古扇 一
「ねえ――修さん」
ソファーに寝転んで、いつもの扇をぱたぱたやっている土門修平に、局長デスクから声をかける白鳥沙友里。局員室にいるのは二人だけで、局長と牧は外に昼食に出ており、涼介は朝から書蔵室に籠ったまま、一度も姿を見せていない。
初夏の昼下がり。うだるような暑さの一歩手前。カーテンを閉め切っても狭間から差し込む日の光が目に痛いくらいで、蝉の声もひっきりなしに聞こえてくる。そんな最中に、クーラーをがんがん聞かせたこの天国を発って、焦熱地獄のような外に飯を食いに行く人の気が知れない――という主張で意気投合した二人。給湯室の冷蔵庫に眠る残り物と間に合わせもので昼食を済ませ、後はずっとごろごろしている。依頼人なんて滅多に来ず、陽の気が燦燦と降り注ぐ昼日中に付喪神はお呼びでない。つまり、徹底的にやることがないのであった。
的矢局長専用の椅子に、深々と身を沈め、くるくる回っている沙友里。憧れなのか何なのか、的矢不在の際には時折こうして局長席に座る。局長は半ば黙認しており、一方、牧や土門はやめなさいと諫めるのだが、それが効いた試しはない。
半ば目を瞑っていた土門は、首を上げもせずに、なんだ――と返す。外は蝉の声やら車の喧騒やらで煩いのに、部屋の中は空間の断絶でもあったかのように音がない。汗水たらして働くクーラーの唸り声だけが、時間すら停滞しがちな静寂を掻き乱している。
「修さんが持っているそれ――付喪神ですよね」
「どれ? ――ああ、これか。まあ、そうなるな」
「それは、取り締まらなくて良いんですか?」
「なんで?」
「だって、九十九物怪取締局でしょう? あたしたち」
「付喪神だからって、何でもかんでも目の敵にはするもんじゃないよ」
そういうもんですかね、と全然納得していない様子の沙友理。やれやれと嘆息して大義そうに起き上がる土門。手の中の扇に視線を落として、
「一言に付喪神と言っても、発生の過程からして色々ある。使われなくなり、打ち捨てられたことを恨んで物の怪と化す場合もあれば、こいつのように期せずして付喪神化する場合もある。我々が対処しなくちゃいけないのは前者――つまり怨憎に凝り固まった付喪神の方だ。これは絶対と言っていいほど、人世に害を為す。だがね、このご時世に、そんな積年の恨みを宿し続ける古道具の方がレアなんだよ。ここ最近に持ち込まれる案件だってそうだろう?」
土門に言われ、沙友理は天井を睨んで考えてみた。最近の案件――人を慕う鰐口……赤子代わりの蓋を慕う鍋……百鬼夜行完走を目指す矛……。
「うん。確かに、そんな付喪神はいないです。――でも何で? 最近の付喪神って、ドライなんですか?」
ドライっていうかねぇ、と頭を掻きつつ、土門は苦笑を浮かべた。
「これほど物に満ち溢れて、当たり前のように廃棄されまくる現況では、恨みを飲む前に無に帰してしまうものが殆どなんだろう。器物が魂を得るまでには相応の期間と、その期間において“長らく使われる”という経験が必要だから――大して使われる間もなくゴミとして棄てられるんじゃ、器物妖怪になりようもないんだろうよ」
なるほどねえ、と沙友理。語るだけ語って、すぐにまた寝転がろうとする土門。その動きを制するように、じゃあ――と沙友理が言葉を紡ぐ。
「修さんの古扇は、どういった経緯で付喪神になったんですか?」
「経緯――こいつの?」
土門は手の内の古扇を眺めつつ、そういや言ったことなかったな、とぼやく。
「古い付き合いなんでしょ? その扇と」
沙友理の問いに、まあなと生返事。見るからに気乗りしていないのだが、だからと言って話を切り上げるところまでは行かない。その辺の微妙な匙加減が、土門修平の土門修平らしいところである。
「話してくださいよ、腐れ縁」
局長デスクから腰を上げ、土門の横に落ち着く沙友理。顔を覗き込まれ、土門は、そうさなあ――と頭を掻く。沙友理の眼差しから視線をそらすのはいつものことで、この男、人と目を合わすことを――殊に沙友理のような若々しい女性と目を合わすことを、あまり好まないのである。
土門は無言で扇を広げた。すぐに閉じた。これを三回ほど繰り返した。まるで扇を羽ばたかせて遊んでいるような仕草である。扇が開くたび、真ん中あたりの無惨な穴が沙友理の目を引いた。
四度目に開き、また閉じた時、ぶるんと扇が震えた。少なくとも傍目――沙友理からは、そう見えたのである。
分かったよ――と土門は嘆息して言った。沙友理が素早く立って、小ぶりの冷蔵庫からよく冷えた缶ジュースを持ってきて、土門に渡す。
蓋を空け、プシッと炭酸が抜ける音を響かせながら、土門は話し始めた。
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