第9話
小気味よいベルの音が鳴り、エレベーターが最上階に辿り着いた。応接室の扉の前に警備員が2人立っている。流石に要人警護のためか重武装で、防弾チョッキを着込み、持っている武器も最新式のテックアサルトライフル。
そのうち1人がカメラアイでスミレだけを注視した。だがもう1人は、アスターと目が合った。片目だけ生身の目だったのだ。
「チッ」
アスターは即座に発砲、警備員たちの額を正確に撃ち抜いた。同時に応接室に向けて駆け出しつつ、スミレに向かって叫ぶ。
「きみはここに残っていつでもエレベーターを出せるようにしておけ! ついでに増援を阻止だ!」
「了解!」
アスターは応接室の扉を蹴破った。それと同時に扉の向こうから銃声が鳴り響き、彼の左頬を掠めた。
「ッ……なっ!?」
アスターは驚愕に目を見開いた。応接室の中には、マルボウの社長とセンリョウ・テックの重役、その2人しか居ないはずだった――だが、3人めがいた。
ヴェロニカであった。彼女はマルボウ社長の首筋に噛みつきながら、アスターにリボルバーを向けていた。彼女はマルボウ社長の首筋から口元を離すや、ソファーを盾にして発砲してきた。アスターは一旦室外に身を移し、銃弾をやり過ごす。
「なんだか衝撃的な場面に出くわしちまったな!?」
時折顔を出して反撃する。マルボウ社長の姿を探すが、彼もヴェロニカと同じソファーに身を隠しているのか、姿が見当たらない。センリョウ・テック重役も対面のソファーに身を隠したようだ。
室内からヴェロニカの、
「恥ずかしいわぁ、食事風景を見られちゃうなんて」
「社長さんの血は美味しかったか!?」
「甘かったわよぉ」
「生きていたら血液検査を勧めたんだがなぁ」
――その時、ソファーの裏からマルボウ社長の声が聞こえてきた。
「至急、増援を。最上階に侵入者あり」
アスターは舌打ちしつつも、不敵に笑みを浮かべる。
「おっと生きていたか、そいつは都合が良い。獲物を先取りされたと内心悔しかったんだ」
ヴェロニカがくすくすと笑う。
「奇遇ね、貴方も? 運命を感じちゃうわね」
「不幸な運命を、な!」
2人が銃撃戦を続けるなか、エレベーターのあたりからスミレが叫んだ。
「さっきのは通常の単純な無線電話よ、ハックしようがない! 増援が来るわ! それにヘリからSTの兵士が降りてきてる!」
「クソッ。脚を止められないか!?」
「戦術リンクをハックして撹乱しているけど、気づかれるのも時間の問題よ!」
アスターは判断に迷っていた。包囲は時間の問題だ、暗殺は中止してとっとと逃げるべきだ――しかしヴェロニカも気になる。何故、彼女がここに居る? 何故マルボウ社長を暗殺、それも吸血という方法で暗殺しようとしていた? 吸血鬼は、血を吸って殺した相手の記憶を継承できる。マルボウ社長はセンリョウ・テックが欲しがるような情報を知っているのか? きな臭い。ヴェロニカを捕らえる、ないし吸血して情報を得るべきではないか?
