終章

エピローグ

「対象の保護という当初の目的はクリア。しかし、本人の意思とはいえ、対象を危険にさらした捜査方法には少々疑問が残るが、結果は上々。個人的にお前たちの方針に問いただす気はない」


 事件解決の翌日。

 織笠は陽のアークに赴いていた。

 アークという施設は構造上、情報を多く含んだ国中のマナを循環する役割を持つため、ありとあらゆる出来事を知ることが可能だ。わざわざインジェクターが業務の報告をすることなど本来不要なのだが、今回はマスター直々の特務のようなもの。義務などなかったが、召集を受けていた。


「そうしてもらいたいな。こちらとしてはマイア以外の子どもたちも救ったんだから」


 満足げに微笑む陽のマスター代理に、冷淡な返答をする織笠。


「それとも何か? マイア以外の未来ある精霊使いは興味ないか」

「そう噛みつくな。あの子らもまた、この国の将来を担うかもしれない逸材であることには変わりない。そこを加味して私は評価しているのだよ」


 鼻で笑うマスター代理に、表情が険しくなる織笠。嫌悪感まではないにしろ、マスターという存在自体の不信感は強い。一応の部下として召集に応じたのは、織笠にも確認したいことがあったからだ。


「しかし……煉原か。惜しい人材だったな」


 顎をさすりながら、マスター代理が唸る。


「精霊使いという人種は基本、事業者に向いておらん。金儲けなどする必要もないから、経営を学ぶなんぞ頭の片隅にもない。まぁ、人間や他の精霊使い相手に商売するなんて、プライドが邪魔をするのもあるが」

「そうとも言えないんじゃないか? 確かに古い考えに縛られている精霊使いもいるが、そういった固定観念も徐々に変わりつつある。こちらの文化に触れて、交流に楽しみを覚えたなんて例もある。精霊は、そのアクセントに過ぎないとな」


 人口の約半数が精霊使いとなれば、時代の流れとともに自然と思考は変化していくものだ。特にこの世界で生を受けた第二世代は、人間に寄り添う形で生活の基盤を作る。織笠もそういった方向にもっと発展していけばいいと願っている。


「我々としてもそれは望むことだ。ただ、煉原はその才能の使い道を誤った。あの島にあんな秘密があったなんて我々も把握してなかったぐらいだ」

「本当か?」

「何を驚いている? あの島は我が国の領土外。我々六属性のマスターが手を組んだとはいえ、この国の維持だけで手一杯なのだ。とはいえ、あれだけの資源。今後は外務省と連携して我が国の管轄に置くことになるだろう」


 当然だが、七霊夢アイランドは閉鎖となった。

 大規模な洗脳によって多くの被害者が出た。幸い、死者こそ出なかったが、洗脳の後遺症やメンタル面への負担は計り知れない。さすがに精霊干渉波がどんな仕組みだったのかという真実は伏せたが、ニュースに取り上げられた市民たちの反応は落胆の二文字しかなかった。

 精神ケアが売りのワンダーランドが、文字通り夢想だったわけだ。

 ある意味、あの島の存在が犯罪抑止力になっていた事実からすれば、これから先、犯罪増加は明白。精保内でも懸念されている。


「煉原が更生した暁には、こちら側に加えるのも悪くないな」

「本気か?」

「さて、どうだろうな?」


 冗談交じりに声を弾ませて、陽のマスター代理は笑う。


「今回の件で気になったんだが」

「なんだ?」

「煉原の本名……メザルカって言ったか? あんたたちは奴のこと、知っていたんじゃないのか? マスター候補にまでなった男だろ?」


 探るように訊いた織笠の目を、マスター代理はじっと見つめる。何か思考を巡らせているのか、僅かな間を置いてマスター代理は言った。


「気になるか?」

「まぁな」

「向こうの世界でも優秀な精霊使いの情報は回ってくる。あやつは闇の精霊使いだったな。こと、マスター候補ともなれば、マークするのも当たり前だろう。さすがに不正を働いてマスターの座に就こうとしていたことまでは知らなかった。身内の不祥事はもみ消したんだろうが」

