第三話 美しき銀の花

 アークとは、この世界で精霊が円滑に機能できるよう運用させるための施設である。

 日本にあるアークは全部で六つ。各属性によって分かれており、地方に精保と揃える形で点在している。

 その昔、日本は一度滅びかけた。そんなどん底の国に転移してきた精霊使いは、再生させるため力を貸した。その際に必要だったのは、肥沃な大地や新緑豊かな木々、それに一切の濁りのない水であった。

 そこで彼等は崩壊が著しい都市部に集中させず、各地方にアークを建造することで精霊の元となるマナを生み出しやすくした。その甲斐あって、国は繁栄を取り戻すことに成功。現在に至っては全国に中継地点を繋ぎながら大陸の隅々まで精霊が行き渡るようになっていた。

 その管理を務めるのが、精霊使いの長でもある『マスター』と呼ばれる存在だった。

 そして東京近郊にそびえたつのが陽のアーク。

 まるで中世の城を模したような、白を基調とした外観。都市部のデザインとはまるで正反対だが、調和の乱れは自然と感じない。

 アークは基本、精保の関係者でも立ち入りは禁止とされている。マスターとは精霊使いにとって神に等しく、謁見すら簡単には許されない。

 そう、そこは正しく聖域。

 そんな神聖なる場所に足を踏み入れた一人の青年は、厳しい表情で周囲を見渡す。神殿のような荘厳な造りだが、壁や床に無数のパイプがまるで蛇のように這い不気味な空間を醸し出している。半年前よりもその数は増えただろうか、と青年は率直に感じていた。その証拠に重々しい機械の稼働音が幾つも重なり、壇上にある巨大なタンク――マナの循環器も以前と比べて数が増えていた。


「来たのか、織笠零治よ」


 やや鼻にかかった低い声。

 織笠と呼ばれた青年は、表情を硬くしてタンクの奥に目を凝らす。

 ぼんやりと輝くマナに照らされ、現れたのは聖職者のような白い法衣をまとった男だった。

 頭髪は薄く、皺の深い老人。精霊使いは人間よりも長命な生き物だ。どれだけ年齢を重ねても見た目の変化は緩やかだ。ともすれば、この男は一体何歳なのだろうか。想像するに、少なくとも何百年と生きているように思える。

 ただ眼光は鋭く、見た目以上の衰えを感じさせない。


「アンタが今度のマスターか」

「そうだ。まだ代理という形だが、いずれ正式に任命される予定である。今後は私の指示に従ってもらおう」


 値踏みをするように、織笠は陽のマスター代理を睨む。高圧的な言い方は本来、マスターと呼ばれる最高責任者は使わない。どちらかと言えば己を神と定義し、自らを演出する。

 わざわざそうしないのは、彼が織笠と前任者である“あの女”の関係を知っているからに他ならない。


「意外であったな。人工生命体と聞かされていたからどんなものかと思っていたが、まともではないか」


 嘲りを含ませながら陽のマスター代理は鼻を小さく鳴らす。


「……何?」


 眉間に皺を刻んで、織笠はより一層表情を険しくさせる。


「そう、その反応。感情というものが正常に機能している。加えて伝え聞く精霊使いとしての能力の高さ。本物の魂が宿った生物といって遜色ないではないか」

「おかげさまで。誰もが望まれない形で俺は生まれた。一部の独裁者だけが喜ぶような兵器としてな」

「……それはサーフェリアのことか?」

「他に誰がいる? アンタだって無関係じゃないんだろ?」

「私も“D・E・P”の関係者だと言いたいのかね? 愚かな。陽の精霊使いの誰もが、あの女の傀儡かいらいだと思うなよ」


 陽のマスター代理が喉を鳴らしながら静かに笑う。


「むしろ、サーフェリアは陽の精霊使いの汚点なのだ。失脚させてくれたことには感謝しているよ」

「精霊使いの幹部連中も一枚岩じゃないってことか?」

「陽が頂点に君臨すべきという考えに異論を唱える者はおらんがな」

「……なにが共存共栄だ」

「建前も必要なのだ。けれども、そう言う形をとらねば国が安定しないのも事実。しかし、あの女はやり過ぎたのだ。エゴが強すぎたがゆえに人体実験などに手を出しおった」


 デザイナーズ・エレメンタル・プロジェクト。

 違う属性の精霊使いを意図的に配合させ、より強い二属性持ちの精霊使いを生み出そうとする実験が、二十年前秘密裏に行われていた。

 二属性持ちというものは奇跡の産物といわれ、そう簡単に誕生するものではない。むしろ、違う属性の精霊使いの子供にはリスクが大きく、能力を失うだけならまだ軽い方で、最悪死産すら有り得るものだ。だから別種の精霊使いの婚姻は古くから禁忌とされてきた。

