第十六話 阿鼻叫喚
ホテルを後にしたカイたち。
照りつける疑似太陽光にさらされながら北に移動し、島の中心部アミューズメントエリアに辿り着く。ビーチからの暑さも相当だったが、ここはまるで別種。人口密度と熱気によって、一気に体力を奪われそうだった。
広大な敷地に建てられた遊園地のゾーンをぐるりと囲むように、映画館や水族館、飲食店やグッズショップが並んでいる。どこも行列が出来ていた。
目を離すとすぐにでもはぐれてしまいそうな人の波をかき分けつつ、四人は誘惑溢れるレジャー施設に見向きもせず奥へ進んでいく。ときおり、スタッフや独自のマスコットキャラクターに話しかけられることもあったものの、怪しまれないよう演技をして難なく切り抜けた。
「はぁ、想像以上だな。こりゃあ」
エリアの北端まできたところで、ようやく人気は少なくなった。遊歩道沿いの休憩スペースで四人は歩みを止めた。
額の汗を拭って、キョウヤがげんなりと呟く。煙草を取り出そうとしたが、喫煙室は限られたスペースにしかないことを思い出し、げんなりと肩を落とす。
「これだけ一つの場所に精霊使いが集まるってのもそうそう無ぇぞ。今の日本にこんな一大テーマパークが無いとはいえ……。まぁ、なんだ。それだけ、ストレスが溜まってる証拠かねぇ」
「みんな、表情が生き生きしてますもんね……」
太陽に目を眇めて、遠くの上空を見つめるアイサ。その先には空を横断するかのような大きなジェットコースターがあった。直滑降のスリルにはしゃぐ人たちの悲鳴がここまで聞こえてくる。
「一切の負を排除した、楽しさのみを追求したワンダーランド……か。正に、楽園だな」
「楽園……ですか。実行犯である彼等が使っていた表現ですね」
携帯端末で現在位置を確認するカイの言葉を受けて、ユリカが神妙な面持ちで呟く。
「どこか盲目的でオカルトに染まった者の言い回しだが、少なくとも顧客にはそう映るだろうさ。現実世界を忘れさせてくれる幻想の島とな」
「言い換えれば、精霊使いの日常が闇ということですか……」
悲しげに吐きつつも、ユリカもこの近代的なテーマパークには新鮮さを感じているようだった。あらゆるところに目移りして落ち着かない。
「俺だったら、もう日本には帰りたくなくなりそうだな」
キョウヤが不謹慎な言葉を呟く。いつもならここでカイが諌める場面なのだが、同意するように軽く頷いた。
「まだ大事にはなっていないようだが、現に十件以上報告されているらしい。七霊夢アイランドに行ったっきり、そこから職場や学校に来なくなった事例がな」
「うえっ、マジかよ」
「冗談みたいな話ですが……笑えませんね」
「だからか、奴らの使う“楽園”という言葉にはそのもの以上の意味があるような気がする……。何かは分からんが」
「まさか……煉原はその民衆の心理を利用して……?」
アイサが三人の方を振り返りながら、そう呟く。しかし、直後自分の言葉に疑問を持ったのか、首を傾げてしまう。
「何をするんでしょう?」
「だろう? それに、そこと子供を誘拐する意図とが繋がらないんだ。この島の経営と児童誘拐は全くの別問題の可能性もあるからな」
「あんま言いたかねぇが……。人身売買の線はあると思うか? 海外とかによ」
キョウヤの顔つきが険しくなる。そうなれば事は国家規模の大犯罪となる。しかし、その推測にはカイははっきりと首を横に振った。
「それこそ目的が薄い。財力には困ってないのはここを見ても明らかだ。国内にしろ海外にしろ、煉原にとってのメリットはあまり無いだろう」
精霊社会である日本は歴史上、特殊と言わざるを得ない。
海外からの関心は年々高まっているものの、実用のレベルまでは達していない。試験的な運用も検討されているが、実現にはまず精霊使いの絶対数が不足しているのだ。
国家予算を大幅につぎ込んでまで、社会のシステムを変化させるほど諸外国も困窮していないのも大きな理由だった。
「マイアを始め、感応力に優れた精霊使いを集めるには当然ながら理由がある。そこを突き止めれば――」
携帯端末を収めて、カイはおもむろにエリアの奥に視線を回した。休憩スペースを抜けたさらに奥はスタッフ専用ビルが建ち並ぶ。
煉原の元に辿り着くにはここからが本番だ。上手く彼等の警戒をかいくぐるにはどうするべきか。そう思案していると、事態は急変した。
凄まじい爆発音がランド全体に轟いた。
鼓膜を激しく刺激され、反射的に耳を塞ぐ。すぐさまカイたちは周囲を確認――が、同時に地響きが起き、カイたちは立っていることさえままならなくなった。
「な、なんだ!?」
異変はそれだけではない。続いてやってきたのは妙な感覚。
精霊使いにしか分からない、眩暈をもよおすような脳を揺さぶる気持ち悪さが襲う。精霊の波動のようだが、妙な不快感があった。
「見ろ!」
何かに気付いたキョウヤの声に、カイは弾けるように頭を上げる。キョウヤが指差す先を追い、上空を睨む。
それはまるで、光の噴水のようだった。