――思考がぐるぐると巡る。故に、気づくのが一瞬遅れた。ヴェロニカがソファーの陰から飛び出し、廊下に躍り出たことに。
「はぁい」
「しまっ……」
向けられた銃を左腕で逸らす――逸らしきれない。左肩を撃ち抜かれる。
「チイッ」
お返しにとヴェロニカの頭に銃を向けるが、一瞬早く左腕で逸らされ、銃弾が虚しく宙を切る。戦闘のテンポを握られている。だが超至近距離で4発撃ち合ううち、アスターがテンポを取り戻した。冷静さも。――それまでに2発食らってはいたが。
お互いにリボルバーを使っているため、互いの残弾は知れていた。残り1発ずつ。先に頭を撃ち抜いたほうが勝つ。そして記憶が吹き飛び混乱している隙に、血を吸ってしまえばよい。
――屋上に続く階段から、慌ただしい足音が響いてくる。あまり時間はない。
「本当はゆっくり聞きたいことが沢山あるんだがねぇ」
睨み合いながらアスターはそう言う。対するヴェロニカは、
「私もよ。でもそれは私の魂に溶け込んでからでも良くってよ。1つになりましょう?」
「魅力的な提案だ。吸血する側が俺ならの話だが」
勝てる相手だ、とアスターは踏んでいた。だがセンリョウ・テックの増援が到着する前に吸血が間に合うかが疑問であったし――何より、吸血したくなかった。自分が化け物だと認めるのが嫌だったし、記憶の継承は苦痛を伴うからだ。アスターは記憶の混濁による自我の喪失を畏れていた。ならば。
――2人は同時に引き金を引いた。銃声。硝煙――互いに無傷。
アスターはヴェロニカの銃を腕で逸していた。対するヴェロニカも同じように腕を振り、アスターの銃を逸らそうとしていたが、その腕は宙を切っていた。
アスターはヴェロニカでなく、床のほうに銃を向けていたからだ。彼が放った弾丸は、先程殺害した警備員――そのアサルトライフルの銃床に当たった。ライフルが宙に跳ね上がる。
「しまっ……ああっ」
あっけに取られたヴェロニカは一瞬硬直し、その隙をアスターに蹴られて尻もちをついた。アスターはアサルトライフルを応接室内に向ける。
「どんな高級ソファーもライフル弾は防げまいよ」
勝ち誇ったアスターがアサルトライフルの引き金を引く――だが、銃弾は発射されなかった。代わりに『不正な使用者です。トリガーをロックしています』という音声がアサルトライフルから流れてきた。
「……これだからテック武器は!! うおっ!?」
突如として引き金のロックが解除され、弾丸の嵐が射出された。アスターは困惑しながらも、アサルトライフルの銃口を横薙ぎに動かした。一瞬にしてソファーがズタズタに引き裂かれ、詰め物の羽綿が飛び散った。その後ろに隠れていたマルボウ社長やセンリョウ・テック重役の血とともに。
アサルトライフルから、スミレの声が聞こえた。
『――使う前に言ってくれれば準備したのに』
スミレのアシストであった。銃のスマートロックを解除したのだ。
「そいつは悪かったね!」
アスターは笑いながら、スミレが待つエレベーターへと駆け出した。重役暗殺は完了。ヴェロニカのことは口惜しいが、ここが引き時だと判断したのだ。再装填を終えたヴェロニカと、駆けつけたセンリョウ・テック兵の銃撃を受けつつ、なんとかエレベーターに滑り込む。扉が閉まり、エレベーターが下降を開始する。
傷口から弾丸を排出させながら、アスターはため息をついた。
「ふーっ……鉄火事場になったな」
「まさかこんなことになるとはね……その……」
スミレは血に染まったアスターのスーツに視線を走らせた後、目を伏せ、指を組んだ。
「……ごめんなさい。私があんなことを言い出さなければ、貴方は怪我しなくて済んだのに」
「謝るな、お前の案が妥当だと判断して乗っかったのは俺だ。それにスラッシャー役が負傷するなんざ日常茶飯だし、スラッシャーはそれを覚悟して傭兵なんざやっているんだ。気に病むな」
「…………」
「……そもそも相手に吸血鬼がいるなんざ、誰に予想がつく? 吸血鬼本人だって予想してなかったんだぞ」
そうおどけてみせると、スミレは吹き出した。
「吸血鬼の隣にいた私も予想してなかったわ」
「なら2人で同罪だ」
くつくつと笑うアスターの横顔を、スミレが見上げる。
「……ありがとうね」
「こちらこそ。良いサポートだった」
