第13話

 白のワイシャツに黒のベスト、黒のタイトスラックスに身を包んだアスターは、約束通りスミレを中立地帯にあるショッピングモールに連れていってやった。2人はしばし買い物を楽しんだ――正確にはアスターの買い物は10分足らずで終わったのだが、スミレの買い物が3時間近く続き、アスターはげんなりとしていた。


 ――2人が荷物を車に積み込んでいる時であった、飛燕からの連絡が飛んできたのは。スマートフォンを耳にあてたアスターが応じる。


「飛燕?」


『電話で失礼。だが急を要する依頼だ。スミレが抜き取ったデータを精査していたら、面白い情報が手に入ってね。1時間後にBMアームズの重役が、西日本防衛装備社の重役と会食を行うらしい』


「軍需企業同士で会食とは、きな臭いな」


『だろう? ちょっと探りを入れてきて欲しい。可能なら暗殺も』


「場所は?」


『ホテル・雅条』


「そいつは無理だ、セキュリティが厳しすぎる」


 余程優秀なハッカーがいるなら話は別だが、と言葉を続けようとしたのだが、飛燕が先を越した。


『2人で仲良くお出かけ中なことはお見通しさ。を連れていきな』


「飛燕、これは……」


『わかっているよ、冗談さ。あんたの買い物に引っ付いて行っただけだろうとは察せる。……とにかく、小娘にも報酬を支払うから連れて行きな。良い結果を期待しているよ』


 そこで電話は切れた。


「……スミレ、急な話で悪いが」


「全部聞いていたわよ、貴方のスマートフォンをハックしておいたから」


「プライバシーって言葉は知っているか?」


「犯すと興奮するわよね」


「犯される側の気持ちにもなって欲しい。ともかく聞いていたんなら話が早い。着いてきてくれ」


「良いでしょう。ちょっと散財しすぎたところだし、仕事なら大歓迎よ」


 アスターの車には、トランクどころか後部座席にまで、ぎっしりとスミレのショッパーバッグが詰まっていた。殆どが高級ブランドのものだ。アスターは肩をすくめる。


「きみが俺を雇う日は遠そうだな」


「今から近づけに行くのよ」


 2人は車に乗り込み、ホテル・雅条へと向かった。



 ホテル・雅条へと向かう車中で、スミレはハッキングを仕掛けていた。だが暫くして、首を横に振った。


「ダメね、マルボウと同じ。重要な部分はスタンドアローンになっているみたい」


「流石に企業御用達の高級ホテルだな。一旦中に潜入しないことには話にならんか」


「うん。でも前回と同じね、レストランの予約システムはハックできたわ、真っ当な客として潜り込むことは出来るわよ」


「上出来だ、それで行こう」


 アスターは車を走らせ、ホテル・雅条の地下駐車場へと滑り込んだ。早速車を出ようとするが、スミレが引き止めた。人差し指でアスターの服をつまむ。


「ちょっと待って、この『おじさん休日セット ~懐古主義のソースを添えて~』で向かうつもり? 私たちは企業御用達の高級ホテル、その中の高級レストランに行く客なのよ?」


「なるほどドレスコードか、気づかなかったよ。……なあ、この服そんなにおじさん臭いか?」


 スミレは慇懃いんぎんに質問を無視し、後部座席を指さした。


「せっかくを買ったんだから、早速着ていきましょう」


「なあ、そんなにおじさん臭いかなぁ!?」


 と、そこにホテルの係員が近づいてきて、運転席のアスターに声をかけた。


「お客様、お部屋に運ぶお荷物がございましたらお申し付けください」


「いや、レストランを使うだけだ」と言いかけたアスターの肩を、スミレが揺すって割り込んだ。


「部屋も取ってあるでしょ、忘れたの? ごめんなさいね、彼、新婚旅行の途中で疲れちゃっているのよ。私が振り回しすぎたせいかしらね、オホホ! ……今から渡すものを072号室に運んで貰えるかしら?」


