第八章
第二十五話 女神の覚醒
視界を確保することすら困難な、爆煙が立ち込める。破壊された何かしらの破片が雨のように降り注ぎ、残った微弱な振動がその威力を物語っていた。
「……ぬかったな」
苦々しくザルツが吐く。
「まさか女神が飛び出してこようとは……」
この計画が失敗に終わってしまったとはいえ、マイアにはまだまだ利用価値がある。それを己の手で殺めてしまった失態を悔いている表情だ。
純粋な精霊の力だけではどうにもならないからマイアや感応力に長けた子どもたちを使うのが計画の根幹である。それはザルツが怪物と化してしまっても変わらない。
人々を扇動するのはカリスマではない。
意識など不要。
思考さえも閉ざされた受動的な精霊使いが、絶対的な管理者の下にいればいい。
ザルツが苛立ち交じりに右腕を振るう。
精霊を使用したわけではない。虫を追い払うような簡単な動作だが、たちまち突風が巻き起こる。辺りを充満していた煙が全て消し飛ぶ。
広々とした空間には瓦礫が散乱し、地上へと繋ぐ電流が断線しているのか壁面を伝っていた光が所々消滅している。エレベーターも透明なパイプ部分が破損し、これでは地上に戻ることも出来るかどうか。吊るされた子どもたちも傾き、いつ落下してもおかしくない状態だった。
照明機材が明滅を繰り返す中、ザルツは驚愕に目を見張った。
前方に、繭のような物体があった。穏やかなベールが波打ち、弱々しくも優しい光を放っている。
結界だ。
小さな半円の中心にいるのはマイア。彼女がその結界を発生させたのだ。倒れている織笠を庇うように手を広げたまま、少女は発現させた精霊を維持していた。
「女神よ……それは……」
「死なせない、この人だけは……!」
怯える心を必死に押し殺し、マイアは震える声を絞り出しながらザルツを見据えた。
「絶対に死なせるわけには……!!」
「どこでそんな力を覚えた? いや、そもそもそんな資質は――」
ザルツの顔が強張る。
マイアの特筆すべき能力は感応力。その高い感性で他者との精神を同調させるという、それが彼女の特性。あまりに危険で未発達の段階なために、これまで表面化してこなかった。
自らの危険を回避するための、無意識による発動を除いては。
それは、一種の拒絶。他者には見えない波動を脳に送り込み、精神をリンク。人間を内部から破壊するものだ。
そう、あくまでマイアの力は内面に干渉するだけのもの。
「有り得ない……。まさかこんな短期間で才能が開花したとでもいうのか……?」
唖然と同時に畏敬すらも入り混じっているのか、笑みを浮かべるザルツ。
防御結界は本来のマイアが持つ能力とはまるで別物。外部からの干渉の一切を跳ねのける術だ。拒絶の意味合いでは近しいが、精霊の発動手順がまるで異なる。
当然、マイアはそんな訓練をしていた事実はない。里でもせいぜい精霊を生み出す初歩的な修行止まり。精霊を解放、高密度に構築させる結界術式なんて雲をも掴む話だ。
恐らく、本人も無自覚に違いない。織笠を守りたいがための抵抗。この状況下、本能に従った結果だ。
それはすなわち――覚醒。
「く……!」
ぐらっ、とマイアがよろける。
結界の維持は、常時力を解放状態にするということ。疲労と集中の乱れから結界が弱まり消えかかるが、マイアは意識を強く保とうと踏ん張る。
「やめるのだ、女神よ。そのままでは貴女の方が先に死ぬことになる」
「出来……ません。この人は、この世界の象徴。レイジさんが生きて、インジェクターでいるからこそ意味があるんです」
広げた華奢な両腕が段々と下がり始める。瞳が虚ろになりながらも意識を保とうと歯を食いしばり耐える。
こんな辛さ、あの人が背負っている重さに比べたら――と。
「どれだけ悲惨な境遇でも、レイジさんはそれを受け入れ、その上で必死に抗ってる。ずっとずっと、戦い続けてる。本当はきっと泣きたいほど苦しいのに、それすらも見せずに。精霊使いが本来あるべき姿をこの人は体現しているんです」
「呪われし英雄の業を知ったか。だが所詮、其奴もマスターの傀儡に過ぎん。貴女もそうだ。其奴に救われたとて、行く先は同じ。マスターの消耗品として扱われるだけだ」
