第七章

二十一話 磔の天使たち

 鬱蒼とした林を抜けると、今までの光景が嘘のような広々とした草原が視界に飛び込んできた。吹き抜ける風に混じる潮の香り。見渡せば、青空と大地のセパレート。崖がすぐ近くにあり、ここが島の最北端であることを意味していた。

 と同時に、『七霊夢アイランド』の心臓部と呼ぶべき場所でもある。

 開放的な景色を横目に整地された区画があり、物々しい塀に囲まれた中には、島の維持を支える発電所や水力センターが並ぶ。

 一際目を引くのは、円柱形の塔だ。十メートル以上はあろうか。この区域の中央にそびえ、物々しい雰囲気を醸し出している。

 不思議なのは、このエリアには職員はおろか警備員すらいないことだ。織笠はマイアの手を引き、苦もなく区画に侵入する。


「これか……」


 織笠は呻くような声で、塔の頂上を見上げた。

 雲すら突き抜けそうな塔の先端から、まるで妖気のような不快な光が放出されていた。この島全体を包む精神干渉波だろう。様々な精霊がぐちゃぐちゃに混ざり合ったせいで、不気味な色を醸し出している。

 浴びた者の精神を喰い、自我を失わせる全ての元凶。

 もしかしてこの場に誰もいないのは、この干渉波によって精神を狂わされたために、全員別の場所に移動したせいなのかもしれない。


「マイア、気分は?」

「問題ありません。でも不思議ですね、こんなに近くで浴びているのに、あまり苦しくないんです」


 首をかしげて、マイアは言った。

 織笠はマイアをじっと見つめながら、彼女の体調の変化について考えを巡らす。

 無理をしているわけではない。握った手はしっかりとした温もりがあるし、顔色はいい。緊張感と相まって少し高揚とした状態にある。

 じっくりと観察して、織笠はある仮説を思いつく。

 マイアがここにきて覚醒段階に入っている――と。

 マイアは、自身の能力をまだコントロール出来ていない。向こうの世界でも里で能力の訓練をしていただけで、精霊の発現さえまともに出来ないのだ。

 それが事件の当事者となったことで、彼女自身、知らないところで急激な成長を遂げているのではないか……と。

 精霊使いの覚醒には、外的要因が大きく関わっているケースが多い。

 様々な精霊使いとの出会い。さらに生死に直結する体験。五感で感じ、それが経験値となって、体内のマナが安定する。

 かつての織笠自身がそうであったように。

 もし、その仮説が合っていれば驚くべき成長速度だが……。だからこそ、マスター代理はマイアを欲しがったのか。ああいう連中は特異な存在が好きなようだから。


「な……、何ですか? じっと見て」


 マイアが警戒の表情で身をよじらせる。知らぬ間に険しい顔つきになっていたのか、織笠はハッとして苦笑した。


「何でもないよ。ちょっと確認したかっただけだから」


 そう言って、織笠はマイアの手を引いて塔の方へ歩き出す。中に入ってみると、そこはだだっ広いホールだった。彫刻家が建築したような大理石の造りだが、見渡しても資材らしきものはない。しかし、床から伝ってくるのは間違いなく濃密なマナであり、地下に何かあることを意味している。

 唯一目立つものといえば、部屋の中央にある透明な円柱の物体。一般的な人間の身長よりも高く太いそれは、どうやらエレベーターらしかった。扉が自動的に開き、二人が乗り込むとスライドしていくように音もなく静かに下っていく。どれくらいの速度か分からない。海中奥深くまで潜っているのか、あまりに暗く、どこまでも闇に落ちているかのような感覚だった。


「織笠さん」


 緊張感からか、この塔に入ってからずっと無言だったマイアが唐突に口を開く。


「織笠さんはどうして……インジェクターなんかしているんですか」

「え?」

「私や……ううん、私だけじゃない。見ず知らずの人たちの為にどうして戦えるんですか? 自分が死ぬかもしれないのに」


 こちらとは目線も合わさずうつむき加減で呟くマイア。どうして今そんなことを訊くのか織笠には質問の意図が理解できなかった。


「辛くはないんですか? 他人を助けても自分が救われるわけではないのに」

「辛辣だね」

「だってそうじゃないですか」

「マイアはどうなんだい? 攫われた子どもたちを助けることに理由はあるのかい?」

「それは……」


 少し意地悪な返答をして、織笠は若干後悔した。だが、織笠にしてもそこは知っておきたい部分でもあった。マイアはムキになったように、語気を強める。


「私と似ているから、苦しみが分かるから助けたいんです。単純に悪い大人に利用されるのを見過ごせません」

「俺も同じだよ。助けを求められたから助ける。それだけだよ」

「仕事だから、ですか」

「命を懸けるんだ。理屈じゃないよ」

「でも、貴方は……!」

「?」

「……いえ……」


 言いかけて、マイアは激しく首を振った。

 マイアの存在は稀有だ。そして、同じような能力を持つ子どもたちも。似たような境遇の仲間に出会う、というのは本人にとって強い縁に感じるものだろう。自己と同一視し、重ね合わせる。家族のいないマイアにとっては、より繋がりを意識しているのかもしれない。