 そう言ってスミレは車を降り、自分とアスターの服の入った袋を係員に渡した。係員は優雅に頭を下げ、荷物を運んでいった。アスターがため息をつく。


「……新婚旅行とはね」


「そう見えないかしら?」


「パパ活という奴に見えないか心配だ」


「随分古い言葉を持ち出してきたわね、猥語わいご辞典でしか見たことないわよ」


「おじさんだからな」


「……おじさんって言ったのは謝るから。スネてないで、着替えに行きましょう?」


 2人はスミレがハックして手に入れた部屋へと向かい、そこで着替えた。10分後、新品の白スーツに身を包んだアスターと、欺瞞ぎまんに満ちた胸を大胆に露出させたドレスを着たスミレが部屋から出てきた。


「戦闘準備完了ってわけね」


「……案外楽しんでいるな、きみ?」


「高級レストランでミッションだなんてワクワクしない? スパイ映画みたいで」


「頼むから浮かれてヘマはしないでくれよ」


「わかってるわよ」


 2人は最上階のレストランへと向かった。入り口付近で新婚夫婦と思われる男女が喧嘩していた。


「なんでちゃんと予約しなかったのよ!? レストランどころか部屋すら取ってないってどういうこと!?」


「したさ、絶対した!」


 彼らを無視し、スミレが係員に声をかけた。やや小声で。


「予約していた山田です」


「はい、確認しますね」


 スミレはスマートフォンにバーコードを表示さた。


 係員の左目はカメラアイになっており、スミレの胸に「欺瞞」のポップアップが出ていた。それから彼女が提示したバーコードに視線を移すと、「予約番号705267・山田様 2名 承認」のポップアップが出た。それからスミレの周囲を見渡し、係員は困惑した。


 左目のカメラアイには何も映っていないが、生身の右目にはアスターの姿が見えたからだ。だがそうして混乱したのも一瞬のこと、係員は「さては新型の光学迷彩か」と納得した。


 このレストランは日本どころか世界のセレブリティが利用する場所である、中にはお忍びで来る者も居る。カメラに映ることすら嫌がる者だって居るだろう。肉眼では見えるがカメラでは見えない光学迷彩なぞ聞いたこともないが、自分がお目にかかったことが無いだけで、もうどこかで実用化されているのかもしれない。そして彼は、そのようなものを身につけられる身分の人間なのだ。――そのように納得した。高度な接客教育を受けていたがゆえの誤解であった。


「……はい、山田様、2名様ですね。ご案内致します」


 係員が2人を伴って受付のゲートをくぐる――アスターがくぐった瞬間、ブザーが鳴った。X線によって武器の所持が看破されたのだ。しかし係員は笑顔を保ち、アスターに頭を下げる。


「すみませんお客様、武器の持ち込みは禁止させて頂いておりまして」


「おっとすまない、預かってくれるかな?」


「はい、お帰りの際にお返し致します」


 アスターは係員にリボルバーを預けた。2124年の日本においてリボルバーは骨董品であったが、係員は「なるほどこのセレブはそういう趣味なのだな」と解釈した。


 一方アスターはリボルバーが受付裏のクロークへと仕舞われるのを、しっかりと見ておいた。


 やがて2人は「ご予約」と書かれたプレートが置かれた席へと通された。メニューの説明を聞き流し、適当な注文を入れた後、アスターがスミレに問うた。


「……なあ、外で揉めていた客」


「そういう不幸もあるわよね」


「きみ、一体どこが善良清楚な美女なんだ?」


「そう見えないのだとしたら、その赤い瞳は腐っているわ」


「行動を問うているんだが? いや、言動をだ。……そうだ、頼むからここでは下ネタはやめてくれよ? TPOを弁えてくれ」


「ティンポ、プッシー、オーガズムの略でしょ? 弁えるどころかプロ級の業前よ」


「それをやめろと言っている!」


「興奮しないでよ、気になるなら後で披露してあげるから。……安心して、席ごとに遮音フィールドが張られているわ。こちらから外に音は漏れないし、外からこちらに音も届かない」