やがてエレベーターが1階に辿り着いた。エレベーターホールには誰もおらず、2人は悠々とエントランスへと向かった。歩きながら、スミレが茶目っ気をにじませて小声でささやく。
「さっき戦術リンクはハックできたって言ったでしょ? 今頃戦闘員たち、いるはずもない『敵マーカー』を追いかけて最上階を駆けずり回っているはずよ」
「そいつはご愁傷さまだな」
2人はくすくすと笑いあいながら、車へと向かった。
駐車場に降りて車へと歩いていると、1人の男とばったり出くわした。デカマラ刑事であった。彼は2人を見るなり激昂し、拳銃を抜こうとするが中々うまくいかない。手がガタガタと震えていた。
「ききききき貴様らぁ、さっきはよくも……へっくしょい!」
よく見てみれば、彼の身体のあちこちに霜がついており、顔色も真っ青であった。霊安室でほどよく冷やされたのであろう。アスターは肩をすくめてスミレに尋ねる。
「どうする?」
「あの様子じゃきっと股間のご立派様も縮こまっているんでしょうね。もう何の価値もないわ、やっちゃって」
「お前の価値基準は股間のデカさなのか? かといって温めて戻してやる義理もないが」
アスターはリボルバーを引き抜き、刑事の頭を撃ち抜いた。
2人は幾分すっきりした顔で、車に乗り込んだ。
拠点へと帰還する車中、ぽつりとスミレが呟いた。
「ヴェロニカについてだけど」
「……ああ」
「あっ、誤解しないでね。責めているわけじゃないのよ、あの状況ではあれが限界なのはわかるわ。言いたかったのは、彼女の行動には気になる点が多いってこと」
「そうだな、何故マルボウ社長を暗殺、それも吸血という手段で殺そうとしたのかわからない。マルボウにSTが欲しがるような情報があったのか?」
「わからないわ。マルボウは警察企業よ、犯罪者のデータならしこたま持っていたでしょうけど、誰かを探しているなら正式に捜索依頼を出せば良いだけだし……」
「まあ結局、ヴェロニカ本人を捕らえて聞き出す他はなかったわけか」
「素直に吐くとも思えないけどね」
「それはそうだ。だが俺なら、吸血で記憶を吸い出せる。吸血鬼が失血死するなら、だが」
そう言うアスターの表情が僅かに固くなっていたことに、スミレは気づいた。
「……いかにも吸血したくなさそうね?」
「まあ、気持ちの良い行為ではないからな。記憶を継承するのは……辛いんだ。なるべく避けたい」
「そうなの?」
「データを眺めるのとはわけが違うんだ。継承した記憶には実感がある。他人の記憶が、自分のもののように感じるってことだ。どれが自分の記憶で、どれが他人の記憶なのか、わからなくなる。……自分が何者かわからなくなるんだ」
「……」
「そういうわけだから、俺は吸血することはあっても命までは取らないようにしている」
「なるほどねぇ。っていうかそもそも、吸血って必要なの?」
「普段は必要ないよ。ただ、血を失うごとに回復能力と鏡やカメラに映らない特性が弱くなっていく。……吸血衝動は、それと反比例するように強くなっていく」
スミレはアスターの被弾痕を気づかわしげに見た。血は完全に止まっているが、スーツのあちこちが破け、白いシャツは赤く染まっていた。
そんなスミレの視線に、アスターは苦笑する。
「この程度なら大丈夫さ、せいぜいきみのことが魅力的に見えてきた程度だ」
「血を失うと視力が良くなるんじゃない? 私は常に魅力的よ。……辛くなったら言ってよね、ちょっと血をわけるくらいなら、してあげられるから」
これにはアスターは驚いた。先程のエレベーターでの態度もそうだったが、案外とこの娘は、自分のせいで他人が傷つくのを嫌がる心根を持っているのかもしれない、と。
アスターは宥めるような苦笑を浮かべる。
「安心しろ、こんな仕事をかれこれ20年もやっているんだ、普段は敵からおすそ分けして貰っているし、安定した血液提供者も確保しているのさ。きみから血を吸うことはない。余程の鉄火事場なら、頼むことはあるかもしれないが」
「……そう」
ああ、また色恋と罪の香りがするぞ、とスミレは内心で感づく。だが、掘り下げないでおいてやることにした。――アスターは自身が吸血鬼だと明かしたとき、『とんだ化け物だ』と言っていた。その能力を便利に使いつつも、心のどこかで化け物であることを
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