 だから臆病でも止まるわけにはいかない。

 織笠にもそんな存在がいたように。


「俺だって、この国に住む全部の精霊使いを救えるだなんて思っちゃいないよ」


 夢物語だから、そんなのは。と、悲しげに首を振る織笠。


「インジェクターが正義のヒーローだなんて俺は考えていない」

「え……?」

「いや、勘違いしないで。仕事だから仕方なくやってるって意味じゃなくって。勿論、平和な世の中にしたい気持ちはあるよ」

「それは……分かりますけど」


 釈然としなさそうに見上げてくるマイア。


「何と言えばいいかな……。それだけじゃ、やっていけないんだ。真実は複雑だから、正しさの方向性は自分でしっかり持ってないと。芯ってやつだよ。じゃないと、俺は押し潰されてしまうから」


 世界に抗い、人を救う。

 全能であろうとするマスターは、社会を間違った方向に導くかもしれない。

 織笠はそれを正す為に、盾として生きている。誰もが幸せになるためには、マスターさえも殺す覚悟でいる。

 そう、どんな無慈悲な神でも精霊使いは従う生き物だから、それを守れる自信はない。


「……綺麗事じゃないってことですか」

「だね。現に汚い一面は見てきたから」

「だから、いつも息苦しそうに生きているように見えたんですね」


 悲しげに納得しているマイアに、乾いた笑いを浮かべるしかなくなる織笠。 


「でもね」


 織笠はマイアから目を離し、前方を凝視する。永遠と下降を繰り返すエレベーターのガラスに映る自分を見つめ、真剣な声色で言った。

 織笠零治という人間に再確認させるように。


「もう、誰も失いたくない。そこは紛れもない本音さ。――特に仲間は絶対に死なせない」

「カイさんたち……ですか」


 重々しく頷く織笠は、拳を強く握りしめる。 


「あの人たちが好きだから。俺を救ってくれて、どんなことがあっても受け入れてくれて。だから、守る。俺のせいで皆が悪になって、全人類が敵に回ったとしても俺は最後まで守り続けるつもりだ」

「織笠さん……」


 マイアに視線を戻すと、彼女は今にも泣きそうな顔でこちらを見ていた。

 どうしてマイアが悲しむのか。単なる自己犠牲の精神な話にしか過ぎないのに。

 織笠は少しばかり表情を緩ませ、柔和な笑みを作る。少女の頭にそっと手を触れようと伸ばした、そのときだった。


「マイ――!?」


 突然、強烈な光が視界を埋め尽くした。

 目的地である島の最深部に到着したようだ。下降するエレベーターのガラスから、映るのは先ほどとは比べ物にならないような巨大なホールだった。しかも部屋全体が球体なのか、壁が緩やかなカーブを描いている。絡まる蔦のような紋様が刻まれた壁面の溝には精霊の動力が流れているらしく、マグマが火口へと噴き出すように止めどなく凄まじい速度で伝っている。

 ただ、その膨大な力の源が見当たらない。

 島を維持していくだけの装置となれば、それこそアークのようなマナ循環器が必要だろう。自然物を取り込み、マナを抽出するような変換機でもなければ、あんな楽園は生み出せない。


「織笠さん!」


 悲鳴のようにマイアが叫ぶ。織笠が見ると、マイアは愕然としながら口元を手で押さえている。


「どうした、マイア!?」

「あ、あれ……」


 マイアが震える手で指し示した先を目線で追う――織笠は言葉を失った。

 マイアと同じかそれよりも年下だろうか。大きなドームの空中に、子どもたちが浮かんでいた。数は二十人弱。どの子も意識がないのか、ぐったりとしている。どうやら何かの装置らしきものに磔にされているらしい。どういった原理で浮上させているのか定かではないが、両手を伸ばした姿はまるで罪人のように、無秩序な配置で空間に固定されていた。


「なんだ、これは……」

「ひどい……」


 最深部に到着した二人がもう一度天を見上げ、思わず顔をしかめた。この角度から見ることで製作者の意図が見えてきたのだ。まるで旧時代の絵画を参考に、少年少女を天使に見立て、天上から舞い降りる様を表現しているようだった。

 そしてもっと最悪なのは。

 異常なまでのマナ濃度だった。

 通常、精霊を生み出す際の外気に触れたマナは無感触だ。だが、この場所に漂うのは重たく粘り気がある。肌に張り付くような不快感。それが、フロア全体に沈殿していた。

 それもこれもあの子どもたちから機械によって無理やり引き出したもの。

 様々なマナが混流して床へ落下――壁際に設置された円柱型をした四基の装置が吸収していた。そしてチューブによって連結した壁面へと導かれている。

 エレベーターから見えた膨大な精霊の源の正体。

 子どもたちによって生み出された精霊干渉波だった。


「早くあの子たちを助け出さないと……!」

「…………ッ」


 マイアの悲痛な声が反響する。

 精神干渉波が地上に流れ出してから、かれこれ三十分は経つ。どんな精霊使いでも精霊の常時発動は相当な負担を伴う。子どもの体力では、命すら危うい。この馬鹿げた巨大ポンプを止めるには大元となる装置を止めなければ。となれば、やはり円柱型をした四基の装置だろう。

