第16話
午前1時50分。郊外の廃工場に、アスターとスミレは潜伏していた。その工場の巨大な駐車場、今は無数の廃材が遺棄されているその場所が、会合地点になっていた。周囲のプラントや社屋にはレジスタンス兵が詰めており、アスターとスミレもまた、駐車場に隣接した10階建ての建物――の2階に詰めていた。屋上には信号増幅用のアンテナが設置されており、それは長いケーブルでスミレの生体ジャックと接続されていた。
スミレが眉をひそめる。
「なんでここなわけ? 視界悪くない?」
「上階はダメだ、逃げる時に手間がかかるし、狙撃の的にもなりやすい。自分たちから見えるってことは、相手からも見えるってことだ」
「それにしたって、これじゃ駐車場側しか見えないわよ。敵は外周からやって来るんじゃなくて?」
「そうだとも。だがそこを警戒するのはレジスタンスたちの仕事さ。……傭兵さんが出しゃばってメンツを潰してやることはない」
「ふぅん。複雑なのね」
「ああ。だが安心しろ、レジスタンス兵の訓練をしたのは俺なんだ。ごく初期の話だがな。まぁ少なくとも、背中を預けても良いと思える程度の練度にはなっているよ」
アスターは時計を確認し、インカムに手を伸ばした。
「ブラボーより定時連絡。異常なし。アルファも一緒だ」
『――こちらヴィクター、了解。警戒を続けて頂戴、アスター』
それはアサガオの声であった。レジスタンス兵を運ぶトラック、彼女はその運転手として参加していた。アスターは苦笑する。
「名前を呼んじゃ意味がないだろう? コードを使え」
『――おっと失礼、気をつけるわ』
通信はそこで途切れた。スミレが目を細める。
「……アサガオのことを悪く言いたくはないけどさぁ、本当に大丈夫なのレジスタンスって?」
「こういう雰囲気なんだよ、ここは」
その時、遠方からエンジン音が響いてきた。2方向からだ。片方は古びた装甲トラック――飛燕の乗車だ。もう片方は、黒塗りの高級車。西日本防衛装備社だろう。
2つの車両は互いに距離をとったまま駐車し、それぞれから人が降りてきた。飛燕は4人の武装兵を伴って。西日本防衛装備社の重役、40代ほどの男性は、革の鞄を持った秘書らしきスーツ姿の男を1人伴っているだけで。
飛燕と重役は歩み寄り、5mほどの距離をとって停止した。先に口を開いたのは、西日本防衛装備社側であった。
「名刺はいるかね?」
「結構だ」
「つれないね。……私は中村。外交三局所属、階級は二佐だ」
「飛燕だ」
「……会話を楽しむ気はなさそうだね?」
「企業と仲良く出来るんなら、レジスタンスなぞやってないよ」
「それもそうだ。だがこれからは、そうであっては困るのだ。関係修復のために、贈り物を受け取って貰えるかな?」
中村がそう言うと、秘書の男が飛燕に歩み寄り、一枚の紙を手渡した。飛燕はそれに目を通し、片眉を上げた。
「ほぉう。関係修復のために、と言ったね。ならアタシたちと同盟を組むための貢ぎ物は、別にあると考えて良いんだね?」
「実に気に入らない言い回しだが、そうだ」
紙には、武器弾薬や食料、医薬品の種類と数量がズラリと書かれていた。現在のレジスタンスの規模なら、食料と医薬品は1年間は自活できる量がある。武器弾薬にしても、10回は大規模な作戦が行えるだろう。
口角を釣り上げながら、飛燕は尋ねる。
「随分と大盤振る舞いだね。そこまで戦況は悪いのかい?」
ちらりと都心方向の空を見れば、雲が炎の色で染まっていた。今まさに、日本救国同盟の軍は奇襲攻撃を仕掛けている最中なのだろう。
中村は不快感を隠そうともせず、鼻を鳴らした。
「否。初撃は概ね成功している。数日とせず我々は都内で有利な地保を固められるだろう」
都内を制圧、とは言わなかった。初撃では経済の中心地である東京を、制圧しきれない。そうなれば各企業は、日本各地にある策源地で戦力を再編し、逆襲してくるだろう。その時に敵側に橋頭堡があっては、逆襲が成功する公算は高くなる。西日本防衛装備社はそれを恐れている――飛燕はそう読んだ。
「ふぅん。だとすればアタシらへの要求は何になるんだい?」
「ゲリラ戦だ。都内の各企業支配地域を巡り、敵部隊の補給を寸断、孤立化させて貰いたい」
「孤立化だけで良いのかい?」
「ほぉう、制圧までやってくれるのかね?」
「そこは供給される装備次第かねぇ。重火器の支援なしにやりたい仕事じゃあない……」
――アスターは2人の会話を聞きながら、概ね読み通りだなと思っていた。日本救国同盟は、切に戦力を欲している。その証拠に、レジスタンスに要求するものはとても現実的だ。ゲリラ戦の展開。そこがレジスタンスの戦力的に限界であろうと踏んでいるのだ。もっとも、飛燕は重装備を引き出すためにさらに踏み込もうとしているようだが。
おそらく話はうまくまとまるだろう。あとはどれだけ装備や物資を引き出せるか、その駆け引きだけだ。いくらか安堵しつつ、アスターは警戒に当たっているレジスタンスたちと連絡をとる。
「こちらブラボー、チャーリー、調子はどうだ?」
『こちらチャーリー、異常なし』
襲撃の気配もなし。アスターはスミレに目を向ける。
「そっちはどうだ?」
「戦術リンクの反応もないわ。護衛なしで来たのね、あの中村とかいう男」
「……なに? 戦術リンクの反応がないだと?」
「ええ。それがどうかした?」
「護衛なしってことはあり得ないだろう、戦時下だぞ? ここに来るまでに、最低限の護衛はつけたはずだ。護衛の車列はどこか少し離れたところに置いてきたんだろうがな。そいつらの戦術リンクも拾えないのか?」
「そうは言っても、半径数キロには戦術リンクの交信は見当たらないわよ。レーダーが壊れてなければ、だけど」
アスターは思考する。護衛につける兵力すら足りていない、という線はある。だが本当は兵を連れてきてはいるが、無線封鎖状態にあるとすれば? いや、何故そんなことをする必要が?
