第一章

第一話 予感

 煌々と輝く満月すら霞むネオンが眩しい、深夜の東京。


 精霊都市と呼ばれるだけあって、ライトアップに使用される電力は全て精霊によるもの。照明機材だけでなく、街並みの至る箇所に展開されたホログラムモニターのような電力消費の激しいものですら精霊がまかなっている。


 精霊は、簡単に言えば自然から生み出される超常エネルギー。その為、現代の技術として運用していくためには科学の力が必須となる。当初こそ決して相容れない両者だったが、精霊使い側と人間側が手を取り合い、長い年月をかけてようやくここまで進化させてきた。


 新世界のモデルケース――今や諸外国からもそう評価されるほど、この日本の存在は際立っている。

 そして、精霊によって委ねられているのは表層部分だけではない。


 その中枢、つまりは根幹の部分さえも。


 最早、支配と呼べるまでに精霊はこの国に根付いている――。






 湾岸の首都高。

 真夜中にも拘らず、この区間は走行車両も多い。当然のように、計測装置が一定の間隔で待ち構えているため、通行車両は法定速度を守りながら走行していた。

 その装置が警告のランプを一斉に灯す。

 大幅に速度を超過した暴走車両を感知したのだ。その車は、公道でレースを楽しむような危険な運転の次元を遥かに超え、前方車両のサイドミラーをすれ違いざまに破壊しようと、自分の車がトンネルの壁にぶつかろうがお構いなしに走っていた。通常であれば、計測装置が車を撮影し、車種やナンバーを特定した上で警察が動くが、この時ばかりは通報が行く前に首都高の出口を全て封鎖――検挙できるよう待ち構えていた。

 この迅速な対応には理由があった。

 直前、数人の男たちが閉店直前の大手百貨店を襲撃したのだ。

 この犯人グループは、現金を強奪した後に路上に停まっていた他人の車を奪い逃走。どこまで計画的かは分からないが、勢い任せの線が強く、首都高を越え他県まで行けばどうにかなるとでもいうような感じだった。

 出口で待ち構える警官隊のリーダーが暴走車両を視界に捉えた瞬間、拡声器で警告。ただ、当然ながらこれを無視。あろうことか、運転席の男が窓から腕を出し発砲――。しかし、取り出したのは銃などではなかった。

 武器として攻撃したのは、“精霊”だった。掌に炎を纏い、発射させたのだ。警官隊は慌てて回避。その隙を狙って車はそのまま通り過ぎた。

 くそっ、と警官隊のリーダーは吐き捨てる。相手は精霊使いだったのだ。警官隊のリーダーは各地で配備している警官たちに連絡を取ろうとするが、そこで彼を止める者がいた。


「――あとは我々に任せてもらえますか」


 警官隊のリーダーが見たのは、場違いなほど綺麗な顔立ちをした男。長身瘦躯に黒のスーツ。夜風に金髪をなびかせ、胸のポケットから手帳型のデバイスを取り出して落ち着いた調子で通話口の向こうにいる人物に告げた。


「対象はそちらに向かった。遠慮はいらん。正義の名の下に、鉄槌を下せ」


 静かに、そして端的に通信は終了。金髪の男は警官隊のリーダーに向けて小さく頷き、柔らかな笑みを浮かべる。

 “精保”、“インジェクター”……。呆然とする警官隊のリーダーからはそんな単語が口から零れ落ちた。






「ばっかやろう、せっかくの車を台無しにしやがって! どうすんだよ、これから!」


 闇夜の森林にしゃがれた男の声がこだまする。首都高を強引に抜けた車は市街を超えた先の林でクラッシュ。大破した車を乗り捨てた三人の犯行グループは一メートル先の視界も乏しい森林を疾駆していた。


