鳥兜 三
「そこで偶然にあった学友から、相談されたってンだな」
九十九物怪取締局の局員室のソファーに深々と沈み込み、足を放りだしながら牧大輔は念押すように行った。対面の白鳥沙友里はいつになく畏まった様子で頷く。
「宮沢杏美ちゃんとは大学の頃に知り合って、たぶん一番仲が良かったんじゃないかな。同じ学部で、ずっと一緒だったし。で、もう一人、柚木莉子ちゃんと三人でよく遊んでたんです」
先日、雨の渋谷駅前での思いがけない再会――。その顛末を語った後、補足するように沙友理は言う。沙友理から見ると、牧はソファーに真横に寝そべり、天井を見上げている。通常の依頼、相談相手の前では絶対にしない態度だが、沙友理は気にしなかった。牧の場合、真面目にきちっとしている時よりも飄々としていたりだらけきったりしている時の方が、脳の処理能力が高まっていることを知っているのである。
「沙友の大学って、滋賀だっけ? 地元は大阪だよな」
「ええ。杏美ちゃんと莉子ちゃんは地元も滋賀でした。二人は実家通いで、あたしは途中から一人暮らし始めたんです。初めは頑張ってたんですけど、大阪からじゃ地味に遠くって――。二人ともよく、あたしが借りている部屋に泊まりにきてましたよ」
なるほどな――と天井を見つめながら呟く牧。その指先から、煙草の白い道が一筋伸びている。煙草が好きではない沙友理だが、取り敢えず今は我慢して話の続きを急いだ。
「大学を卒業してからは、お互いに時間が合わなくなって、連絡とかもそんなにしなかったんです。杏美ちゃんと莉子ちゃんは地元の滋賀で就職したし、あたしはここに就職して東京に出てきたでしょう?」
「宮沢さんと柚月さんは? 同じところにいたんなら、偶にくらいあっただろうに」
それがね――と沙友理は身を乗り出して、
「全然、会う機会がなかったそうなんですよ。同じ滋賀と言っても場所が違うし、莉子ちゃんの就職先が、お父さんが経営している会社の支社で、けっこう忙しいところだったみたいで。卒業してからちょっとの間はLINEに既読や返信もあったみたいなんですけど、そのうち途切れちゃったんですって」
父親の会社の支社ね――。そう呟きながら、牧はむっくり起き上がる。机上の灰皿に吸い殻を押し付けつつ、
「で――宮沢さんの話じゃ、一週間前に偶然二人は再会したってことなんだな」
沙友理は頷いた。これまでに沙友理が牧に話した事の次第は、こんな具合である。
先日、雨の渋谷駅で思いがけない再会を果たした二人。驚きと喜びと旧交の温かみを噛み締めたいところだが取り敢えず河岸は変えたほうが良かろうということで、かつてのように沙友理が借りているアパートに二人して行くことになった。
二人して渋谷を発ち、アパートに到着したのが午後五時半頃。順番にシャワーを浴びて濡れた服を洗濯機に放り込み、近くのスーパーで大量に買い込んだ菓子類やら酒缶やらに手をつけ出したのが一時間後の六時半。そこから先は、日付が変わるまで飲んだり食べたり話したりが延々続いた。
宮沢杏美は滋賀の小さなアパレルショップで働いており、東京には本社との打ち合わせを目的とした出張で来ていたらしい。打ち合わせ自体は昨日に済んでおり、有給を使って東京で二泊し、明日の朝に戻る予定であるという。出張がてらの有給消化を認めてくれる辺り、また本人の健康状態や精神状態を見る限り、職場環境はそれなりに恵まれているようだ、というのが沙友理の見立てである。
話の大部分で花咲いたのは大学の思い出話だったが、それが一通り済むとお互いの「今」についてに話題が変わってゆき、沙友理は身構えざるを得なかった。杏美には本当のことを打ち明けるべきだろうか、など、そんな逡巡が頭を過る最中、相手の顔色を窺うと、奇妙なことに宮沢杏美の方が沙友理以上に表情を暗くしていたのである。彼女は暫くの間、言い躊躇うように口をもごもごさせていたが、そのうちに意を決したか、
「沙友理ちゃんあのね――実は、ちょっと気になることがあってね」