「そ、そうなのか?」


「こういう高級レストランに来るのは初めてかしら? ……さてここで問題、これから来る重役たちの会話を盗み聞くにはどうすれば良いでしょう?」


「……遮音フィールドを消す」


「それじゃ店の人にも会話が聞こえてバレるでしょ。正解はこれ」


 スミレは小さな発信機を取り出した。


「やることは前回と殆ど同じよ。この無線チップを、どこかのスプリンクラーに取り付けてきて。そこから遮音フィールドをハックして音を聞くわ」


「スプリンクラー経由で? そんなことが出来るのか?」


「ようは遮音フィールドって、逆位相の音を当てているだけ……ノイズキャンセリングを空間指定で行っているってだけだから。つまりは打ち消す前の音を拾っているマイクをハックすれば、音が聞けるってわけ」


「それとスプリンクラーが何故繋がる?」


「火事が起きた時に、遮音フィールドのせいで避難放送が聞こえなかったら大問題でしょ? 2つは絶対に繋がっているから、そこを辿っていける。お客様を大切にする店ならではの脆弱性よね」


「やけに手慣れているな……こういうことをやるのは初めてじゃないな?」


「ベッドで言われたら一気に冷める質問ね? とにかく、トイレのでいいからスプリンクラーの点検用ジャックにこれを取り付けて頂戴」


 スミレはそう言って発信機をアスターに手渡したが、アスターは不敵に笑ってみせた。


「まだ尿意は催してないんだ。ここからで十分だよ」


 丁度彼の頭上には、スプリンクラーがあった。アスターは係員たちの視線の隙を縫い、親指で発信機を跳ね上げた。それはスプリンクラーの点検用ジャックにすっぽりとハマった。


「……やけに手慣れているわね。こういうことをやるのは初めてじゃないわね?」


「初めてだよ、と答えたほうが良いのかな?」


「その歳で童貞はキツい」


「だろうな。種を明かせば、リボルバーの曲芸装填の応用さ」


「なるほどねぇ。……そもそも、なんでリボルバーなんて骨董品を使っているわけ? 服も車もそうだけど、懐古主義?」


「まあ、そうかもしれない。だが拳銃に関して言えば、オートマチックは……どうも信用できない」


 アスターは直近20年ぶんの記憶しか持たないが、どういうわけか最初から扱えたのがリボルバー拳銃なのであった。記憶を失う前に愛用していたのだろうか、とも思うが、それにしても20年前すなわち2104年の時点でもリボルバー拳銃なぞ骨董品である。自分は一体いつから生きているのだろう、と疑問に思う。


 ふと、店内の雰囲気が変わったことを察知したアスターは受付のほうに視線をやる。


「……おっと、来たようだぞ」


 レストランに、仕立ての良いスーツを着込んだ男たちが入ってきた。護衛と思われる男たちも一緒で、その胸元には社章が光っている。BMアームズと、西日本防衛装備社のものだ。


「ハッキングを急いでくれ」


「もう終わっているわよ。拾った音は貴方のスマホに流してあげる」


「至れり尽くせりだな……ゲッ、まずい」


 アスターは男たちからサッと顔を背けた。訝るスミレは男たちを見る……一際目立った男がいた。全身に戦闘用外骨格を着込んだ男で、その顔は外骨格のフルフェイスヘルメットに覆われており、素顔は知れない。そして腰に冗談のように長い刀を吊るしていた。係員が苦笑いで刀を預かり、受付の裏にしまい込んではいたが。


「……刀を持ちこもうとしたアホがいるわ」


「そいつがサムライだよ、俺の愛車をぶった斬った! クソッ、どちらかの護衛に雇われたな……!」


「傭兵同士ってビズ以外の場面でもいがみ合っているわけ?」


「こちらはあわよくば暗殺を企てているってことを忘れてないか? 当然、見知った顔がいれば『さては』と警戒するだろうな。そうでなくともサムライはバトルジャンキーだ、いきなりふっかけられてもおかしくはない」