「仕方ねぇだろッ、車の運転なんてまだわかんねぇんだからよ!!」


 三人の先頭を走る長髪の男がわめき散らす。衝突の影響で身体を痛めたらしく、三人とも走りがぎこちない。ただ激痛よりも逃げ延びたい心理が強く、脚を止めることはない。


「けど、これからどこに向かうんだ。あてはあんのかよ!?」


 大柄な筋肉質の男が背後を気にしながら、苛立ち交じりに問う。

 彼等が知り合ったのはほんの一週間前のことだ。三人とこの世界に上手くなじめずバーで飲んだくれていたところで意気投合。長髪の男が何気なしに発言したことがそもそもの発端だった。


「知らねえ! とにかく今は身を潜めるしかねぇ。夜のうちに少しでも遠くに逃げるぞ!」


 とはいえ、逃走ルートぐらいは事前に考えておくべきだった。土地勘が薄い三人にとって、この森林は永遠とも思えた。昼間に雨が降ったせいで土は柔らかく、彼等の体力を容赦なく奪っていく。疲労が頂点に達したところで最後尾の男の足がもつれ、みっともなく転倒する。


「おい、何やってんだよ!」

「うぅ……」

「ちきしょう!」


 長髪の男が最後尾にいた男の元に駆け寄る。大量の現金が入っていたカバンを持っていて走り辛かったせいもあるだろう。札束はばら撒かれてしまい、こんな暗がりでは回収が困難なほど散らばってしまった。


「とにかく拾えるだけでも拾え!」

「でもよ、警察に追いつかれるぞ!?」

「るせぇ! 早くするんだよ!」


 長髪の男はしゃがみ込み、がむしゃらに札束を拾い上げる。土や砂が付着していようとお構いなしにカバンに詰め戻す。


「この国じゃあな、金が全てなんだ。金さえありゃ食いモンだって毎日豪華になるし、わざわざ働かなくてもずっといい家に住んでいられる。前の世界よりも贅沢な暮らしを味わいたいんだろ!? もう後戻りはできねぇんだよ!!」

「――ッ! くそッ!!」


 大柄な筋肉質の男が屈みこんだ、その直後だった。

 眼前を何かが通り抜けた。一瞬のことで正体は掴めない。ただ、閃光のような鋭い物質が通過したのだ。蝙蝠といった飛行生物かとも思えたが、違う。マナを含んでいた。

 とすれば、紛れもなく精霊。しかも、肌を焼くほどの高出力だ。

 気付けば、カバンを落とした三人目の男が前のめりに倒れていた。意識が無い。死んだのか。瞬間、二人の男の背筋が凍りつく。

 きっと、誰かが明白な攻撃の意思を以って自分たちに精霊を放ったのだ。しかもこんな暗闇で、寸分狂いもなく正確に撃ち抜く技術で。


「だ、誰だ!?」


 草地を踏みしめる足音。ゆっくり、ゆっくりとこちらに近づいてくる。雲のベールに覆われていた満月が姿を現す。と同時に、林から一人の男が月明かりに照らされ、その存在を露わにする。

 身長はそれほど高くない。黒髪でジャケットを羽織っており、一見どこにでもいるようなごく普通の青年。単純な見た目だけで言えば二十歳前後といったところだろう。

 そこまでなら、男たちも緊張の糸を緩めたことだろう。しかし、その青年が只者ではないと一目で区別がつく。

 その手に握られているもの。

 銃だ。

 銃身がやや長く、射出口が縦長のメカニカルな造形のハンドガン。鴉を思わせる漆黒の輝きを帯びている。


「……動くな。そのままの姿勢で、ゆっくり両手を上げろ」


 青年が銃を構えたまま、男たちへ静かに言い放つ。


「な、なんなんだテメェは!? コイツに何をしやがった!!」

「安心しろ、気絶しているだけだから。抵抗の意思を示さなければ、その程度で済む」

「んだと、コラ! なめんのも――!」

「ま、まて!」


 高圧的な青年に食ってかかろうとする筋肉質の男だったが、突然長髪の男が制止をかけた。怪訝に見つめる筋肉質の男を横目に、長髪の男はみるみる顔面蒼白になっていく。


「おい、どうした?」

「そのジャケットのマーク……」

「あ?」

「ま、まさか……お前、“インジェクター”か!!」


 その名が飛び出した途端、筋肉質の男も愕然と瞳を大きく剥く。


「な、なんだと……?」


 眼前にいる青年は無表情のままだ。インジェクターという単語は、誰しもがまずこの世界に来て初めて教えられるもの。精霊使いが最も気を付けるべき存在、ましてや絶対に敵にしてはならない――と。