「どうあがいても一緒なら、私は自分の意志で未来を決める。そうしなければならないと、レイジさんが教えてくれたから」
熱を帯びた言葉と同時に、決意に満ちた瞳が強く輝く。
「確かに私は人形だった。大人たちのいうことにただ従って、精霊の修練を毎日積むだけ。他の子もそうだったのかもしれないけど、私はそこに何の疑問も持たなかった。目標もなく、毎日を漫然と生きるだけ。他人が私に価値を見出しても、私が私に意味を見出せなかった」
言われるがまま、為すがまま。ただ、良き精霊使いになるために。期待され、流され、マスターが考える理想の操り人形に組み立てられるように生きていく。そんな定められた未来。
だが、織笠零治は違った。
どれだけ非情な過去が蝕んでも、それでもなお彼の信念は折れていなかった。絶望を抱いても、世界を変えたいなんて大層な理想は描いていない。
自分の為すべきことを為す。ただ、それだけなのだ。
たとえ、神をも敵に回しても。
「女神は唯一無二。貴女にしか出来ぬ。存在意義を求めるならば、其方自身が神の座に就くことだ。それこそ救済なのではないか?」
「救うのなら、私は心に寄り添いたい。無限にある人たちの想いの全てを助けてあげられないけれど、でも一人でも多く、心を支えてあげたい」
それがマイアの出した答え。
「だから生きていてほしい。生きて、私に未来を見せてほしい。ずっと傍で。未熟な私にはこの人が必要だから!」
光が弾けた。
結界が拡散。跡形もなく消え去り、マイアの視界が白に染まる。
痛いくらいの閃光に目が慣れると、そこは今までの地下施設とは全く別の場所にマイアはいた。
淡いクリーム色の幻想的な景色。どこまでも広大で、目に留まる物すらない空間だった。
「え……」
突然の変化に理解が追い付かない。自分が何故こんな場所にいるのか、何も分からず、マイアは混乱する。
だが、不思議と嫌な感じがしない。むしろ心地いい。天国があるというのなら、こんな場所なのではないかとさえ思ってしまう。
ザルツの仕業ではないかと一瞬警戒したが、その姿も見えない。首を振って探すも、存在はおろか気配さえ感じられない。
まるで時が止まったかのように。
音もなく、この世界に自分一人だけなのではないかという
瞳がじんわりと熱くなる。訳が分からず、涙がこぼれそうになった。
『まったく……』
そのときだった。
背後から声がした。マイアが初めて聞く女性の声。誰もいないと思っていたのに、その女性はすぐ近くにいるという恐怖に振り向くのを躊躇った。
息を止めて、マイアは恐る恐る顔だけ振り向かせる。
その女性はこちらを向いていない。見えたのは女性の後ろ姿。真っ先に驚いたのはその髪だ。あまりに艶やかで、腰元まで届く滝のように美しい銀色の糸。滅多に生まれないという自分と同じ銀髪が、他にもいたのだ。
そして、滑らかな曲線を描く細い身体。光沢のある黒のロングドレスが背中越しではあるがよく似合っていた。
『こんな可愛いコが一世一代の告白をしてるっていうのに、呑気にお昼寝だなんて。ホントーに、貴方って罪作りな男ね』
なんと優しい音色だろう。そして少し悪戯っ気のある語調は心をくすぐられる。
銀髪の女性は誰かに話しかけているようだった。彼女の足元に目線を移すと、地面に倒れている織笠がいた。思わず「レイジさ……」と、声をかけようとして、言葉を詰まらせた。
『ほら、早く起きないと。それともお姫様のキスでしか目覚めないのかしら?』
しゃがみこんで女性は頬杖をつく。それからゆっくりとマイアの方を見てにっこりと問いかけた。
『ねぇ、貴女はどう思う?』
女性の青い瞳とマイアの緑の瞳が交錯する。
射抜かれたように硬直するマイア。
この人を知らない。けど、知っている。
脳裏に突然浮かび上がった一つの名前を、マイアは無意識に声に出して言った。
「リーシャ……さん……?」
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