第二十六話 邂逅

『初めまして、マイア・フォルトゥナ。会えて嬉しいわ』


 柔らかな笑みをたたえて、女性――リーシャ・白袖・ケイオスは言った。


「まさか……本当に……?」


 マイアの瞳はリーシャに釘付けになっていた。

 自分がこの世界にやって来る半年前の事件。その発端にして、全貌。この美しい都市を、人々を、滅茶苦茶にした張本人。

 信じられない、といった感想がマイアの第一印象だった。そんな恐ろしい計画を実行したとは到底思えない、優しそうな人。

 同時に、確かに自分にそっくりだと思った。

 十年先の自分を鏡に映せばこんな感じなのでは、と場違いな感想も抱きながら張り付いた目線を織笠に移す。


(この人がレイジさんの……)


 モデルケース。

 織笠は彼女を真似して造られた人造精霊使い。その為に多くの犠牲が出た。二属性持ちの精霊使いを意図的に造るなんて、業の深い罪の末に織笠は生まれてしまった。

 彼は、その呪いに今でも苦しんでいる。逃げたくても逃れられない宿命にまとわりつかれても、それを受け入れ、戦い続けている。


「でもどうして貴女が……」


 疑問はそこだ。既に死んでいるはずのリーシャが何故ここにいるのか。

 困惑気味のマイアに、立ち上がってリーシャは周囲を見渡す。


『生き返ったわけじゃないわ。きっとこの特殊な環境、織り交ざったマナ、それに、特異な力を持つ能力者。様々な条件を満たしたから、こうして形になった……ということかしら』

「幻影……」


 そんな表現が口から零れ落ちる。


『私は、私であって私ではない。彼の瞳から送られる脳内での情報から構築されたイメージなの』

「え……?」

『私とレイジの逢瀬は短いものだった。だから本質ではない、彼の主観に基づくリーシャ・白袖・ケイオスということ。とはいえ、実在した私のアイデンティティにほぼ近いけど』

「で、でもこうして……」

『そうね、不思議よね。誰かが願ったわけじゃないのに、貴女と会話できている。レイジを縛る“鎖”でしかない私が。それも奇跡かしらね』


 悪戯っぽく笑うリーシャに、ますます呆気に取られてしまうマイア。


「の……」

『ん?』

「望んだというなら、私がそうなのかも……しれません」


 うつむきがちに、マイアは唇を結ぶ。


「私がリーシャさんを呼んだ。無意識に、心のどこかで会いたいと」

『あらあら、そうなの?』

「助けてほしいから。私じゃどうにもならないから」

『期待しちゃったんだ? じゃあ、私はまんまと嵌められたってことかしら』


 こちらは本音を吐露しているのに、まるで真剣に受け取ろうとしないリーシャを上目遣いに睨むマイア。

 子ども扱いは仕方がないとしても、今は切迫した状況だ。やはりこの人は悪い人だ、と頭をよぎる。

 興味本位で会いたいと思っていたわけじゃない。織笠零治にとって大事な人、良くも悪くも大きな影響を及ぼした女性――なのだが、それ以上に世界を破滅させようとした大罪人だ。危険なのは変わりない。


「私はもう限界。きっとこの時間がまた動き出せば、すぐにでも倒れてしまう」


 だけど。

 情けない。みじめな感情しか湧かないけど、マイアは絞り出すように声を枯らせる。


「このままじゃみんな、ザルツに殺されてしまう。だから力を貸してほしい。貴女しかいないから」


 世紀に残る悪女だったとしても。

 たとえ幻想でしかないとしても。

 残された手段はそれしかない。


「…………」

「リーシャさんとしても織笠さんが死ぬのは困るでしょう? だって、生きていなきゃ楔にはならないから」


 リーシャは不意に笑みを消して、じっとマイアを見つめた。

 強張った表情と、震える肩。マイアの微かに残された勇気が、リーシャに突き刺さる。

 懇願ではない。挑む眼差し。


『結果、貴女が死ぬことになっても?』

「それは……構いません」


 ほんの一瞬だけ迷いが生まれる。だが、マイアは言い切った。

 リーシャは今までとは別人のような硬い声で言った。


『この世界は盤石じゃない。神と自称する愚か者たちは完璧を目指し、選民を進めながらここまで来た。マイア・フォルトゥナ、きっと貴女も選ばれた人種。見捨てられた数々の精霊使いを無視して、偽の神の駒として生きていくのかしら』

「そんなの、分かりません」


 正直にマイアは答えた。


「不公平なんて言葉じゃ片づけられないのは理解しています。誰もが救われる優しい世界なんかじゃないってことも。でも、私の力で一人でも多くの人生が変わるのなら、喜んで犠牲になります」

『……それが貴女の選んだ未来かしら』

「世界の変革はレイジさんたちに託します」

『面白くない回答ね。……でも、マイア・フォルトゥナという特異な存在が、いずれその変革の重要なサポーターになりえるかもしれないし……。見届けるためにも少しだけ力を貸そうかしら』


