第3話
スポーツカーもどきは迷路のように複雑に枝分かれする下層の道を走っていた。アスターは迷いなくハンドルを切り、どんどん奥へと進んでゆく――やがて少し開けた空間に辿り着くと、路肩に車を停めた。すると銃を持った男たちが物陰から現れ、アスターに声をかけた。
「やあ、誰かと思ったらアスターさんか。車が違うから警戒していたんですよ……って、ひどい怪我じゃないですか!?」
「かすり傷だよ、ほらピンピンしているだろ? それより、車を修理に出しておいてくれないかい。それも特急でだ、俺より大怪我しているんだからな」
「え、ええ、わかりました……ところでそちらの美人さんは?」
男はスミレの顔に目をやって、それから胸を見て口笛を吹いた。
「客人だ。もしかしたらきみたちの仲間になるかもしれない」
「ヒュウ! そいつぁご機嫌だ!」
スミレがアスターに抗議する。
「ちょっと、レジスタンスになるなんて言ってないけど?」
「働かざる者食うべからずって知っているか? 匿ってもらうなら対価が必要だろう。それとも他に行くアテがあるのか?」
「……ないけど」
「なら選択肢はないし、俺からもオススメするよ。ここのレジスタンスは……他より相当マシだ」
「信じる他ないようね……」
アスターはレジスタンスの男に手を振り、スミレを連れ立ってレジスタンスの拠点奥へと進んだ。そこは細長い通路で、錆びた鉄製の扉がいくつも並んでいる。
「吸血鬼だってこと、他の人には内緒にしているの?」
「そりゃそうだ、好き好んで化け物だと知られたくはない……とはいえ、知っているヤツもいる。今から会う相手さ」
アスターは扉の1つをノックした。すると「入りな」と女の声が返ってくる。
扉を開けると、いかにも事務所、といった体裁の風景が広がった。その奥で、年の頃は30代後半であろうか、右目を黒い眼帯で覆った女性が書類とにらめっこしていた。彼女の体格は屈強で、事務方というよりは歴戦の兵士といった印象であった。だが顔立ちは野性的な美しさをたたえており、女豹のような印象を受ける。そのバストは平均的である。
部屋と彼女の様子を見て、スミレが目を丸くした。
「驚いた、まだ紙を使っているの?」
すると女性がニヤリと笑い、書類から目を離してスミレを見た。
「ローテクも良いものさ。こればかりは忌々しいハッカーも、ペンを持たにゃハック出来ないんだから」
「随分と嫌われたものね」
「ふむ?」
アスターが咳払いする。
「こいつはスミレ、STのメインサーバーからデータを引っこ抜いた……と自称するハッカーだ。奇縁で拾っちまったんだが、そちらで預かれないかね」
「STから? にわかには信じがたいね」
「俺もそう思っていたが、こいつは俺の眼の前でSTのドローンをハックしてみせたよ。しかもポータブルデバイスでな」
「本当に? ……アスター、アンタことは信頼しているけど……」
「わかるよ、証拠が必要だ。スミレ」
促されたスミレは、数少ない荷物の中からデータチップを取り出し、女の机の上に置いた。
「抜き出したデータはこれに入っているわ」
「……見せてもらうよ」
女は自らの首筋に生体LANジャックに、データチップを差し込んだ。暫く遠い目をしてから、データチップを抜き取った。
「驚いた。本社の見取り図、警備状況のデータ、戦闘ドローンの仕様書、収監されている重要人物のリストなんてのもある。真偽はうちの能無しハッカーどもに精査させるとして、本物だとすれば大したもんだよ」
「……収監されている重要人物リストの中に、母の名があるの」
「それがこんな大層なことをやってのけた理由かい。だがツメが甘く、逆探知されてSTに追われるハメになった。そんなところかい?」
スミレは悔しげに頬を膨らませたが、アスターが彼女の肩に手を置き「そこで提案だ、こいつをレジスタンスに加えて匿ってやってくれないか」と言った。