「だったらあんな七霊夢アイランドなんてものが出来た時点で――」


 言いかけた織笠を、マスター代理が語気強く遮る。


「我々が敢えて放置していたとでも言いたいのか? 馬鹿を抜かせ。奴の悪意がこちらを上回っていたという話だ」

「取り調べは進んでいる。煉原の自供によっては、アンタたちの責任問題になるぞ」

「馬鹿馬鹿しい。お前はどうしても我々を悪者にしたいようだな」

「転移関係が杜撰だって言いたいだけだ」


 今回に限らず、精霊犯罪には異世界転移が絡むことが多い。そもそもの人選、転移センターの設備、管理体制……。複雑なシステム故の脆弱性は常に露わになっていた。

 一瞬、気色ばむマスター代理だったが、すぐに冷静になったのかつまらなさそうに鼻を鳴らす。


「私は心が広いからな、その点は認めよう。今後は強化を徹底しよう」

「密入国者までは面倒見きれないんでな。仕事をこれ以上増やさないでくれるか」

「ぬかしよるわ。お前ほどの力があれば、なんとでもなるだろうに」


 溜息交じりに言う織笠を、笑いとばすマスター代理。

 転移センターが襲撃されたことは、マスターも知らなかったようだ。機材のトラブルだと偽り、報告を怠ったスタッフについては処分し、新たな人員を配備するという。


「それで? マイアの方はどうなっている?」

「今は療養施設で安静にしている。力を使った反動がかなりひどいんでな」


 マイアはあれからずっと眠りについたままだ。

 マナの消耗が激しく、あの幼い身体では負担に耐えきれなかったのだ。織笠が目の当たりにした凄まじい精霊の力が、彼女にどこまで影響が出るか分からない。レアの見立てでは様子を見るしかないと言っていたが。


「まさか精霊使いとしての力を使い果たしたわけではあるまいな」

「どうだろうな。検査では異常は見つからなかった」


 淡白な返答。

 マイアが窮地の場面で放った奇跡。まるでリーシャがいたかのような力のことは伏せた。

 織笠自身理解できないし、マスター代理がそんなこと信じるわけもない。マイアにとって不利になる可能性もある。


「……彼女は今後の精保のキーパーソンだ。あの力を社会に役立ててもらわねば困るのだ」


 やはりか。

 織笠に嫌悪感がにじむ。マイアを道具としか見ていないことに憤りを感じる。拳を強く握りしめながら、織笠はマスター代理の真意を探るため踏み込む。


「マイアの力は人の精神に介入する。扱い方を間違えれば本人の思考すら捻じ曲げてしまう。そう、今回の煉原が行ったように洗脳すら可能だ。お前は、それが狙いなんじゃないか?」


 回りくどい言い方はしない。低い声音で、直接的に言葉を叩きつける。


「極論だな。それが、私がマイアをこちら側につかせる理由だと?」

「どうしても納得いかないんだよ。そこまでしてマイアを欲する目的がな。感知能力に長けた能力者がいれば捜査に役立つ――それも勿論あるだろう。けどな、どうしてもそれだけとは思えないんだよ」


 マスター代理の背後にある巨大なマナのタンクが泡立つ。織笠が放つ、ただならぬ殺気に反応しているんだろう。

 交錯する視線。表情を失ったマスター代理が、しわがれた唇を開く。


「思考誘導。実に有益な力だとは思わぬか」


 口角が吊り上がっていく。これまでよりも愉快そうに、粘っこい口調に変化する。織笠の背筋に、冷たいものが走る。


「無数にある思考。人間も精霊使いも一律にし、操ることが出来るのだぞ。まるで夢のようじゃないか」

「そんなことをして何になる?」

「すべては精霊使いの復権のためだよ。マイアという信号で何もかも統一し、今一度、精霊使いのための精霊使いによる国に作り変えるのだ」


 唖然とし、織笠は大きく肩を落とす。溜息に混じるのは幻滅以外の何物でもない。


「お前も所詮、前マスターと同じ口か」

「貴様の言う通り、今回の一件は良いモデルケースになったよ。だからこそ煉原は惜しい人材だと言ったのだ」


 平等ではない、マスターによる完全な統治社会。要は向こうの世界をこちらでも再現しようとしているのだ。前・陽のマスターだったサーフェリア・ケイオスと全く同じ考え方。権力者というのはどいつも一緒なのかと、織笠は心の中で吐き捨てる。


「たとえマイアが今後精保に身を置くことになっても、そんなこと俺がさせない」

「ふん。それが六属性マスターの意志だとしてもか?」

「関係ないね」


 織笠は断言する。


「楽だとは思わないかね。我々も、そしてお前たちインジェクターも崇められる存在になるのだぞ。精霊犯罪さえも無くなり、唯一無二の管理社会が出来上がる。命令系統が極めて単純で、こちらの意図することだけで世界は進む新世界だ」

