第8話

 アスターとスミレを乗せた車は、マルボウ・エージェンシー本社の駐車場へと滑り込んだ。門衛に呼び止められたが、スミレが登録しておいた偽名と来賓番号を告げると、すんなり通されたのだ。


 車から降りて伸びをしながら、スミレが得意げにアスターを見た。


「楽勝でしょ?」


「きみの腕前はよくわかったが、これからが本番だぞ。これじゃあまだ『来賓が通れる場所』までしかたどり着けない」


「セキュリティシステムを黙らせないと、ね」


 2人はエレベーターホールへと向かい、エレベーターを呼んだ。幸いにして、やってきたそれは、空であった。乗り込んでから、スミレは視線を上げずにつぶやく。


「アスター」


「わかってる」


 アスターは背伸びし、無線LAN端子を持った右腕を天井の隅へと伸ばした――そこには監視カメラがあった。ジャックに端子を差し込み、カメラに向かってピースをしてから、スーツの襟を直した。


「楽勝だな」


「セキュリティ担当者だって、まさか透明人間が居るとは思っていないでしょうからね」


「違いない。で、首尾は?」


 アスターがそう問いながらスミレを見ると、彼女の眼内ディスプレイには高速で文字列が流れていた。


「うーん、流石に守りが固い……中々開かない肛門みたい」


「嫌な例えだな!」


「……でも」


 エレベーターが1階に到着し、ベルが鳴った。それと同時、スミレが口角を釣り上げた。


「はい、開いた。これでもう何をブチこむのも自由、ガバガバよ」


「その汚い穴に突入するのは俺たちなんだがね」


 2人はエレベーターから降りながら、話し続ける。


「内部構造もわかったわ、上層のデータサーバーに向かうには乗り換えが必要ね。ついてきて」


「仰せのままに」


 2人は受付を通り過ぎ、「関係者以外立ち入り禁止」と書かれた扉のところまで歩く。扉の横にはカードリーダーと虹彩認証システムがあったが、2人が前に立つより先に『解錠』と音声が流れた。スミレが遠隔で操作したのだ。


 アスターが扉を開けてやり、2人はその先に続く廊下を歩く。突き当りにエレベーターがあり、丁度その扉が開いた。


 中にはトレンチコートを着込んだ、いかにも刑事といった風体の男が乗り込んでいた。彼はスミレを見るなり、目を丸くした。対するスミレ口元に手を当てる。


「ゲッ」


 刑事は驚いたのもつかの間、つかつかとスミレに歩み寄ってきた。


「スミレちゃん、スミレちゃんじゃないか! 急に連絡が途絶えたから心配して……いや待て、何故きみがここにいる? ここは関係者以外立ち入り禁止だぞ? 隣の男も何者だ?」


 睨まれたアスターは肩をすくめてスミレに尋ねる。


「知り合いか?」


「傷心の私に言い寄ってきたデカマラ刑事デカ。やっちゃって」


「あいよ」


 刑事が剣呑な会話を警戒し、腰のホルスターに手を伸ばすよりも早く、アスターの蹴りが飛んだ。そのつま先が刑事の股間にめり込む。さらに悶絶し膝をついた刑事の首に肘打ち。刑事は気絶した。


 アスターは金的に使ったつま先を床にトントンと打ち付けながら、片眉を釣り上げた。


「なるほど、確かにご立派だった」


「でしょ。まあテクは最悪で宝の持ち腐れだったけど。……さてどうしましょうかコイツ」


「霊安室とかはないのか?」


 スミレは眼内ディスプレイに見取り図を表示させ、頷いた。


「地下ね。なるほど駐車場と隔壁を挟んで隣にあるわけか」


「じゃあそこに捨てていこう」


 2人はエレベーターに乗り込み、気絶デカマラ刑事を霊安室に投げ入れ、それから上階へと向かった。


 エレベーターボックスの壁に寄りかかったスミレが、得意げに笑う。


「ちょっと聞きたいんだけど、他のハッカーさんと組んだ時と比べて、どれくらいスムーズに仕事が進んでいるかしら?」


「並のハッカーなら、ここまでたどり着くまでに30分はかかっていただろうね。そしてそれだけ時間がかかれば、セキュリティ担当がハックされていると気づくリスクも高まる。……正直言えば信じられないほどスムーズだ」


 アスターはニヤリと笑った。


「ただしデカマラ刑事の件は予想外だったけどな」


「その件は忘れて。とにかく、飛燕にも私の活躍ぶりを伝えておいてね。私の報酬単価を上げるために」


「良いだろう、きみの技能にはそれだけの価値がある」


 アスターがそう言うと、スミレは僅かに目を伏せた。アスターは不思議に思ったが、問うよりも先にエレベーターが目的階に着いてしまった。


 降りてすぐのところに隔壁があり、その左右に2人の警備員が立っていた。両者ともアサルトライフルを持っている。彼らは同時にスミレを見て敬礼した。


「入室許可証をお見せください」


「はいはい、今取り出すから……」


 スーツのポケットを漁るスミレを、警備員たちはじっと監視していた……アスターのことはまるで見ていない。


 それもそのはず、警備員たちの両目はカメラアイに置換されていた。これは暗視システムや照準補正システムが搭載された、企業の警備員や兵士にとって必須のサイバネティクスであったが――ことアスターに対しては、仇になった。


