二十ニ話 潰える夢

 旋風が巻き起こる。

 インビジブルによって不可視化したキョウヤが、ジョクランの背後を取る。がら空きになった背中に、豪快な回し蹴りを叩きこんだ。


「――ぐッ!」


 鈍い音を立てて、ジョクランはよろめく。しかし、呻き声を発したのはキョウヤの方だった。硬質な氷の鎧の強度が凄まじく、反動による痛みが走ったのだ。

 ジョクランはゆっくりとキョウヤの方へ向き直り、笑みを深くした。


「おや? 今、なにかしたか……ねぇ!?」


 氷を纏った剛腕がキョウヤに襲い掛かる。上半身をねじってどうにかかわしたはずのキョウヤだったが、ジャケットの肩口が裂け、鮮血が噴き出した。


「…………!?」


 かすめてなどいなかった。増して風圧で切り裂かれたわけでもない。

 氷の微粒子がジョクランの動きによって飛散し、見えない針となっているのだろう。


「野郎……!」


 氷による強固な鎧と、刃にもなる切れ味鋭い攻撃。攻防一帯にキョウヤは舌を巻く。単純な術だが、極めて合理的。戦闘ぐらいでしか使い道はないが、こうして犯罪に関われば厄介この上ない。


「ふっ!!」


 キョウヤがさらにギアを上げる。

 風の出力を一気に高め、解き放つ。荒ぶる風を身に纏い、ジョクランの懐まで一気に距離を詰める。


「ぬっ!?」


 力まかせにジョクランが拳を振り下ろすが、既にキョウヤはいない。軽く跳躍しながら、ジョクランの顔面に蹴りを叩き込んだ。たたらを踏むジョクランは破れかぶれに拳をさらに振るが、キョウヤには届かない。一瞬のうちにジョクランの間合いから離れていた。

