第2話

 スミレの部屋があるマンションに向けて、オープンカーもどきが走る。先程よりもずっと機嫌の悪そうなエンジン音を鳴らすオープンカーもどきを指して、スミレが笑った。


「今更だけど、素敵なオープンカーね?」


「実を言えば、それについての愚痴を言いたかったんだ。そんな夜だったのさ」


「私を拾った理由はそれね。で、どうしてこんな有様に?」


「サムライに斬られた」


「……は? サムライ? サムライってあれでしょ、朝7時の成人向けアニメとかに出てくるやつ」


「今の成人向けアニメはそんな時間にやっているのか?」


「そりゃそうでしょ、じゃないと流せないんだから。……朝はしっかり寝るタイプのようね?」


「当たり前だ、太陽嵐を浴びたいとは思わない」


「私だってそうよ、死にたくないもの。……で、本当なの? サムライに斬られたって」


「本当さ。ちなみにサムライってのは傭兵としてコードネームだ。その名の通り、刀を使う……バトルジャンキーだ」


「ふぅん。どの企業とやりあって、そのサムライと戦うハメになったの?」


「西日本防衛装備社」


 アスターは、戦車や戦闘機などの生産を手掛ける軍需企業の名を挙げた。


「ああ、自衛軍の成れの果て……使う傭兵まで懐古主義なのね」


「もともと気に入らん連中だったが、愛車をぶった斬られてさらに嫌いになったよ……さて、ここだったな」


 スミレが走ってきた脇道にたどり着き、アスターは車を停めた。脇道は車が走るのに十分な幅があったのにも関わらず、だ。スミレが文句を垂れる。


「ドア・トゥ・ドアはエスコートの基本でなくて?」


「あの悪漢どものお仲間がまだ居るかもしれないだろ。車の音を聞かれて警戒されたくはない」


「なるほどそれもそうね、イきかけのマゾ男みたいなエンジン音が聞こえたら誰だって注目するわ」


「次にその下品な例えで俺の愛車を侮辱したら、亀甲縛りにしてSTに引き渡してやる」


「なんてこと、緊縛プレイは勘弁ね。慎みましょう」


「……無駄話は終わりだ、案内しな」


 促されたスミレはアスターを先導し、自室のあるマンションへと歩き出した――それはなんの変哲もない10階建てのマンションで、朝を間近に控えた午前4時という時間にふさわしく、ほとんどの部屋の窓は防磁・防放射線シャッターで締め切られていた。


 生体認証を済ませてエントランスをくぐり、2人はエレベーターに乗り込んで10階へと上がる。スミレはアスターを角部屋へと案内した。


「ここよ」


「ふむ……」


 スミレの部屋の扉を前に、アスターは耳をそばだてた。


「……よし、誰もいないな。入ったらメモリーチップと……それから財布と、数日分の着替えだけ用意しな。大急ぎでだ」


「楽しい旅行の準備ってわけね?」


「どちらかと言えばお引越しだ。またSTに襲われたいなら、ここに住み続けても構わないが」


「毎晩悪漢に襲撃される物件は御免ね。わかったわよ」


 スミレとアスターは玄関をくぐり、リビングの扉を開けた……瞬間、スミレではない女の声が響いた。


「――あら、先行させた肉人形たちがやられてどうしようかと思ったけど、自分から戻ってきてくれるとはね」


「!?」


 アスターは咄嗟にスミレを押しのけ、リボルバーを抜き放った。その銃口の先、窓辺に座る女はくすくすと笑った。銃を向けられているというのに、それを気にかけた様子もないのが異様であった――そして姿も異様であった。


 よく櫛を通した滑らかな金髪を白黒の頭巾で覆っているのは修道女のようであるが、肢体を包むのは黒の巫女装束。首元には数珠が光る。そして手には金色に輝くリボルバーが握られており、そのシリンダーには経文が彫り込まれていた。


 そのような衣装だというのに、彼女は神職にあるまじき色香をたたえていた。柳のような細眉の下に、蕩けるような視線を送る。ぽってりとした唇は肉感に富んでいる。極めつけは、巫女服からはみ出さんばかりのバストであった。


 それはまるで、豊かに実った小麦を熟練の粉挽きが滑らかに挽いて作った小麦粉を、白いかいなの女神が丁寧に捏ね上げ、愛と色欲の炎でふっくらと焼き上げた白パンのようで、しかも絹のような肌地には惜しげもなく蜜が塗り込まれ、見る者は垂涎を禁じえない――そのようなバストであった。


