鳥兜 四

「陰陽雑記には、器物百年を経て、化して精霊を得てより人の心を誑かす――とあります。これは沙友も復唱できるくらいに、この局内では既知の文言ですが、よくよく考えると面白い点が二つある」

 解説モードに入った涼介の口調は淀みない。物知りだし、頭の回転は早いし、服装にさえ気をつければスマートだし、どこかの大学で講義でも持てば、きっと人気になるのに、と、沙友理は説明する涼介の姿を見るたびに思う。

「一つは、器物が百年を経ると精霊を得るというところ。精霊が指す範囲は広大ですが、後年ではこれを“魂”と入れ替えている本もあるから、まあ魂としておきましょう。つまり器物は百年を経て魂を帯びる。“付喪”という言葉だって、古きに霊魂が憑くことを表すでしょう。一方で、“物の怪”という意味合いは、森羅万象おおよそ形をなせるモノの怪――病むこと、理を外れることによって変ずる存在ということです。付喪神は、物怪でも有り、憑物でもある。この場合の“憑く”というのは、理を外れた彼岸の魂が物に入り込むという意味での“憑く”ということになる」

 そこまでは分かりますか、と確認され、牧は頷く。沙友理も、なるほど……と鹿爪らしく頷いた。まずまずの反応に満足したか、涼介は鼻からふっと息を吐いて、

「以前、修さんと軽く議論したことがあるんですよ。付喪神の本質は、古道具にあるのか、古道具に宿った精霊にあるのか――ってね。修さんは両者に違いを付ける意味をあんまり見出していなかったようだけれど、僕は違う。これは付喪神の実存に関わる重大な問題だと思っているんです」

「卵が先か、鶏が先か――みたいな話?」

「いや、例えて言うなら、沙友の体をみじん切りにしたとして、どっからどこまでを白鳥沙友里と呼ぶべきかって話」

 やめてよ怖いな――と言って顔を顰める沙友理。もののたとえだよ、とどこまでも涼しい顔の涼介。誰に対しても歯に衣着せず、思ったことをズバズバ言ってしまえるのが涼介の強みである。牧は苦笑しつつ、涼介に、

「それで――議論に決着は付いたのか」

 と訊く。涼介は肩を竦め、

「十把一絡げで片付けられる問題じゃなくてね。お互いに知っている付喪神の例を挙げていくだけで二時間くらいかかって、やめになりました」

 なんだそりゃ、と沙友理。修さんと涼介ならではなだな、と牧。いやいやいや、と涼介は二人を嗜めるように、

「結論が出ないという帰着だって大事ですよ。要は、どちらも是ってことなんですから。古道具に本質があるという形の付喪神と、魂に本質がある付喪神、そのどちらも存在する――否、存在して良い。それくらい、大きな懐を持つ語彙ってことですよ、付喪神は」

「それじゃあ、付喪神が憑き物として人の心に巣食う場合も――」

「大いにある。その好例がホラ、あいつですよ」

 涼介が何気なく指さしたその棚の上には、鞘に眠る古めかしい太刀。少し前の、矛担ぎ騒動の際に持ち出されたものである。今は厳重に封じられて、鞘にはべたべたとお札が貼られていた。

「村雨――? あれって妖刀でしょ? あれを手にして鞘を抜いたものは、必ず血腥い不幸を遂げるっていう、あの――ああ、だからそうなのか」

 分かっただろう、と微笑む涼介。

「妖刀と言っても色んな種類があるからややこしいんだが、主に負の力を持つ妖刀の幾振りかは付喪神だと思って良いですよ。特に血の味が忘れられずに持ち主の心を惑わせ、操り、襲わせる類のものはね。あれは付喪神の魂が、刀を媒介として持ち主に憑依して狂わせている。まさに憑き物の所業です」

「この前の奴は、武器を持った鬼としてこの世に現れたわけだが、そうか……鬼の姿は見せずに人に取り憑くタイプのものもあるわけだ」

「真珠庵蔵の絵巻その他に描かれている付喪神のイメージからは、乖離するかもしれませんが、世の奇談を繙けば、古道具や狐狸の魂が人に憑く話の方がずっと多い。いわゆる憑き物と付喪神の境界線は、思ったよりも曖昧なものかも知れません」

「じゃあ、莉子ちゃんの様子がおかしいのが、もし憑き物の仕業だとすると、その正体が付喪神という可能性も――」

 話を本筋に戻す沙友里。涼介は頷いて、

「大いにあるってことだ。まあ、実際を見ていないから、逆に全然ないって可能性もあるけどね」

 おいおい、と牧。

「こういう仕事だからって、何でもかんでも付喪神の仕業にしたら修さんが怒るぞ。柚木さんのことだって、無理に付喪神に紐付けしなくたって、いくらでも理由付けはできるわけだし――」