 インビジブルではない。純粋な速力強化だ。

 そして着地と同時、風の力で倍増した脚力で再度ジョクランに再接近。肘鉄を見舞う。


「ぐぉ!」


 ジョクランの巨体が軽々と吹き飛ぶ。地面を削りながら勢いを止めたジョクランだったが、そこにはカイがいる。

 銃を構えたカイが発砲する。かろうじて身をよじり避けるジョクラン。反撃に出たジョクランの裏拳を、カイは高く跳んでかわした。


「喝采の雨……カーテン・コール」


 厳かに唱えるカイ。銃口から放たれたレーザーが拡散。雨の精霊がシャワーのように勢いよく降り注ぐ。一発が槍の如き鋭さとなってジョクランを容赦なく襲い掛かった。


「う、がぁぁあああああああ!!」


 身を固めて耐えようとしたが、無意味。全身を切り刻まれ、血飛沫が舞う。膝が崩れるジョクラン――その好機を逃すまいと、キョウヤが肉薄する。


「オオオォォォオオオオ!」

「調子に乗るなぁ!!」


 ハンマーを振り回すようにジョクランが氷の腕を横へ薙ぐが、キョウヤは身を屈め、いとも簡単にかわす。

 確かに能力的に優れた男ではある。しかし、所詮そこまで。活かし方を間違えている。力任せの運用ではせっかくの精霊も泣くというものだ。

 キョウヤの拳がジョクランのみぞおちに入る。悶絶するジョクランに、さらなる連撃を叩きこむ。

 腕力においてキョウヤはジョクランに劣る。しかし、研ぎ澄まされた練度が違う。局所的な一撃でも確実にジョクランの氷の鎧を突き抜け、肉体を粉砕する。


「うらぁぁあああああああああああ‼」


 息をつかせぬ乱舞を喰らい、ジョクランの口から霧状の鮮血が飛ぶ。あれだけの強度を誇っていた氷の鎧もボロボロに打ち砕かれ、ジョクランの肉体が露わになった。

 拳と蹴りに宿った嵐。研鑽を重ねたキョウヤの一撃に込めた精霊の威力が、圧倒したのだ。


「終わりだ……ッ!!」


 全力を込め、キョウヤが拳を弓のように引く。風が纏わり、捻転する。始めはそよ風、しかし次第に急激な暴風へ変貌する。

 狙いは、がら空きの腹部。

 棒立ちになっているジョクランに叩き込めば完了だ。


「ッ!?」


 直感。

 おぞましい寒気が一瞬にしてキョウヤを包み込む。

 加速する拳の傍ら、キョウヤの視線が男の顔へ流れる。

 笑っていた。

 確実に気絶したと思われたジョクランが、キョウヤを見下ろし笑っていた。


「はははははは!!」


 その大きな肉体で、キョウヤの身体に抱き着いてきた。自身の腕力に物を言わせ、キョウヤを完全に拘束する。


「ぐ……!!」

「がはははは!! やるな、インジェクター!! 最高だ!!」


 必死に引きはがそうと力を込めるも、思うように力が入らない。身動きが取れず、さらに締め付けもきつくなる。


「ぐは……!!」

「認めてやるよ、テメェらは最強の牙を持った猟犬だってなぁ!!」

「てっめ……!!」

「だがな、俺もこのまま大人しく捕まってムショ暮らしってのは嫌なんでな。悪あがきぐらいさせてもらうぜ」


 キョウヤの耳に不穏な音が響く。

 密着したジョクランの腹部から流れる妙な機械音。まるでタイマーのような、等間隔のリズムで刻まれるクラッシックな音色に、キョウヤは目を見開く。

 正体は、剣崎や誘拐実行犯たちに仕込まれていた時限爆弾だ。

 それがこの男の体内にも内蔵されていたのだ。


「自爆する気か、このクソ野郎!?」

「俺の爆弾はそこらの連中とはグレードが違うんでな。もしかしたらテメェだけじゃなく、この辺り一帯みーんな滅茶苦茶にしちまうかもなぁ!?」


 ジョクランの哄笑が瓦礫と化したワンダーランドに響き渡る。

 だがそれ以上に、タイマーの音の方が焦燥するキョウヤにとって遥かに大きく感じられる。


「馬鹿が二人もいると苦労するな」


 静かな声がその緊迫した状況を斬り裂いた。

 いつの間にか接近していたカイが、飛び込みながらジョクランの顔面を殴りつける。キョウヤのような精霊を付与した打撃ではない。純粋な拳が、ジョクランの顔面を的確に捉えていた。

 不意の一撃。予期せぬ衝撃に、ジョクランの腕の力が緩む。


「やれ!!」

「うらぁああああ!!」


 カイとキョウヤの蹴りが炸裂する。ジョクランの頭部に二人の右脚が挟み込む形で叩き込まれ、ジョクランの身体が大きく捻じれる。錐揉み状に回転しながら、巨体が宙を飛んだ。地面を幾度となく跳ね、建物の外壁に突っ込んだ。


「はぁ……やれやれだな」

「煉原め、こんな手練れを用意してるなんてな」


 二人は肩で息をしながらジョクランが起き上がってこないことを確認し、戦闘態勢をようやく解除した。

 実戦慣れした精霊使いは数少ない。理由として、本来精霊使いは転移前の世界でも環境の調整者でしかないからだ。戦闘する人種ではないために、対人戦の訓練など必要ないのである。こちらの世界に来る選考理由からも落とされるだろう。


「こいつら……あの区画から来たんかね?」

「恐らくそうだろうな。文字通り、身を削って日銭を稼いでたんだろ。アングラにはそういったのがゴロゴロいるから、煉原もスカウトしたんじゃないか」


 キョウヤは髪の毛を乱暴に搔きむしりながら嘆息した。

 過去の事件でアングラ区画に侵入した際、地下格闘技場なる施設があった。そこではストレイ堕ちし、生活に困窮した精霊使いが己の肉体と精霊を使用し、試合をしていた。彼等もそういったタイプだったのだろう。