「ふむ、優秀なハッカーは不足している……実力が本物ならの話だが、良いだろう」
女はそう言ったが、スミレはアスターの手を振り払って首を横に振った。
「レジスタンスになるなんて御免よ。私の目的はSTから母を取り戻すことだけ。貴女たちがSTだけを標的にしているなら別だけど、そうじゃないんでしょう? 関係ない企業との戦いに命を賭けるなんてまっぴら御免だわ」
「おいスミレ、冷静に考えろ。匿ってもらう対価としては仕方ないだろう?」
アスターはスミレのやけに挑戦的な態度を訝しみながらそう宥めるが、スミレは女から目を離さない。
「そのデータチップ内の情報だけで、私1人を匿って余りあるほどの価値があるはずよ。欲しがる企業だって多いでしょうしね。……貴女からは
女は不敵に笑い、興味深そうにスミレを見つめ返した。
「ご明察だね、アタシは女衒さ。それも3代目のね。……自己紹介が遅れたね、アタシは
「最低ね」
「必要悪さ。花売り娘の後ろに銃を持った男が居なけりゃ、客はカネなんて払わないんだからね。それとも
この時代の警察は民営化されており、企業支配地域であれば支配企業が警察企業と契約を結んでいるため治安が確保されているが、そうでない場所――下層に警察は存在しないのが普通だ。どうしても警察の庇護が受けたければ、個人で警察企業と契約を結ばねばならない。もちろん、下層民――貧困層に支払えるような契約料金ではない。
「……動かないでしょうね」
「であればアタシが花売りどもに提供する価値は理解出来たわけだ。アタシは企業連中から花売りどもを守ってやれる。そしてアンタも守る側に加われば、安全な宿を提供してやれる。悪い話じゃないだろう?」
「流石に話が上手いわね女衒さん、でもダメよ。私の価値は、安全な宿程度じゃ釣り合いが取れない。少なくとも私がそう思っている以上、レジスタンスに加わったとして、それ以上の働きをするつもりはない」
「……それで話が終わりでないんなら、続けてみな」
「私の能力をフルで使いたいなら、私を傭兵ハッカーとして雇いなさい」
「驚いた、宿だけじゃなく賃金まで寄越せって言うのかい!」
「STのメインサーバーに侵入できる人材よ? 量子コンピュータの守りを抜けるハッカーなんて他にいるのかしら? レジスタンスどころか、STと敵対している企業だって欲しがるでしょうね。敵にそんな人材を渡したいのなら、断れば良いわ」
スミレと飛燕は暫しの間、睨み合った。飛燕の隻眼から発せられる怒気は凄まじいものがあったが、スミレは耐えきった。……やがて、飛燕がゲラゲラと笑い始めた。
「なるほど、肝の座った小娘だ! ……チビってなければ満点だったんだけどね?」
「……愛液よ。ゾクゾクしちゃったの」
スミレの小刻みに震える脚は、じっとりと湿っていた。
「フン、そういうことにしておいてやろう。さて、このデータチップは当面の宿代として買い取ってやる。ただし電気・水道・空気料は請求させてもらうよ。それにメシ代も自分で稼ぎな」
「勿論それに足るだけの仕事は回して貰えるのよね?」
「保証しよう、ウチの能無しハッカーどもに代わってやってもらいたい仕事は山程ある。……契約書は後で届けさせる、これがアンタの部屋の鍵だ」
飛燕はサビの浮いた鍵を床に投げた。スミレは舌打ちしながらそれを拾い上げ、アスターを睨んだ。
「素敵な仲介をありがとう、お陰で素敵な雇い主が見つかったわ。さて、成約祝いに朝食を奢って頂けるかしら?」
「構わないとも」
肩をすくめるアスターに、飛燕が声をかけた。
「ついでだ、ここの案内をしてやっておくれ」
「俺もレジスタンスメンバーじゃなくて、一応は傭兵だってことを忘れてないかね、飛燕?」
「おや、そうだったかい?」
「
