第ニ章
第四話 暗躍する者たち
一言にアングラ地区といっても、明確なエリア分けが存在する。暗澹たる心の闇を抱えた精霊使いにとっての歓楽街が中心に位置し、そこを囲むように住宅街が建っていた。
さらに県境まで行けば商業区域なのだが、その多くは閉鎖。今では誰も寄り付かない廃墟街と化してしまっていた。
その日は、どんよりとした重苦しい夜だった。湿り気が強く、粘っこい空気。老朽化しているとはいえ、大半は商店街としての趣は残っている。そのため家屋と家屋の隙間もなく、風通しが悪いのも湿度が高い一因だろう。
この通りは昼間こそまだ人の往来はあるものの、陽が落ちればピタッと無くなる。単に用事が無いから通らないわけではない。
闇と共に表面化する一種の危険地帯。それを、この場所でねぐらにしている精霊使いは身に染みて知っているからだ。
無人とはすなわち、悪だくみも簡単に行えるということ。
過去にも様々な非合法の闇取引や殺人など度々起きていた。だから誰も近寄ろうとしない。
特にこんな静かすぎる夜には。
アパートの一角で妙な音がしたのは深夜二時頃。
元はドラッグストアだった店舗の二階から大人数人が、何やら大きな物を運びながら階段を降りていた。
「いいか、慎重に下ろせよ。もし傷でもつけてみろ。何言われるか分かったもんじぇねぇ」
路上に駐車してあったバンから男が降りてきた。高圧的な物言いだが、見た目は二十代後半ぐらい。赤い髪を逆立てたタンクトップの荒んだ雰囲気を漂わせている。
男たちが重そうに運ぶそれは、一見して棺のように見えた。全体が黒いコフィン状の物体を、男たちは赤髮の男の指示に従ってバンの後部に積んでいく。
「よし。あとはコイツを届けるだけだな」
バックドアを閉めて、赤髪の男がホッと息を吐く。
「でもよ、気にならねぇか?」
赤髪の男が運転席に戻ろうとノブに手をかけたところで一人の男が言った。作業着を着た大柄な男だ。
「あん?」
「中身だよ。一体何が入っているんだろうな」
「……知らねぇな」
赤髪の男が剣呑さを露わに低く唸る。パンツの内ポケットから煙草を取り出し、火を点けた。
「……なんだ、気になんのか?」
「金品の類じゃないのは確かだろ。クライアントから聞かされてねぇのか?」
「何も。俺はコイツをある場所まで運んで来いって依頼されただけだ」
赤髪の男は大柄な男には目を合わさず、煙草の煙を夜空に吐きかけた。苛立ちから、しきりに膝が揺れる。無駄な会話に付き合ってはいられないとばかりに。
「見てみろ、この厳重さをよ」
大柄な男はそんな赤髪の男の態度を気にも留めず、バンの窓から今しがた運び込んだ物体を覗き見る。
「俺が昔、セキュリティ会社にいたってのは話したよな。毎日、いろんな会社を回って金庫やら重要物のチェックをするんだが……」
「ああ。それを横流して捕まったんだっけか」
「そんなことは今いいんだよ!」
大柄な男が叫ぶ。
この場にいるのは過去に犯罪歴がある者ばかりだった。窃盗や詐欺、もしくは殺人……その後、逮捕され釈放したがまともに更生できず、日々の賃金を得るためにまた犯罪を繰り返していた。
いいか、と念押しして大柄な男は声をひそめる。
「コイツには何重もの封印がかけられてる。それもこちらからの解除に対してのブロックじゃねぇ。中身からの干渉を無効化するよう設計されている」
「どういうこった?」
「何重にも精霊を張り巡らせて分厚い層にしてるってことだ。例え中のブツが無理矢理破壊しようと力を発動させたとして、キャンセルされるのがオチだろうよ。おまけに箱の材質はスゲー頑丈。こんなのは見たこともねぇ。こんな複雑な術式が組んであるもの、どうやって用意したんだ」
赤髪の男から思わず舌打ちが出る。
大柄の男の指摘は鋭かった。棺桶に何かしらの紋様が金属で施され、周りには宝石細工が埋め込んであった。それが彼の言うように、強力な術式の発動を可能とさせているのだろう、と赤髪の男は推察する。
「おいおい。それじゃまるで中身が人間みたいな言い方じゃねぇか」
赤髪の男はおどけて唇の端を持ち上げた。大柄な男が肩に手をかけてきて低く言った。
「精霊の防壁を張るってことはそういうことだろ。……おい、こりゃひょっとしてかなりヤバいんじゃねぇのか?」
「なんだよ、ブルってんのか?」
「そうじゃねぇけどよ。本当に信用できんのか? そのクライアントは」
骨が軋みを上げそうなほどに大柄な男の手に力が入る。
しかし、危ない話なのはこちらも重々承知なのだ。肩に乗せられた手を乱暴に弾きながら、煙草を吐き捨てる。
「今さら後には引けねぇよ。逃げたきゃ逃げろ。そうなったら、こちらの分け前が増えるだけだ」
「…………ッ」
「あまり詮索しない方が長生きできるぞ。俺たちはこれを依頼主に届ける。ただそれだけで大金が手に入るんだ」
大柄な男は唇を噛み締めた。それ以上何も言わなくなったのを頃合いに、赤髪の男は運転席に乗った。次々と男たちが後部座席に乗る中、最後まで迷っていた大柄な男が渋々といった表情で乗り込んでくる。
エンジンをかけ、赤髪の男はバックミラー越しにコフィンをチラッと見た。
あの箱の中身?
知っているに決まっているだろ。なにせ自分で調達したものなんだからな。
それも今回のは上玉。クライアントから依頼され、ようやく捕まえることの出来た極上の一品だ。
アイツの変な勘ぐりには冷や汗をかいたが、そう。紛れもなくあの箱の中身は人間だ。
精霊使いの幼子。封印を施すってことは恐らく能力的に優れているのだろう。しかも世にも珍しい銀色の髪。
何に使うのかは知らない。さらに売り飛ばし、どこかの好色家の慰み者にでもなるのだろうか。全くもって不運だが、俺の知ったことじゃない。
これまで何人かの少年少女をこうやって引き渡してきた。が、その後に興味はない。いや、敢えてその振りをしているに過ぎないのだ。
確かにクライアントの素性は気になるし、ブツの行方もどうなるのか知りたい――が、危険な匂いが強すぎる。
大柄な男の言う通りだ。
あのクライアントはやばい。
自分らのようなそこらへんのチンピラとは違う、危ない橋を幾度となく渡ってきた本物の犯罪者。こちらが身震いするほどのイカレッぷり。
ああいうのはほどほどに絡むのがいい。少しだけ利用させてもらって後は逃げる。それで万事うまくいく。
赤髪の男は、もうすぐ手に入る報酬に胸を膨らませながらバンのアクセルを踏んだ。
その現場を、少し離れた建物の影で別の人間が見ていたことも知らずに。
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