第10話

 拠点に帰り着くなり、スミレは「私からの報告はメールで送っておくから」と、早々に食堂に一杯やりに行ってしまった。それが飛燕を毛嫌いしているからなのか、ただならぬ関係のように見えるアスターと飛燕を2人にしてやろうという配慮なのかは、アスターにはわからなかったが。


 ともあれアスターは飛燕の執務室に入り、今回の依頼の完了報告をした。


 飛燕は面白くなさそうにタバコを噛み、火をつけた。


「……不気味だね。STは何故マルボウ社長の記憶を欲していたのか、読めない」


「ああ」


「だが良からぬことなんだろうとは察せるよ、企業がやることでアタシたち下層民が得をしたことは一度もないんだから。……アスター、依頼を出す。ヴェロニカを捕縛しな。期限は無期限、次に出くわしたら狙ってみる、程度の認識で良い」


「そいつぁ良いね、俺も彼女には聞きたいことが沢山ある。なんせ貴重な同朋だ、吸血鬼とは何なのか、知っているかもしれない」


 飛燕は仏頂面になる。


「アタシはその点については興味ないけどね。吸血鬼がなんだろうが、アンタはアンタだ。それで良いじゃないか、アスター?」


「そう言ってもらえるのは嬉しいがね、自分が何者なのかわからないのは、気持ちが悪いんだ。……俺は納得したいんだよ、『何故俺はこうなのか』とね」


「……好奇心猫を殺す、だよアスター。ヴェロニカ捕縛にのめり込み過ぎてヘマをしないでおくれよ」


「わかっているよ」


「宜しく頼むよ。……さて」


 飛燕は立ち上がり、服をはだけて肩を露出させた。


「その穴だらけの服を見るに、今回もひどく血を流したみたいだね? 吸うといいさ」


「……すまな……いや、ありがとう」


 アスターは飛燕の肩に噛み付き、血を啜った。人のそれに近づいていたアスターの体温が、下がってゆく。


 吸血を終えたアスターは「いつもの流れ」で飛燕の尻に手を伸ばそうとした。だがその手は、飛燕によって振り払われた。


「悪いけど今日はナシだ。小娘がBMアームズから引っこ抜いたデータの分析がたまっているんだ」


「ハッカー連中にでも任せておけば良いだろう?」


「手が足りてないのさ、1人懲罰部隊にブチ込んだせいで」


「ああ……」


 アスターは苦笑し、飛燕から身を離した。


「そういうことなら仕方ない……まったく、とんだ拾い物をしてしまったな?」


「本当だよ。ところでどうなんだい、小娘の仕事ぶりは。さっき信じがたい報告メールが来たんだけど。マルボウのセキュリティを10秒で突破しただとか、流石にフカシだろう?」


「いや、事実だよ。ひと言会話している間に終えていた」


「……驚いた。それは……いや……」


 飛燕は顎に手を当て、何やら深刻に考え込み始めた。


「飛燕?」


「……アスター、スミレはSTのドローンをハックして落としたって言っていたね。それは何秒くらいのことだった?」


「それもおそらく10秒ちょいだ」


「……。ちょっと待っておくれよ」


 飛燕は壁にある館内放送用の送受話器を手に取った。


「スミレ、私の執務室に来な。大至急でだ」


 1分としないうちに、仏頂面のスミレがやってきた。手にはビール瓶を持っている。


「なによ、今しがた飲み始めたばっかりなんだけど」


 飛燕は無表情のまま、デスクから1つのメモリーチップを取り出した。


「じゃあまだ酔いは回ってないね? アンタの実力を試すための簡単なテストをしよう。コイツには強力なプロテクトがかかっている。それを解除してみな、全速力でだ」


「あら、タイムが良かったら報酬を上げてくれるのかしら?」


「いいからやりな」


「はいはい」


 スミレはメモリーチップを受け取り、自身の生体LANジャックに差し込んだ。彼女の眼内ディスプレイに文字列が高速で踊る。10秒ほどで、彼女はメモリーチップを抜き取った。


「はい終わり」


 スミレから返却されたメモリーチップを、飛燕は自身の生体LANジャックに入れた。彼女は目を閉じ、しばらく無言になった。どうやらメモリーチップを解析し、スミレがどのようにプロテクトを解いたのか調べているようだ。