方角にして北西。島の奥地から光の柱は上がっていた。天高く昇り、シャワーのように島全体に降り注いでいる。一見、複数の色が混ざり合った絵画のような膜が広がっているが、直視していると複雑に歪んだ波のようで嫌悪感を寄越してくる。
「一体、これは……」
「空が……」
鈍色に波打つ空を観察していると、妙な点にカイは気付いた。
「まさか、結界……?」
決して異常気象などではない。自分たちのいる地上と上空を遮るように壁が形成されているのだ。それがドーム状にこの島全域を覆っているのだ。
「精霊による防護障壁のようにも見えますが……」
眉をひそめるユリカ。
「なぜ突然こんなものが……?」
アイランドの演出……とも思われたが、違う。
周囲にいる観光客も空を仰いで不安そうな表情を滲ませている。全身にどっしりのしかかる重苦しい空気に気分を悪くして、座り込んでしまう人が出てきた。別の場所では何事かとスタッフを問い詰める観光客の姿。突如のアクシデントに、スタッフ側も困惑している様子だ。
ざわめきが次第に大きくなる。
そのときだった。
女性の甲高い悲鳴が響き渡った。
発生源は巨大な観覧車の真下。乗り場で、男が観光客の女性に馬乗りになって殴りかかっていた。
「ちッ! こんなときに!」
すぐさまカイたちはE.A.Wを手に取り、彼等の元へ駆けていく。風の精霊の力で真っ先に近付いたキョウヤが、背後から男を強引に引きはがす。
「バカやってんじゃねぇ! とっとと離れろや‼」
「うぅ……がぁ!!」
「ッ!?」
脇の下に入ったキョウヤの腕から逃れようと、男は必死にもがく。純粋な腕力では精保内でもトップクラスのキョウヤでも抑えられないほど、男の抵抗は激しく抑えられない。
「う、うぉ! なんだコイツは!」
「がう、うがぁああああああああああああ!」
「大人しくしろ! 精霊保全局だ!」
カイがE.A.Wの銃口を至近距離で突きつけるも、男は警告を完全無視。というよりも、耳に届いていない。まるで理性を失った獰猛な肉食獣のように白目を剥き、引き裂かんばかりの口からは大粒の泡を吹いていた。
「――くッ!」
カイが引き金を引く――その直前。男は遂にキョウヤから力づくで抜け出してきた。敵意を感じたら見境なく襲い掛かるのか、さらにカイに突進してきた。躊躇などしていられないと、カイは再び男の眉間に銃口をかざす。
と、突如男は動きを停止した。
機械のようにピタリと制止しながら、そのまま地面へ倒れ伏した。
カイの傍らにはユリカの姿。いつのまにか男の懐に潜り込んだ彼女が、男の脇腹を、刀の柄の下端部分で突いたのだった。
気絶したのを確認し、ユリカが襲われていた女性の元に行って抱き起す。
「大丈夫ですか?」
「は、はい……」
思わず顔をしかめるユリカ。
殴られ続けたせいで、女性の顔面は赤黒く腫れあがっていた。歯も折れているのだろう、口の中は真っ赤でとめどなく血が溢れていた。気絶していないのが不思議なくらいだ。
「カイ様」
「ああ」
カイが困惑するスタッフを掴まえ、緊急時の医療機関について話をする。その間、ユリカはハンカチを取り出し、彼女に差し出す。
「この方は、あなたのお知り合いですか?」
「は、はい」
涙混じりに女性は頷いた。
「彼氏です。さっきまでは普通だったのに、急に様子がおかしくなって……」
「どんな具合に?」
「な、なんか突然苦しみだして……。そうしたら、訳も分からず暴れ出したんです。私がどんなに声をかけてもダメで……。で、でも普段はあんな人じゃないんです、いい人なんです!」
男を庇護するような女性の口ぶりに、ユリカは宥めつつ女性を抱きしめた。
決してあれは痴話喧嘩のような安いものではない。
暴力に一切の躊躇がなかった。
明らかに男は自我を失っていた。それと、あの常軌を逸した相貌。人間であることを忘れてしまったかのような凶行だった。
「カイさん!!」
切迫したアイサの声が飛ぶ。
警戒を解きかけたカイが、周囲の光景を目の当たりにして絶句する。
起きていたのは、ありとあらゆる破壊行為だ。
今しがた拘束した男のように、誰彼構わず暴力を振る精霊使いがいれば、パーク内にある造形物を滅茶苦茶に壊して他の旅行客へ投げつけたりしている。
幻想的な空間に蔓延る地獄絵図。
ただ、気になるのはどれもこれも標的になるのは、
「どうなってやがる……!!」
まるで伝染病のように、次々と凶暴化する精霊使いが増えていく。そうして暴力を振るう対象がいなくなれば、当然狙いはこちらに定めてくる。ホラー映画さながら、大量の精霊使いがじわじわと四人を囲んで近づいてくる。
「どうやらこれが、向こう側からの手厚い歓迎ということでしょうか」
「だろうな。ちっとも嬉しくねぇや」
ユリカとキョウヤが不敵に笑みをこぼす。
「構えろ! 加減はいらん、全て蹴散らせ!」
四人のE.A.Wが輝きを増す。変貌した旅行客が一斉に襲い掛かってくるのはそれとほぼ同時だった。
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