第21話

 社長室から続く短い廊下を手で差しながら、千両が口角を釣り上げた。


 千両はスミレに向かって慇懃に言う。


「ヴェロニカの仕事が終わるまでの余興だ、母親に会わせてやろう」


「ママと?」


 スミレは僅かに安堵した。彼女がSTのデータサーバーから抜き取った情報では、蓮華は重要人物として収容されているとのことだった。少なくとも生きているのだ、ということはわかっていたが、それが裏付けられたかたちになる。


 千両は口角を釣り上げた。


「どうした、会いたくないのかね? きみは眷属化して超小型量子コンピュータの情報を吐かせたら、その後は死ぬまでハッカーとして働いてもらう予定だからな。これが母親と顔を最後の機会なのだが」


「ファック、このクズ野郎」


 千両を睨みつけながら、スミレは渋々と廊下に向けて歩き出した。千両が廊下の奥の扉を開いてやる。その先は、壁一面に幾つものシャッターが並ぶ、白い空間であった。シャッターの横にはそれぞれ開閉のためのボタンがついている。


 2人が入室すると同時、彼らの背後で扉が自動的に閉まった。『遮音モード起動』という自動音声も鳴った。


「……やっぱり拷問部屋なのかしら? 音も聞かれたくないだなんて」


「違うよ。静寂のためだ。この部屋は電波すら遮断してある……全ては私がリラックスするためだ」


 スミレはもう一度周囲を見渡してみるが、シャッターと白い壁が並ぶだけの、殺風景な部屋だ。リラックスとは程遠いように感じた。不気味ですらあった。


 スミレには、千両の言葉が信じられなかった。やはりここは拷問部屋で、あのシャッターの奥で蓮華が拷問されており、それを見せつけられるのではないか、とさえ疑った。怒りが込み上げてくる。だが頭の冷静な部分で、反撃の隙も伺っていた。ここは音も電波も届かないのだという。であれば、一瞬の隙を突いて千両を殺せるかもしれない。非力な女の身でも、今は手首には手錠がはまっている。これで首筋を殴りつければいけるかもしれない。スミレはそう考え、機会を伺うことにした。


 千両は「ではご対面といこう」と言いながら1つのシャッターの前に立った。彼がボタンを押すと、シャッターがせり上がった。


 シャッターの奥はガラス張りになっており、中には1体の胸像が納められていた。美しい女性のもので、あたかも生きていて、眠っているだけのようにも見える。


 それを見たスミレの顔から、表情が消えた。


「え……ママ……?」


 彼女は胸像に、怯えるような足取りで近寄った。確かにその胸像はスミレの母親、蓮華にそっくりであった。胸像と言っても石膏や蝋のそれではなく、髪はしっかりと頭皮から生え、肌は本物のようで、唇はつややかに口紅で彩られていた。


 眠っているように見えるだけで、本物の人間のように見えた。肩から先と胸から先は切り落とされていたが。


 千両はくつくつと笑った。


「見事な死体保存エンバーミング技術だろう? ここまでの状態を保つのはコストがかさむからね、無駄な部分は切り落とさせたが」


「え……あ……じゃ、じゃあ……これは……」


「ああ、正真正銘きみの母親の死体さ!」



 サムライが遺したカードキーで社員専用のエレベーターに乗り込んだアスターは、地下へと向かっていた。まず破壊すべきは、守衛本部。延々と増援を送られては流石に敵わない。指揮系統を、潰す。


 守衛本部の場所――それどころかセンリョウ・テック本社の内部構造は、今や全てアスターの頭の中にあった。飛燕の記憶が蘇る。彼女が、初めてスミレと会ったときの記憶。スミレから渡されたデータチップを確認した時のものだ。


――「驚いた。本社の見取り図、警備状況のデータ、戦闘ドローンの仕様書、収監されている重要人物のリストなんてのもある。真偽はうちの能無しハッカーどもに精査させるとして、本物だとすれば大したもんだよ」――


 警備状況は変わっているだろう。しかし内部構造まではすぐに変えられない。必然、「ベターな警備方法」のパターンは限られる。そしてそれが読めてしまえば、実力行使の際に逡巡や躊躇いの時間は減る。


 エレベーターが目的の階で停止し、扉が開いた瞬間、アスターは目にも止まらぬ速さで飛び出した。たちまち閉鎖されたハッチの前に立つ2人の兵士の首元に噛みつき、命じる。


「ドローンを黙らせろ」


 兵士たちの傍には戦闘ドローンが控えていた。吸血鬼検知システムが警告を発し始めていたが、眷属化した兵士たちが命じると沈黙した。


 アスターはハッチの横にカードリーダーがあることに気づき、そこにセキュリティカードを通した。ハッチのロックが解除され、自動的に開いた。――その瞬間、赤色灯が点灯し、けたましいサイレンが鳴り響いた。


