第二十七話 全てを浄化する光

 浄化の光は、吊るされた子どもたちを呑み込んで地上へと噴き出す。

 そして、島を包む悪質な精霊干渉波に衝突する。ドーム状の頂点を突き破った光の柱は、真っ青な空を突き抜ける。光は拡散し、やがて雨となり、島全体に降り注いだ。

 それはまるで、恵みの雨。

 一粒一粒が上質な陽の精霊であるため、既に修復を開始していた精霊干渉波を容易に溶かす。水彩で塗りつぶしていくように、どろっとした鈍色のカーテンが無色に上書きされて空気中に消え去っていった。


 もたらした影響はこれだけではない。


 ジョクランとザイーネを拘束後、いまだに戦闘中だったユリカとアイサは信じられない光景を目にしていた。

 暴れていた観光客たちが、突然動きを止めた。唸る獣のような表情も、徐々に落ち着き始め、自我を取り戻していく。

 精霊干渉波が消えたからだろう。

 脳細胞を狂わせていた毒が抜けたおかげで、正常な働きに戻ったのだ。意識が戻った人々は口々に、「あれ、俺は一体……?」とか「どうしてこんなところに……」など不思議そうな反応を示している。

 そんな彼等を呆然と見つめるユリカとアイサ。元に戻ったことに安心するも、今度は救護の方に回らなければならない。島中の観光客全員となるとかなりの人数になる。

 『伊邪那美の継承者』事件の再来のような様相に疲労感がどっと押し寄せるが、二人は精保と連絡を取りながら一人ずつ介抱していく。

 そんなときだった。

 淡く明滅する精霊の粒子が、まるで雪のように零れ落ちてきたのである。優しくも冷たい降り注ぐ粒子に触れ、ユリカとアイサは空を見上げながらふと笑みを漏らした。


「これ……、マイアちゃんだ……。マイアちゃんが皆を救ってくれたんだ……」

「綺麗……」


 広域に展開された精霊の波動に思わず見入ってしまう。

 人々を救う小さな女神。

 幼い少女がもたらした奇跡の光は、しばらく止むことはなかった。






 外との状況とは反対に、地下空間では爆発的なエネルギーの拡散が続いていた。

 マイアを中心とした光の柱はいまだ衰えない。とめどなく溢れる水のように、永遠と精霊を放出している。

 マイア自身のマナ保有量はとうに限度を超えている。供給源がどこなのか知らない。その存在が見えない以上、織笠には把握は困難。理解できない現象が起きている時点で、そちらに思考を割くのは無駄だ。


「マイア!!」


 彼女に触れようとした手が、勢いよく弾かれる。

 真の力が開花したとはいえ、このまま放置することは出来ない。正常とは言えないマイアを落ち着かせないと、絶対にマナは枯渇する。

 かといって、安易には近づけない。膨大な精霊がもはや電磁波のような攻撃性をもっているために、接触さえ許してくれない。


「くそ……!」


 吐き捨て、為すすべなく途方に暮れる織笠。変化が起きたのは、マイアからその先――ザルツだった。

 織笠と同様、手をこまねいていたザルツが急激に苦しみだした。呻き声を上げ、その場に崩れ落ちる。背中から湯気のようなものが立ち昇るが、間違いなく精霊だろう。すると、あれだけ禍々しい気を放っていた黒衣がみるみる剥げていく。


「そうか、女神よ……ッ。そういうことか……!」


 恨めし気にマイアを睨みつけるザルツ。

 ザルツも、マイアの特性に気付いたらしい。浄化という能力が、ザルツが起こした淀んだ精霊の鎧を溶かしているのだ。吸収したエネルギーを中和して、本来のあるべき場所に還す。ザルツの体内にあった子どもたちのマナが無くなったことで、元の姿に戻ろうとしているのだ。


