第二話 幸福の島
『私は今、はつい先日オープンしたばかりになります、ここ“七霊夢アイランド”に来ていまーす!』
都心部の街頭ビジョン。
画面の向こう側では、若い女性リポーターがマイク片手に満面の笑顔を見せていた。
『この場所はですね、東京から船で一時間。太平洋に位置しています、縁来島という小さな島でして。実はここには秘密があったんです!』
興奮気味な口調には、少し過剰な演出が含まれている。それも裏方からの指示なのだろう。けれど、そこをおくびにも出さない女性リポーターの演技はさすがだ。
『それはなんと! 自然発生されるマナ濃度が通常の約三倍もあるんです。いいですか、三倍ですよ! これはどういうことだか分かりますよね? そう! 精霊使いにとって非常によい環境なのです。マナは精霊使いにとって元気の源。健康維持には不可欠ですから、それが三倍ともなるとここにいるだけで、もう! パワーが! 溢れちゃうんですね! その証拠に後ろをご覧ください!』
撮影カメラが、女性リポーターから景色を映し出す。
雲一つない青空の下には、南国を思わせるような清々しい緑が一面に広がっていた。マントのように風になびくヤシの木が砂浜に沿って並び立っている。それだけでも気分が癒されそうだが、何と言っても目を引くのは地平線までくっきり見える広大な海だ。淡いエメラルドグリーンが太陽の光によってどこまでも透き通っており、画面越しでもその鮮明さははっきりと伝わってくる。
『ほら、どうですか! この美しさ! 素晴らしいでしょう!? こんな場所がこの日本の近くにあったんですねー。私も仕事じゃなかったら今すぐにでも泳いじゃいますよ。でもですね、凄いのはこれだけじゃないんですよ。それでは、行っちゃいましょう!!』
映像が切り替わり、今度は自然とは真反対な建造物が映し出された。
有り体に言えば、それはテーマパーク。宿泊ホテルは勿論のこと、遊園地や水族館のような様々な観光施設があり、マスコットキャラクターを押し出したショップといった商業施設もずらりと揃っている。
観光客の反応はどれも喜色満面。どの施設にも長蛇の列が並び、どれだけ待たされようとも不満の顔もない。
時間の概念など無くなくなったかのような世界。
余程楽しいのか、女性リポーターは終始はしゃぎながら解説していた。最後には息切れまで起こして。ニュースの一コーナーでは紹介しきれないまま、中継は終了していった。
子どもにも大人にも魅力的な癒しの空間。
人々はいつの間にか足を止め、その映像に魅入ってしまっていた。吸い寄せられるように。無意識なのだろうか、「あぁ、行きたい」と呟きながら。
「ほ~、いいねぇ~」
東京を一望できるような巨大なタワーの正体は、精霊保全局。
通称精保と呼ばれる精霊使いが起こす犯罪を取り締まる機関であり、日夜緊張感に包まれた厳かな空気が張り詰める。
その中でも、日々責務の重圧と正面から向き合い戦い続ける集団がある。
それが“インジェクター”だ。
元来、精霊使いは戦闘とは無縁の人種である。自然物に含まれるマナから精霊は生まれ、それを精霊使いは国の維持のために使用する。世界構築に不可欠なエネルギーであり、現代においてインフラ設備はほぼ精霊に成り代わっている。
だが、稀に精霊を己の私利私欲のために悪用する者たちがいる。そんなならず者を断罪するのがインジェクターであり、彼等は精霊を戦闘用にシフトチェンジさせた特異能力者だ。強靭な肉体は勿論、豪胆な精神も持ち合わせ、秩序と正義を最も重んじる現代の戦士たち。
……なのだが。
「南の島にバカンスか~。いいね~、行きたいねぇ~」
などと間の抜けた声が精保の廊下にまで響く。
インジェクターB班オフィス。
部屋の隅にある談話スペースのテレビを、だらけた姿勢で見ていたのはキョウヤ。風の精霊使いの中でもトップクラスの実力を誇り、B班では古参にあたる。