 彼は懐からナイフを取り出しながら警備員たちに歩み寄りつつ、視線をちらりと天井に向けた。監視カメラがあった。


「あの監視カメラをどうにかしてくれ」


「もうやった。直近30分の映像をループにして流しているわ」


 虚空から聞こえてきたアスターの声、それと会話するスミレに対し、警備員たちは動揺した――その隙に、アスターは彼らの首をナイフで掻き切ってしまった。警備員の死体から抜き取ったハンカチでナイフの血を拭いながら、アスターはスミレにウィンクした。


「やっと仕事らしい仕事が出来て嬉しいよ」


「お疲れ様。……なるほどね、こういう警備だとハッカーだけじゃ突破出来ないわけね」


「だからこそハッカーと武力担当スラッシャーが組むのさ。さ、隔壁を開けてくれ」


 スミレは隔壁のロックを遠隔解除した。隔壁が自動で左右に開いてゆく……その先に、フロア一杯に並んだサーバー群があった。その中心部に椅子とモニターが並んだ場所があり、そこに数人の男女が座っていた。サーバーの電脳作業員だろう。全員、うなじのあたりからコードを伸ばしている。意識は完全に電脳世界に飛ばしているようで、アスターとスミレに気づく様子はない。


 アスターはリボルバーをくるくると弄びながら、スミレに問う。


「どうする?」


「なにが?」


「ハッカーの中には、相手の脳みそを焼き切るのが趣味の奴もいる。今なら直結して焼けるぞ」


「私がそんなに悪趣味に見える? 直結して楽しいのは粘膜だけよ」


「それは同意出来るな」


 アスターは機械的なテンポで、作業員たちの頭を撃ち抜いていった。ゆっくりと再装填しながら、スミレに目を向ける。


「じゃあ、あとはきみの仕事だ。サーバーを破壊してくれ」


「データふっ飛ばせば良いのよね、わかった」


 スミレは自身のうなじと適当なサーバーの1つをコードで繋いだ。眼内ディスプレイに文字列が流れてゆく。


「……プロテクト突破。最高のデータ削除プログラムを流し込んだわ」


「データ削除プログラムに良し悪しがあるのか?」


「今流し込んだのは、ポルノ画像を無限複製するプログラム。元あったデータをポルノ画像で書き換えるってワケ」


「ハハハ、そいつは傑作だな!」


「でしょ。これだけの規模だから削除しきるのに数時間かかるでしょうけど、完全自動化プログラムだから、もうここを離れても大丈夫よ」


「そいつは何より。……あっさりと終わったもんだ。ボーナスを狙ってみてもいいかもしれんな。手近な重役の位置はわかるか?」


「複数人いるけど……あっ、見て」


 スミレはモニターの1つを指さした。彼女はそこに、ハックした監視カメラの映像を流した。応接室なのであろう、無骨だが品のよい調度品に囲まれた部屋で、仕立ての良いスーツを来た男たちが談笑していた。


 画面が切り替わり、その部屋の外の監視カメラの映像が流れる。応接室の扉の前に2人の警備員が立っている。


「最上階の応接室でマルボウ・エージェンシーの社長と、STの重役がご面談中。警備は見ての通り、2人だけね」


「ふーむ、案外守りが薄いもんだ……まあマルボウ側はわかるよ、そこまでたどり着ける奴なんざ居ないと踏んでいるんだろうさ。だがST側は妙だな、護衛はゼロか? 普通、見栄のために1人くらいは連れて行くもんだが」


 スミレは次々と監視カメラの映像を切り替え、モニターに映し出してゆく。だがどの部屋にも、センリョウ・テックの護衛と思しき者の姿は無かった。


「そのようね。ちょっと待って、屋上のヘリを確認するわ……ダメね」


 屋上ヘリポートに駐機されたヘリの映像がモニターに出るが、ヘリのガラスはスモークがかかっており、中に人がいるのかどうか判別出来なかった。アスターは唸る。


「まあ仮にヘリの中に兵士が居るとして、俺が暗殺を実行してから駆けつけることになるわけか。随分とザルな警備だ……あるいはマルボウ側のメンツを立てたのかもしれんな。よし」


 アスターはリボルバーの動作確認をし、それから目を細めた。


「やるか。……きみの考えはこうだ、マルボウの社長を暗殺してボーナスをゲット。ついでにSTの重役を捕虜にすれば、お母上の情報が手に入るかもしれない。そう踏んでいる。違うか?」


 スミレは頬を膨らませた。


「なによ、わかっているんじゃない」


「ハハハ、だがこの状況なら実行に移すのもやぶさかではない。俺だってカネは欲しい、車の修理で財布がすっからかんだからな。……やるか」


「ええ」


 2人はサーバールームを出ると、エレベーターに乗り込んだ。目指すは最上階。

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