 織笠がE.A.Wの漆黒の銃を取り出す。


「主の許可なく器物損壊とは……。インジェクターとは野蛮な戦士だ」


 厳かに囁く声は、織笠のすぐ背後から聞こえてきた。


「!?」


 反射的に振り返ると同時に、銃を構える織笠。が、そこには誰もいない。そのまま周囲を探るも人の気配はどこにもなく、眉根を寄せながら織笠が銃口を下ろそうとした。

 だが、その伸ばした腕が動かない。

 頑丈な何かに挟まれたかのように微動だにしないのだ。

 そして向けた銃口の先に、黒い霧が突如出現。蝙蝠が大群で襲いかかるように集結し、人の形を成していく。


「あれほどの障害がありながら容易く我々の聖域へ侵入するとは……驚嘆に値する。歓迎しよう、呪われし英雄」


 重々しく語る口元から、黒い霧が払われる。静かに微笑みを浮かべる男――一昨日、襲撃をかけてきたザルツが、織笠の銃を握りしめていた。


「そして、よくぞ参られた。楽園の女神よ」


 ねっとりとした視線がマイアに向く。マイアが声にならない悲鳴を上げたことが引き金となって、織笠は躊躇なく弾丸を放つ。

 至近距離からの発射。しかし、唸る銃口から発射された闇の精霊は、ザルツを呆気なくすり抜けた。


「……!?」


 ザルツは再び全身を黒く霧状化させた。霧散し、粒子の群れが後方へ移動。瞬時に元の人型の姿に戻る。

 自身の肉体を精霊の分子に変化させる術式は、雨の精霊使いが得意とするところ。性質変化に似ているが、これは――。


「闇の精霊使いか……」


 呻くように織笠が呟く。


「左様。古代からいかなる状況、困難においても暗闇にまぎれ、我等闇の精霊使いは己が任務を遂行する」

「今すぐ子どもたちを解放しろ。別チームも直に煉原の元に辿り着く。こんな紛い物のワンダーランドも終わりだ」

「紛い物、というならば日本という国家そのものが幻想。この島こそが本来の精霊使いが望む理想郷なのだ。お主も見たであろう? 縛りを無くし、制約から自由を得た精霊使いたちの姿を」

「あんなもの、映画を再現しただけの下らないイベントでしかない。貴様等が表現したいのは地獄だろう。そんなもの許せるか」


 冷徹に織笠が唸ると、ザルツは愉しげに嗤う。


「人々の意志を操り、混乱に陥れる……。そのために、なんの罪もない子どもたちから力を搾取して……! いい加減にしろ!」

「ククク……甘いな、英雄」

「なに……!?」

「我々の目的が自由への解放だけだと思うか。これが催し物だと思うのなら、今こうやって奥の手を出すはずもないだろう」


 どういう意味だ、と言いかけて織笠は口を噤む。

 子どもたちを攫ったのは、この島の人々を暴徒化させるためだけならば確かに、動機としては薄い。そこに煉原側の利益がない。

 そして、捜査の手が入ったことのよる仕掛けが暴徒化でもないならば、この島自体のシステムは何の為にあるのか。


「楽園の来場者が予定の八割を超えたのだ。実験は終了、これから本格的な侵略に入る」

「侵略って……本土に乗り込むってことか……?」

「貴様等が来るのも想定内だった。ここで潰し、侵略への足掛かりにする。日本を我等の手中に収めるために」


 織笠は愕然とした。

 要は、その為の私設軍隊。

 この島で少しでも暮らしたなら楽園だと錯覚してしまう。そして日常に戻りたくないと脳が現実を拒絶する。その心の隙につけ入り、秘める攻撃性を高め増幅する。暴れるだけの軍隊が完成するというわけだ。

 旅行者の数は計り知れない。東京を狙い定めるには十分な数だろう。


「理想的には少し早計だが……。だが、十分だ。後はそちらの女神にこの国を掌握してもらうだけ。無論、この子どもたちもまだ必要だ。日本全体の意志を統一するためには、な」

「そんな……、そんなことの為に……」


 震える声でマイアが言った。

 織笠は獰猛な獣のように歯噛みした。

 日本の全人口がどれだけいると思っている。そんな下らない野望の為に、マイアや子どもたちの能力を酷使させるなんて――命を粗末に扱うにもほどがある。


「……させない。そんな人の尊厳や自由の何もかも奪うようなこと絶対に――!」


 織笠が吼える。銃を下ろし、純白の剣を反対の手で握る。低く身構え、戦闘態勢に入る。その様子を冷静に眺め、ザルツも腰元から短刀を二本抜き、逆手に持った。


「来るがいい、呪われし英雄。我も本気でお相手しよう」


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