「く……。おのれ……!」


 もはや精霊の残滓だけがまとわりついている状態で、ザルツが駆けだす。形勢は厳しいと判断したのだろう。なりふり構わず、ただ獣のようにマイアへ突進する。


「させるか!」


 純白の剣セクメトを手に取り、織笠が前へ踏み出す。ザルツの視界に織笠は一切入っていない。黒い精霊の塊を手に、マイアに仕掛ける。

 ザルツの力が衰えているとはいえ、マイアの意識がどこにあるのかこちらからは判断不可能。無防備に等しい。

 腕を振りかぶるザルツと、彼とマイアの間に割り込もうとする織笠。

 マイアの光がさらに強い輝きを放つ。

 流れるような動きで、マイアの両腕がザルツに向く。爆発的な光の砲弾が放たれ、ザルツを簡単に呑み込んでいった。


「ぐ、ぐおぉぉおおおおおおおおお!」


 吹き飛ばされ、高速で壁に叩きつけられるザルツ。あまりの衝撃に、地下空間が大きく揺れた。


「な……!?」


 唖然とする織笠だったが、それは何もマイアが抵抗の意志を見せたからではなかった。


(リー……シャ……?)


 見間違いじゃない。

 マイアが放った砲弾。その形状が、白い獅子のように映ったのだ。

 陽の精霊が具現化した光の獅子。それは、リーシャ・白袖・ケイオスが得意とした武器。インジェクターが持つE.A.Wを捨て、代わりに得た能力。過去を遡っても扱える天才はごく僅かという、具現化というスキルをリーシャは扱っていた。


(マイアの力を引き出したのはリーシャだっていうのか……?)


 口にしておきながら半信半疑な織笠だったが、それもそのはず。彼女はもう、この世にはいない。いたとしても、織笠だけが見る幻影だけ。その彼女が力を貸すだなんて、ありえない。


「い、今です……」


 か細い声に、織笠の思考は現実に引き戻された。

 ようやく、それだけを発したマイアに視線を移す。マイアは苦悶に歪めながら、言葉を続けた。


「今の内にザルツを……。もう私は保ちそうにないから……!」

「マイア、その力……」

「これでも制御しているんです……。でも、島にいる人たちを解放するにはまだ時間が……ッ。だから早く……!」


 織笠はそこでようやくマイアの狙いに気付く。

 この巨大な浄化の光で、島全体を包む精霊干渉波を打ち消そうとしているのだと。

 彼女は織笠を守るだけじゃない。子どもたちを救うだけでもない。文字通り、全身全霊。命を削るような力で何百人という人たちを救おうとしているのだ。


「なに……してるんですか……! とっとと……終わらせてくださ……!!」


 壁に叩きつけられたザルツは、ふらふらとした足取りでこちらに向かってきている。

 ザルツにとっても、誤算だったはずだ。煉原や彼等の狙いは、マイアを無理矢理にでも覚醒させ、自分たちの操り人形として犯罪に利用すること。だからこそ未発達の段階の方が都合がよかった。だが、本来の力を開花させたことにより破綻したのだ。


「女神よ、もはや我々に生きる価値なし。共にこの島と沈もうぞ……!」

「ザルツ!!」

「貴様もだ、呪われし英雄。楽園は放棄されたのだ。我の終焉に付き合ってもらうぞ!」


 ザルツが自身の力を再度解放する。マナの残量は僅かだからだろうか、闇の黒衣を復元しようとするも中途半端にしか戻らない。それでも元の戦闘力を考えれば油断はできなかった。