 宗教ごった煮女はそのような素晴らしいバストを惜しげもなく揺らしながら窓辺から降りると、アスターに微笑みかけた。


「――でも御免なさいね、スミレちゃんはウチの社長と遊ぶ予定があるのよ、間男さん」


「そうなのか?」


 アスターがスミレに問うと、彼女はふるふると首を横に振った。


「そんな約束をした覚えはないわね」


 宗教ごった煮女はくすくすと笑う。


「あら、うちのデータサーバーにちょっかいをかけたのは、熱烈なアプローチじゃなかったのかしら?」


「おたくの社長って、声をかけてきた女性全員に『俺に気があるのか?』とか思っちゃうタイプ? ならハッキリ教えてあげたほうが良いわよ、若い女がオッサンに好意持つなんてあり得ないから」


 アスターは「そうなのか?」とショックを受けた様子であった。宗教ごった煮女は残念なオッサンその2に目を向ける。


「さて、間男さん……可愛い肉人形たちを殺したのは貴方かしら。なら落とし前はつけなきゃね」


 女がパチンと指を鳴らすと、物陰に隠れていたのであろう、4機の戦闘ドローンが姿を現した。それぞれサブマシンガンを積んでいる。


 アスターは早撃ちで倒せないか吟味し……諦めた。狭い室内にサブマシンガンの弾幕を展開されてはうまくない。それに女だってリボルバーを持っているのだ、、と踏んだ。


 アスターは申し訳無さそうな笑みを浮かべた。


「あー……待て、ちょっと待て。美女を救ってあわよくば一晩の夢を……なんて考えて、事情もわからずコイツを拾った俺も悪い。だがおたくの肉人形さん? も急に銃をぶっ放してきたんだぜ。反撃したのは正当防衛の範疇はんちゅうだろう。悪意はなかったんだ」


「あらあら、息子さんに従ってオイタしちゃったのね」


「そういうことだ……正直後悔しているよ、実を言えば俺は巨乳派なんだ。今はこの膨らみに乏しい女を捨ててあんたと寝たい気持ちで一杯だが、先約があるって言うなら、今夜は大人しく帰るよ。見えないかもしれないが、息子も頭を下げて謝っている。見逃してくれないかな?」


 スミレがアスターの尻を蹴って抗議した。


「ちょっと!? ここで私を見捨てるわけ!?」


「すまんな、本当にすまん。俺はちっぽけな傭兵なんだ、大企業とコトを構えたくない」


「はぁ~~!? 傭兵ですって、笑っちゃうわ! なーにが『よし、誰もいないな』よ、いたじゃない! 索敵も出来ないクソダサ傭兵として生きていくより、美女を救って死んだ方がマシとは思わないわけ!?」


「死体にキスされても嬉しくないし、勝って生き残っても……ほら、オッサンってモテないんだろう? やる気失くしちゃったよ」


「……貴方のことは好きよ。私のことを助けてくれたし、白スーツも似合ってる。赤い瞳に見つめられると濡れちゃいそう」


 勿論嘘である。


「うーむ……残念だ、本当に残念だ。きみが巨乳だったなら、信じても良いかなと思ったんだが」


「最ッ低! ならなってやるわよ、巨乳!」


 スミレはずかずかと歩き、ソファーの上に乱雑に投げ捨てられていたものを拾った。それはスミレが着用するには巨大すぎるブラジャーと、胸パッドであった。


 スミレはブラジャーを着け、自身の胸とブラジャーの間に空いた巨大な虚空に胸パッドを押し込みながら、アスターを睨んだ。


「どうよ」


「……」


「ふん、あからさまな偽乳だって思っているんでしょ。でも見てなさい、これには凄い機能があるんだから」


 スミレは胸パッドに仕込まれていたケーブルを伸ばし、自身の首筋の生体LANジャックに差し込んだ。次の瞬間、ホログラムなのだろう、胸パッドの周囲に本物と見違えるような肌のテクスチャが浮かび上がった。スミレ自身の肌との継ぎ目すら認識できない、高度なホログラムであった。今やスミレはJカップになっていた。


 虚影の巨乳、虚乳の完成であるが、タネを知らなければ本物と見違えていたことであろう。惜しむべきは、目の前でタネを明かしたことであった。アスターは「ああ、やっぱりこいつは残念な女」だと再認識した。


