第12話

 ――これは夢だな、と思った。


 青空が見えたからだ。さんさんと降り注ぐ太陽も眩しい。2124年(いま)は自殺志願者か、防護服を着た者しか見られない光景。防護服に包まれていない手を太陽にかざしてみれば、血管が透けて見えた。


「今日は良い日和ね」


 女の声がした。左隣を向いてみれば、そこには――人の形をした、白いもやの塊があった。自分とその靄は、草原に立っている。


 きみは誰なんだ。そう問いたいが、口が思うように動かない。その問い代わりに自分の口は「そうだね」と相槌を紡ぐ。愛おしさの籠もった声色で。


 やはり夢だな、とアスターは確信した。何度も見たことのある夢。またか、という感慨――それと同時に、覚めてほしくないとも思った。この夢を見ている間は、理由のわからない幸福感が胸を満たしてくれるからだ。


 だが何度も見ているがゆえに、この夢の終わりが近いことも知っていた。


 自分の口が勝手に動く。


「今日はどこに行こうか、マリー」


 靄が品の良い、くすくすとした笑い声を発する。


「――貴方と一緒なら、どこでも構わないわ」


 アスターは微笑み、靄に向かって手を伸ばす――




 ――むにゅ、と柔らかい感触がした。


 アスターが寝ぼけ眼を開けてみれば、片眉を釣り上げたスミレの顔が見えた。彼女の偽乳を触っている自分の手も。


「おはようアスター? もしかして欲求不満? 本当におっぱい好きなのね、使う?」


「……結構だ、挟んでもらうなら本物の乳に限る。……何故きみが俺の部屋にいるんだ?」


 アスターはベッドから身を起こし、周囲を見渡す――棚にアンティークの品々が並んでいる。やはり自分の部屋だ。


 記憶を掘り起こす。昨晩は確かに晩酌をした。酔った勢いでスミレを部屋に呼びつけ、寝たという線はないなと安堵する。飛燕にバレたらビンタでは済まないであろうから。


 だとすれば余計に、何故スミレが自分の部屋に居るのかわからない。そのスミレは、甘えるような表情になった。


「ちょっとお願いがあって来たのよ。何度かノックしたんだけど、返事がないから入ってきちゃった」


「鍵をかけ忘れていたか……」


 もう一度記憶を掘り起こす。……昨日の晩酌は部屋で1人寂しくやったはずだ。飲み始める前に鍵をかけたなと思い出す。


「おい待て、確かに鍵をかけたぞ? どうやって開けた?」


 スミレは両手の平を合わせ、軽く頭を下げながらウィンクした。


「……ピッキングが得意なレジスタンス兵に頼んで」


「外注とは驚いたな、きっと傭兵を使う日も近いんだろうよ。……そいつの名前を教えろ」


「ジョージ。手コキ1発で引き受けてくれたわ」


「よぅしそいつはあとでシメる。……ところで手は洗ったのか?」


 スミレは洗面台へと向かった。スミレがばしゃばしゃと手を洗う音が響くなか、アスターは頭を抱えていた。二日酔いの痛みに耐えているのではない、相変わらず一度に聞きたいことが多くなる娘だなと頭痛がしたのだ。突っ込みが追いつかない。


「……整理しよう。で、きみは何故そこまでして俺の部屋に? お願いとか言っていたな?」


「そうそう。報酬が入ったからね、ショッピングにでも行きたいなーって。でも私、見ての通り超絶美人じゃない? 男のエスコートなしでアンダーを超えてアッパーに行くのは危ないって思うのよね」


「スッキリしたジョージにでも頼めば良かっただろう」


「あのもやしギーク野郎じゃ逆にナメられるわよ」


「アサガオは」


「彼女は仕事でいない。……第一、私はSTに追われている身なのよ。並の護衛じゃエスコートは務まらないわ」


「それで俺か。言っておくが、俺はきみの保護者でもなければ恋人でもない。何故そこまでしてやらねばならんのだ」


「恋人にならすぐにでもなってあげるけど?」


 そう言って、手を拭きながら尻と胸を揺らして見せるスミレは、その美貌と相まって確かに魅力的ではあった。


「……その胸が本物なら、一発でオチていたんだがねぇ」


「ファック、この巨乳礼賛主義者め。……ねえお願いよ、ガス代と食事代くらいは出すから連れて行ってよ。あの部屋インテリアもなにも無いし、服だって最低限しか持ち込めなかったから足りてないのよー」


 子犬のような目で見つめてくるスミレを洗面台の前から押しのけ、アスターは顔を洗い始めた。


「ねぇアスター、お願いよ」


 アスターは、スミレの真意はストレス解消のためだろうなと察しつつも、昨日飛燕に詰められていたスミレの姿を思い出し、憐れになってきてしまった。


「……わかった、わかったよ。俺も2日で2着服をダメにしたんだ、買いにいかにゃならんとは思っていた。きみの買い物はそのついでだ」


「それでいいわ、ありがと!」


 顔を拭きながら、鏡に映るスミレの姿を見る。まだ何か聞き忘れていることが――ああそうだ、とアスターは思い出した。


「なあ、俺は何か寝言を言っていたか?」


「そういえば、マリーとか言っていたわね」


 アスターは舌打ちを堪えた。下ネタを交えていじられるに違いない、墓穴を掘ったなと思ったのだ。


 だがスミレは追求してこなかった。それが意外すぎて、逆にアスターの方から尋ねてしまった。


「……掘り下げないんだな?」


「掘り下げて欲しかったの? ……とっても愛おしそうに呟いていたからね。流石に聞いちゃ悪いかと思って。ほら、貴方って長生きだし……」


 不老不死の身では、恋人が出来ても先立たれてしまう。「マリー」もそうした1人だと思ったのだろう。この娘、品と胸は無いくせにデリカシーだけはあるのだなとアスターは苦笑した。


「安心しろ、死んだかどうか定かではない。名前以外なにも覚えていないってだけだ。まあ、生きているんなら少なくとも70歳は超えているんだろうがね」


 青空があったのだから、それくらい前のことなのだろう、あの夢は。


「ふぅん」と相槌を打ったきり、スミレはその話を広げなかった。その代わり、着替えを始めるアスターに向けてにこりと笑いかけた。


「ねえ、もう一つお願いがあるんだけど」


「なんだ?」


「シャワー浴びてきて。酒とオヤジ臭のする男と同じ車に乗りたくない」


「…………置いていってやろうか、このクソ貧乳」


 そう言いながらも、アスターはシャワールームに向かった。

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