第六章

第十八話 開催

 最早、正気を保っているのは自分たちのみと言ってよかった。

 助けたはずの女性と、医務室に連れていくために彼女を抱えたスタッフ二名でさえ、数秒後には敵に変異する始末。アミューズメントエリアにいる旅行者だけで優に千人は超えている。それを四人だけで次から次へと相手をしなければならないのだ。息をつく暇もない。

 カイたちは固まって戦っていた。分断されてしまえば、いくら素人相手でも負担は大きい。一つミスをすれば一気にやられる。互いをカバーできるよう背中を預け、確実に処理する方法を取ったのだ。

 懸念があるとすれば、ここまで大規模な対集団戦の経験がほぼないこと。

 特に、アイサに至ってはE.A.Wが長距離武器のスナイパーライフル。普段でも遠距離からのサポート役である彼女には、不利かと思われた。


「やぁぁぁあああああああああ!」


 が、四人の中で一番軽快なのがアイサだった。

 しなやかな体捌きから繰り出される蹴りが、的確に相手へ命中する。ウサギのように跳躍しながら、自身の身体に触れさせることもなく軽々と倒していく。そして、周囲に敵がいなくなればE.A.Wを撃ちまとめて吹き飛ばす。


「やるじゃねぇか、アイサちゃん!」


 キョウヤが感嘆しつつ、襲い掛かってきた暴徒を殴り飛ばす。


「これもユリカ姉との修行の成果ってやつですよぉ!」


 弾けるような笑顔でアイサは応えた。

『伊邪那美の継承者』事件以後、アイサは自身の実力不足を痛感し、ユリカに稽古をつけてもらっていた。そもそも近接格闘は苦手ではないだけに成長は著しく、短期間で仲間ですら目を見張る結果になったのである。


「それじゃ、俺もいっちょやりますか」


 後輩の成長ぶりに感化されたのか、キョウヤがゴキリと指を鳴らす。

 拳に装着したE.A.Wに風の精霊を付与、暴風まで成長させ勢いよく地面へ振り下ろした。荒れ狂う風が地面を抉り、周囲を取り囲んだ人間をまとめて吹き飛ばす。さらに割れた破片が弾丸となって容赦なく肉体を切り刻む。威力は凄まじく、パーク内の設備すら削り取ってしまう。


「やりすぎだ、バカ!」


 危うく巻き込まれそうになったカイが思わず言った。ある程度手加減はしているのだろうが、後処理のことをまるで考えていないキョウヤに嘆息する。しかも、まとめて百人以上は無力化したのに息苦しさはまだ拭えない。精神をやられた精霊使いはどんどんやってくる。

 それでもカイは、迫る敵を冷静にいなしていく。どれだけ数がいようとも基本動きは単調だ。一人を確実に、E.A.Wの片手銃で仕留めていくスタイルだ。アイサのように俊敏でもなければ、キョウヤのようなド派手さもない。加えるならば、無駄な動き一つない。急所を的確に突き、意識を刈り取る。すべてが洗練された立ち回りで圧倒的な物量に対応していった。

 百戦錬磨のインジェクターには、素人同然の精霊使いなど赤子同然。横たわる精霊使いが地面を埋め尽くすまでそう時間はかからなかった。少し息が上がったぐらいで、残りは数えられるまで減った頃、カイはふと妙なことに気が付いた。

 このアミューズメントエリアの名物でもあるジェットコースターに、カイの瞳は釘付けになった。超巨大なアトラクションとして、地上数十メートルの高さからエリア内を縦横無尽にレールが敷かれている。

 それが、稼働していた。

 コースターが出発し、最初の山場である直滑降ゾーンの手前に差し掛かっている。

 乗客などいないのに。

 そう、乗客であった旅行者は、この場に全員いる。制御スタッフすらも。

 機械が勝手に動いているのだ。


「どうかなさいましたか?」


 ユリカがキョトンとした顔で訊ねる。カイは目をそらせない。

 そして、コースターは重力落下を開始。一気に加速しながら急降下し、そのままの勢いを維持しながら、再び昇っていく。

 光が瞬いたのはその直後だった。背後からカイたちの頭上を駆け抜け、レールへと直撃。爆発を起こした。走路を失った蛇のような長い鉄の塊が宙に投げ出され、あろうことか大勢の人間がいるこちらの方に落ちてくる。


