第23話

 アスターは電算機室に侵入した。以外にも小さな部屋だな、と思った。長方形の部屋で、長辺の壁沿いにコンソール類がずらりと並んでおり、その前に幾人ものハッカーと思しき者たちが立っていた。そして部屋の中央にあるテーブルの上にはスミレの胸パッドが置いてあり、白衣の男たちが神妙な顔でそれを取り囲み、得体の知れない器具を当てていた。


 白衣の男の1人がアスターに気づいた。


「なんだねきみは!?」


「知人の持ち物を取り返しに来たのさ。その……胸パッドを寄越せ」


「これは胸パッドなどではない! 超小型の量子コンピュータなのだぞ! このサイズで我が社の量子コンピュータと同等の性能がある! ……おい、兵士たちはどうした!? はやくこいつをつまみ出させろ、解析を邪魔されては……」


 アスターはわめく白衣の男を射殺した。その場に居た、アスター以外の全員が両手をあげた。アスターは全員に噛み付き、尋ねた。


「お前たちの量子コンピュータはどこだ? 言え」


「そこです」


 ハッカーの1人が長辺の壁を指さした。2重ガラスの小窓があった。その奥に、巨大な設備が見えた。


 それこそが、センリョウ・テックが誇る量子コンピュータであった。1フロアの大半を占める、超巨大なコンピュータ。その体積の殆どは冷却装置に占められているが、他社に販売しているものとは比較にならない能力をもつ、センリョウ・テックの権能の象徴だ。


 アスターはハッカーに戦闘ドローン群の操作命令と、ある1つの命令を下し、スミレの胸パッドを持って立ち去った。


 次の目標は、ヴェロニカ……マリー。



 千両は意気消沈したスミレを無理やり引きずり、社長室へと連れ戻した。そうしてスミレを床に転がした時であった、今まで封鎖されていた電波が、千両のスマートフォンへと届いたのは。


「む……」


 守衛司令部からの通知がある。5分前のものだ。千両はそれを確認し、僅かに目を見開いた。『吸血鬼侵入』との短いメールであった。


 千両はデスクに設置された守衛司令部へのホットラインに飛びつき、コールした。だが応答はなし。


「……5分だぞ?」


 たった5分で、守衛司令部が壊滅した可能性。千両の脳裏にそれが過ぎった。


 ――センリョウ・テックの対吸血鬼防衛計画は、あくまでも「ヴェロニカが反乱した時」のために策定されていた。そのためヴェロニカの戦闘能力が基準になっていた。アスターという、本人が20年分の戦闘経験を有し、さらに飛燕の20年ぶんの戦闘経験をも継承した男が、最新式の外骨格を着用して侵攻してくることは、想定していなかった。


 だが千両は原因の追求を後回しにし、「これからどうすべきか」に脳のリソースを割いた。


 ――この本社ビルは、もう落ちたものと判断した。ここには1個大隊規模の兵が展開しているが、吸血鬼が内部に浸透した状態ではあまりにも分が悪い。眷属化された兵と同士撃ちが発生し、まともな戦闘能力は発揮できまい。むしろ生身の兵士は、もはや誰も信用出来ない。


 ではドローンは? 千両はデスクのコンソールを操作した。だがドローン群が命令を受け付けない――それどころか、戦術リンクから上がってくる情報は、ドローン群が味方を撃っていることを示していた。


「司令部要員が眷属化されたか? あるいは電算室すら落ちたか」


 千両の脳は結論をはじき出した。ヴェロニカを連れて逃亡しよう。ヴェロニカさえいれば、ゼロからでもやり直せる。


 千両は執務机の裏側をさぐり、1つのボタンを押した。すると机の1角がせり上がり、パスワード入力用のコンソールが出てきた。素早くパスワードを打ち込むと、コンソールがくるりと回転して裏表が逆になり、赤いボタンが姿を現した。本社自爆装置である。この装置は本社ネットワークから切り離されており、外部からのハッキングを受け付けない。電算室すら乗っ取られた場合でも起動出来る、最終防衛機構であった。


 千両は迷いなくボタンを押した。『自爆シークエンス開始。15分後に起爆』と自動音声が流れた。


 ちょうどその時、社長室の扉がノックされた。


「誰だ」


「ヴェロニカです。お仕事が終わりました」


 艶のある女の声がした。千両は胸をなでおろし、入室を許可した。


「逃げるぞ、ヴェロニカ。詳しい説明は後だ、アスターが来ている。エスコートせよ」


「……承知致しました」


 千両にはヴェロニカの姿が見えないが、頭を下げていることは雰囲気で察した。千両とヴェロニカは急ぎ早に社長室を出るや、階段を目指した。電算機室が陥落している場合、エレベーターはもはや使えないと判断してのことである。