「こんなガキが……?」

「初動が警察側だったとしても、精霊使いの犯罪と確定した段階で捜査権は精保に移譲される。……大人しく投降しろ」


 精保は精霊使いの犯罪を取り締まる機関だ。そんなもの、以前の世界には存在しなかった。もし悪行を犯した場合でも、同じ里の精霊使いが捕縛しにやって来るだけ。その後は監禁させられる程度だ。それだけ精霊使いは向こうの世界にとって尊重されるべき人種なのだ。

 その点、インジェクターコイツ等はどんな小さな悪事だろうと決して許さない。実力行使を厭わず、容赦なく断罪してくる。暴力の為に力を行使することが犯罪であるこの国において、その法律の外に位置する者たち。戦闘能力だけに特化した執行部隊だ。


「くそッ!」


 地面を殴りつけて歯噛みする長髪の男とは反対に、筋肉質の男はじっくりとその青年を観察していた。長髪の話を信用しないわけではないが、それでもこの青年が噂に聞くインジェクターだとは到底思えなかった。年齢もだが、体つきも細く、とても戦闘慣れしているようには見えない。しかも相手は一人。周囲を探るが、仲間の気配もない。

 はは、と思わず笑いが込めてくる筋肉質の男。体を起こし、両腕に力をみなぎらせる。


「お、おい、何をする気だ。止めろ!」

「こんなやつ大したことねぇだろ。よく見てみろ、あの銃だってそれっぽいがまるで玩具みてぇじゃねぇか。ビビることはねぇよ」

「馬鹿言ってんじゃねぇ! あれは――!!」

「インジェクター? よく知らねぇが……、おいガキ! ワリィがな、俺たちゃ捕まるわけにはいかねぇんだよ。お前を殺してでもこの先に行かせてもらうぜ」


 それでも青年は無言だった。

 筋肉質の男の身体が黄金色に輝く。大地の力によってさらに腕の筋肉が膨張。

 大地の恩恵による膂力強化は、最も基本的な使い方だ。だからこの世界では力仕事や格闘家で成功しやすく、この男も昔から喧嘩慣れしていた。

 筋肉質の男が地面を蹴る。大地の精霊によって脚力も倍増し、青年との距離を一瞬で詰める。大きく振りかぶった右腕が唸りを上げ、青年の顔面へ。まともに当たれば間違いなく頭蓋骨すら粉砕する威力。

 しかし、やってくるはずの感触はなかった。

 筋肉質の男の拳が青年の鼻先に触れる寸前。青年があまりにゆったりとした動作で身をよじって躱したのだ。


「…………っ!」


 回避されたことに筋肉質の男は若干動揺を示したが、続けざまにその剛腕を振るう。ただ、そのことごとくが当たらない。至近距離だというのに、まるで捉えようのない雲のように、青年は柔らかにステップしつつ避けていく。動きに無駄がない。だから、どれだけ殴りかかっても拳は空を切るだけなのだ。


「ぬがあぁぁぁああ!」

「…………」


 筋肉質の男の力任せの一撃が青年の脳天を捉えるも、漆黒の銃が隙間を縫って阻む。大槌を叩きつけたような重く鈍い轟音が響く。ただ、筋肉質の男にとっては好機だった。あたりさえすれば、ぶつけさえすればこのまま強引に銃ごと叩き潰せる。

 全身の骨ごとバラバラに粉砕してやる――そのはずだった。


「…………ぬぅ!?」


 振り下ろした右腕が、これ以上動かない。どれだけ力を振り絞っても、分厚い鉄板を押しているかのようにびくともしない。本来なら、アスファルトだろうが簡単に粉々にする威力なのに。