「どうよ」


 スミレはアスターにドヤ顔をしてみせるが、アスターは哀れみの視線でスミレを眺めていた――否、彼はスミレの視線の異変に気づいた。彼女の瞳、眼内ディスプレイに高速で文字列――プログラムコードが流れていた。しかも彼女は、チラチラと戦闘ドローンを見ている。


 宗教ごった煮女はため息をつき、アスターへと問いかけた。


「……で、どうするのかしら傭兵さん。偽乳に命を賭けるのかしら?」


「無理な話だな」


「でしょうね。……見逃してあげる、無駄な殺生は好きじゃないのよ」


「真の巨乳は性格も良いんだな、感謝するよ」


 アスターはくるりと背を向けて、退出しようとする――その後頭部へと、宗教ごった煮女はマニ車リボルバーを向けた。その瞬間。


 ばちん、と音がして戦闘ドローンたちが墜落した。


「なっ……」


 宗教ごった煮女は動揺し、アスターから視線を逸してしまった。その隙を逃さずアスターは振り向き、女の手首を撃った。手首が千切れ飛び、マニ車リボルバーごと床に落ちる。


「形勢逆転だな?」


「ッ、どういう仕掛けかしら……? 電磁パルスEMP?」


 これに答えたのはスミレであった。


「ハッキングよ、駄肉女」


「あり得ない……事前にこの部屋のコンピュータはオフラインにしておいたのよ。それにポータブルデバイスなんてどこにも……」


 スミレは自身の虚乳をとんとんと叩いた。


「……まさか」


「そうよ」


 先程スミレがそこからケーブルを伸ばし、自身の生体LANジャックと接続していた胸パッド。――それこそがポータブルデバイスになっていたのだ。だが宗教ごった煮女は納得がいかないようだ。


「あり得ない、ポータブルデバイス程度の能力でうちのドローンをハックするなんて!」


「天才ハッカーにかかれば出来ちゃうのよねぇ、それが。……テックと虚乳に負けたのよ貴女は。駄肉を抱いて死になさい、雌豚。アスター、やっちゃって」


 スミレは勝ち誇った顔で顎をしゃくるが、アスターはぽりぽりと頬をかいた。


「あー……ノリノリのところ悪いが、こいつは捕虜にする」


「はぁ? なに、尋問と称してスケベするわけ? エロ同人みたいに?」


「その手の性癖はない。……STのエージェントの身柄は使い道がある」


 アスターは宗教ごった煮女に近づこうとして、目を細めた――女の手首からの出血が、止まっていた。圧迫止血程度で? ナノ止血ボットか?


 そう思考した間隙を縫うようにして、マニ車リボルバーを握ったまま千切れ飛んだ女の手首が、ひとりでに元の位置へと飛び、接合された。アスターが目を見開く。


「なっ」


 宗教ごった煮女は即座にアスターに向けて2発発砲し、腹を撃ち抜いた。目にも止まらぬ早業であった。経文が刻まれたシリンダーが回転する。


「ごふっ」


「アスター!?」


 スミレの悲鳴をよそに、女は両肩、両膝を順番に撃ち抜いた。アスターの四肢は力を失い、うつ伏せに倒れた。


 女は肉感に飛んだ唇を笑みの形にし、マニ車リボルバーのシリンダーを撫ぜた。


「うふふ、また徳を積んじゃったわ……」


 彼女は愛おしげに再装填しながら、倒れたアスターに問いかけた。


「これで形勢逆転ね。驚かせたかしら?」


「……今の回復……ナノ止血ボッドでは、ないな……ゴボッ」


「ええ。――言っても信じて貰えないでしょうけど、吸血鬼なのよ、私」


「そいつぁ、おど、ろいた……」


 女はアスターに歩み寄り、彼の髪を掴んで頭を持ち上げた。


「貴方は良い腕をしていたから、血を吸ってあげるわ。吸血鬼はね、吸血して殺した相手の記憶や……そこに刻まれた技能を継承出来るのよ。つまり貴方は死に、私の中で生きていくことになる」