「そんな馬鹿げた理想の為に、マイアを使うだと? 許せるか、そんなこと!」


 マスター代理の世迷い言を、はらわたが煮えくり返る思いで聞きながら、遂に声を荒げる織笠。感情的になったことで精霊が溢れ出る。


「面白い。少女一人の為に私たちを敵に回すか」

「回すさ」


 織笠はE.A.Wの純白の剣を取り出し、切っ先をマスター代理に向ける。

 事実上の宣戦布告。

 そして静かに言い放つ。


「それがマイアと市民を守る結果になるなら、喜んでお前たちと戦おう。例え味方が俺一人だけだったとしてもな」

「くっくっく。あくまで抗うか。もう二度と失いたくないものな、大切な女を」

「マイアはリーシャの代わりじゃない。彼女は俺も救ってくれた。もう幻を追う気はない。マイアの為にも、俺は前を向く」


 嘲りを含ませた笑い声が、アーク内に響き渡る。


「よかろう、やってみせよ。私は貴様がどこまでスタンドアローンになれるか、観察していくとしよう」






 一週間後。

 ようやく目が覚めたマイアは精密検査を行い、異常なしと診断された。ただ、退院をするにはまだ体力が戻っておらず、そのまましばらく入院。さらに一週間待って、ようやく退院となった。

 療養施設を出たマイアに、陽気が差し込む。

 入院生活で感じた閉塞感から解放された外の空気はあまりに清々しく、直接浴びる太陽の光はかなり眩しかった。

 軽く伸びをすると、まるで彼女が出るのを待っていたかのように一台の車が施設の前で停まった。

 マイアにはよく見知ったシルバーのコンパクトな車。そして、運転席から降りてきた青年を目にして、少し困ったように笑う。


「……お久しぶりです、織笠さん」


 一週間ぶり……といってもずっと眠っていたマイアには、懐かしい気持ちなんて抱かなかった。感覚的には、ほんの数分前まで命を懸けたあの戦いをしていた気分だった。


「迎えに来てくれたんですか?」

「連絡はしておいたはずだったけどな。スタッフさんは何も言わなかったのかい?」


 穏やかな声で微笑んで、織笠がやってくる。

 事件が無事解決した安堵感からなのか、マイアの瞳に映る織笠は、以前と少し違うように思えた。優しい柔らかな物腰の青年という印象は変わらない。マイア自身の心のつっかえが取れたことによる、少しの変化。親近感が深まったような、もし家族がいたらこんな感じかもしれない。


「体調の方はいいみたいだね。元気そうで良かった」

「検査であちこちたらい回しされたんですよ。そっちの方が疲れました」

「……そうか」


 愚痴をこぼして、溜息をつく。織笠は苦笑した。


「攫われたほかの子どもたちも、大丈夫だったんですよね。私と同じようにここに入院してるって聞いたんですけど会えなくて」

「問題ない。全員、心身共に異常なしだ。あの子たちも、じき退院できる」


 良かった、と呟いて胸を撫でおろす。

 経過が良好ならすぐにでも親元に戻れるだろう。今後、メンタルケアが必要になってくる子も出てくるかもしれない。そうしたら、自分も出向いて少しでも心の不安を取り除いてあげたいと、マイアは思った。


「なら、後は私だけですね」

「そう……だね。まぁ、まずは家に帰ってゆっくりしよう。話はそれから――」


 マイアはさらに一歩、近づいて織笠を見上げた。戸惑いがちな表情を浮かべる織笠。戦闘時とは同一人物と思えないような緩んだ顔が、少しおかしくて思わずマイアの顔がほころぶ。


「……私、決めました」

「決めた……って何を?」

「精保に入ることにします。それで、皆さんのお手伝いをしようと思います。もう私の方から連絡しちゃいました」


 突然の告白に、織笠は唖然とした。


「ちょっと待った。そんな急に……!」

「検査の間、暇でしたから。これからのことをずっと考えてたんです。で、それが一番かな、と」


 晴れやかな顔でそう答えるマイアに、織笠は頭を抱えた。


「まだ事件は終わったばかりなんだ。時間はいくらでもある。もっとゆっくり考えていけばいいじゃないか」


 マイアは大きく首を横に振った。左右で縛られた髪が波のように揺れる。アイサとユリカが結ってくれた髪型だが、案外気に入ってしまい、ここを出る直前に看護師さんにお願いして作ってもらっていた。