「だとしてもここまでの実力があるのは気になるがな」

「……お前さんもそう思うか」


 ジョクランにしてもザイーネにしても、精霊を変質させていた。発想があったとしても現実に表現させるのは至難の業だ。持って生まれた資質と繊細なマナコントロール、その二つがかみ合わなければ実現出来ない。


「天性のものか、あるいは――」


 カイが言いかけたその時、ザイーネとの戦闘を終えたユリカとアイサが近づいてきていた。


「そちらも終わったようですね」


 ユリカがほっとしたように言った。

 彼女たちも苦戦したのだろう。衣服がところどころ破れ、生傷が至るところにあった。


「二人とも、この場を頼む。俺たちはこのままオーナーズビルに直行する」

「了解です、油断しないでくださいね」

「ああ」


 現在地からオーナーズビルまではまだ少し距離がある。煉原がこちらの状況をモニタリングしているなら、今の内に逃走する可能性もある。急がなければまずい。

 ユリカの言葉に深くカイは頷き、早々に走り出した。







 時間が惜しい。

 オーナーズビルに正面突破したカイとキョウヤは、ロビーで二手に分かれた。キョウヤには裏口から回ってもらい、煉原の逃げ道を塞ぐ。カイはそのままエレベーターで最上階を一気に目指す。

 最上階へ辿り着き、カーペットが敷かれた廊下を凄まじい速度で駆ける。途中で役員か重役だろうか、高級そうなスーツを着た男たちが数人がかりでカイの行く手を阻む。無論、感応波の影響を受けている。

 時間稼ぎのつもりか――だが、カイはそんな抵抗をものともせず速攻で蹴散らしてオーナー室に到達した。


「煉原ァ!」


 ドアを乱暴に蹴破り、銃を構える。探すまでもなく、執務机の後ろに煉原の姿があった。


「もう来たのか!? あ、あいつらは!?」

「無駄な抵抗はやめて大人しくしろ!」


 こちらの考えとは逆に、煉原の表情は驚愕に満ちていた。雇っていたジョクランたちがやられたとは想像がつかなかったのだろう。動揺し、うろたえている。


「とっくに外でオネンネしてるよ、馬鹿野郎!」


 叫びながら、カイの横からキョウヤが滑り込む。不意を突くためのインビジブルを解除、飛びかかるようにして煉原を殴り飛ばす。


「がはッ!」


 床を跳ねながら転がる煉原。すかさずカイが背後から覆いかぶさって、煉原の腕をねじり上げる。


「ぎゃああああああ!」


 呆気なく拘束された煉原は、情けない悲鳴を上げ暴れようとする。ただ抵抗の意志は見せるが、力自体はさほど強くない。そもそもの戦闘能力は持ち合わせていないようだ。関節を封じながら、カイが銃を後頭部に突きつけると、ようやく大人しくなった。


「うぐぐ……」

「壮大な歓迎、中々刺激的だったぜ。でも、ちとやりすぎだったな煉原さんよ」

「くそ……。私の……私の夢が……」


 嘆きながら煉原は弱々しく吐く。


「私はただ楽園を造りたかった……。それだけなのに……」

「いたいけな少年少女を攫っといて、なに寝言いってんだか」

「下らない野望は潰えた。終わりだ。お前も、この七霊夢アイランドもな」

「ふざけるな! 政府などという人間の傀儡に成り下がったお前等がいるから精霊使いは堕落したのだ!!」


 激昂する煉原の勝手な言い分に、カイとキョウヤが揃って肩を落とす。典型的な自尊心の高い精霊使いタイプだ。来日してまだ十年。精霊使いが人間の上位種という、凝り固まったプライドが抜けきらない為に現世に不満を持つ。