 しかも青年は片手一本。筋肉質の男の全力が、青年の前ではまるで通じていない。

 単純な力量差ではない。

 精霊の純度の違いだ。青年が持つ精霊の質が、筋肉質の男の遥か上をいっている。漆黒の銃がそれだけ強力な精霊の塊なのか、筋肉質の男はそう頭によぎった。それもあるだろう。が、それだけじゃない。

 筋肉質の男が視認化できるほど力を解放しているのに対し、青年はこれといって精霊を放出しているように映らない。

 だからこそ奥底が見えない。精霊の片鱗すら窺えないのだ。

 そして、やはり表情一つ変えていない青年。

 さすがに、筋肉質の男の表情が凍り付く。


「お、おい! お前もビビってないで手伝え!!」


 途端に弱腰になった筋肉質の男が、長髪の男に助けを求めた。


「え、で、でもよ……」

「じゃねぇと、ここで人生終わるぞ!!」

「ぐぐ……!」


 腰を抜かしていた長髪の男が青年に突進する。まざまざと見せつけられた実力差よりも、どうにかしてでも逃げ延びたい欲求が勝ったのだろう。言葉にならない雄たけびを上げながら、炎の球体を両手に出現させ、青年に放つ。

 二つの火球は、大きさこそ野球の硬球程度しかないが、ぶつけられれば人間の肉体なんか簡単に丸焼けになる威力だ。そこを瞬時に察知してなのか、青年は筋肉質の男の腹を蹴り飛ばすと自分も跳び退き、火球を躱してみせた。火球は大木に命中。闇夜に紅蓮の炎が上がる。

 そこからふたりがかりで襲い掛かるが、青年にはかすりもしなかった。一切の攻撃がことごとくいなされる。急造の連携としては悪くない。いろんな角度から攻撃を加えているのに、青年には三六〇度見えているのか舞うような動きで強力な精霊でさえ簡単に弾かれる。

 やがて筋肉質の男と長髪の男に疲労の色が見え始める。

 その瞬間を、青年は見逃さなかった。

 まず、筋肉質の男の胸元に銃口を密着させ、躊躇いなく引き金を引く。あまりに素早過ぎて長髪の男からは何が起きたか理解できなかった。紫電の光が筋肉質の男を貫く。巨体が簡単に吹き飛び、背後にあった木に激突。意識を奪われる。


「くっ、そぉぉぉぉおおおおおお!!」


 やられた。残るのは自分だけ。長髪の男は切り札とばかりに全身を炎で包ませる。そして、自身の攻撃で余韻が残っている青年に身体ごとぶつかろうとする。攻撃に転じたということは、青年に若干の硬直がある。そこを狙い打つ。

 しかし。

 青年の右腕が眩い閃光を放つ。次の瞬間には、長髪の男は地面に叩きつぶされていた。まるで落雷のような衝撃が、大地を豪快に抉り取った。


「ぐは……!!」


 何を喰らったのだ――。長髪の男の視界が霞む中、見えたのは青年の右手に収まる片手剣だった。まるで漆黒の銃と対比するような美しい純白のシルエット。

 加えて、体感した一撃の正体。


「二属性……持ち、だとぉ……!?」


 衝撃の事実を痛感しながら長髪の男は昏倒。

 完全に鎮圧したのを確認して、青年はジャケットの胸元から小さな端末を取り出した。通話機能をオンにし、静かに報告し始めた。己の上司へと。


「こちら、レイジ。――はい、終了しました。問題ありません。これから捕縛し、収監施設に送ります」


 簡潔にそう述べ、自らをレイジと呼んだ青年は携帯端末をしまった。

 肩の力を抜き、大きく息を吐いた彼は夜空を見上げ、独り言ちた。


「……あまりに多すぎる……。何がまた始まろうとしているんだ……」


 困惑の瞳でそう問うものの、煌々とした満月は何も答えてはくれず、ただ冷たい光を放つばかりだった。


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