「今、話題ですよねー、七霊夢アイランド。老若男女どの層にも行き渡るサービスが売りで、絶賛人気爆発中なんですって」
キョウヤの背後から、ソファにもたれかかりながら少女が声をかける。B班のメンバーであるアイサだ。燃えるような緋色の髪が美しく、小柄で可憐な少女だが、まだ若いながらも炎の精霊使いとしての能力は高い。半年前、めでたく高校を卒業した彼女は大学へは進学せず、インジェクターとしての職務に日々追われている。
「俺は遊ぶよりも海でのんびりしたいね。お、今のおねーさんかなり美人じゃん。水着、えっろ!」
「うん、この人の頭はいつでもバカンス状態だ」
テレビへ前のめりになる先輩に、呆れながらかぶりを振るアイサ。その様子を、少し離れた位置から見ていた着物姿の女性が静かに笑う。
「ちょっとそれは言い過ぎかもしれませんね、アイサちゃん」
「そうかな? こちとらまだ仕事中なんですから。キョウヤさんも報告書溜まってるでしょーに」
「適度に頭を休めるのはいいことかと。南の島に飛んだ思考も、ちゃんと帰ってくれば問題ありませんよ。今、キョウヤさんは英気を養っているだけです」
「あーなるほどね。ユリカ姉も言いますなー」
「私も長い付き合いになりますからね」
上品に口元を着物の袖で隠すユリカ。
アイサとは対照的に、大人びた印象のある彼女は大地の精霊使いだ。楚々として、仕草や言動には品がある。しかし、一度戦闘になれば大地特有の破壊力を遺憾なく発揮し、相手を恐怖に陥れる。その実力はB班だけでなく、全インジェクターの中でもトップクラスだというから驚きだ。
「ですって、先輩。おーい、そちらの様子はどうですかー、キョウヤリポーター」
「二人ともヒドイ。いーじゃねぇかよ、休憩時間くらいよー」
笑いが飛ぶオフィスにあって、奥のデスクでホログラムキーボードを叩く音が止まる。頭痛を押さえるようにこめかみ辺りを指で揉みながら、その男はため息を吐く。
「平常運転すぎるだろ、お前ら」
金髪にパーマ、おまけにスーツ姿という目立つ外見をした男の名はカイ。その見た目とは反対に、性格は至って真面目で、彼をよく知る人物からは堅物と呼ばれるほど規律にはうるさい。雨の精霊使いであり、この個性豊かなB班をまとめるリーダーである。
「とっとと仕事を再開しろ。でなきゃ前の事件も処理できんまま、また次の事件がやって来るぞ」
「なぁリーダーさーん、次の休暇はいつでありましょうかぁー?」
「あ、それ、私も知りたいでーす!」
悪ノリするキョウヤとアイサに、カイは間髪入れず一蹴。
「そんなものはしばらくない。というか永遠にねぇよ」
「「えーーーーーーー」」
あからさまな不満を露わにするキョウヤとアイサ。「労働には正当な休息を」だの「国家公務員はブラックなのかー」など、口々に文句を垂れながら抗議する。無論、彼等の悪ノリである。
「やかましい。ただでさえ犯罪件数の増加で出動が増えてるんだ、休みなんてあるか」
冷たく二人をあしらいながらも、頭を抱えるカイ。
「そういや、A班やC班の連中も言ってたな。近頃、急激に治安が乱れてるって」
キョウヤが煙草を一本取り出し、しばらく指で弄んだところで火を点け、細長い息を吐く。紫煙が天井の換気扇にゆっくりと吸われていくのを眺めながらキョウヤは誰にともなく問う。
「確かに尋常じゃねぇ忙しさだ。一体、どうなってんだ?」
「答えは単純だ。ここ最近、こちらの世界に転移してくる精霊使いが増加してる。しかも例年のペースを大幅に超えるほどにな。そこに伴って犯罪も増えている――ただそれだけの要因……なんだよ」
カイのPCにはここ数ヵ月の捜査ファイルがびっしり表示されていた。年齢、性別、精霊使いの属性は様々だが、共通する部分は一つ。