「私と同じように困っている人は大勢いる。今回のことで痛感しました。だから皆さんの仲間に加わりたい。戦闘はできませんけど」

「だけど、そんな甘い世界じゃ――」

「分かっています。でも決めましたから。織笠さんも言っていたじゃないですか、私自身が決断することだと」


 織笠はがっくり肩を落としながら嘆息する。

 心配性の彼のことだ。子どものマイアには荷が重すぎると考えているに違いない。

 業務の過酷さに加え、精霊使いが持つ負の部分。精保にいれば嫌でもそれを直視することになる。だが、悠長にしていたくもないのだ。

 わがままかもしれない。でも、この想いを譲るわけにはいかなかった。


「にしたって、なぁ……」


 悶々としながら織笠は唸っている。困っているのを見かねて、マイアはこう言った。


「どのみち、私はまだ力をうまく使えません。まずはそこからになるんですよね?」

「ん? あー……ま、そうだね。訓練して、自由に力を扱えるようにならないとどうしようもないね」

「ならいいじゃないですか。精保の庇護下にあった方が織笠さんも安心でしょ?」


 ぐったりと車にもたれかかる織笠。

 客観的に考えればベストな選択だ。それでも親代わりとして接してきた織笠には納得がいかないのだ。

 やがて、織笠は車のボンネットに突っ伏したまま、マイアに訊いた。


「……決意は固いんだな」

「覚悟はしています。インジェクターにはなれませんが、精霊社会が上手くいくようにこの力を少しでも役立てたいんです」


 真剣な眼差しでマイアは言った。織笠も彼女の決意に満ちた瞳を見据えながら、諦めたように頭を搔いた。


「……ったく、言い出したら頑固だもんな」

「誰かさんに影響されたんですよ。おバカさんが二人。それでいいじゃないですか」


 互いに吹き出し、笑い合う。穏やかな風に乗って、木の葉が舞う。肌寒く感じるのは、そろそろ秋が来るからだろう。


「これで織笠さんの家を出なければいけなくなりましたね。精保に正式に配属されるまでどれくらいかかるか分かりませんが……」


 きっと一年どころじゃないだろう。数年、または十年以上先か。全然想像がつかない。

 実質、精保には通うことになるのだが、そこで能力育成プログラムに則り訓練する運びになっている。前例のない特別支援らしいが、だれがそんな待遇を用意してくれたのか皆目見当がつかなかった。おそらく権力のある人だろうが、甘えさせてもらうことにした。

 あとは自分の努力次第。絶対に成功させる。

 ただ、それまでは彼と会えなくなる。濃密な彼との時間が終わりを告げた。

 少し寂しいような、でも今生の別れじゃない。


「きっと、また会える」

「もちろんです。そのときは、立派になった姿を披露しますから」

「楽しみにしてるよ」


 まぶたが熱くなる。零れ落ちそうになる雫を見られたくなくて、マイアは頭を下げた。


「本当にありがとうございました」


 震えた声までは誤魔化しがきかなかった。心配そうに覗こうとする織笠。「マイ……」と彼女の名を呼ぼうとしたとき。

 音もなく、マイアが足を踏み出した。

 そして、そっと織笠の頬に口づけして彼の耳にささやく。


「必ず戻ってきますから。そのときは――」


 自分が何を言いたかったのか分からない。

 織笠の顔をまともに見れず、そのまま駆け足で車の方に向かう。上気する自分を自覚しながら、車の陰に隠れるようにして手を振る。


「さ、いきましょ。レイジさん!」


 呆然としていた織笠は、我に返って苦笑を浮かべて彼女の後を追う。




 もしかしたら、これも私に課せられた呪いなのかもしれない。

 あの幻想的な空間にいたとき。リーシャに力を分け与えられたとき、彼女は最後にこう言った。


 ――レイジをよろしくね。


 正確には聞き取れなかったが、唇の動きは確かにそう表していた。

 あの人は本当に悪い人だ。

 私にそんな重荷を背負わせるだなんて。

 分け与えた自分の魂たちを鎖に繋ぎ止めておくために。なんとも自分勝手で意地悪な願いだ。

 それが罪なのだとしたら、私も彼同様、共犯者になってやる。

 織笠零治。世界を、未来を、変えるかもしれない唯一の人を支えていくために。




 二人を乗せた車が帰路に着く。

 想いを秘めた少女は、自分で決めた将来を歩いていく。

 精霊社会が生み出す爛然と輝くネオンが、街を歩く人々を照らしている。人間も、精霊使いも、そこに境はない。ただ平等に、それぞれの未来を追い求めながら。




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精霊世界のINJECTION コード・ミラージュ 如月誠 @makoto-kisaragi

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