 織笠はマイアの前に立ち、純白の剣セクメト漆黒の銃タナトスを構える。


「ふぐぉおッ、おおォォォオオオオオ!!」


 瘴気のような闇の精霊がザルツを包む。僅かな力を振り絞り、両腕に精霊を付与させる。

 全身を強化させる余力がない以上、局所的な方法を選択したのだ。そうであっても、禍々しさは薄れるどころか、益々溢れていた。


「まだそんな力が……!」


 膂力強化――そんな印象を受けるがそれだけではない。黒く塗りつぶされた前腕部から、何かが生えてくる。人間の肉体など容易く両断できそうな鋭さを持った巨大な刃だった。


「ゆくぞ、呪われし英雄……」


 細い息を吐きながら、ザルツが織笠を見据える。

 野望が潰えたザルツの妙な潔さを感じながら、織笠は静かに銃を下ろし、一発、地面に撃つ。着弾点から広域にわたって闇の紋様が浮かび上がった。

 警戒をしながらも、ザルツが腰を低く落とす。


「来い。全ての幻影を終わりにしてやる……!」


 織笠が静かに言い放つ。

 言葉にならない咆哮を上げながら突撃してくるザルツに、織笠はあろうことか目を伏せた。右手に携えた純白の剣を真上に放り投げる。

 そして、厳かに唱える。


禊賜るは太陽と月アマテラスツクヨミ


 織笠の全身から陽と闇の精霊が噴出する。燐光が幾つもの筋となって織り交ざり、上昇していく。その先にある剣に絡まり、より強い輝きを放つ。そうして空間上に無数の剣の分身が顕現する。


「なっ……!?」


 愕然と喘ぐザルツ。織笠の領域内に踏み込んだザルツの上空には、彼を標的に剣先が全て向けられている。


「弐式――」


 陽と闇。惹かれ合う引力に従い、落下を開始。流星の如き速度で、ありとあらゆる角度から剣閃がザルツに迫りくる。

 白と黒の交錯。それは原初から定められていたことのように、結合。網の目のように張り巡らせた無数の光が、闇の紋様へ到達する。


陽闇楽土ようあんらくど


 悲鳴を上げる暇さえない。

 肉体を無数に貫かれ、ザルツは膝から崩れ落ちる。

 

「み、見事……」


 肉体を焼かれながら、ザルツは満足げな笑みを浮かべた。

 頭部や心臓といった致命傷となる箇所は計算済みで避けている。その高度な術式に感服し、ザルツは織笠を見つめた。


「英雄の名に違わぬ強さよ。だが、幻影は消えることのない人の拠り所。きっとまた……必要とする者が新たに模索し、世界に現れる。ゆめゆめ忘れるでないぞ……」

「幻影は全てが悪じゃない。否定すべきは悪夢。そうならば、俺がいくらでも振り払う」


 織笠の言葉を聞いたザルツは満足気に微笑み、そして勢いよく血を吐きだしながら倒れた。

 意識を失ったザルツを見届け、織笠はマイアの元に急いで向かう。


「マイア!」


 光の柱が消える。

 力を使い果たしたマイアの身体が揺れ動き、ふらつく。すんでのところで織笠は彼女を抱きとめた。


「マイア、しっかりしろ!」

「……だ、大丈夫です。ザルツ……は? 勝ったんですか?」


 血の気を失った顔で、マイアは声を絞り出す。


「ああ。君のおかげだ」

「良かっ……た……」


 マイアは力なく微笑む。力を使い果たしたことで、今にも眠りに落ちそうな視線が天井に向く。


「あの子たちもきっと助かる。君が救ったんだ。ありがとう」

「私だけじゃ……ないです。皆さんが、いてくれたから……」


 マイアが起こした奇跡。

 彼女がいなければ攫われた少年少女は死んでいたかもしれない。例え助けられたとしても、心を極限まで削られた子どもたちが元の生活に戻るのに、どれだけの時間がかかることだろうか。

 魂の死。そうなってしまえば、他者には治す手立てがない。

 だから、マイアはこれ以上にない救世主なのだ。


「……にも」

「……え?」


 聞き取れないほど微かな声に、織笠は耳を傾けた。重そうにまぶたを閉じるマイアは安らかに、かすれた声で言う。


「くや……しいけど、あの……人にもお礼しなきゃ……。もう……会えない……かもしれない……けど……」

「あの人って……? おい、やっぱりまさか……」


 その答えは聞くことは出来なかった。

 織笠の腕の中で、少女の頭がこくりと落ちる。しばらくして、微かな寝息がマイアの唇から漏れてきた。

 強烈な力を宿した能力者とはとてもじゃないが思えない、あまりにあどけない寝顔。その愛らしさに織笠は苦笑し、そっと抱き上げた。


「幻影が支配するなら、そういったこともあるのかな」


 織笠は「なあ、リーシャ」と呼びかけながら、マイアの顔にかかった前髪を優しくすくう。


「お前はマイアに何を見た? 希望か絶望か……。いつか託したものが何なのか教えてくれよ……」







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