第十七話 RUN&GUN
「ああああああああああああ……ッ!」
マイアの身に異変が起きた。
ホテルの宿泊部屋で、精霊の異常な波動を感じたその直後。突然頭を抱えて苦しそうに呻きだした。
「マイア!?」
床にうずくまるマイアに気付いて、織笠は慌てて駆け寄った。
「どうしたんだ、マイア!」
「嫌っ……、嫌ぁ……!」
髪を振り乱して暴れようとするマイア。織笠がどれだけ大きな声で呼びかけても彼女の耳に届かないのか、何かを拒絶するように表情は怯えで満たされている。
「しっかりしろ、マイア!」
マイアの肩を強く揺すったことでようやく意識がはっきりとしたらしく、マイアは瞳を潤ませたまま織笠をゆっくりと見た。
「わ、私……」
「何があったの?」
少し安堵して、織笠は両手をマイアの肩から離す。マイアは自分の身体を抱きしめながら呆然と首を振った。
「分かりません。すごい、色んな人の意識が私に流れ込んできて……。それで頭がおかしくなりそうに……」
ひどく憔悴しながらマイアは織笠の身体にもたれかかった。ぐったりとした少女の全身はあまりに軽く、白磁の肌は青ざめていた。
「能力の強制発現……か。この光が原因なんだろうな」
レアが窓辺の方へ視線を向け、忌々しげに呟く。
「レアさん、それって……」
「マイア自身が話していたんだ。感覚の共有、と表すべきか。レイジにも感じるだろう、この光のカーテンのようなものに」
「精霊の波みたいに思えますけど……」
織笠も窓の外を凝視する。放出された精霊が、複雑に絡み合って幾重の層になっていた。色彩に溢れたオーロラのようだが、これが只の人間ならば純粋に綺麗だと見惚れてしまうだろう。
が、精霊使いであるならば全く逆の感想を抱く。
「あまり見ていて気持ちのいいものじゃありませんね」
「事実、気分が悪い。抽象的な表現は得意じゃないが、生命じゃない精霊に数多の負の感情が乗っかっているかのようでひどく酔いそうだ」
「じゃあ、これは……」
「とはいえ、精霊もまた人の意思に威力が左右される。感覚器官が鋭敏なマイアが、まともにアレを喰らえばたまったもんじゃない。いくつもの強烈な想いに精神が耐えられなかったんだろう」
踵を返し、レアはマイアの元へ歩み寄る。マイアの小さな背中をさすって、陽の精霊を送り込む。そのおかげだろう、幾分マイアの呼吸が落ち着いていく。
「そんな……」
「……私は、大丈夫です。それよりも……」
マイアは織笠から離れて、よろよろと立ち上がった。だが、足元に力が入らないらしく、またふらついてしまう。慌てて織笠が支えようとしたが、マイアはそっと拒んだ。
「多分……、この波動は私の知っているものだと思います」
「え?」
「昨夜、夢を見たって言いましたよね?」
「あ、ああ」
曖昧に頷く織笠。詳細は話してくれなかったから、内容は分からずじまいだった。それが彼女の不調と関係あるのだろうか。
「あれはただの夢なんかじゃないんです」
唇を噛み締め、マイアはそう言った。
「眠っている間、いっぱいの人が私に呼びかけてきたんです。“助けてほしい”って。強い気持ちで私に訴えかけてきていました。私と同じ歳ぐらいの子どもばかりが」
「それってまさか……」
「きっとこの島に囚われている攫われた子どもたちに違いありません。私が同じような性質の能力を持っているから、あの子たちは夢という形を通してメッセージを送ってきたんだと思います」
「間違いないのか?」
啞然とする織笠に、力強い首肯でマイアは返す。
そこでようやくはっきりとした。どうしてマイアは頑なに同行すると言って聞かなかったのか。救いを求める子どもたちの願いを直接聞き、自分だけでなく皆を助けたいという想いが沸き起こったのだ。
「……そういうことか」
唸るように呟いて、レアが再びPCの前に腰を下ろした。流れるような手さばきでキーボードを叩き、表示させたのはこの島の全体図。現在流れているマナの濃度を色別化する。予想通りというべきか、危険域を示す赤色で島全体は覆われていた。
「複数人の精霊使いによる精霊干渉波か。能力者によっては時折り、他人のマナ循環機能を狂わせる力を持って生まれる者がいる。直接ではなく、神経系に作用することによって相手に状態異常を起こすんだ」
「じゃあ、煉原はそういった能力を生まれ持った子どもたちを集めるのが目的で……?」
「稀有な能力だからな。利用的価値は高い」
レアは、くそっ、と吐き捨てながら合点がいったかのように言う。
「道理でこの島から帰りたがらない旅行者が後を絶たないわけだ。いや、正確には帰らないんだ。この干渉波のせいでな」
「だとしても、そんなことをして何の……」
「自らの意のままに操れる兵隊が欲しいのかもしれないってことさ。それだけの力が、今この島に充満しているのは間違いないんだからな」
そんな馬鹿な、と口にしようとしたが上手く声にならない織笠。
それが本当ならば『伊邪那美の継承者』事件の二の舞だ。東京を襲った、あらゆる暴虐の数々。ようやく終わりを迎えたというのに、あれをまた繰り返すというのか。
織笠の不安をさらに煽るように、レアが付け加える。
「だが問題なのはこの放出量。子どもたちがどれだけいるかまだ分からん。それでもこの規模だ。無理やり力を行使させられているんだとしたら、身体への負担はかなり大きいぞ。文字通り、命を削る作業だ」
「くっ……!」