「露出狂と顔見知りになった人って、きっと今のあなたみたいな反応をするんでしょうね」


「露出狂のほうがまだ可愛いよ、腰にぶらさげているモノの大きさもたかが知れてるからな」


 サムライの刀は大太刀と呼べるサイズのもので、しかも高速振動掘削機能まで付与されていた。


 幸いにして、彼らの席はアスターたちからは離れた場所にあった。スミレが中継した音が、アスターのスマートフォンから流れてくる。何の変哲もない社交辞令が延々と続くのを、アスターとスミレは運ばれてきた前菜を食べながら聞いていた。


 やがて魚料理が運ばれてくる頃になって、BMアームズと西日本防衛装備社の話は本題に入った。


『――ところで、新型外骨格についてですが』とはBMアームズの重役の声。『本当にあの仕様でよろしいので? 正直、要求スペックが過剰と申しますか……いえ、製造自体は可能ですし、最大出力で運用しなければ問題ないのですが』と続く。サムライをチラチラと見ながらだ。それに対して西日本防衛装備社の重役が答える。


『最大出力では中の人間が耐えられないとお考えで?』


『ええまさに、その通りで』


『その点については問題ありません、我が隊員は超人的な努力によって克服します』


『……ハハハ、流石ですな! 自衛隊の魂は今も受け継がれているというわけですか』


『然り』


『それが勝利の秘訣なのでしょうな、先のヨコタ社との戦闘も……』


 ――そこからは再び社交辞令的な会話に切り替わった。スミレは眉をひそめる。


「BMアームズが日装に新型外骨格を卸そうとしているってわけ? これって重要な情報?」


「アホみたいに重要だ。日装は日本最大の武力を持っている企業だぞ、そんな奴らの戦力強化に手を貸す企業なんて居るはずがない」


 アスターの言う通り、西日本防衛装備社は日本最大の武力を誇る企業であった。生産しているのは戦車や火砲などの重火器に始まり、戦闘機や戦闘ヘリ、果ては軍艦まで扱っている。重装備の保有率は間違いなく日本一だ。


 代わりに小銃や外骨格などの歩兵装備は手薄であるが、他社から購入して賄う――という手段は取れていなかった。強大な武力を警戒されているためである。おまけに西日本防衛装備社の歩兵は精強で知られていたので、わざわざそれを強化したいと思う企業なぞいるはずもなかった。


 ともあれ西日本防衛装備社から装備を買うのはよいが、彼らに装備を売るのは禁忌。そういった不文律があった。


「でも、居たじゃない」


「アホの所業としか思えん……日装は歩兵が軽装備だからこそ今までギリギリ均衡を保てていたんだぞ? そこに外骨格を卸すなんざ……」


「手を組んで日本統一でもしたいのかしら?」


「それは日装の悲願らしいが、BMアームズが手を貸す意味がわからん。……ともあれこいつは日本の勢力図が変わるかもしれない、という情報だ。ところで」


「なに?」


「手洗いに行ってくる、引き続き盗聴を頼む」


「さっきはまだ尿意を催してないとか言っていたわよね?」


「この仕事が終わったら前立腺の検査を受けようと思う」


 そう言ってアスターはトイレへと向かった。小便器の前に立ち、一息つく……その時、スマートフォンのスピーカーからスミレの声が響いてきた。


『アスター、まずい。日装の重役とサムライがそっちに向かっているわ』


「ファック」


 アスターは急いで排尿しようとするが、勢いがない。そうしているうちに、トイレに2人の男が入ってきた。何やら談笑しているようだ。


「――ふはは、外骨格は耐えられても中の人間が耐えられない、とはな。こちらの意図を見抜き損ねたな……まあ同盟相手は得てして適度に愚鈍なほうが助かるものだが。そうだろう、サムライ? いや、三佐?」


「はい、陸将」


 アスターは排尿を急ぎながら訝しんでいた。サムライは傭兵だ。それが三佐という階級で呼ばれたことを不思議に思ったのだ。その階級名を使うのは、西日本防衛装備社だけなのだから。元社兵なのだろうか?


