鍋坊主 五

 うわぁぁぁぁ……と驚愕とも呆れとも取れる様子で、沙友里が呟く。と同時に、画面の中からも、まったく同じ感じの男声が聞こえてきた。あまりにも奇怪なものを前にして、取るリアクションが完全に同じものである。

「これは――ちょっと引くくらい鳴ってますね。見間違いとかのレベルじゃないです」

 沙友里の言葉に、誰も相槌を打とうとしない。的矢、牧、涼介は揃って机上に置かれた牧のスマホに見入っている。沙友里と違って、三人は表情は無に徹していたが、さすがに瞳の揺らぎだけは隠せないようだった。

 牧のスマホで再生された動画に映っているのは、深夜のガレージの様子である。一抱えほどの、毛布でぐるぐる巻きになった固形に穴を空け、そこから懐中電灯を差し入れて、中の様子を撮影している。

 懐中電灯の光がるとはいえ、殆どが闇に閉ざされていて、分かるのは奥に何やら黒い物体があること、そして、それが沙友里の言う通り、誰が観てもちょっとこれは……と戸惑うくらい、激しく鳴動していることの二つである。

 併せて、スマホカメラは音声を正確に捉えていた。むしろ観る者の心をざわつかせるのは、この不気味な鳴き声であるかもしれなかった。

 ――おぉぉぉん。

 ――おおおおお怨ん。

「浜村さんが怖がるのも、無理ない気がしますね。この乱れっぷりというか、何と言うか……。これを、亡くなった御祖母さんのお家で、一人で体験したんでしょう? あたしだったら失神してます」

 気の弱いことを言うなよ――と返す涼介。だがその目は、スマホの画面に釘付けになっている。

「鳴動や家鳴の類は、付喪神が起こす怪異の最も一般的なものだよ。まあさすがに、これほどエキサイトしているのは珍しいかもしれないけど……。牧さん、この分じゃあ、修さん呼んで確かめてもらうまでもないですね。鳴り方、鳴き方の粗雑さからしれも、十中八九付喪神。我々の管轄になりそうです」

 そうだろうな、と嘆息混じりの牧。的矢が牧の方に手を置いて、

「いつもの牧君らしくない。今回は、えらく参っているようじゃないか」

 分からないことが多すぎてね、と牧は頭を掻き掻き答えた。

「浜村さんからの報告じゃ、この鍋がどれほどの時代物なのか見当もつかないらしい。祖母さんの家と同じくらいだと仮定して、そいつが付喪神になった――そこまでは良いでしょう。問題は、そいつが夜な夜な、鳴り喚いてる理由です。文献にある鍋鳴りの記録は神事に結び付きやすい特殊なもので、そこに答えがあるとは思えない」

「単純に、家が取り壊される時に処分されてしまうからじゃないですか? それが嫌で鳴いてるとか……」

 沙友里の意見に牧は首を横に振り、

「捨てられるという事実が生じる前に付喪神が行動を起こすケースは少ない。それに、あれを捨てるかどうかについては、浜村さんが家に行った時点では分からなかったはずだ。鍋には割れも欠けもないらしいから、お父さんや浜村さん自身が自宅に持ち帰る可能性はあっただろうし、処分すると言ったってこのご時世、すぐに打ち砕かれて塵芥と化すわけじゃない。近所の人の手に渡る可能性だって高かっただろうさ」

「そうですね。そんな折に鳴動なんかしたら気味悪がられる。自ら引き取り手を失くすような真似に及ぶとは考えられません」

 同意する涼介。沙友里はそうかなあ――と顔を顰めて、

「むしろアピールしてたのかも知れませんよ。つれていってほしいって。人間が見たらどう思うかなんて、付喪神は考えないかも知れないし」

 修さんが聞いたら怒るぞ、と涼介が横目で沙友里を睨む。的矢がとりなすように、

「まあ、本意なんて誰にも分からんさ。付喪神の知恵や意識について我々は、過大評価も過小評価もできるほどの知識を持っていないんだから。ただ――沙友がそう思うのにだって、沙友なりの理由があるんだろう?」

 理由ってほどじゃないんですけど――と、顔を顰めながら言う沙友里。机上のスマホを持ち上げてじっと見つめながら、

「この鳴り方――いや、鳴き方って言ったほうがいいんですかね。あたしには、恨み鳴きのようには思えなくて。もっと何かこう――赤ちゃんが泣いているような、そんな感じの勢いだなあって感じたんです」

「赤ん坊が――泣く」

 牧の指の間から、ぽろりと煙草が落ちた。危ないッ――と涼介が急いで拾い上げて灰皿に押し付ける。牧は涼介にも吸い殻にも目もくれず、両腕で顔を挟み込むようにして、頭をがしがし掻き回す。瞳が零れ落ちそうなほど見開いた目には何も映らず、ただただ前方の虚空を睨んでいる様子であった。

 赤ん坊が――泣く。熱にうかされたように、牧は呟いた。

「泣く――体を震わせて激しく――赤ん坊が……。誰かを、いや、何かを――何かを慕って泣く――」

 誰も相槌を挟まない。邪魔をせず、牧の思考の行く末を見守っている。牧は額を指でぐりぐり押しながら、涼介に訊いた。

「なあ、鳴釜の正体は斂女という女鬼だったよな」

「え? ええ。少なくとも鳥山石燕の『百器徒然袋』にはそのように記されています。わざわざ『白沢避怪之図』から漢文まで引っ張り出して関連付けていますね」

「そして、鍋冠祭で鍋を被るのは女たち――」

「『吉備津の釜』は、嫉妬に狂う女の妄念が恐ろしい話。なるほど、どの話にも女性が関わっているね」

 腕を組みながら、牧の思考に入る的矢。牧は頷きながら立ち上がり、沙友理からスマホを取ると一人席を離れてコートを羽織った。

「局長、ちょっと出てきます。帰りは遅くなるので、宅着扱いでお願いできますか」

「牧さん、何かわかったんですか?」

 沙友理が訊く。牧はコートの前を止めながら、

「確証があるわけではないが、沙友が言ったことから、ある可能性に気づけた。それを確かめてくる。局長、分かり次第連絡します」

 返答を待たず、風のように去っていく牧。がちゃんと閉まったドアを、的矢、涼介、沙友理の三人が見つめていた。

「牧さん――大丈夫すかね」

 やれやれと肩を竦める涼介。的矢は煙草を机の引き出しにしまい、変わりに葉巻を出してぷかりぷかりとやりながら、

「まあ彼のことだ。何かしら結果を出してくるよ。我々もできることをしておこう。涼介と俺とで、書蔵室の資料で鍋や釜の怪異に関する記述のある資料を纏めておこう。こんな機会でもないと、整理する気にもならんだろうからな」

 わかりました――と腰を上げる涼介、的矢は沙友理に向き直り、

「沙友は今回の件の報告書を作り始めておくこと。特に浜村さんの証言について、詳細なものを頼む。切羽つまらないと本腰あげないんだから、時間があるうちにやっておきなよ」

 分かってますよう――と、唇を尖らせつつ、上機嫌で机に向かう沙友理。自分の何気ない一言が事件を解決に導くかも知れない。そんな期待に、胸を膨らませている様子である。

 その夜遅く――牧から局長の的矢に連絡が行った。

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