第18話

「はあっ、はあっ、クソッ、無茶したぜ……」


 強烈な吸血衝動に耐えきれず、アスターは飛燕の護衛兵の死体へと駆け寄り、血を啜った――瞬間、背筋に寒いものが走った。咄嗟に横に飛び退くと同時、護衛兵の死体に刀が突き刺さった。サムライの声が響いてくる。


「しくじったか?」


 振り向いてみれば、サムライは仰向けに倒れたまま、刀を投げつけた姿勢で固まっていた。だがやがて、眉間に突き立った高振動ナイフを右手でつかみ、引き抜いた。


 アスターは即座に拳銃を引き抜き、高振動ナイフの切創へと弾丸を6発叩き込んだ。サムライの頭部装甲がひしゃげ、内側から爆ぜた。今度こそ外骨格の内部まで破壊した、アスターはそう確信した――だが、血どころか生体組織のひとかけらも出てこなかった。代わりに飛び出してきたのは、千切れたコードや火花、オイルの類だった。アスターは目を丸くした。


「おいおい、こいつは一体……」


 サムライは頭を失ってなお、首の前で手をバタバタと動かした。声も聞こえてくる。


「バカめ、やめろ。それ以上破壊されたら発声ユニットまで壊れてしまう。まさか即死を狙ってくるとは思わなかったぞ、ご褒美を忘れたのか? 死人に口なしだぞ」


「死んでいないじゃないか、化け物め」


「化け物に言われると光栄だな、ハハハ! 降参だ、降参する! バランサーユニットがやられた。自力で立ち上がるには……ちと、慣れるまで時間がかかる」


 アスターは撃ちきった拳銃に弾丸を再装填しつつ、油断なくサムライを睨みつつ、低い声で尋ねた。


「……どういう理屈だ」


「まだわからんのか? こういうことだよ」


 サムライは外骨格のヘルメットを取り外した。中から、顎のあたりから上が弾け飛んだ、機械の頭部が姿を現した。顎の奥から声が響いてくる。


「生身の部品は脳だけだ。それも今やここにあるがね」


 そう言いながら、サムライは自分の胸をコツコツと指で叩いた。


 そういうことか、とアスターは納得した。サムライが生身の人間では反動で死にかねないような膂力を発揮出来たのは、彼の生身の身体が特別強靭だからというわけではなかった。全身を機械化するという力技で解決していたのだ。


「……そんな技術が実用化されていたとはね」


「実用化、とは言い難いな。俺以外の被験者はほとんど、手術に成功しても数ヶ月で狂ってしまったよ。元の身体との差異が自我に悪影響を与えるのだとか医者は言っていたが……だが俺から言わせれば、惰弱な精神が悪いのだ。身体がどう変わろうが、俺は俺だ。そうだろう?」


「誰もがお前のように、戦えればそれで良いなんて単純な精神構造をしているわけじゃない。不幸な被験者たちは、お前よりずっと複雑で人間らしい心の持ち主だったんだろうな」


「言ってくれる! ……さて、約束を果たすとしようか。ヴェロニカのことだったな?」


「……そうだ。何故お前が彼女のことを知っている?」


「至極単純なことだ、STと日装が裏で繋がっているからだ。正確には、日装の社長がヴェロニカに噛まれている」


「チッ……」


 これは、飛燕の記憶と照らし合わせても納得がいく回答であった。



 ――ヴェロニカとやらがマリーだとすれば、厄介だ。


 ――なんせ彼女は、否、吸血鬼という生き物は、噛んだ相手を眷属にする力を持っているのだから。噛んだ相手が生きていれば眷属にし、そのまま血を吸って殺せば記憶を継承する。そういう生き物だ。


 ――この戦争は、どこまでがヴェロニカ、ないしSTが糸を引いているのか。各社の社長を眷属化しておけば、企業同盟を組むのだって簡単なのだから。



「お前はこの戦争をまやかしと評していたな」


「ああ」


「それはつまり、この戦争の真の目的は、STを中心とした同盟網を組ませることにある。そういう意味だな?」


「正解だ」


 西日本防衛装備社を中心とした日本救国同盟は、1社では太刀打ち出来る存在ではない。だがSTを含む全企業で対抗同盟を組めば、勝てる相手になる――そこにSTがつけこむ隙がある。


「……対抗同盟を組めば、盟友としてSTへの警戒が薄まる。同盟企業のもとにヴェロニカを送り――眷属にしやすくなる、と」


「概ね当たりだが、奴らはもっと手が速いぞ。今まさに、STが本社ビルで、対抗同盟結成のため首脳会議を招集しているところだ」


「クソが、一網打尽狙いか」


 各企業の首脳級を集めて閉じ込め、ヴェロニカに噛ませて眷属化する。それが社長ならその時点で傀儡化完了、重役級であっても、後々社長をヴェロニカと引き合わせる手引をさせられる。