 やがて陸将と呼ばれた男が、アスターから3つ離れた位置の小便器の前に立った。サムライは彼の後ろ、個室便器の扉の前に立っている。アスターは残尿感と戦っているふりをしながら――実際戦っているのだが――陸将が立ち去るのを待った。


 だが、不意にサムライが声を出した。


「アスターか」


「……」


「本当に奇妙なものだ、カメラアイには服すらも映らないのだからな。だが近くに来て確信したよ、その拭い去れない血と死の臭い、間違いない」


「……嗅覚センサーが狂っているんじゃないか? 俺は起きぬけにシャワーを浴びて、肛門のシワ一本一本にまで石鹸の泡を通してきたんだぜ。そんな臭いがするわけがない」


「物理的な臭いではない、雰囲気というやつだ。……今日はビズか?」


「まさか! プライベートさ。俺の席にいた美人さんを見ただろう? 新婚なんだ」


「あの偽乳女か?」


「偽乳?」


 アスターはおどけてみせる。


「本当に? 気づかなかったよ。今夜ベッドで確かめてみよう」


「さぞ楽しい初夜になるんだろうな……だがアスター、お前からは嘘の臭いがする。ビズだな?」


「嗅覚センサーを点検に出したほうが良いぞ、本当に」


 アスターはぶるりと身震いし、いそいそとズボンのチャックを上げた。そして両手を上げてみせ、こちらを睨んでいる陸将に微笑む。


「本当に何もないんですよ、当然ながら非武装ですしね」


「……きみの意図はわからんが、こちらは大切な懇親会の最中だ。その恥垢で汚れた手を洗って、すぐに帰るなら見逃してやろう……いや待て、サムライ。服すらカメラアイに映らないと言っていなかったか? 私には見えているが」


「はい、こいつはどうにも奇妙な装備を持っているようでして。こいつとの戦いは透明の鹿を狩るようで、実に楽しいものです」


「サムライ、きみは相変わらずだな。さてアスターくん、だったね? 一体どんな光学迷彩だね、聞いたこともないぞ? 興味が湧いてきた、後で少々お話しないかね?」


 もしカメラアイに映らなくなる光学迷彩があるとすれば、それはどんな企業だって欲しがるものだろう――歩兵の精強さで鳴らす西日本防衛装備社にとっては尚更だ。不可視の精鋭歩兵なんて代物が実現すれば、他社に対して大きな優位となる。


 アスターの吸血鬼としての能力が、運悪く西日本防衛装備社の欲求と合致してしまったのである。


 アスターは苦笑してみせる。


「あー……平和的なお話し合いなんでしょうね? 尋問とか拷問の言い換えではなく?」


「保証しよう、危害は加えないとも」


 排尿を終えてズボンのチャックを上げた陸将は微笑んだ。アスターも微笑みを浮かべる。


「……なるほど俺にもわかるよ、あんたからは嘘の臭いがするな。スミレ!!」


 次の瞬間、スミレがハックしたスプリンクラーが作動した。大量の泡が降り注ぐ。


「チイッ!」


 その隙をついてアスターはトイレを飛び出して受付へと走る。最中、スマートフォンに向かって叫ぶ。


「きみも逃げろ!」


『とっくに逃げているわよ。店の人には離婚したって言っておいたから』


「判断が早くて助かるね!」


 アスターは受付の係員を蹴り倒し、クロークにしまってあった自身のリボルバーを手に取った。振り向けば、サムライが追ってきていた。即座に頭部に向けて発砲する――が、全弾が装甲に弾かれてしまった。だが、着弾の凄まじい衝撃でサムライの足は止まった。