「チッ、気づかれたか? 早いな」


 アスターはそう言いながら、再び閉じようとするハッチに身を滑り込ませながら、ショットガンでドローンを撃墜した。


 ハッチをくぐると、長い廊下が見えた。廊下の左右には幾つか扉があり、そこからぞろぞろと兵士が出てきた。


 アスターは駆け出しながら、アサルトライフルを薙ぎ払った。



 守衛本部では、本社守衛隊の副司令官たる毛利中佐が管制官たちに矢継ぎ早に指示を出していた。


「Aブロックの部隊は使い捨てて構わん、即応で出せ、時間を稼げ! 第2中隊は早急に社内に戻せ! 奴隷兵の展開まだか!?」


「投薬中です!」


「チイッ……」


 部隊の動きが鈍く、毛利は思わず舌打ちしてしまった。だが部隊の動きが悪いのは無理からぬことで、新たな防衛計画が公布されてからまだ数日なのだ。まだ誰も慣れていない。――スミレが本社データサーバーから防衛計画表を抜き取ったのが大本の原因であった。


 アスターの侵入に気づけたのは、戦闘ドローンのお陰であった。正門に展開していた機体が、不審な音を検知していたのだ。また吸血鬼探知機能の誤作動か――と思ったのだが、音の解析に当たった管制官が異常に気づいた。「外骨格の駆動音がする」と。


 さらにそれを本社サーバーのデータと照合したところ、それはBMアームズの試作機――今現在は傭兵「サムライ」しか着用していない――の駆動音であることが判明した。そしてサムライは、センリョウ・テックの依頼でスミレ捕縛任務に当たっているはずであった。それは既に成し遂げられ、彼はアスターとの交戦を開始したと報告が上がってきていた。


 であれば、考えられることは1つ。サムライはアスターに敗北し、外骨格を奪取したアスターが侵入してきているに違いない、と。


 毛利が睨みつけるモニターには、展開した兵士や戦闘ドローンが次々と「見えない何か」に狩られてゆく光景が映っていた。時折中空に火花が散るのは、アスターの外骨格が弾丸を弾いているのか。


 兵士たちの絶叫が、戦術リンクを通してスピーカーから響いてくる。


『化け物……化け物ーッ!』


『どこだよ、どこにいるんだよぉ……グワッ』


『わあああああああ! 何かが、何かが俺の首に!』


 毛利は戦闘の光景を注視しながら、社長室へのホットラインを起動した。だが、応答がない。千両への個人通信も試みたが、やはり応答がない。


「クソッ、ケア中か……!?」


 千両は時折、「ケア」と称するごく短時間の休憩を取っていた。その間は誰も彼と接触してはならないと命じられていたし、接触しようものなら抹殺されるか、ヴェロニカに眷属化されると噂されていた。


 真偽はわからない。だが千両は、ケアの時間を除けば不眠不休で働く、超人のような上司であった。故に全社員から尊敬され、畏れられていた。だがこのタイミングでケアとは、と毛利は苦虫を噛み潰したような表情になる。


「どいつもこいつも……!」


 なんと間が悪い。毛利は毒づきたくなった。そもそも、各社首脳級会合が行われるという重要な時期に、あくまで副司令官にすぎない毛利が指揮を執っていること自体がおかしかった。正司令官は「極秘の別命がある、すぐ戻る」と言って出ていったきり戻ってこない。


 ――毛利は預かり知らぬことであるが、これはサムライの策略であった。正司令官の家族を人質に取ったサムライは、正司令官を外に呼び出すことに成功していた。今は両者とも死に、正司令官のセキュリティーカードはアスターの手元にある。


 毛利は、管制官の報告で我に返った。


「奴隷兵、展開完了しました!」


「投入せよ!」


 奴隷兵。債務奴隷であったり、下層民から強制徴募した兵士たちである。「この任務から生還したら解放してやる」という餌で釣り、薬物で恐怖心を消した上で投入される、使い捨ての駒。


 皮肉なことに、対吸血鬼という面では彼らが最も優秀であると見なされていた。何せ、ほとんどの者が目をカメラアイに換装するカネなど持たない下層民だからである。彼らには吸血鬼が見える。


 モニターには、対戦車ミサイルや刺突地雷を持った奴隷兵たちが次々とアスターのいるブロックへ向かっている様子が映っていた。

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