは一人取り残される。

 夢から覚めると、マイアは織笠家のベッドの上にいた。全身にじっとりと汗が張り付いて、少し気持ち悪い。だが、逆に頭は驚くほど冴えていた。


「やっぱり、あれは……」


 これではっきりした。


 あれは単純な夢なんかじゃない。明確なメッセージ。

 マイアは飛び跳ねるようにベッドから起きると、自室を出る。





 時刻は既に深夜を回っていた。

 七霊夢アイランドへの潜入捜査を明日に控えているため早々に眠ろうとした織笠だったが、なかなか上手く寝付けずにいるといつの間にかこんな真夜中になっていた。

 部屋の照明を全て落とし、外からの明かりも何も届かない真っ暗な自室。織笠は無理矢理眠ることを諦め、一度起き上がってベッドの上で座り込む。

 ここのところは忙しかったものの、軽犯罪ばかりで疲労感は特別ない。体調面は問題ないし、眠気が来ないのはやはり緊張感が勝っているからだろうか。

 今回の一件はどうにも匂う。

 大きな闇の渦をうごめいている。全貌はまるで見えず、マイアを中心として大きな犯罪のうねりが生まれている。


(間違いなく、あの島がマイアを狙うことと関係している……)


 良く無い兆候だ。犯罪そのものに没入しようとすると、心が暗い沼へと引きずり込まれてしまう。、あまり深く考えず、ただひたすら仕事を全うしようとしてきたが、今度はそうはいかないらしい。


「マイア……」


 短い嘆息の後に、織笠は頭を抱えた。

 一体どうしたというのだろう。あの心変わりは。

 自らを危険にさらしてまで、真実を突き止めようだなんて。

 確かに、彼女のことはまだよく知らない。自身の能力に踊らされているだけの、まだ無垢な少女。身勝手な大人の悪意に怯えるだけの、幼い被害者という認識でしかない。

 あの頃の俺もそんな感じだったか。インジェクターという国家最強の精霊使いに任せておけばいいものを、自ら首を突っ込んで周囲に心配ばかりかけていた。

 織笠は苦笑した。

 まさか今度は自分がそういった立場になるとは。

 マイアの成長……なのかは分からない。でも自分と違うのは、マイアはまだ十二歳の少女だということ。捜査に加わりたいのを止めるのは保護者代わりでなくても当然だ。会議の後でカイにもう一度抗議してみたが、「護衛も事件解決への重要な任務」と一蹴されてしまった。


(どうにも入れ込んでるよな。過去の自分と重なるからか? いや――)


 それだけじゃない。

 それ以上に。


『――私のようになってほしくない。そうよね?』


 涼やかな声音が織笠の耳をくすぐる。ほっそりとした白い腕が織笠の首にからまり、背後から抱き着くようにして彼女は姿を現した。

 音もなく。気配すらなく。


『ねぇ、レイジ。私のことを誰よりも理解している貴方だもの。あの子を私のようにしたくない……そうよね?』

「リーシャ……」


 白袖・リーシャ・ケイオス。

 気品に満ちたあまりに美しい顔立ちも、青く輝く瞳は冷たく深淵を見てきたように暗い。半年前と同じ、自らの心を映したかのような黒いドレス姿で彼女は姿を現した。


「そうなのかも……しれないな」


 かつて戦った忌むべき相手に抱きつかれても、織笠は抵抗もせず、彼女の言葉を素直に受け止める。


 リーシャは半年前に死んだ。

 織笠が殺したのだ。


 壮大なシナリオの元、決行された『伊邪那美の継承者』事件。

 リーシャはその首謀者だった。東京一帯を機能不全にまで陥れ、社会を壊滅状態にまで追い込んだ。

 織笠は自身の境遇を付け込まれ、一時はリーシャの手に堕ちた。世界再構築の神としてリーシャは織笠を据えるつもりだったが、織笠は拒否。現状の社会を選び取り、リーシャをその手にかけた。

 だから今、この場にいる彼女は幻。織笠が視ている幻影に過ぎなかった。

 幻とはいえ、織笠が平静を保っているのは、これが初めてではないから。度々こうして織笠に語りかけてくるのだ。

 リーシャが死に際に残した呪いの一部なのだと、織笠は解釈している。


「皆が感じている通り、俺はお前とマイアを重ねている。俺と関わることで、今後辛い目に遭うのは目に見えている。同じ歴史を辿るのは御免だ」

『でも貴方はあの子を側に置き、手放せないでいる。誰かに任せるなんて無理なのよね』

「…………」


 くすくすと笑って、リーシャはベッドから降りた。織笠の正面に立ち、卵でも触れるかのように両手で彼の顔を包む。


『この世界は、あらゆる人の業が渦巻く負の饗宴。他者を妬み、憎み、虐げる――全精霊使いが共存するなどという夢物語を描いたはずが、皮肉にも逆を行く。その真実を晒すのが怖くて仕方ないのよね』

「マイアはまだ幼過ぎる。お前の言うように、この世界は決して美しくない。残酷な面が多くを占めている。大人でさえギリギリのラインで保っている平穏に、どうして直面させるというんだ」


 呻くように嘆く織笠に、「過保護ね」とリーシャは冷たく言い放つ。


『精霊使いの拠り所はね、詰まるところ精霊に落ち着くの。精霊が寄り添っての自我なのよ』

「力……能力の良し悪しか」


 単純な回答だ。結局行き着くところは才能なのか。大きな力を持てば満足し、逆に低ければ鬱屈する。


『優劣による物差しで生きる輩はごまんといるけど、精霊は心に結び付く。幼い頃の経験から精霊に対してどういった想いで寄り添うかなの。それが稀に奇跡を生む』

「奇跡……」

『偶然が重なって造られた粒の結晶だと思って。ただし、前例がないだけにどちらに転ぶか分からない。天使か、はたまた悪魔か……』

「俺たちは――」

『言う必要もないわ。さて、あの子はどういった運命を辿るかしらね……』






「あの……」


 か細くも明瞭なその声が、織笠を現実に引き戻した。

 いつからだろうか。マイアが、ドアを開けたまま立ち呆けていた。


「マ、マイア……」


 買い出しのときに購入したパジャマ姿で、引き吊った表情を浮かべている。

 リーシャとの会話を聞かれた。いや、正確にはリーシャの姿は見えない。幻影なのだから。


「どうかした? こんな夜中に」

「い、いえ、その……」


 言い淀むマイア。

 よほど不気味に映ったのだろう。織笠が一人でブツブツ喋っている姿が。室内に気まずい空気が流れる。


「夢を……見て……」

「夢? どんな?」


 怖い夢でも見て眠れなくなってしまったのだろうか。夢の中身なんて支離滅裂が大半で、それが子どもには恐ろしく感じてしまうものだ。誰かに話すことで楽になりたかったのかもしれない。

 そう思って訊き返すも、マイアは中々話そうとしなかった。やがて、唇を固く結ぶと、ブンブンと首を強く振ってドアノブに手をかけた。


「何でもありません。おやすみなさい」

「え、いや、ちょっと」


 慌てる織笠をよそに、マイアはドアを閉めようとする。


「何か用があったんじゃ……」

「大丈夫ですから。それと――」


 視線を合わせようとしないマイアは閉め切る寸前、ボソっと言った。


「独り言はもっと静かに呟いた方がいいですよ。気持ち悪い、です」


 音もなくドアが閉じ、一人残された織笠は呆然と立ち尽くすしかなかった。





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