「あのねぇ……」

「精霊社会の歴史はまだまだ浅い。否定するのは勝手だが、これも全てのマスターと人間との共同作業で作られた尊いものだ」

「ま、お前さんが知らねぇのも無理ないがな」

「マスター……だと?」


 突如、煉原の力が強くなる。キョウヤが慌てて立ち上がろうとする煉原を無理やり押さえつける。


「そのマスターだ! 私はマスター候補にもなった男だぞ! 私がなっていれば、こんな世界など容易く変えられたというのに!!」

「なに……?」


 聞き捨てならない言葉に、カイの片眉がピクリと反応する。

 よくある妄言と切り捨てられることもできたが、カイは携帯端末を取り出してある人物に連絡を取る。


『……どうした?』

「レアか。そちらは無事か?」

『ああ。ゾンビ化も沈静化したということは成功したようだな』

「まぁな。煉原も取り押さえた」


 やや声を潜めて返答したレア。ということは、まだどこかで身を隠しているのだろう。


「少し訊きたいんだが、煉原は以前、マスター候補だったのか?」

『ん? ああ……』


 少し間を置いて、答えは返ってきた。


『そのようだな。前回のマスター試練で最終選考まで残っていたらしいな。だが、大規模な世界転移の話が出て結果――うやむや。煉原自身も転移が遅れたようだな』

「なるほどね。その辺の逆恨みもあってのことか」


 呆れるキョウヤに、さらにレアが言った。


『記録では不正を働いていたらしいから、どの道永遠にマスターにはなれんさ。こちらにもどうやって潜り込んだんだか。ちなみに煉原は偽名で、本名はメザルカというらしい』

「く……!」

『転移センターの機材トラブルで中々連絡がつかなかったんだが、ようやく復旧したみたいでな。ようやく調べがついたよ』

「私は……、私は!」


 項垂れ、肩を震わせ、低く唸る。そして煉原は感情を爆発させた。


「私はここで新たな世界を創造したかった! そして、日本などという小さな島国を呑み込み、私が新たな神にならなければいけなかった。そうすれば、お前等も……!」


 呪詛のように吐き続ける煉原。歪んだ表情からは笑っているのか憤怒しているのか判別すらつかない。


「この世界で懸命に暮らしを続けている精霊使いたちの意志や想いを捻じ曲げるのは、誰だろうと許されるものじゃない。それが例え、お前の憧れたマスターの地位であってもだ」


 銃を下ろし、静かな口調でカイは言った。

 かつてその手で陽のマスターを失脚させたカイだからこそ言える、重い言葉だった。


「カカカ……」


 喉を鳴らして、煉原が奇妙な声を出す。

 それが笑いだと気付くまでに、少し時間がかかった。


「クッ、カカ……!」


 天上を見上げて、なおも笑い続ける煉原。瞳孔は開き、全身の力が抜けている。突然の様子の変化に二人は困惑し、互いを見合わせる。


「お、おい。どうした……?」


 キョウヤが声をかけた直後。


「終わりだ、そう終わりだ! 何もかも!!」


 突如声を荒げ、煉原が叫ぶ。


「もういい、壊してしまえ! こんな島など沈めてしまえ! もう不要だ、滅茶苦茶にして構わん。全てを解放して終わらせろォォォ!!」

「――くッ!」


 キョウヤが再度暴れ出した煉原の後頭部を掴んで強引に床に押さえつける。


「落ち着けっての!!」

「まさか……いや」


 自暴自棄にでもなったのかと、戸惑うカイ。

 まさか煉原自身にも同様の体内爆弾が仕込んであるのか。


「気絶させるか!?」


 キョウヤも同じ考えに至ったらしい。だが、カイは首を横に振る。

 自身のプランニングに絶対の自信があったはずの煉原がそのような自爆処置をするわけがない。

 ならば、なんだ。何かのメッセージか。


「まさか――ッ!?」


 何かに気付いたカイが即座に執務机を見やる。置かれていたのはマルチディスプレイが展開する大型PCだ。モニターの一つが何かを知らせるように、枠のランプが赤く明滅している。

 床をこすりながら顔を回転させた煉原は。

 やはり笑っていた。

 今度は冷静に。


「お前らも甘いな。尊き女神は我が絶大なる信頼兵士に近づけるとはな」


 隠し玉か。やはり一番の右腕を、あの区画に準備させていたのか。


「ザルツ、やってしまえぇぇぇええええええええええ!!」




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