鳥兜 一
わたしは“if”が嫌いだ。
もしあの時、ああしていたら、今頃はこうなっていただろう――。
ふとした瞬間に――主に行き詰っている時なんかに脳裏に生ずる、今の自分を全否定するような妄想。願望百パーセントでしかない空想。
そんなものを積み重ねたって何になるというのだろう。
どうせ、あの時ああしていたって今と大して変わりゃしない。一か二かの選択で、どちらを選んだかによって人生の岐路が激変する事態なんて、滅多にありゃしない。
もしあの時ああしていたら――? 今と同じように、別の選択肢の先を妄想する自分がいるだけだ。
考えるだけ、時間の無駄――。
分かっているからこそ、その“if”に拘泥し続ける自分が嫌だった。
もし、あの時――。
あれさえあれば。
あれさえなければ。
今のように、暗い夜道を一人とぼとぼ歩くOLの人生は待っていなかったのではないか。
もっと自分らしく。自分の望むままに、生きていけたのではないか。
そこまで考えて、いつも赤面する。
“if”に拘る自分と、そんな自分を俯瞰している自分。二つの視線が交差すると、決まって、俯瞰している側の嘲弄が聞こえてくる。
――器じゃない。
望むままの人生? そんな人生を送れるほど、才能に恵まれた器であったか。
才能で生きていくために必要な犠牲――それに耐えられるほどの屈強な魂を備えていたのか。答えはいつも分かり切っていて、「否」である。
そんなものを備えているならば、最初から“if”なんかに拘りはしない。後ろ向きに歩む人生なんかに、陥りはしない。
結局は負け犬の遠吠えだ。僅かばかりの才能――それを空費する機会すら掴めず舞台を下りた臆病者だ。
そんなわたしが、たまらなく嫌だ。
日付をとうに超えた玄冬素雪の夜。冷たい街灯に照らされて、気分はすっかり落ち込んでいた。与えられた仕事は朝昼夜を賭しても終わらず、日付を超えても終わる気配はない。
今日も明日も明後日も、同じことの繰り返し。
そういう人生なのだ。目の前に敷かれているのは。
溜息が白い煙となって立ち上る。不意に擡げた視線の先には、白い雪がちらつく無明だけが黒々と渦巻いている。
その遥か遠くに――。
ふと見えた気がした。ぽつねんと灯る、赤い光。
どこかの家の灯りかと思ったが、それにしては角度が急すぎる。私の目の前、頭上十メートルくらいのところに、たった一つだけ灯っている。
我知らず、立ち止まって、その光を見ていた。赤い光はいつからか、ゆらり、ゆらりと左右に振れている。まるで踊るかのように。わたしを、誘うかのように。
――誘う? わたしを? このわたしを?
俯瞰視する自分の嘲弄が聞こえたが、心には届かなかった。不気味さも違和感も覚えず、ただそれが至極当たり前だという気持ちで、わたしは光のある方へと一歩を踏み出す。
夜闇に酔い痴れた身体が、大きく傾いだ。バランスを取るために右足で地面を強く踏みしめた瞬間、巨大な翼が風打つ音を聞いた気がした。
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