第7話

 車を運転するアスターは、やや不機嫌であった。


「女の『ちょっと』が2時間を指すとは知らなかったよ。そもそもなんであんなにシャワーが長いんだ?」


「貴方って尻穴のシワの1本1本までは洗わないタイプ? 不潔ね」


 そう言って見せるスミレは、清潔感あふれるビジネススーツに身を包んでいた。タイトスカートから覗くほっそりとした脚はタイツに包まれ、独特の色香を醸し出していた。


「……玉袋のシワは洗うが、尻穴は盲点だったな。次から気をつけるよ。ところで昨日チビって小便臭い股ぐらはしっかり洗ったか?」


「誰の顔に押し付けても恥ずかしくないくらいピカピカよ」


「そいつぁ良かった、試したいとは思わんが」


 そう言いつつ、アスターは右手だけでタバコを取り出して咥え、火をつけた。スミレが顔をしかめる。


「ちょっと、私は非喫煙者なんだけど」


「そうとは」


 そう言いながらアスターはさらにもう一本タバコを咥え、火をつけた。猛烈な煙が車内を満たす。スミレは咳込みはじめた。


「……悪かった、私が悪かったから! のんびりシャワータイムを楽しんで悪うございました! お股にシャワー当てて快楽を楽しんで悪うございました!」


「おい、俺はきみの性欲解消のために待たされていたのか!?」


「えへへ」


「えへへ、じゃないんだよ。髪の色だけじゃなく頭の中までどピンクなのか??」

「真っ黒よりはマシじゃない?」


 そう言ってスミレは、ピンク色の髪をさらりと撫でた。本来ならトリートメントの香りがアスターの鼻孔を突いたことであろうが、猛烈な紫煙が遮っている。アスターは舌打ちし、タバコの火を消した。


「……まあ、誰かさんがクソ長いシャワーを楽しんでいたお陰で車の修理が終わったのは、せめてもの救いか」


 アスターの車は、新品と見紛うほどに修理されていた。切り落とされたルーフも元通りだ。楽しそうにシフトレバーを操作するアスターを見て、スミレが興味深そうにする。


「これ、相当古い車でしょう?」


「そうだとも、20世紀に作られたものだ。中身もガワも修理を繰り返して使っているからな、元のパーツなんざどこにも残っちゃいないんだろうが」


「テセウスの船みたいね」


「……驚いた、まさかお前の口から哲学が飛び出すとは」


「バカにしてる? これでも上層アッパーの出身よ」


「まあ、量子コンピュータ研究者の娘が下層出身なワケもないか」


「そういうこと。……で、貴方はどう思う? 全てのパーツが新品に置き換わった船は、元の船と同じと言えるかしら?」


「……同じだろうよ。ようは使用者がどう思うかって話だ。同じように使い、同じように愛せるんなら、そいつは同じものだ」


「不老不死の吸血鬼が言うと感慨深いわね……いえ、不死なのは見たけど不老ではないのかしら?」


「不老不死だよ。……とはいえ、いつから生きているかは覚えていないんだがね」


「そうなの?」


「ハッキリ覚えているのは直近20年間だけだ。それより前は……断片的なんだ。どうにも吸血鬼はな、脳みそをふっ飛ばされるとダメらしい」


 アスターは左手で頭をコツコツと叩いた。


「たぶん20年前、ひどい怪我を頭にしたんだろうな。参ったよ、自分の名前すら思い出せなかったんだからな。周りのヤツに助けて貰わなきゃ、ろくでもない目に遭っていたのは想像に難くない」


 スミレは少し考えてから、訝るように問うた。


「もしかして女の話してる?」


「今の流れで、どうしてそう思った?」


「女のカン」


「……当たりだよ。20年前、右も左もわからなくなっていた俺を助けてくれたのが、飛燕だ」


「なるほどねぇ。長い付き合いなのね」


「色々あってな。腐れ縁というやつだ」


 スミレは色恋だけでなく、罪の香りも感じ取っていた。飛燕は自身のことを女衒の3代目と言っていたが、世襲という意味ではないのだろう。簒奪さんだつでもしたのであろうか? いずれにせよ彼らが話したがらない以上、血なまぐさい闘争があったに違いない。そしてそこに踏み込むほど、スミレはデリカシーのない女ではなかった。ないのは乳と品だけだ。