 そんな危険かつ非人道的な実験を行っていた張本人が、半年前までこのアークの管理者かつ、本来の陽のマスターでもあったサーフェリア・ケイオスだった。

 その実験で多くの精霊使いが犠牲になった。母体も壮絶さに耐えきれず苦しみ、赤子も沢山死んでしまった。結果として、実験は頓挫。公になることすらなく、闇に葬られた。

 唯一、成功体となった赤子はいたものの、失踪。成長した本人は何も知らぬまま、人間としての生活を送っていた。

 織笠零治として。


「それを貴様らも黙認していたんだろう? 同罪だ」


 織笠が歯を剥いて唸る。肩口から蒸気が発せられる。白と黒が織り交ざったマナ。陽と闇の両方の精霊が抑えきれない怒りによって放出している。


「マスターの権威というのはお主が想像しているよりも遥かに強力なのだ。そこに固執するあまり、サーフェリアは自滅した。『伊邪那美の継承者事件』も、その副産物と言えよう?」

「たかがおまけのように語るな! 俺やリーシャ、それにどれだけの人々が犠牲になったと……!」


 伊邪那美の継承者事件。

 半年前、主犯格である白袖・リーシャ・ケイオスが起こした大規模なテロ事件。陽のマスターへの自らの復讐心から仲間を集い、東京全土を暴動の渦に巻き込んだ。ストレイエレメンタラーと呼ばれる正規ではない精霊使いの不満感を巧みに利用しながら、東京壊滅の一歩手前まで追い込んだのだ。が、インジェクターの力によってどうにか阻止することに成功。織笠もインジェクターとしてリーシャとの一騎打ちを制した。

 露呈した陽のマスターの悪事から彼女を排除、織笠自身もリーシャから呪いを受け取るという大きな代償を払って。

 悲劇と惨劇にまみれた、失うものばかりの事件だった。


「そもそもはサーフェリアとリーシャによる醜い女の争いから始まったに過ぎない。個人レベルで済む話が、あのような未曾有の混沌になったのだ。実に愚かとしか言いようがないであろう」

「所詮は他人事か。腐敗しているな」


 悪態を突く織笠を、陽のマスター代理は気にも留めない。


「陽の沽券は地に落ちた。私の役目はいかにしてここから復権させるかだ。お前たちにも協力してもらうぞ」

「精霊使いの権力争いに興味はない」


 陽のマスター代理は鼻で笑う。


「精保が平常に機能していくには我々の存在が不可欠だということを忘れないで欲しいな」

「…………ッ」


 織笠は口を噤む。

 大抵の精霊使いはマスターがこの世界の法だと信じて疑わない。人間との共存を考えるならばその信心深さは危険だ。法は本来、市民を守るためにあるもの。それが、マスターを崇める為に存在してはならない。

 織笠は半年前の事件でそれを痛感した。だからこそ、インジェクターとして残り続けることを選択したのだ。マスターの意のままの世界にならないように。


「さて、長くなったな。お前を呼び出したのは、私の自己紹介の為ではない。ある任務を請け負って欲しいのだ」


 本題というわけか。織笠は怒りを抑えるように肩を竦める。


「精霊世界を発展させていくため、正規の精霊使いをより増やすことが前回の六属性合同会議で決定した。向こうの世界からの転移者を増加させ、発展途上の地方に送っている」

「それに従って犯罪件数も増える一方だけどな」

「正規かストレイか、そこの判別はこちら側に来てみなければ分からない。そこが今後の改良点ではある」


 まるでストレイだけが犯罪者みたいな言い草だな、と内心織笠は不満に思う。現場はそんな簡単ものではない。正規、ストレイ、はたまた人間が複雑に絡み合って事件は起こるのだ。


「そんな我々の政策に対し、厚労省も文句を言ってきている。これ以上増やすな、とね。人間側も危惧しているのだろう、我々の侵攻具合にな」

「感じ取ってるんじゃないか? いずれは精霊使いだけの国にしようとしていることに」

「お主は反対かね?」

「どちらが欠けても成立しない社会なのは確かだ。お互いが尊重しなければ破滅する未来が待っている。過去の経験上、お前等もそう思っているんだろう?」

「その合理性は評価すべきなのだろうな。お主は人間側の味方だとばかり思っていたのだが」

「俺は市民の味方だ。こういうだから精霊使いを取り締まる立場にいるだけで、だからこそ俺やリーシャのような争いの種となる存在を二度と生み出さないように見張るのが真の目的だ」


 そう、はっきりと告げる織笠。

 命を弄ぶ行為は、例え神であろうと許さない。

 強く断言した織笠を、陽のマスター代理は何故か興味深そうに何度も頷く。


「ならば、お主と私の利害も一致したようだ」


 おもむろに右腕を上げ、織笠の方に掌を広げた。思わず身構える織笠。閃光が瞬くと、現れたのは平面ホログラムだった。


「ッ!?」


 映し出されている画像を見て、織笠は息を呑んだ。画像は少し荒いようだが、人影を捉えている。どこかの監視カメラからの映像だろう。


「な……んで……」

「期待通りの反応だ。しかし、よく見てみるといい。別人だぞ」


 画像に収められていたのは女性だった。いや、年齢から推測して十代前半の少女。

 ただ、ごく普通の少女ではない。

 世にも珍しい銀糸の髪。それがビロードのように流れ、腰元まで届いている。艶やかな緑の瞳はまるで宝石のように小さな額の中に収まり、小さな鼻や唇との対比でより強調されている。外国産の人形のような寸分の狂いのない造形美。