「あ、危ねぇ!!」


 キョウヤが叫ぶ。

 予想外の事態に身体は硬直したままだ。対処するにしてもE.A.Wを使用するには巨大すぎる。このまま地上に激突すれば多数の死傷者が出るに違いない。


「これはいけませんね」


 と、あまりに淡白な声を発したのはユリカだった。緩やかにE.A.Wである刀に手を伸ばしたかと思えば、ほぼ反射的に全身を翻す。目にも捉えられない速度で抜刀し、ただ腕を振り上げた。

 単純な動作であるが、その剣閃には大地の力がこれでもかと凝縮されている。

 ジェットコースターをいとも簡単に両断し、誰もいない地面に激突。鞭のように暴れながら、隣接するホラーパークの建物に突き刺さった。


「ひゅー……」

「た、助かった……」


 呆気に取られながら、キョウヤとアイサが胸を撫でおろす。

 豪快かつ流麗なユリカのスタイルにはいつも脱帽だが、これには理性を失っている旅行者たちも動きを止めてしまった。毒気を抜かれたのか、あまりの力業に恐怖を覚えたのか定かではないのか、この好機を逃す手はない。


「今だ、行くぞ!」


 仲間に呼びかけ、走り出すカイ。声色に焦りが含まれているのは、この襲撃が煉原の手によるものだからだ。時間稼ぎをして、今頃逃亡の準備をしているかもしれない。もしそうならば、作戦成功だ。たっぷり時間を取られてしまった。

 目的のオーナーズビルまでかなりの距離がある。こちらの存在がバレている以上、確保は時間との勝負だ。


「おやぁ? そんなに急いでどこへ行くの。まだ遊びましょうよ?」


 背中を這いずるような女の声。明確な殺意は、後からやってきた。

 頭上を見上げると、そこには太陽のように煌々と燃え盛る炎を両手に抱えた女がこちらに降ってきていた。


「楽しい時間はまだこれからでしょ!!」


 風にあおられた紫の髪から覗く表情は獰猛な獣そのもの。細身のシルエットに張り付いた黒いレザースーツはいかにも扇情的だが、俊敏さが勝っている。

 女は大きく振りかぶりながら、叩きつけるように地面へ思いっきり炎を投げつけた。


「くっ!?」


 四人はすかさず、散開。女の一撃が、彼らのいた丁度その場所に落ちる。大きな爆発によって石畳が粉砕し、爆炎が立ち上る。荒れ狂う熱風が巻き起こり、全員が宙に投げ出された。