 ふと、車が渋滞に引っかかった。道は既に地上に出ており、テック企業「ヨコタ」が治める街区に入っていた。


「なんだ、この道が混むのは珍しいな」


「あれのせいじゃない?」


 スミレが指差す先には、街頭モニターがあった。テロップには「大田区でヨコタ社と西日本防衛装備社が武力衝突」とあり、戦闘の映像が流れていた。興奮気味のアナウンサーの声も響いてくる。


『この区域は兼ねてより両社の子会社同士での領有権争いが行われておりましたが、今回ついに武力衝突に至ったわけです……ああっとご覧ください、ヨコタ社の債務奴隷兵が逆襲を仕掛けています! ですが的確に撃ち倒されているように見えます、やはり西日本防衛装備社の歩兵の戦闘力は圧倒的か! 現在の状況ですが……』


 画面が戦況図に切り替わる中、スミレが肩をすくめた。


「転回して、迂回したほうが良いんじゃない?」


 しかしアスターは無言であった。


「アスター?」


 ――アスターの脳裏には、記憶の断片がフラッシュバックしていた。単発銃を構えて突撃する自分。密林の中で、部下に何かを叫んでいる自分。そして……。


「ねえ、聞いてる?」


「……いや、すぐに終わるよ、これは」


「そう? ……あっ」


『ああっと、ヨコタ社が撤退を始めました! 第46工場の維持は諦めたということでしょうか? 市場の反応を見てみましょう、ヨコタ社の株価は……』


「……よくわかったわね?」


「戦況図を見て、俺がヨコタの指揮官なら撤退する、と考えただけさ」


「ふぅん。軍人さんだったの?」


「そうなのかもしれない」


 程なくして渋滞が解消され、アスターは再び車を走らせた。この程度の企業紛争は日常茶飯事だ、復旧も早い。


 マルボウ・エージェンシーの社屋がだんだんと近づいてくる中、スミレはアスターに尋ねた。


「で、作戦は? どうやって潜入するわけ?」


「俺はカメラアイや監視カメラに映らないからな、ある程度はどうとでもなるんだが」


「いまサラッと凄いこと言ったわね、それも吸血鬼の能力? 服まで映らないの?」


「そうだとも、俺が『身につけている』と認識しているものも、カメラに映らない」


「便利ねぇ」


「他にはまあ、モータルより少しだけ力が強かったりするが、その程度だな。……話を戻そう。正攻法でいくなら、こいつを使おう。ハッカーと組む時はいつもそうする」


 アスターは懐から、小指の先ほどの大きさの無線LAN端子を取り出した。


「俺がコイツをセキュリティシステム端末に突っ込む。そうすりゃきみは無線でシステムをハックし、問題なく潜入出来るってわけだ」


「そんな迂遠なことしなくても、もっと簡単な手があるわよ」


 スミレは鼻で笑い、手近な無線LANをジャックしてインターネットに接続、マルボウ・エージェンシーのセキュリティシステムにアタックを仕掛けた。


 だがものの数秒で、仏頂面になって首を振った。


「……セキュリティはスタンドアローンになっているわね、これ。外部からは触ることも出来ない」


 アスターがゲラゲラと笑った。


「まぁ流石に警察企業ってことだ。そう簡単にはいくまいよ……」


「ふん。でも門衛の受付システムはハックできたわ。ちょっとだけ守りが固かったけど、どうってことない」


「……なんだって?」


「私は商談に来たクライアントってことで登録しておいたから、貴方は頑張って潜入してね?」


「クソったれ、俺も登録しておいてくれよ」


「良いでしょう、やってあげる……ちょっと待って、面白い来賓があるわね」


「なんだ?」


「STの重役が来ているわ。といっても正門からじゃなくて、屋上のヘリポートからの入館ね。随行員の数は不明。ともあれ社長さんとご商談のようね」


「そいつは興味深い……だが今回ボーナスが出るのはマルボウ・エージェンシーの重役クラス暗殺に対してだけだ、STの重役を狙う理由がない」


「重役には当然、社長も含まれるでしょ? そのついでよついで」


「大金星を狙えってか? ダメだね、商談中とあれば当然ながら守りも固いだろうよ」


「むぅ」


 スミレの考えはこうであった――センリョウ・テックの重役を捕らえて尋問すれば、母親の居場所を聞き出せるかもしれない。そこまで行かなくとも、センリョウ・テック本社に物理的に侵入する手立てを聞き出せるかもしれない、と。


 しかしアスターの言う通り、大企業の重役ともなれば警護も密。自分の我儘でアスターの身を危険に晒すわけにはいかなかった。潜入してみて可能そうならば、提案する。その程度にとどめておくことにした。


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