精霊世界のINJECTION コード・ミラージュ
如月誠
序章
プロローグ
「いいかい? 君は今から別世界への旅に出る」
唐突にそんなことを言われても、まだ年端も行かない少女には到底理解できない話だった。
「これはね、誰にでもできることではないんだ。君は選ばれたんだよ。先天的に高い力を持つがゆえに」
少女の困惑を無視しながら、眼前に立つ研究員の男はそう続ける。
生まれつき銀糸の髪色は精霊使いの中でも特殊で、能力的にも高い資質に恵まれている――そういう言い伝えは確かに聞いたことがあった。
だが、自分の生い立ちは知らないし、親の顔さえ分からない。精霊を扱う能力が高いという自覚もない。
精霊使いの拠点といわれる“里”では、まるでお人形のように大切に扱われていた。そんな少女には外の世界というのは何もかもが珍しく、驚きの連続であった。豊かな木々、広大な大地、川を流れる水のせせらぎ。それは里の洞窟に閉じこもっていたら一生味わえなかった感覚。新鮮な空気を肺一杯に満たせば、幸せな気分になった。
しかし。少女の大きなエメラルドグリーンの瞳は、全く異質のものを捉えている。
マスターの使いを名乗る数人の精霊使いに連れてこられたのは、一般の住居よりも何倍も巨大な施設。大勢の白衣を着た精霊使いが何かに急かされるように歩き回っている。
とりわけ一番広い部屋には魔法陣が床に敷かれ、棺桶のような物体が二つ並んでいた。怪しげな儀式でも行うかのような息苦しい空間だった。
「……別世界?」
か細い声で少女は呟いた。
そんなものが存在するなどと、当然彼女は知るわけがない。この大陸でさえも彼女にとっては驚きの連続なのだ。想像の範疇を超えすぎている。
「最初は戸惑うことばかりだろうけど心配はいらない。全ては向こうの者たちに任せれば全ていいからね」
そう、研究員らしき男は安心させるように言う。
「不安にならなくていいよ。これはね、大変名誉な旅立ちなんだ。君は、これからその新世界で重要な役割を担うことになる。まさしく世界の中心でね」
男は少女の華奢な背中に手を触れ、棺桶の元へ誘っていく。優しく押しているつもりだろうが、明らかに急かしている。
抵抗したかったが、それよりも男の行動が早い。棺桶のような入れ物に、強引に寝かされてしまう。
「……私、死んじゃうの?」
思わず出た言葉。ただし、恐怖からではない。
死ぬのは怖くない。今までの生活だって、生きているのか死んでいるのか、その境界線も曖昧だった。だから、むしろこの現実を終わらせられるのであれば、それでも構わない。
単純に知りたかったのだ。
永遠の眠りにつくのなら、心の準備くらいはしたいから。
「ははっ、新世界っていうのは天国のことじゃない。文字通りの意味だよ」
「違うの?」
「ああ。紛らわしい言い方になって悪かったね。私自身、こうやっていつも送り出す側だから知らないんだ」
申し訳なさそうに笑って、研究員の男は頭を掻く。
「でも間違いないのはこの世界よりもずっと未来で、とんでもなく文明が発達しているらしいよ。私もこの仕事をしていなければぜひ直に見て体験したいのだがね」
「そう……なの」
男はそう語るが、抽象的な説明ではちっとも興味がわかない。というより、少女にとっては先ほどまで見た外の景色の方が何倍も魅力的だった。
もっと見ていたい。色彩溢れる自然を。あの風を、あの匂いを。
「さ、そろそろ時間だ。目を瞑ってリラックスしてればいいからね」
少女の願い虚しく、男がその場から離れると、自動的に蓋が閉まる。覚悟など決まっていなかったが、仕方なく少女は男の言葉に従い、目を閉じることにした。
やがて、周囲から精霊が放出した。この棺桶の下にある魔法陣から発せられるものだろう。六属性全てが混じり合って、溶ける感覚。莫大な力の奔流が、全身を突き抜ける。
(…………ッ!)
強力な精霊の流れが地面を震わす。全身で感じる時の刻みが目まぐるしく変わり、気持ち悪い。あまりの苦しさに、少女は目を薄く開いてしまった。
半透明の蓋越しに見えたのは、なにやら白衣を着た職員たちの慌てふためく姿だった。あれだけ穏やかそうだった研究員の男も切迫した表情で、他の職員に指示を出している。
なんだろう。声は聞こえてこないが、ただごとではないのは確かだ。
精霊とは元来、大人しい性質を持つ。それがこんなに激しいなんて、まるで意志を持って怒っているかのようだ。
蓋を叩いて自分の状況を伝えたかったが、身体の自由が利かない。震動はさらに激しさを増していき、少女の意識は混濁していく。
全身がバラバラにされそう。脳の回路という回路が寸断されてしまいそうだ。
(誰か……助けて……!)
ぐにゃり、と視界が歪む。足先が粒子に変質し、身体を侵していく。
(嫌だッ、怖い……‼)
少女の意識が途切れる――同時に、この世界から少女の姿も消滅した。
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