「不老不死に言われても嫌味にしか聞こえないよ……冗談だ。新米同業者として面倒を見てやりな。それなら出来るだろう?」
「わかったよ」
アスターとスミレが退室し、扉が閉まる。飛燕は遠い目をして扉を見ながら、タバコに火をつけた。紫煙を吐き出しながら、ぽつりとつぶやく。
「お人好しは相変わらずだね」
◆
アスターはスミレに割り当てられた部屋を案内する道すがら、彼女に問いかけた。
「……まさか傭兵ハッカーになるとはね。そんなに飛燕が信用出来なかったのか?」
「あの女が信用出来ないのは確かね」
「悪い奴じゃあないんだがなぁ」
「騙されてるわよ、絶対に。……それは置いておくとして、本当の理由は、彼女らレジスタンスにSTを攻める気がないと察したからね。私を絆したければ『いつかSTを攻撃する』とでも言えば良いものを、匂わせすらしないんだから」
「仕方ないさ、今レジスタンスに足りていないのは武器弾薬なんだ。STみたいなテック企業よりは、純粋な軍需企業のほうを狙って武器弾薬を直接略奪するほうが利が大きい」
「そうなんでしょうね。……だからママを救出するのに、レジスタンスは使えない。となれば、私自身で兵隊を用意してSTを攻める必要がある」
「ほう?」
「私が傭兵を雇う。そのためにはお金が必要、そうでしょ?」
「……ふふ、ははは!」
アスターは心底愉快そうに笑った。バカにしているのではなく、スミレの剛毅さに感服しての笑いだ。
「なるほど、傭兵を雇うために傭兵になって稼ぐ、か。良いね。……だがSTは大企業だ、並の傭兵じゃビビって手を出さないだろうさ」
「貴方もビビって手を出さないクチ? ヴェロニカにはそう言っていたわよね、ちっぽけな傭兵さん?」
「あれは相手を騙すための方便さ。……俺が依頼を受ける時の判断基準は3つある。カネと成算、そして雇い主を気に入るかどうかだ」
「ふぅん。じゃあ現状、気に入られる点についてはクリアってわけね」
「自己評価高すぎないか??」
「私が気に入られないわけがない。こんなに善良清楚な美女が他にいて? しかも胸も大きい」
そう言ってスミレはアスターの腕を取り、自身の虚乳に押し当てた。アスターは顔をしかめる。
「美女以外は全て嘘だろうが。……ッ」
アスターは目眩にでも襲われたかのように額に手を当て、スミレの腕を振り払った。気遣わしげにスミレが眉をひそめる。
「どうしたの?」
「……少し血を失いすぎただけだ。だが問題ない、案内を続けよう」
「そう? 無理はしないでね?」
そうこう話しているうちにスミレに割り当てられた部屋にたどり着き、次は食堂へと向かうことになった。部屋のあるフロアから階段を上がってすぐ、無数のテーブルが並んだフロアに出る。
そしてフロアの奥にはバーカウンターが併設された調理場があった。アスターは傷だらけの木のカウンター席に腰掛け、安っぽい電飾で彩られた掲示板を指差す。
「好きなのを頼むと良い」
促されて掲示板を見たスミレは、目を丸くした。
「意外とマシなメニューじゃない。レジスタンスなんて聞いていたから、錆びた缶詰が出てくると思ってたわよ」
「食品企業の重役とネンゴロになった娘がいてな、食料は新鮮なものを仕入れられるのさ」
「セックス・ビズの恩恵ってワケね。じゃあ店主さん、チキンブリトーとビールを頂戴」
アスターがカウンターに代金を置くと、無愛想な店主が頷き、冷凍チキンブリトーを電子レンジに突っ込んだ。
それを見届けたアスターは席から降りた。その表情には消しきれない苦悶の色が浮かんでいた。
「さて、エスコートはここまでだ。俺は眠くてたまらん、悪いがお先に失礼するよ」
「ねえ、本当に大丈夫? 部屋まで付き添ってあげましょうか」
そう言ってスミレが伸ばした腕を、アスターは恐れるように振り払った。
「……すまない。大丈夫……大丈夫だ。寝れば治る。昼が明けたらまた話そう、傭兵としてのイロハを教える」