「グラつく程度かよ……!?」


「この前はやってくれたな、反省して防弾板を追加しておいたよ!」


 防弾板が追加されたにしては動きが機敏すぎると思いつつ、アスターはさらに銃撃を加えた。胸、腕、脚――だがどれも硬質な着弾音が響き、サムライはわずかに身を揺らしたのみだ。


「おいおい嘘だろ、全身が完全防弾だと!? 穴空いている部分はないのか!?」


「股間だ」


 アスターはすかさずサムライの股間を撃った。甲高い金属音が鳴り、ひしゃげた弾が床に落ちた。


「……嘘つきめ!」


「嘘の臭いを嗅ぎ分けられない貴様が悪い。さぁお遊びは終わりだ、戦おうじゃないか! お前の実力を見せてみろ!」


「バトルジャンキーに付き合っている暇はねぇ!」


 サムライが突進を始める――アスターは苦し紛れに刀を手に取った。そして窓ガラスに銃弾を撃ち込んで割ると、そこに刀を放り投げた。サムライの怒声が響く。


「貴様、武士の魂を!」


「高速振動刀なんてテック武器に武士の魂が宿るとは知らなかったよ!」


 再装填しながらアスターは店から飛び出し――一瞬振り向き、テーブルの隅でうずくまっているBMアームズの重役の頭を撃ち抜いた。


「ボーナス!」


 再びアスターは逃走を開始し、エレベーターに向けて駆けた。彼の背後で、分厚い防火扉がひとりでに閉じた。


「スミレか、良いアシストだ!」


『車で待っているから、早く来てね。勿論間男さんはナシで』


 だがその直後、凄まじい音を立てて防火扉が破壊された。その奥に、拳を突き出した姿勢のサムライがいた。


「おいおい、どんな出力だよ……!?」


「試作品だが、良いものだな。次は生身の人間を殴ってみよう」


「冗談じゃない!」


 アスターは逃走を再開した。吸血鬼の身体能力はモータルを上回る、100mを走らせれば6秒台を叩き出すであろう。だというのに、サムライはアスターの逃走に追従してきた。


「本当に冗談じゃないぞ……! なんだあの外骨格は」


 もしやあれがBMアームズの新型外骨格なのだろうか、と考える。パーツの1部でも持ち帰れば欲しがる企業は多いであろうが、生憎あの装甲を切断出来る高振動刀は捨ててしまった。なんとも上手くいかないものだ、とアスターは舌打ちした。


 曲がり角を曲がると、エレベーターホールが見えてきた。その隣には階段がある。スミレの支援なのだろう、エレベーターの1基が扉を開けて待っていた。エレベーターか、階段か。アスターはどちらを使うか逡巡する――ふと、彼はスマートフォンを取り出し「エレベーターを降ろせ、今すぐ! 滑り込む!」と叫んだ。


 直後に新たな防火扉が閉まり、アスターとサムライが隔てられた。サムライは防火扉をパンチで破壊する。だがその視線の先に――元より彼のカメラアイには映らないが――アスターの姿は無かった。ただ、閉じかけるエレベーターの扉の奥から、「あばよ」というアスターの声が響いてきた。


「逃がすか!」


 サムライはエレベーターの扉を破壊し、降下してゆくエレベーターボックスの上に着地した。そしてハッチをこじ開けて中に飛び込む――だが、そこにもアスターの姿は無かった。ただ彼の声だけが、非常放送用のスピーカーから響いてくる。


『あー、ちゃんと中継できているかな? なぁサムライ、お前は臭いで俺を判別したとか言っていたが、嘘だろ』


 エレベーターは階と階の中間で停止した。スミレの仕業だ。


『正解は音で判別している、そうだろ? だからこんな手に引っかかるんだ』


 足音、呼吸音、わずかな衣擦れの音。不可視の相手の位置を探れるとしたら、音を頼りにするしかない――アスターはそう踏んだのだ。


「……忌々しい奴め。今頃階段で楽しいエクササイズ中か?」


『美食の後だ、少しカロリーを消費しようと思ってね。お前も一緒にどうだ? まあ流石に追いつけるとも思えないがね。――おっとそうだ、今度は嘘の臭いを嗅ぎ分けられるようにセンサーを磨いておけよ。あばよ』