沸々と怒りが湧いてくる織笠の服の袖を、マイアがぎゅっとつまむ。泣きそうで、だが凛然とした瞳が織笠を射抜く。彼女も気持ちは同じ。マイアの口元が「早く助けに――」と動きだす。
その瞬間、織笠の携帯端末が甲高い音を発した。
着信相手は確認するまでもない。端末を急いで取り出し、通話をオンにする。
「カイさん!?」
『お前ら、今すぐそこから離れろ!』
カイの切迫した声に交じって、いくつもの悲鳴が聞こえてくる。旅行客のものだろうが、アトラクションに興じる類の絶叫ではない。己が身に危険が迫る、死への恐怖感だった。
「何があったんです!?」
『いいからとっとと逃げろ! 向こうは俺たちがこの島にいることに気付いている。この波動は奴等からの迎撃だ!!』
一方的に伝えて、通話は切れた。不穏な空気を感じ取ったのか、レアもPCを乱暴に閉じて素早く立ち上がる。
廊下を走り回る足音が聞こえたのはそれと同時。数人どころではない。把握しきれない数が、迷いなくこちらを目指しているようだった。
「――チッ。遅かったか!!」
部屋の扉が勢いよく蹴破られる。
開け放たれた扉から覗くのは、見知らぬ人間たち。開放的な服装からして旅行客だが、中にはスタッフらしき正装を纏った者までいる。
「ッ⁉」
堰を切ったかのように、暴徒と化した旅行客が部屋になだれ込む。
織笠は、マイアを自分の背中に隠して臨戦態勢を整える。
警告など無意味。即座に、織笠は
「――くっ!」
肉弾戦を覚悟し、マイアから手を離した直後。織笠の眼前に突風が舞った。レアの蹴りが炸裂したのだ。鋭い横凪ぎが、暴徒と化した旅行者を一斉に薙ぎ倒す。
「レアさん!」
「行くぞ! ここじゃ埒があかん!」
駆け出したレアに続き、織笠もマイアの手を引き旅行者の群れに突撃する。レアの体術と織笠のE.A.Wで次々と進路を妨害する旅行者を蹴散らし、出口までの一直線を確保。廊下を出た三人は一目散にエレベーターを目指す。
「やられたな、クソ!」
「レアさん、一体何なんですかコレ!!」
「カイも言ってただろう! 迎撃だと!」
「じゃあ、まさか……!」
「奴らの方が一枚上手だったってことだ。私たちの潜入はバレてるかもな。こんな一日限りのサプライズイベントを披露してくれるぐらいだ!」
「…………ッ!」
「ったく、人気者は辛いな!」
織笠は後ろを振り返る。襲いかかった連中が追いかけてくる気配はない。むしろ、各々意識が不明確なせいか進路を邪魔しあい、もつれて倒れてしまっている。
(そうか、こいつら……!)
織笠の頭をよぎる、一つの記憶。
皆一様にして共通するのは、暴力行為と相反した、茫洋とした表情。瞬時に、織笠の脳内で空いた隙間にピースがはまる。焦点の定まらない瞳に、あんぐりと開けた口。三流ホラー映画に出る、生きる屍を連想させる。
「俺とマイアを襲った連中と同じ症状……」
「そいつらも精神干渉波を受けていたんだろうな。各個人間では関係性は見当たらなかったが、ちゃんとあったわけだ」
「この島の旅行者か……!」
「こういった人の精神を食いものにする攻撃には、抵抗する術がない。精霊使いは戦闘民族じゃないからな。我々ならまだしも、一般人なら問答無用にやられてしまうだろうな」
別動隊のカイたちのことを思い出す。きっと向こうでも同じ状況が起きているのだ。島中の精霊使いが意識を乗っ取られて敵になるという異常事態。
「――ッ!?」
織笠が立ち止まる。
高級ホテルが災いしてか部屋数が多く、エレベーターまではまだ遠い。しかも織笠たちの部屋は角部屋だったために、他の洗脳された宿泊客が出てきては道を塞ぐ。
「足を止めるな! 構わずやれ!」
悠長にしていては身動きが封じられる。狭い廊下で迷いなく力を行使する精霊使いに対し、織笠とレアは躊躇せず倒しながら突き進む。
ようやくエレベーターへと辿り着き、安堵したのも束の間。階層のランプが上に昇っていることに気付く。
自分たちのいる階層で停まるエレベーター。ドアが開く。警戒して一歩離れた織笠たち。エレベーターの密室には、既に押し詰めになった精霊使いで一杯だった。
「くそっ!!」
「こっちだ!」
レアが向かったのは通路の角だった。全面ガラス張りで、広々としたスペース。リラクゼーション用の機器が置かれている。外に目を向けるとアミューズメントエリアが一望できた。
想像通り、景色は惨憺たるものだった。洗脳された旅行者たちが施設を破壊し、所々で黒煙が上がっていた。
「レアさん、まさか――」
「やるしかないだろ。逃げ場もこれ以上ないしな」
織笠は深く息を吐いた。
思えば、非常階段という手もあったはずだが、それも時間がかかり過ぎる。現時点でどれだけの人数がこのホテルに泊まっているのか知らないが、洗脳された者たちは的確に自分たちめがけて襲ってくる。いちいち対処していたら体力の消耗が激しいだけである。
ならば、いっそのこと――か。
「織笠……さん……?」
走り疲れて息を切らすマイアが不安そうに織笠を見る。
そうこうしている間に、暴徒と化した観光客が追い付いてきた。先頭を走るのは計算されていたかのように炎の精霊使いだらけだ。
「少し我慢してくれ、マイア!」
「――え、え?」
「行くぞ!」
無数の炎の球が勢いよく放たれる。それらが合わさり炎の渦となってフロア全体を飲み込む。頑丈に設計されたガラスが熱によって膨張。巨大な爆発が巻き起こり、全てを吹き飛ばす。
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