 1分ほど経った頃、飛燕は目を開いた。スミレを睨みつけている。


「……なるほど早い。本当に早い」


「でしょ?」


「ああ。プロテクトの種類と構造を把握して、適切な解除プログラム群を選択するまでの時間が8秒。大したもんさ、良い勘をしているか、あるいは頭の回転が早いんだろうね?」


「もっと褒めて良いのよ!」


 スミレはドヤ顔で虚胸を張った。


「――だがその後が異常だね。解除プログラムの実行開始から終了までが0コンマ2秒?」


 スミレの表情が凍りついた。ハッキングに疎いアスターが小首をかしげる。


「それの何が異常なんだ?」


「このチップにかけていたプロテクトは、企業が本社ビルに据えるようなバカでかいコンピューターでも解除するのに年単位で時間がかかるような代物さ。だがこの小娘は、そのふざけた胸パッドに仕込んだポータブルデバイスを使って、コンマ2秒で解除してみせた」


 スミレはぎこちない笑顔を作り、手でぱたぱたと顔を扇いだ。


「それは正面突破を試みた場合でしょ? 貴女はハッカーじゃないからわからないかもしれないけど、どんなプロテクトも人が作ったものである以上、どこかしらに綻びがあるものよ。ハッカーの実力は、直感的にその綻びを見つける部分に……」


「知っているよ、なんせアタシもハッカーだったからね。昔はよくアスターと組んで現場に出たものさ。……アタシを素人と思って煙に巻こうとするんじゃない、小娘。アタシは、綻びを見つけて解除プログラムを選択するまでの時間を問題視しているんじゃない。解除プログラムの実行速度の話をしている」


「……」


 飛燕はスミレの虚乳を指さした。


「それは、一体なんだ? その異常な計算速度は、まるで」


「……STが売り出している量子コンピュータみたい、そう言いたいんでしょ?」


「……そうだ。だがアレはビルの1フロアをまるまる占拠するようなデカブツのはずだ」


 スミレは観念したのか、ため息をついて目を逸した。


「……これは超小型量子コンピュータ。ママが遺したものよ」


「驚いたね、アンタの母親……川原蓮華、だったか。そんな大層なものを作っていたとはね。ちょいと調べてはみたが、そこまでの情報は出てこなかった」


 飛燕はデスクから紙束を取り出し、ざっと目を通した。


 川原蓮華。量子工学の研究者。夫(6年で死別)と共にベンチャー企業を立ち上げ、旧世紀の技術遺産の発掘・研究を生業としていた。5年前に失踪――かいつまめば、紙束にはそのようなことが書いてあった。


 スミレはぽつりぽつりと話し始めた。


「ママはたぶん、旧世紀の実用的な量子コンピュータの実物か、その製造方法をサルベージしたんだと思う。彼女が失踪する前、私はまだ15歳だったし、ママもあんまり仕事の話をする人じゃなかったから詳しくは知らない」


「で、その超小型量子コンピュータはどうしてアンタの手の中にあるんだい?」


「15歳の誕生日の時に貰ったの、超小型量子コンピュータだとは知らされず、このままの形で。『たぶん貴女の胸はそれ以上成長しないから』って」


 飛燕が顔をしかめた。だがスミレは必死に訴えかけた。


「本当よ! 私だって最初は『娘になんてプレゼント与えるんだこのババア』と思ったけど、すぐに気に入ったわ。ホログラム投影機能つきで偽乳とバレないし」


 アスターが目頭を押さえたのを無視して、スミレは話を続ける。


「……きっと、自分の身に何かが起きることを予感していたんでしょうね。ある日急に、『次の仕事はアメリカでやるから、一緒に行きましょう』って言い出して」


 ――スミレ曰く。スミレだけ先にアメリカに渡って新居を整え、蓮華は後から追うという計画になっていた。アメリカへと向かう船の中で、スミレは胸パッドから伸びるホログラム制御用のLANケーブルを通して、あるメッセージを受け取った。