犯罪者のほとんどは居住歴一、二年の精霊使いなのだ。まだ転移してから日が浅く、この世界の仕組みをよく知らないため、そのストレスから犯罪に走るパターンが大半だが、自らの意図せぬ形で罪を犯していたケースもある。いまのところ軽犯罪にとどまっているが、数が多いだけに毎回出動するインジェクターの負担が大きくなってきているのが現状だ。
「けどよ、なんだって急にそんな人を増やすようなことし始めたんだ?」
「分布からすれば、精霊使いはまだこの関東エリアにだけ集中している。地方にも活性化を……という狙いなんだろうが……。俺にも詳しいことは分からん」
「そうなると、必然的に精保自体の数も増えないと対応できませんわよね……」
ユリカも首を捻って唸る。
精霊保全局は日本に数ヵ所しかなく、基本インジェクターを含めて職員は慢性的な人手不足となっている。理由としては能力面に優れ、さらに模範的な精神を持ち合わせた上で特別な査定をパスした者だけが所属を許されるためだ。
正しく精霊使いの代表。どれだけ有望な精霊使いだとしても、その門を叩くことすら難しいのだ。
「この前の定例会議で精保の数を増やす案も出ているそうなんだが……。どうだろうな」
「そんなの何十年先だっての」
キョウヤが煙草を灰皿に押し潰す。
実現できるかどうかも怪しい未来。それまでの自分たちの計り知れない苦労を想像して、一同は肩を落とす。
「だからこそ精霊使いには今、精神的な安らぎってのが必要ってことなんでしょうねー」
テレビに映る南国を見つめながらアイサが苦笑する。
「今は無理でも、いずれ五人で旅行とかしてみたいものですね」
ユリカもしみじみと呟く。それを聞いた途端、アイサは表情を明るくして、
「慰安旅行ですな! イイっスね、行きたーい!!」
「仕事詰めだと、空気も殺伐としますし。それに――」
ふと、ユリカの視線はデスクの一角を捉える。
「この班の誰よりも、レイジさんには休息が必要だと思いますし」
インジェクターは基本、五人編成だ。しかし今、この場にいるのは四人だけ。綺麗に整頓されたそのデスクの主は不在だった。
「そうだね。レイジ……、あの事件からずっと休んでない気がしますよね。身体も、ううん、それだけじゃない。心も。ずっと張り詰めっぱなしというか、無理してるっていうのかな。下手すれば機械のように仕事をこなしているというか」
胸を押さえて痛々しくアイサは言う。
「職務を遂行することで自分を保とうとしているのかもしれん。俺には最近アイツがまるで修羅のように思えてならん」
危険な兆候だ、とカイは口を添える。かつてはインジェクターの責務の重さに押し潰れかけたカイの言葉だけに、全員の心にずっしりと響く。彼だけではない、半年前の
精霊社会への立ち位置、組織への疑問、己の守るべき信念――。
治安維持の名目にぼやかされていた、裏の真実。
正義、というものの価値を改めて自分自身に問いかけるきっかけになった。
「そういや、レイジはどこに行った? 朝から姿が見えねぇけど」
ソファから腰を上げて、大きく背筋を伸ばすキョウヤ。もう正午近くというのに、その人物は出勤すらしていなかった。
「言ってなかったか? 陽のアークに行ってるよ。新しい……といってもまだ代理だが、陽のマスターと話をするためにな」
「あー、そういやそうだったか。……でも大丈夫なのか、それ」
「……どういう意味だ?」
「いろんな意味で、だよ」
分かってんだろ、という意味を込めたキョウヤの真剣な眼差し。カイはデスクに肘をついて、重苦しい息を吐く。
「新しいマスターがどういう人物かは俺もまだ知らん。そこらへんを探る目的もあるのかもしれんな、レイジには」
「大丈夫かなー、変なことにならなきゃいいけど」
心配そうなアイサの言葉に、カイは妙な胸騒ぎを覚えて仕方がなかった。
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