と、沙友理の仕事の話になるまでに妙な相談を切り出した。
もう一人の親友、柚月莉子のことである。
同じ滋賀で就職しても、中々遭う機会のなかった二人。それが、ほんの一週間前、ぶらり立ち寄った草津で、ばったり行き遭ったというのだった。
「あたしは東京から知人が来ていてね、せっかくだから草津温泉まで足を伸ばそうってことになったの。で、莉子ちゃんは勤め先が粟東の駅近にあって――。お昼間だったと思うけど、ご飯食べている時に見つけちゃったのよ、莉子ちゃんを」
思いがけない再会について、杏美はそう説明した。卒業して滋賀を離れて久しい、否在学中もそれほど滋賀を歩き回った経験のない沙友理には、地名を言われてもピンと来なかったが、取り敢えず、すごいじゃん! と驚いておいた。杏美は猶も言い淀む様子を見せていたが、さらにぐっと顔を近づけるようにして、
「莉子ちゃん――何か変だったのよ」
変? と眉を顰める牧。あたしも同じ反応した、と沙友理は言った。
「元から痩せ型の綺麗な子だったんですけどね、頬がげっそりコケて、目が落ち窪んでいて、見るからに生気がなかったんですって。目も虚ろで、話していてもどこを見ているか焦点が定まらない様子で――」
「そんなに仕事がきついのかね」
「でも、それでいてしんどそうな様子はないんですって。杏美ちゃんから話しかけられた時も、すっごく嬉しそうだったし、声そのものには元気があって、明るくはずんでいたみたいだし。でもそのギャップに、より不安になるというか――」
なるほどね、と呟きながら膝の上に肘をつき、背中を丸め、両手を組んで人差し指の接点に鼻と唇の繋目を押し当てる牧。多少なりとも興味をそそられたようである。
「話はしたンだろ?」
「ええ――」
曖昧に頷く沙友理。牧と同じ質問を、沙友理も杏美にぶつけていたのである。
「元気かって。そしたら莉子ちゃん、元気だって。最近どう? って訊いたら、お父さんの会社は休職中で、好きだったことにもう一度挑戦しようとしていると、そんな風に言っていたそうです」
「それだけ?」
「そんなに長い時間はできなかったみたいですよ。莉子ちゃんの変わりっぷりに、杏美ちゃんの方が戸惑っちゃって――莉子ちゃんは莉子ちゃんで、なんかふわふわしていて、どっか飛んでっちゃいそうだったみたいだし。会話の端々で、上手く通じていない感じがあったって言ってました」
ふうん――と頭髪の左側をでろりと撫でて呟く牧。どう思います、と沙友理は訊く。
「どう思うッつったって――仕事は休んでるンだろ? 取り繕ってたけど、やっぱり心労が祟って、相当参ってたンじゃないのか」
「それはそうだと思うんですけど、その――ほら、杏美ちゃんが遭った時の莉子ちゃんの様子が」
「つかれはつかれでも、字が違うってかい」
どうだろうなァと両手を頭の後ろで組んで、天井を睨む牧。沙友理は追撃するように、
「涼ちゃんに訊いたんです。付喪神が、人に憑くことはあるのか――って」
「涼介は何て?」
「一般的にイメージする憑依の形ではないかも知れないけれど、あることはあるって言ってました。それと、何か小難しいこと言ってましたよ」
「小難しい?」
えっとね――と、沙友理は牧と同じように天井を睨みながら、つらつらと、
「付喪神はそもそもそれ自体がモノに憑依されたに等しい存在であり……そんで、第三者がモノの魂に呼応した場合は……その、いわゆる憑依に等しい関係になる可能性があるとか何だとか」
「なんだそりゃ」
「わからないんですよ。あたしにも理解できるように説明してほしいんですけど」
「わからない説明じゃないよ」
びくっと体を弾ませて、奥の書蔵室を見る沙友理。いつの間にか扉が開いていて、埃まみれの白衣にぶすっとした顔の大鳥涼介が立っていた。時間を忘れて書に見入っていたのか、首や肩の筋をぎしぎし言わせ、ロボットのようなぎこちない足取りで近づいてくる。
「もっと噛んで含めるように説明してやっただろう。孫引きってのはこれだから危険なんだ」