 そこには、この胸パッドがポータブルコンピュータであること、アメリカに着いてからの身分偽装方法、そのために必要なハッキング技術等々が書かれていた。


「『あっ、これ亡命だ』って気づいたのはその時点ね。私は船の中で必死に勉強して、なんとか電子パスポートを書き換えたわ」


「その胸パッドが量子コンピュータだと気づいたのはその時かい? メッセージには書かれていなかった?」


「ええ、ポータブルコンピュータとしか書かれていなかったわ。でも処理速度が異様に早かったから、察するのに時間はかからなかった」


「……万一誰か……いや、企業の手に渡ってもそれと気づかれにくくするためか」


「おそらくね」


 ポータブルデバイスサイズの量子コンピュータ。そのようなものが企業の手に渡った場合、何が起きるか。――アスターとスミレがやってきたようなハック&スラッシュ行為が、軍隊レベルで出来るようになる。しかも当時は大型の量子コンピュータすら実用化されていなかったのだ、あらゆる電子的な防御は意味をなさず、大企業であっても一瞬で無力化される。覇権が取れてしまう。


 ――スミレは話を続けた。アメリカに渡った後、身分も拠点もころころと変えながら蓮華からの連絡を待ち、自身でも探してはみたが、成果はなし。その2年後、センリョウ・テックが量子コンピュータの実用化を発表した時、スミレは母の身に何が起こったのか悟ったのだという。


「そこからはひたすら、ハッキングの訓練よ。いつかSTからママを取り戻すためにね。STの弱点だって発見したわ、奴らの戦闘ドローンは全て本社の量子コンピュータから制御されているけど、さしもの量子コンピュータといえど無限の計算能力を持っているわけじゃない……奴らが管理する戦闘ドローンの数が増えれば増えるほど、1機ごとに割かれる計算リソースは減っていく」


「……なるほど。アンタがヴェロニカを取り巻いていたドローンをハックできたのは、そういうわけかい。奴らの細分化されたリソースに対して、アンタは全力をぶつけることができる」


「そういうこと。ま、これは他の企業もやっているSTへの対抗方法だけど」


「だが企業がSTに売ってもらえる量子コンピュータはモンキーモデルだ、落とせるドローンの数なぞ1機か2機。採算が合わない。だがアンタのそれなら」


「大規模にドローンを乗っ取れる。なんせST本社量子コンピュータと同等の性能を持っているんだから。今ならぶっ潰せる……と思って日本に帰ってきて、侵入計画を立てるためにデータぶっこ抜こうとしたら」


「逆探知を喰らい、アスターの助けが無けりゃあえなく捕まるような事態に陥っていた、と」


 スミレはぺろりと舌を出してウィンクした。飛燕は僅かに殺意を抱いたが、ため息をついて流してやった。


「で、STに逆探知を食らった理由はなんだと思う」


「……わからない」


「わからない、ときたか。……ヘボハッカーが。これはアタシの推測だが、経験不足なんだろうよ。どんなプロテクトも相手が反応する前に抜けるような高性能デバイスに頼り切ってちゃ、マトモな電子戦もやったことないんだろう?」


「……」


「図星か。それじゃ逆探知なんか食らったことも無いんだろうさ、相手にどんな手を使われたのかわからないのも無理もない。いいかい、そのデバイスを使うなとは言わない。アタシもそのデバイスの能力込みでアンタを評価して、仕事を回す。だが愛しのママのおっぱいにもう一度しゃぶりつきたいなら、たまには従来型デバイスで訓練を積みな。敵の手管を学べ」


「……」


「お返事はどうした、クソガキ?」


「……はい」


「よろしい。クソして寝な」


 スミレは肩を落とし、気の抜けたビール瓶を持ってとぼとぼと退室していった。


 扉が閉められてから、アスターは飛燕に声をかけた。


「ちと厳しく言い過ぎじゃないか? 出自は聞いただろうに」


「アンタは優しすぎるんだよ、アスター。甘やかしてたらいつか死ぬよ、あの娘」


「そうか」


「そうだとも。だいたいアンタはいつも……」


 ああ、これはお説教モードだなと察したアスターは「すまない、クソがしたくなった。スッキリしたらそのまま寝るよ、おやすみ」と言って逃げるように退室した。


 1人残された飛燕は、デスクの脚をつま先で小突いてから、タバコに火をつけた。紫煙をくゆらせながら、ぼやく。


「いつになったら、優しさが人を殺すこともあるって気づくんだろうね」


 気づかないと良いけどね、と小さく付け加えて、飛燕はしばしくつくつと笑っていた。

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