 しかし。

 織笠が言葉を失ったのは、その美少女に見惚れてのことではない。


「リー……シャ……」


 そっくりなのだ。

 思わず見間違えるほどに。

 織笠の脳裏に半年前の記憶が駆け巡る。

 その神秘性が故に惹かれ、一度は心を許した女性。だが復讐鬼と化した彼女を、織笠は殺めるしかなかった。自身の死と引き換えに。

 織笠にとって、彼女は幻影。

 白袖・リーシャ・ケイオス。

 その彼女に瓜二つだった。


「よく似ているだろう? だが何の関係もない。一応言っておくが、お前のというわけでもないぞ」

「貴様……ッ!」

「そう吠えるな、冗談だよ。彼女の名はマイア・フォルトゥナ。両親は既に他界している。いままで孤児院にいたようだ」


 淡々と続ける陽のマスター代理。取り乱した自分を恥じて、織笠は一度深呼吸する。画像の少女を見つめ、冷静に問う。


「……この子がどうかしたのか?」

「我々は常に優秀な人材を探している。恵まれた能力を潜在的に秘めていたとしても我々には感知でき、見つかれば世界の果てまで飛び、確保する。それもまた本来のお役目とは違う、重要な使命なのだ」

「要はスカウトか」


 精霊使いというのは遺伝形質が重要だが、時として突発的に資質に優れた者も生まれるらしい。集団として繁栄していくにはとにかく母数を増やすしかない。それには常日頃から外の世界に目を光らせておく必要がある。スカウト専門の集団もいるらしい。


「マイアは探し当てた我々はすぐに彼女を引き取り、里に住まわせた。それから修行をおこなっていたが、どうも彼女は感応能力に長けているようでね。生命から湧き出る精霊を微細なレベルで感知できるようだ。報告で聞くには波動のように捉えるらしい」

「彼女も、こちらの世界に送り込むつもりなのか? 精保に迎えるために」

「そういうことだ。里の修行で精霊を制御する力を身に着けた段階でこちらの世界に呼ぶ計画だった」

「馬鹿な。いくらなんでも幼すぎるだろう」

「関係ないわ。精霊使いは年齢ではない。優秀かどうかそれだけだ」


 織笠の非難を一蹴して、マスター代理は皺の寄った眉間に指をあてる。


「順調に成長し、微力ながらのある程度力を使えるようになった。そして先日、転移が行われた――のだが」

「何かあったのか」

「原因は分からん。転移装置にトラブルが生じたようだ。こちらの世界に来たのは間違いない。そこは確認している――が、本来の座標からずれてしまったらしくてな。全く見当違いな場所に飛ばされたのだ」

「見失った最終地点は?」


 そう織笠が訊くと、陽のマスター代理は落胆した顔を見せながら、嘆息する。


「運の悪いことに東京北部辺りで消息が途絶えた」

「スラム地区……アングラ方面か」


 顔をしかめながら織笠は呟く。

 能力が基準値よりも低い、もしくは素行の悪い者は社会不適合者としてストレイエレメンタラーとしての不名誉な烙印を容赦なく押される。そういった者たちは行き場を失い、都市の外れへと追いやられた。彼等は自分たちの生活圏を守るため、示し合わせたわけでもなくある特別な区域を造り上げた。それが見捨てられた楽園ロスト・パラダイスと呼ばれるスラム街だった。そこでは日夜犯罪が横行し、精保すら手をこまねく危険な区域となっている。

 そんな場所に何も知らない、かよわい少女が放り出されてしまったら。

 思ったより事態は深刻なようだ。


「B班にはそのマイアの捜索を頼みたいのだ。必ず彼女を見つけ出し、救出してほしい。どんな手を使っても構わん」

「…………」


 マスターの地位にまで上り詰めた人間がそこまで懇願するということは、余程その少女には利用価値があるということなのだろう。

 この陽のマスター代理も先代と同じ、精霊使いの在るべき姿に囚われた歪んだ考えの持ち主。そんな男の命令を聞くのはシャクだが、この少女も放ってはおけない。

 織笠は静かに頷いてみせた。


「了解した。ただちに精保に戻って皆に説明し、捜索に移る。しかし、この施設で探せない以上、それなりの時間が掛かるかもしれないぞ」

「マイアの情報はそちらの班にすべて送る。我とてまだこのシステムには不慣れなのだ。言い訳に聞こえるかもしれんが、プロに任せるべきだろう?」


 マスター代理は薄くなった頭皮を撫でつつ、口元を歪める。


「頼んだぞ。精保の未来がかかっているのだからな」


 気にするのはそこじゃないだろうに、と織笠は呆れつつ携帯端末を取り出し、上司であるカイに連絡。足早にアークを立ち去ろうと踵を返す。

 扉をくぐる直前、織笠は振り返って起動したままの映像を再び見る。

 別人とはいえ、あのリーシャにあまりに似た少女。

 数奇な運命……なのだろうか。

 胸がざわめき立つ。良からぬことがまた起きるのではないのだろうかと。








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