「何言ってるんですか、牧さんらしくもない。世間と波長を合わせると見えるモノも見えませんよ」

「涼介――」

 眼鏡を上げ、髪の毛を掻き分ける涼介。その眼差しは鋭くも、刃物の如く鋭い。

「この仕事に就いているから、無理に付喪神に紐づけているんじゃない。この仕事だからこそ、一つの可能性として付喪神を挙げることができるんです。それに――」

 と、そこで言葉を切って立ち上がり、沙友里の後ろに立って、その肩に手を置く。年頃の男女にしてはやや親密を感じる所作。土門修平などには絶対にできないであろう距離の近さだが、涼介にそのような意識は皆無であるため、沙友里も全く気にしていない。

「沙友の直感だからこそ、信頼する気になるんですよ。この九十九物怪取締局の中で、付喪神だの怪奇だのに一番懐疑的――否、もっと言うと距離を置いているのは沙友里です。僕や局長のように凝り固まっている知識を持っているわけでもなく、修さんのように見える術を備えているわけでもない」

「それを言うなら、俺はどうなる。俺は見えもしないし、涼介のように知識があるわけじゃないよ」

「でも牧さんは、見えないという利点を逆に活かして付喪神に直に触れているわけでしょう。場合によっちゃ、奴らと一番近いところにいるのは牧さんですよ」

 そいつは――有難くねェな、と顔を顰める牧。まあねと涼介も笑いつつ、

「付喪神の実在はしっていつつ、それが当たり前となっていない。そういうフラットなところにいるのが沙友里です。その沙友里が話の中で何かあると直感したならば――それは、たぶん何かある。調べてみる価値はあると思うんです」

 分かったよ――と嘆息し、両手を上げる。涼介の言い分に納得させられたわけではなかったが、少なくとも自分が世間の波長とやらに迎合している――この仕事をしていて一番苦々しく感じる、関係者に話が通じないあの感じを、事と次第によっては二人に味わわせてしまったのかも知れぬという気はしていた。

「ただ――もう少し情報がいることには違いないだろう。柚木さんの様子が変なのは全然違う事情に起因しているかも知れないのに、下手に付喪神なんて“方便”を与えちまったら、根本の解決ができなくなるかも知れん」

 ええ、そこは分かっています――と、今までで一番真面目な顔の沙友里。

「そもそも杏美ちゃんにも莉子ちゃんにも、あたしの仕事のことは話してませんし、杏美ちゃんと話している時も付喪神の話は出さなかったんです。むしろ杏美ちゃんの方が、お祓いとか行った方が良いのかって言ってたんですよ」

「ああ――そうか。そういや、言ってなかったんだったな」

 沙友里が自分の仕事について誰にも言っていないのは、以前から牧も知るところであった。的矢が聞いたら複雑な表情を見せそうだが、牧自身の本音は“どっちでも良い”であった。沙友里の選択を肯定する気も否定する気も、同情する気もない。

「宮沢さんとは繋がっているのか?」

「ええ。莉子ちゃんが心配だってことで、こまめに連絡取り合おうってことになりました。杏美ちゃん、あたしたちの中で一番フットワークが軽いんで、近々、莉子ちゃんに会いに行くって言っています。詳しい事情は、またラインしてくれるって」

「まずはその報告内容を見てからだな。うちの管轄だと分かれば滋賀まで出向くことになるだろうし、事と次第によっちゃ前乗りも必要だろう。局全体で話し合う時間があれば良いんだが、局長と修さんが遠征から戻るのは五日後。それまでに動く必要が出てきたら、俺たちしかいない。取り敢えず局長には俺から知らせておこう」

 分かりましたと肯く沙友里と涼介。牧はソファにごろりと転がり、天井を睨む。沙友里は涼介に報告書作りを手伝ってもらうらしく、二人して書蔵室に消えた。静かになった待合で新しい煙草に火を付けるのも忘れて、これまでのやり取りを反芻する牧。沙友里と涼介、それぞれの言葉の中から、二人が言及した以上のことを探り当てようと、思考思索を燻らせ始めた。



 翌日、宮沢杏美から沙友里に連絡が入り、その内容を見て、沙友里は即座に牧に連絡した。牧と沙友里、そして沙友里の三人での議論の結果、至急動く必要ありと判断し、まずは牧と沙友里が現地に赴くこととになった。

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