ソファにどっかり座り込む涼介。牧は涼介の様子をうかがいながら、
「涼介――二日くらい前から見てなかった気がするが、その間ずっと――」
「書蔵室にいましたよ。最近、根付掘に凝りだしましてね。ほら、これ」
涼介がポケットから出したのは、親指の爪先から第一関節までサイズの木彫。牧は注意深く受け取って、掌に載せる。指の柔らかいところで優しく摘んでやらないと折れてしまいそうなほど細く作り込まれた部分があって、牧はしげしげとそれに見入った。
「こいつは――大したもんだ。これ、この前の鰐口か」
「ええ。真珠庵の絵巻を参考にして彫ったんです。習作なんですが、それなりに上手いでしょう」
習作で終わるモンじゃねえよ――と唸るように言いながら、牧は掌の向きをあちこち変えて魅入っている。牧の反応に満足そうな顔を見せる涼介は、一度立ち上がって白衣をはたいた。埃に混じって、若干の木屑が落ちる。沙友理がそれを見て顔を顰め、
「涼ちゃん、後でちゃんと掃除してよ。この分じゃ、書蔵室も、前にあたしが行った時より、ひどくなってんじゃないの?」
心配ないよ、と白衣を脱いでくるくる丸め、ソファーに座り直す涼介。牧は根付をつまみ上げ、注意深く机の上に置いている。
「大切な本を汚す真似はしないさ。一日の終りに、ちゃんと掃除しているから。行って見てきたら良いよ」
「一日の終りって――涼介、またここに泊まり込んでンのか」
呆れたように言う牧。涼介は嫌だなぁと不服そうに、
「個人の楽しみだけで作ってるわけじゃない。実はこれ、修さんに頼まれた仕事なんですよ」
「修さんが? なんで」
いやあ、それがね、と頭に手をやる涼介。
「修さんってほら――僕ら人間よりも付喪神の方に思い入れちゃうところがあるじゃないですか。この前の鰐口の一件は、然るべき供養を以て終となったわけですけど、修さん的にはもっとこう、なにかできることはあるんじゃないかって思ったみたいなんですね」
「それで、根付を作ることに?」
涼介は頷き、
「妖怪や物怪の根付を作るのは昔から行われてましたからね。伝統に則って――ってわけじゃないけれども、こうして小さな形であっても、彼らと出会った記憶を留め置く物を作っておきたいって言うんで、それじゃあということで僕が腕をふるっているわけです」
「わかるようでわからん理屈――修さんらしいな」
やれやれといった風に笑う牧。涼介は沙友理から受け取った缶コーラのプルタブを、恐る恐る引っ張っている。沙友理が投げてよこしたので、最悪の場合を想定しているのだろう。
うまい具合に炭酸が抜けたので、涼介はホッとしながら、
「下手に形を残してしまうと、彼岸に行ききれなかった魂の依代となりかねないので根込め過ぎるのもどうかと思ったのですが――まあ、この大きさですしね。むしろ、元の古道具よりも形は小さくなる上、明確な形を持つわけで、対処はしやすくなるかも知れない。取り敢えず真珠庵本の物怪達は、作っていくつもりですよ」
「魂――そう! それ! 涼ちゃん、結局どういうことだったっけ」
素っ頓狂な声。涼介は缶に唇を当てながら沙友理を見て、ぐいと一飲みしてから、
「付喪神が人に憑く理屈についてだろ?」
と答えた。牧も腕を組みながら、
「そういや――そんな話をしていたな。でもそれが沙友の話と関係があるのかどうか……」
関係なくても良いですよと沙友理。二つの顔から、マジか、という視線を浴びる。
「だって気になるじゃないですか。あたしも分かってないままじゃ気持ちが悪いし。涼ちゃん、こういう話を人にするの好きでしょ? だから、お願い。ね。先生」
仕方ないなあと頭を掻く涼介。悪態や文句は多いが、涼介が沙友理からの頼まれ事を断ったことは一度もないことを、牧は知っている。
二息目のコーラで唇を湿して、涼介は話し始めた。
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