――レストランでの一件を思い出す。スミレの電子戦能力の高さは、西日本防衛装備社の重役に知られている。関係が深そうなサムライにも。だがスミレとレジスタンスが繋がっているという直接的な証拠は残していないはずだ。
しかしもし、どこかで情報が漏れていたとしたら? 自分が西日本防衛装備社の指揮官で、相手の電子戦能力が高いとすれば、どう立ち回る? 無線封鎖、すなわち戦術リンクを切った上で接近する――だがそんな状態で有機的な戦いをするには、相当に歩兵の練度が高くなければならない――それこそ自衛軍の伝統を引き継ぐ、西日本防衛装備社の兵くらいでなければ出来ない。
嫌な予感がした。アスターはインカムに手を伸ばす。
「こちらブラボー、総員、至急応答せよ。異常ないか?」
『チャーリー異常なし』
『デルタ、異常なし』
『ゴルフ、問題なし』
……他7人から応答があった。今回コードはAからVまで割り振られ、アスターとスミレを含めてレジスタンス側は22人で哨戒していた。11人から応答がないことになる。アサガオからもだ。だがアスターは心配も後悔も後回しにし、迷いなく叫んだ。
「敵襲、敵襲! ブラボーの位置に集結せよ――クソっ!?」
首筋に寒いものを感じたアスターは、拳銃を抜き放ちながら振り返った。そこには、消音器つきのサブマシンガンを構えた、西日本防衛装備社の兵士がいた。アスターは即座に発砲した。
「ぐわっ」
「チイッ……」
反撃で胸に数発銃弾を貰いながらも、アスターはさらに弾丸を叩き込んでトドメを刺した。死体から武器を奪う。サブマシンガン、手榴弾、それから高振動ナイフ。
スミレが負傷したアスターを見て悲鳴を上げる。
「アスター!?」
「大丈夫だ、伏せていろ!」
アスターは駐車場側へと身を乗り出し、サブマシンガンを構えた。今やあちらこちらから銃声が聞こえていた。飛燕は護衛兵に守られながら、廃材の陰に身を隠していた。中村は、捕虜にしておく余裕がないと判断されたのか、額を撃ち抜かれて死んでいた。
「飛燕、建物の中へ! 援護する!」
「恩に着るよ!」
アスターは西日本防衛装備社側の射撃点を見つけるや、そこにサブマシンガンを撃ち込んだ。その隙に飛燕が廃材の陰から飛び出し、アスターとスミレのいる建物へと駆け込んだ。
飛燕とその護衛兵は、壁を背にして駐車場側へと射撃を加える。
「クソッ、やっぱりこうなったかい! ハハハ、本当に年貢の納め時みたいだね」
「飛燕?」
やっぱりとはどういうことだ? そう問おうとしたが、飛燕は申し訳無さそうに微笑んだ。
「ねぇアスター、逃げちゃおっか」
「当たり前だ、撤退するぞ」
そう言いながら、アスターは困惑していた。飛燕の表情や声色が、まるで少女のような茶目っ気を含んだものだったからだ。それは20年前、彼女がまだ17歳だった頃を思い出すようなものであった。
――次の瞬間、激しい銃撃音が室内に響いた。閃光。衝撃。アスターは銃弾に貫かれながら、飛燕やその護衛兵たちが銃弾の雨に打たれて踊る様を見ていた。
「がっ……」
倒れ伏しながら、アスターは回復を急いだ。銃弾が排出され、傷が塞がってゆく。
「アスター!? 飛燕!?」
スミレの悲鳴が聞こえた。彼女が無事だったことに安堵しつつ、アスターは頭を上げる。飛燕は胴体に何発か貰ったようで、アスターと同じように床に倒れ伏していた。防弾チョッキがいくらか銃弾を防いでくれたようだが、床に血が広がっていた。早く止血せねば。いや、それよりも敵を排除せねば。
その時、男の声が響いてきた。
「――アスター、良い格好だな?」
それは、サムライの声であった。
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