 放送が途切れ、エレベーターが上昇を始めた。最上階へと向かってゆく。スミレの嫌がらせである。


「本当に忌々しいやつだ」


 サムライの声帯スピーカーは、苦々しさと諦めが入り混じった苦笑の音を、見事に表現してみせた。



 アスターは5階分を階段で降りたところで、スミレから『エクササイズは楽しんだ? 隣のエレベーターを停めてあるから、乗っても良いわよ』と言われ、エレベーターに乗り込んだ。


 地下駐車場で降り、車へと駆け寄った。スミレがバンパーに腰掛けて待っていた。


「……なんでスマートキーじゃないわけ? お尻が冷えちゃったわ」


「ハッカー対策はローテクに限る、と再認識できたよ」


 鍵を開けて乗り込み、エンジンをかけた瞬間。エレベーターの扉が吹き飛んだ。そこにはサムライの姿があった――エレベーターシャフトの側壁を蹴って減速しながら飛び降りてきたのだ。


「アスタァァアアアアーーーーーッ! 逃さんぞ! 戦え!」


「一体どうなっているんだ、クソ! 冗談じゃない!」


 悪態をつきながらアスターは車を急発進させた。サムライが猛烈なダッシュで追ってくるが――流石に車には敵わず、地下駐車場を飛び出る頃にはすっかり距離を離していた。


 すっかりサムライを撒いた後、街頭の監視カメラを避けるように道を流しながら、スミレに問いかけた。


「……良いアシストだったよ。お前がいなけりゃ絶対に成功しない任務だった」


「その言葉を待っていたのよ。ねえ、提案があるんだけど」


「なんだ?」


「傭兵としてチームを組まない? きっと上手くやっていけると思うの」


「悪くない提案だが……正直、俺が受けるメリットが多すぎるな。認めよう、きみのハッキング能力は卓抜している。それがデバイスの性能込であってもだ。どんな傭兵だって組みたがるだろう……それはチームの相手が俺でなくともやっていけるという意味だ」


「鈍い男ね。……保身のためよ。私はあのサムライ野郎に顔を覚えられた。ホテルの監視カメラの映像は全て消しておいたけど、あのサムライのカメラアイはネットから切り離されていたから消せてない。……そして貴方は陸将とかいう奴に興味を持たれたし、サムライからは恨みを買っている。さて問題です、奴らが貴方を釣りだそうと考えた時、どういう手段を取るでしょうか?」


「……俺の知り合いを捕まえる、かな」


「正解! ……保身の意味がわかったかしら? 私は今やサムライと日装からも目をつけられる身になったというわけ。主に貴方のせいで。責任取ってよ」


「不幸な事故みたいなもんだろ!」


「コンドームが破けた時もそうやって言い訳して逃げるつもり? ……冗談を抜きにすればね、傭兵ハッカーとしての生存率を上げるためには、貴方と組むのが最善だと思っている。一人で仕事をするのは……あまりにも危険な状況になってしまった。だからこれは私からのお願い。私と組んで、守って」


「……なるほどね。きみの護衛代を考えれば、俺が受けるメリットが多すぎるということはないな」


「でしょう?」


 アスターはシフトレバーから左手を離し、拳の形を作った。


「報酬は折半だ」


「勿論」


 スミレは右手で拳を作り、アスターの拳にこつんと当てた。


 それからスミレは顔をしかめた。


「……ちょっと待って、貴方手は洗った?」


「洗ったとも、水の流れる音を聞いただろう?」


「……嘘よ、絶対嘘! 嫌ーッ、この男、恥垢に塗れた手で契約交わしやがったわ! 最悪!」


「恥垢なんてついてないぞ、竿どころか玉袋のシワまで洗っているよ!」


 ……朝が近づく中、騒がしい傭兵チームを乗せた車が、東京を走り抜けていった。

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