 1人残されたスミレは、ゆっくりと頭を上げた。


「アスターが……?」


 助けに来てくれた? 1人で? いや、企業の本社を1人で落とすなど到底不可能であろう、レジスタンスも協力しているはずだ。飛燕は無事だったのだろうか。

 様々な考えがスミレの頭を過ぎったが、希望が湧き上がってきた。同時に、怒りも。


「絶対に逃がしてやるもんか……千両豪樹」


 スミレは立ち上がり、千両のデスクを漁った。LANケーブルを発見し、手錠で拘束された手で難儀しながらも、自分のうなじにある生体LANジャックとコンソールを繋いだ。戦闘ドローンをハックしようとする。


「ッ!」


 スミレは即座にハッキングを中止し、接続を遮断した。センリョウ・テックの量子コンピュータの「目」にひっかかったのだ。まだ、生きている。社長室の従来型コンピュータでは到底太刀打ち出来ない。


「畜生!」


 スミレは無力感に打ちひしがれ、デスクを叩いた――そんな時であった、アスターの声が聞こえたのは。


「……スミレか?」


「アスター!?」


 アスターは拳銃を構えながら、社長室に入ってきた。全身ボロボロだ。白スーツは血で真っ赤に染まり、ところどころ裂けたり穴が空いたりしている。だがアスターは、僅かに微笑んだ。


「無事だったか」


「あなただって……!」


 スミレはアスターに駆け寄ろうとしたが、踏みとどまってしまった。今のアスターには、近寄りがたい雰囲気があった。安堵と殺意が同居している異様な気配に、スミレは気圧された。


「アスター……?」


 アスターは答えず、無言で胸パッドを投げて寄越した。


「あっ……」


 スミレはなんとかそれをキャッチし、即座に自分の生体LANジャックと接続した。アスターは頷く。


「本社量子コンピュータは今、そのデバイスからの命令に従属するようになっている」


「そんなことが……いえ、電算室のハッカーに命じたのね?」


 スミレは試しに、無線LANの掌握を試みた。確かに本社量子コンピュータが手を貸してくれた。それは亡き母と手を取り合っているような感覚であった。無線LANどころか、センリョウ・テックが管制する全ての戦闘ドローンへと伸びる、巨大な葉脈のごとき通信網すら全て掌握できた。今やセンリョウ・テックの全てのドローンは、スミレの眷属となった。


「いける! ……そうだ、千両とヴェロニカが逃げているわ! それにこのビルも自爆シーケンスに入っている!」


「そうか。捕まえよう」


「ええ、支援するわ」


 2人は社長室を飛び出し、エレベーターホールへと向かった。スミレのハッキングにより、既にエレベーターが待機していた。それに乗り込みながら、スミレはここまでの経緯をアスターと共有した。


「……そう」


 スミレには、アスターにかける言葉が思いつかなかった。自分の善意が惨劇の引き金になっただなんて、どう慰めれば良いのか。わからなかった。


 それと同時に、責任を感じもした。もしアスターが自分を助けていなければ――自分とアスターが組んでいなければ、千両の計画が完全な進行を遂げていたはず。そうなれば飛燕も敗北を悟り、逃げるという選択肢が取れたかもしれない――アスターが飛燕に「逃げろ」と説得……命令していれば、彼女は死なずに済んだかもしれない。彼女の記憶をアスターが継承し、真実を知ることも無かっただろう。アスターとヴェロニカ=マリーの運命が再び交錯することだって、無かったはずだ。


「……ごめんなさい」


 スミレは思わず、謝ってしまった。だがアスターは、困ったように微笑んだ。


「何故謝るんだ?」


「だって……」


「これは俺の贖罪なんだ。俺が、飛燕の運命を捻じ曲げてしまった。マリーを巻き込んでしまった。……本当に申し訳ないが、きみを助けたのは贖罪の一環だ。俺と関わった人に、不幸になって欲しくなかったんだ。そうでなければ……そうでなければ、俺は」


 不幸を撒き散らす、本物の化け物じゃないか。そう言ってアスターは、悲しそうに笑った。


「違う! あなたは化け物じゃない!」


 だってこんなにも優しいじゃない――その言葉は、スミレには続けられなかった。優しさが惨劇を招いたのだから。


「……ねえ、思いつめないでよアスター。呪うなら、こんな運命を仕組んだ神を呪いましょう」


 アスターは、何も言葉を返さなかった。


 エレベーターが停止し、扉が開いた。49階。スミレが乗っ取った戦闘ドローン群が千両とヴェロニカを追い立て、この階で包囲している。

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