「光栄、だね……ところで、名前を聞いてもいいかな……吸血プレイの相手の名前くらい、知りたい……」


「ヴェロニカ」


「綺麗な名前だ……」


 ヴェロニカは妖しく微笑み、アスターの首筋へと口を近づけた。唇から牙が覗く――刹那、銃声が響いた。ヴェロニカが驚愕に目を剥く。


 アスターの右腕が動き、ヴェロニカの脇腹に銃を押し当てていた。ヴェロニカの脇腹の肉が、爆ぜるようにして吹き飛んだ。


 アスターの肩から、先程打ち込まれた弾丸が排出される。続いて膝、腹からも。


「なっ……!?」


「油断したな?」


 言いながらアスターは立ち上がり、ヴェロニカの頭部めがけ銃口を向ける。発砲。ヴェロニカは腕で頭部を守りながら地面を転がる。早い。連射で追う。命中。ヴェロニカの腕が千切れ、首筋の皮膚が裂ける。アスターの弾が切れる。再装填。


「同朋と出会ったのは初めてだな。弱点はきっと俺と同じなんだろうな?」


「チイッ……貴方も、吸血鬼……!?」


 再装填の隙にヴェロニカは立ち上がり、千切れた腕を引き寄せながら――スミレへと飛びかかった。明らかに常人よりも素早い速度で。それは吸血鬼特有の身体能力であった。


「ひっ」


「やらせはせん」


 アスターは1発の弾丸を宙に跳ね上げながら、ヴェロニカに蹴りを入れてその身体を弾き飛ばした。こちらも吸血鬼、ヴェロニカの戦闘速度に追従するのは容易なことであった。


 ヴェロニカが背から壁に激突すると同時、跳ね上げていた弾丸がアスターのリボルバー、そのシリンダーに落下し収まった。即座にヴェロニカの頭へと照準を合わせる。


「……!」


 ヴェロニカは腕で頭を守りながら、後ろ向きに窓へと身を投げた。アスターが発砲。血の華を咲かせながら、ヴェロニカは階下へと落下していった。


「仕留め損ねたか」


 アスターは装填しながら窓に近づき、階下を見下ろす。地面に叩きつけられへし折れた脚を即座に再生し、逃走を開始したヴェロニカの姿が見えた。追おうと窓枠に脚をかけ――やめた。スミレのほうを振り向く。彼女は青ざめて立ち尽くしていた。


「別の追手が来るとも限らん、いや絶対に来る。ずらかるぞ」


「え、あ……あの……」


「……化け物を一度に2匹も見たんだ、動揺するのも無理はないか」


 アスターは血で真っ赤に染まった自分のスーツを指して、自嘲気味に笑った。スミレは震える声で問う。


「私を助けてくれたのは、私の血を吸うため?」


「違うと言っても、信じて貰えないんだろうな」


「……信じるわ。血を吸うタイミングなら他にいくらでもあったもの。それに」


 青ざめてはいたが、スミレは笑ってみせた。


「どうせ吸うなら巨乳女の血を吸いたい。そうでしょ?」


「違うと言っても、信じて貰えないんだろうな」


 2人はくすりと笑いあい、それからスミレは手早く荷物をまとめた。アスターは周囲を警戒しながら車の元へとスミレを警護し、2人は車に乗り込んだ。既に空が白み初めていた。


「陽の光は大丈夫なの?」


「きみたちモータルと同じだよ、死ぬ……はずだ。試したいと思ったことはないもんでね」


「じゃあ急いで日を遮れる場所に行かなきゃ……アテはあるんでしょ、どこへ向かうの?」


「友人たちのところへ。勿論彼らはモータルだ、安心しな」


 アスターはアクセルを踏み込んだ。ゆっくりと車が動き出す。


「あれかしら、傭兵たちが集うバーみたいな?」


「そんなところは当分行けないさ、企業のエージェントだってうじゃうじゃ居る。もちろんSTの連中もな」


「……御免なさい、仕事に障るわよね」


「いいんだ。実を言うと、俺は傭兵と言っても特殊な部類でね」


 車は寂れた街区へと入り、それから地下道へと潜った。そこは下層アンダーと呼ばれる空間であった。旧世紀に日本政府が作った核シェルター群を、政府崩壊後に市民たちが無秩序に拡張していって出来上がった街区だ。


 進めば進むほど、治安が悪くなってゆく。企業が設置した監視カメラは数を減らしてゆき、警察のパトロールは姿を消し、公然と武器を持ち歩くガラの悪い者たちが増えてゆく。


 不安そうな顔で周囲を見渡すスミレを見て笑いながら、アスターは言った。


「反企業レジスタンス。それが俺の顧客さ」

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