第5話

 センリョウ・テック社、通称STの本社ビル、その社長室。成金趣味の誹りを受けかねない、過剰なまでの装飾が施された調度品に囲まれたその部屋の中で、1人の中年男性が四つん這いになっていた。そしてその男の尻を、女が蹴っていた。


 異様なのは2人の身なりと表情である――すなわち女の方は仕立ての良いタイトスーツ姿であるが、青ざめた表情をしている。


 対する男の方は、女よりもさらに上等な生地を使ったスーツ姿で、腕に光る腕時計は過剰なまでにゴテゴテとしたデザインではあるが、彼の社会的ステータスの高さを誇示していた。その表情は苦悶と愉悦が入り混じっている――この男こそセンリョウ・テック社の社長、千両豪樹であった。


 千両は女に尻を蹴られながら、目をギラギラとさせていた。


「オーウ! いいぞきみ、生きているという実感が湧いてきたよ……ウーン! やはり痛み、原始的な防衛反応は良いな、アォゥ! 自分が生き物だと思い出させてくれる」


 女は千両の尻を蹴りながら、震える唇で言葉を紡ぎ始める。


「しゃ、社長……お話の続きですが……」


「話? ……ああ、横領の件か」


「横領ではありませんッ!!」


 女は金切り声で叫び、一際強く千両の尻を蹴った。


「アオーッ! ……ッハッハッハ、今までで一番痛かったぞ。ニューロンに電撃が走った。うむ、少しだけ心象が良くなった、弁解してみたまえ」


「も、申し上げます! あれはわたくしの業務、すなわち本社サーバーの防衛という極めて重要な業務におきましては、時として本社人員だけでは手が足りず……もちろんピンポイントかつ一時的なものではありますが、外注も必要なのです」


「それで?」


「そのような外注を要する事態におきましては、その……上長の決済を待つ暇すら惜しくッ! 迅速に人員を確保せねば本社サーバーが危険に晒されるわけでして! すなわち私は純粋な愛社精神から……そう! 機動的に! 機動的に動かせる資金を必要としていたわけです!」


 女の弁解を聞いた千両は、ゲラゲラと笑い出した。


「ハッハッハッハッハ! きみ、きみィ! 機動的な資金とはまあ、よくも考えだしたものだ! なるほど確かにきみは頭が回る、そうでなければ電算機室防衛次長になぞ取り立てないからな! ……ところで」


 千両はすっと立ち上がり、女を見下ろした。身長180cmはゆうに超える偉丈夫であった。肩幅もある。その巨体だけで、女に威圧感を与えるのに十分であった。


「誰が蹴るのをやめて良いと言った?」


 千両から凄まじい怒気が発せられた。女の脚がガタガタと震えだす。


「あ……あ……」


「社法を守らないのは、まあ多少なら目を瞑ろう。きみの部下が作っていた重大なセキュリティホールを見逃したという監督責任についても、百歩譲って目を瞑ろう。……だがこんな簡単な命令すら守れない者を、許すことはできない」


 千両は執務机から拳銃を取り出し、女の額に照準を合わせた。


「社長、お待ちくだ」


 女の言葉を、銃声が遮った。血と脳漿とがカーペットを濡らす。床に落ちた薬莢を蹴飛ばしながら、千両は頭を振った。


「ストレスは身体にいかんな、まったく」


 その時、社長室の扉がノックされた。焦らすような、色香すら感じるゆったりとしたテンポで。


「入りたまえ」


 果たして入室してきたのは、ヴェロニカであった。巫女服のあちこちが破け、血まみれだ。だが千両はその様子をまるきり無視しているようだった。


「子猫は捕まえられたかね?」


「いえ、豪樹様。取り逃がしました」


 その言葉を聞いた千両の顔から、表情が消えた。ヴェロニカは畏れた。しかし彼女は生唾を飲み込み、続きの言葉を紡ぐ。


「子猫は吸血鬼を護衛につけていました」


「……なに? 本当なのか、それは?」


「ええ。あれはナノ止血ボットではあり得ない回復です。私の弱点まで的確に狙ってきました」


「ふぅむ、余興のつもりではあったが、思わぬ見つけものをしたな。……よろしい、子猫捕獲の失敗は不問としよう。それどころかご褒美をやろう」


 千両は先程殺した、横領女の死体を蹴った。ヴェロニカは乳を揺らしながら優雅に頭を下げ、それから死体の血をすすり始めた。


 千両はヴェロニカに背を向けながら、彼女に命令した。


「本業のついでで構わん。子猫と、その吸血鬼の捜索を続けろ」

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