 絶対に止めなければならない。企業のもとで日本統一が成し遂げられてしまえば、レジスタンスは終わりだ。奴らは下層民のことなど考えない。絶対に阻止し、せねば――


「ッ……!」


 アスターは額に手を当てた。今の思考は、自分のものか? それとも飛燕の記憶から導き出されたものか? 彼には既に、区別がつかなくなっていた。


 サムライは面白くなさそうな唸り声をあげた。


「全く、つまらんことだ。こんな方法で統一を成し遂げられては面白くない。統一後の日本に俺の戦場はあるのか? レジスタンスのくだらん雑魚どもを手慰みにしろと? 外国に攻め込むのは楽しそうだが、世界中の国家が分裂しているのだ、統一日本の敵ではあるまい……それではつまらん! 闘争とは、負けるかもしれないから楽しいのだ!」


「ウォーモンガーめ」


 そう言われたサムライはさぞ楽しそうに笑い声をあげ、それから難儀しつつも、上半身を起こして床に座り込んだ。


「……お前に頼みがある、アスター」


「そんな仲じゃあないね」


「まあ聞け。あのスミレとかいう女を救いたくないのか? それともあの女にはそこまでの情は無かったか?」


 スミレ。その名前を聞いた瞬間、アスターの胸中に嫉妬と友情、憐憫の感情が同時に沸き起こってきた。自我がきしむ。


 アスターが苦痛に耐えて黙り込んだのを、サムライは「聞く気がある」と解釈したのか、彼は話し始めた。


「ヴェロニカを殺してくれ。同じ吸血鬼なら、その方法を知っているのだろう?」


「知らないと言ったら?」


「知っているな。嘘の臭いがするぞ」


「…………」


 ほんの数分前までなら、知らなかった。だが今は、飛燕の記憶からその方法を知ってしまった。


「本当は俺が殺すつもりだったんだが、どうすれば吸血鬼が死ぬのかまでは教えて貰えなかったのでな。いきなりヴェロニカを狙って、STの増援が延々と押し寄せる中で『どうすれば死ぬか』なんて実験したくはない、勝負がてらお前で実験してからやろうと思っていたのだ」


「平和的に俺に聞くって手は無かったのか?」


「お前はわざわざ自分の殺し方を教えるようなバカなのか?」


「…………」


 サムライは外骨格の腰のあたりをまさぐり、装甲化されたハッチを開けた。その中から、一枚のカードキーを取り出した。


「STのセキュリティーカードだ。これがあれば、ST本社の相当奥まで入れるぞ」


「……何故そんなものを、お前が?」


「言っただろう、ヴェロニカを殺すつもりだったと。STの守衛司令官……佐藤とか言ったかな? そいつをおびき出して殺し、奪ったのだ。あまり時間はないぞ、STが佐藤の死に気づけば、そのカードキーは無効になる」


「そうかい。もう1つ聞いておこう、スミレはどこに連れ去った?」


「ST本社付近で奴らに引き渡すことになっていた。あの女もヴェロニカの眷属にする予定らしい。千両豪樹じきじきの依頼だったよ」


 そう言いながら、サムライはよろよろと立ち上がった。


「うむ、わかってきたぞ。ハハハ、バランサーなしでも勘でどうにかなるものだ。……どうした、早く行け」


「最後の質問だ、お前はこれからどうするつもりだ?」


「まずは修理だな。それが終わる頃にはヴェロニカ暗殺が済んで、再び企業がいがみ合う日常が戻っていることを祈っているよ。そうしたらまた戦おう、アスター」


「……。そうだ、刀を借りていくぞ。すぐに返す」


 そう言ってアスターは、飛燕の護衛兵に突き刺さった刀を抜き取った。サムライは嬉しそうな声をあげる。


「俺の魂を連れて行くと? 良いだろう、お前なら預けるに足――」


 アスターは刀を逆手に構え、跳躍した。重力に従って落下しながら、切っ先をサムライの喉にねじ込む。そのまま体重をかけ、喉から首へ、首から胸の中へと刃を進める。そしてその奥の脳殻を貫いた。串刺しになったサムライは仰向けに倒れ、動かなくなった。


「返したぞ」


 そう言いながらアスターは刀を引き抜いた。


「もう一度借りるが、返す必要はないな」


 アスターは鞘を拾い、納刀した。


 ――スミレと、ヴェロニカ――否、マリーを助けねばならない。マリーはおそらく、千両に操られているだけだ。自分自身が飛燕にそうされたように、記憶を失った状態なら嘘を吹き込んで操るのは容易であろう――アスターはそう考えた。


 飛燕の記憶から、嫉妬の感情が湧き上がってきた。アスターは努めてそれを振り払う。


「……これは、贖罪しょくざいだ」


 自分が惨劇の引き金を引いた。あの時、少女だった飛燕を助けなければ。あんなことを命じなければ。マリーがあんな目に遭うことはなかったのだ。


 そしてマリーは、スミレを歯牙にかけようとしている。止めねばならない。それが今出来る、自分にとっての贖罪だ――目指すは、ST本社。セキュリティーカードがあるとはいえ、ハッカーの支援なしで大企業の本社に突入するなぞ自殺行為。それでも、やらねばならない。やらねば、自分が自分ではなくなってしまう気がした。どんなに無茶であっても。


 アスターは車に駆け出そうとして――脚を止めた。そしてサムライの死体を振り返った。

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