アスターはそう言って、ほとんど逃げるようにして去ってしまった。
「ヘンなの、急に思春期の男子中学生みたいな態度になったじゃない」
ぽつんと取り残されたスミレはそう呟きながら、店主が冷蔵庫から出してきた瓶ビールを呷った……彼女の右隣の席に、若い男がどかっと腰を降ろした。顔は煤で汚れ、安っぽい防弾ベストを着込んでいる。
「ヘイ彼女、新入りかい? こんな朝に1人で飲むのは寂しいだろ。俺たちと一緒に呑まないかい?」
「俺たち?」
スミレの左隣の席に、もう1人若い男が腰を降ろした。ぼろぼろの迷彩服を着ている。
「俺たち歩哨明けでさぁ、一杯やろうと思っていたところなのよ。そうしたら知らない顔のコがいたから、親睦を深めようと思ったワケ」
「へぇ」
失敗したな、とスミレは思った。まだ着替えていなかったので、彼女は未だにキャミソールとドスケベパンツのみという出で立ちであった。男たちの視線はキャミソールから覗く虚乳や、すらりと伸びた白い脚へと注がれている。
スミレは「身体つきは悪くないけど顔が好みじゃないなぁ」などと考えながら戦闘員たちのナンパをのらりくらりと躱していると、筋骨隆々の大男が近づいてきて、戦闘員たちを叱りつけた。男にしては妙に高い声で。
「ちょっとアンタたち、やめなさいよ! 彼女困っているじゃない!」
「なんだよアサガオ、俺たちは親睦を深めようとだな……」
「それが迷惑だって言っているのよ。歩哨明けのクッサい男に囲まれて良い気分になる女がいると思っているわけ? ……アタシは好きだけど」
「やめろ、お前に掘られるくらいならマスかいて寝たほうがマシだ!」
戦闘員たちはビール瓶を持ったまま、そそくさと立ち去っていった。オカマの大男はため息をつき、眉をハの字にしてスミレに謝った。
「ごめんなさいね、不躾な奴らで。でも悪い奴らじゃないのよ」
「まあいきなり胸を揉みださないあたり、多少は好感が持てたけど。……助けてくれてありがとう。あなたとなら美味しい酒が飲めそうね?」
「そう言ってもらえて嬉しいわ。私はアサガオ。花売りの1人よ」
「……驚いた、戦闘員じゃないのね」
「戦闘員でもあるわ。まあ射撃はからっきしだから、運転手程度だけどね」
アサガオは笑い、自分の筋骨隆々の二の腕を叩いた。スミレの隣に腰を降ろしてビールを注文すると、店主は慇懃に頭を下げ、冷蔵庫の奥からビールを取り出してグラスに注ぎ始めた。
「意外かもしれないけど、男娼にも需要はあるのよ。ここに食料を卸している企業の重役と寝ているのもアタシ」
「あなたが? やり手なのね」
「いつの間にかベテランになっちゃったわ。そういうワケだから、ここのコトなら何でも聞いて頂戴。新入りさんでしょ?」
「新入りの、傭兵ハッカーね。お世話になるわ。早速いくつか聞きたいんだけど……」
スミレとアサガオは談笑を始め……3時間が経った。赤ら顔のアサガオが、ビール瓶をカウンターに叩きつけながら吠えていた。
「――そうしたらあの男、なんて言ったと思う? 『俺がいなくて寂しかっただろう』ですって! 他の花売りにコナかけておいて!」
「最低のクソ野郎ね! そういう男に限ってチンポが粗末なのよ!」
「実際その通り! だからアタシね、言ってやったのよ」
店主が困り顔で、アサガオの肩を叩いた。
「すみません、もう閉店なので……」
「あらやだ、迷惑かけちゃったわね! 御免なさいねスミレちゃん、また今度話しましょ!」
「勿論! 今度は私が奢るわ!」
スミレはふらつく足取りで自室に向かおうとし……見かねたアサガオに付き添われ、あてがわれた自室のベッドに寝かされた。彼女は結局22時まで寝込み、恐ろしい二日酔いに悩まされることになった。
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