 興味深そうに呟きながら、リーシャは、マイアの頭に手をかざす。


『でも、私はあくまで幻影。直接的な干渉は無理なの。戦うことはできないの、だから――いいわね?』

「何を……」

『戦いの歴史には必ず英雄がいたように、心の拠りどころとなる女神もまた存在した。神話の時代から続く、勝利に導く女神がね』


 瞳をつむり、静かに何かを唱えるリーシャ。すると、突如周囲が暗転。地面から燐光が出現し、彼女の全身を包む。


『聖女になるか魔女になるか、変化する未来がどういった裁定を下すのか――それを私は楽しみに見てるわ』


 織笠の姿が消える。彼もまた光の粒子へと変わって、まるで宇宙に漂う星屑のように暗闇の世界に広がった。


「レイジさん!?」


 欠片となった織笠に手を伸ばそうとしたマイアにも、光が包み込む。柔らかな光の正体は精霊で間違いない。ただ、感触というか、マナの温かみは感じられない。

 すると、戸惑い続けるマイアの身体も、光に溶け出していく。


『夢の世界も、そろそろタイムリミット。楽しい時間をありがとう』


 首元まで光と化したマイアに別れを告げるリーシャ。

 マイアの意識が彼方へと消える直前、リーシャは何事かを呟く。

 少し寂しげな笑みを浮かべながら告げた言葉を、マイアは上手く聞き取ることが出来なかった。








 頬に伝わる冷たい感触。自分が床に倒れているのを自覚するのに、少々の時間を要した。


「――ッ!?」


 跳ねるように飛び起きて、織笠は顔を上げた。

 ザルツの猛攻によって気絶させられていたのだ。瞬時に全身が激痛をよこす。苦しみに喘ぎながら、ふと疑問が頭をかすめた。


(死んでいない……?)


 気絶していた時間がどれほどか分からない。ただ、どれだけ短くても無防備な相手にザルツがとどめを刺さない理由はないはず。そう思って、織笠はもう一度、周囲を確認しようとした。


「な……ッ!?」


 思わず目を疑った。

 正面にはマイアの背中があった。両手を力一杯伸ばして、まるで織笠を庇い守るように立っているではないか。


「マイア!!」


 凝視すれば、彼女は結界を張っているようだった。規模は小さいものの、それはレアの術式“レイ・アルター・ドーム”に酷似している。

 結界は精霊を高密度に凝縮させた防護壁。少しばかり力の使い方を覚えたばかりのマイアになぜそんなことが可能なのか、織笠は理解が追い付かないでいた。

 だが、今はそんなことを気にしている場合ではない。


「マイア、やめろ!!」


 結界は外部からの干渉を遮断する代わりに、とてつもなく燃費が悪い。常時精霊を発動しているわけで術者が解除しない限り、マナという燃料を永遠に食らいつくす。

 最悪の場合、死にも至る危険な技だ。

 マイアのような力の使い方を熟知してない者が使用すればどうなるか、自明の理だった。


「う……、あああああぁぁぁぁぁあああああああああああ!!」


 だが、織笠が予測した最悪は訪れなかった。

 限界が近いはずのマイアの身体が眩い輝きを放つ。光が柱となり、天まで凄まじい勢いで昇る。


「な、なんだ!?」

「ぬぅ!?」


 巻き起こった強力な風圧が、織笠とザルツを吹き飛ばす。

 限界突破、なんて安易な表現では言い表せない。精霊使いの力を大きく凌駕した、膨大なマナ。マスタークラス、いや、それ以上の強大な力がこの場を支配している。


(まさか、暴走!? いや、でもこれは――!)


 精霊使いが自身の能力以上のものを無理矢理引き出そうとすれば、体内のマナが暴れ、コントロールが効かなくなる。成長段階の精霊使いにはよくある現象なのだが、それともまた少し違う。

 純粋な力の増幅。

 しかし、これはマイアが持つ本来の素養から来るものではない。それだけの才能を持っていたとしても、この精霊の放出量は異常だ。何百人もの力を吸収して、それらを全て自身の力へと変換させているような気がする。


「マイア!」


 そう思えたのは、彼女のところまで駆け寄ろうと動いたその身体があまりに軽かったからだ。苦しんでいた激痛もすっかり消え、傷口も塞がっている。

 荒れ狂う光の奔流には似つかわしくない、治癒の効果。しかも外傷だけではない、戦闘による荒んだ心にまで作用していくような――。


「浄化……。これがマイアの……!」


 覚醒前までは、ただ感応力に優れているだけの未熟な精霊使いだった。といっても、彼女が生来持つ感受性の強さによって他者との感覚を共有しやすいという、あまりに曖昧で不安定な素質でしかなかった。

 それがこの緊迫した状況により引き出されたのが、“浄化”。陽の精霊は生きる活力を与えるもの。彼女の特異性を象徴する感覚共有、そこから付随して、他人の心にまで届く救済の力――それがマイアの持つ、能力の正体だった。

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