 姿勢制御が利かない中、カイは女の位置を確認しようとする。しかし、即座に視界を遮られる。

 上昇してきた人影。全身筋肉の鎧を纏った巨漢だった。元・軍隊にでもいたかのようなタンクトップに迷彩柄のパンツ。浅黒く彫りの深い顔に犬歯が剥く。

 驚異的な跳躍力でカイの眼前にまで迫った男は、右腕を振りかぶった。拳に冷気が集中している。すなわち、雨の精霊。湿気を帯びた指先から急速に凍り始めた。


「ッ!?」


 一気に警戒度を引き上げたカイがE.A.Wを構えるが、男はその凍った右腕で易々と払いのける。無防備になったカイの胸元に、男は再度右腕を振るう。

 そこへ。


「おらぁ!!」


 キョウヤの蹴りが男の横面をとらえた。風の精霊使いは空中こそ真価を発揮する。風圧によって高速移動したのだ。


「すまん、助かった」

「別に構わねぇよ。けど――」


 キョウヤが顔を歪めて舌打ちをする。


「バカみてぇに硬ぇ野郎だな」


 カイたちの後に続いて男が地面に着地する。蹴られた頬をなど気にする素振りもなく、愉しげに笑みを浮かべている。


「いかがかしら? 私たちの楽園は」


 そう発したのは先ほどの女だった。男の傍に寄り、並んで立つ。


「何者だ、貴様等。煉原の仲間か」

「この楽園の案内人といったところかしら。私はザイーネ。で、彼はジョクラン。素晴らしいところでしょう?」

「アトラクションにしちゃ満足度は低いぜ。企画から練り直しだな」

「あらぁ? ジェットコースターはスリル満点だったでしょ?」

「ありゃあ、お前の仕業か。安全性をもっとしっかりしてくれなきゃな。ってか、これじゃもう乗れねぇじゃねぇかよ」

「アハハッ、確かに」


 ザイーネと名乗った女は無邪気に笑う。


「お前たちは他のスタッフとは違うようだな。煉原の部下か」

「そう――裏のな」


 隠す必要がないとばかりに、ジョクランは素直に肯定した。


「といっても、ほとんど出番のない懐刀だがな」

「そうか、ならそのまま退場してもらおう。今すぐこのバカげた結界を解け」


 カイが銃口を向けながら鋭く睨む。ジョクランは大きく手を広げて、声を張り上げる。


「残念だ。この島最新鋭のコードミラージュはお気に召さないか」

「人に幻影を見せる装置……。仮初めの幸福だとでも言うつもりか」

「この島にどれだけの精霊使いがやってきた? それだけ現状に不満を持ち、夢や幻でもいいからと望んでいる証拠だろう。我々はその希望を叶え、提供しているのだ」

「大層な考えだが、着眼点は悪くない。だが、建前はよせ。狂暴化するシステムを造り出し、何をするつもりだ」


 ジョクランの言葉は真理だ。

 精霊社会に準じる精神を持ちながら、やはり日常を送る上でどうしてもストレスは溜まる。どこかしらで憤懣ふんまんを解消したい気持ちはあるだろう。インジェクターでいる限り、戦う相手はそういった鬱屈した欲求が爆発した者たちだ。

 ここは世界に必要な楽園かもしれない。

 だが、提供されているのは純然たる幸福ではない。裏には攻撃性が潜んでいるのだ。


「規制、規律。正しくお前等のような奴等だよ。インジェクター」

「目的は日本掌握か。俺たちを排除して国民を支配するつもりか」

「そういうことさ。まぁ、それは雇い主の本懐であって俺は暴れられりゃ何だっていいがな」


 ジョクランが豪快に笑う。


「児童誘拐の主犯格もお前たちだな」

「そういうこと。苦労したわよ、こんな能力を持った子なんてそうそういないもの。全国を探し回って、ときには転移直後を狙ったりなんかして」


 ザイーネが溜息交じりに言った。切れ長の瞳をさらに細め、舌をなめる。


「でもね、これでも未完成なのよ。やっぱりね、もっと強い力が必要なの。この力をまとめ、より増幅させる主力がね」


 脳裏によぎる銀髪の少女。

 紛れもなくマイアのことだろう。

 大多数の人間を扇動するために必要なもの。簡単に思いつくのは圧倒的な武力だろう。尋常ならざる力を持ち、他を沈黙させる。それを唯一出来たのが『伊邪那美の継承者』の首謀者リーシャだ。そのカリスマ性に魅了され、彼女に追随しようと次々と同志が生まれた。後にも先にもそんなことが可能なのは彼女ぐらいだ。

 だが、こいつらがやろうとしているのはそんなではない。

 人の意志など関係ない。強制的に思考の主導権を奪い、操り、何もかも蹂躙させようというのだ。そもそも社会に敵意、害意、殺意などない者だっているだろう。そういった人々が、事を為した後に残るもの。

 それは無自覚の罪。絶望しかないのだ。


「マイアは渡さん。あの子の力は今後の世界に必要なものだ。そんなささやかな希望の種を、お前たちに利用させるわけにはいかない」


 唸るようにカイは言った。


「可哀そうに。神に拘束される未来なんてどこが幸せなのかしら。考えてもみなさい? 人の意志を捻じ曲げるなんて、あの子自身が全知全能の神にすらなれるのよ。それこそ幸せじゃないかしら」

「子どもを悪用するような愚か者に、マイアを渡す道理はないと言っている」


 犯罪者の論理の一蹴し、カイはE.A.Wに精霊を込める。

 臨戦態勢。

 ザイーネとジョクランは静かに笑い、体勢を低く身構える。剥き出しの殺意を纏わせ、爆発的に精霊を放出。荒れ果てたランドの大地を蹴った。

 インジェクターとして一分の隙も見せずに、カイたちは彼等を迎え撃つ。



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