鍋坊主 一

 室町時代に描かれた『付喪神絵巻』は、次のような文章で始まる。

 ――陰陽雑記に云う。器物百年を経て、化して精霊を得てより人の心を誑かす、これを付喪神と号すと云へり。これによりて世俗、毎年立春に先立ちて人家の古道具を払い出だして、路次に捨つる事侍り。これ煤払いと云ふ。

 これすなわち百年の一年たらぬ付喪神の災難にあはじとなり――。

 大量消費、大量生産時代の始まりである室町時代、怪異は山川草木の魑魅魍魎から器物妖怪へと趨勢が移ろうとしていた。人が作りし器物も、百年経てば魂を持って人を化かす。これを「付喪神」という。

「付喪」は「百年に一年足らぬ」という意味での「九十九」と音を同じくしている。世俗では立春に先立って、古道具が百年を経て魂を得る前に路地に捨てる「煤払い」が行われるようになっていた。打ち捨てられた古道具は世を恨み人を恨み、夜な夜な群れをなして大路を歩き回るようになる。

 百鬼夜行――。

 平安朝のそれは、むくつけき鬼や異形どもの行進であったが、付喪神が勢いづいたこの時期、 夜な夜なの怪宴行列は器物妖怪たちのものであった。

 その様子を描き残したものの中で最も知られているのは、大徳寺は真珠庵に保蔵されている『百鬼夜行絵巻』であり、土佐光信の筆と伝えられているが、真偽は定かではない。同様の絵巻は室町から大正まで幅広く作られ、国内外を問わず個人、機関によって所蔵されている。いずれも器物や年老いた狐狸が化けたと思しき異形のなりが群れなす様子を描いており、共通の物怪もいれば、個々の絵巻にしか存在しない物怪もいる。

 それとは別に、江戸時代の鳥山石燕が『百器徒然袋』に残した、数十の物怪の姿がある。塵塚怪王、文車妖妃、蔵野郎、如意自在……それらの多くは、洒落や言葉遊びが好きだった石燕の創作であるが、中には『百鬼夜行絵巻』の参考にしたと思しき物怪も含まれており、伝承の怪であれ創作の怪であれ、見るものに不思議な存在感を覚えさせる輩ばかりである。

 付喪神自体は中世に隆盛し、近世には廃れた観念であった。が、人世の大量生産、大量消費傾向は変わることなく、むしろ圧倒的、爆発的物量生産、消費社会となっている。

 そんな世の裏側で、付喪神はいかに息衝くのか――。

 煤払いが年の瀬の片付けを意味するようになった現今、百年に一足らぬ古道具の処分などを意識する者はいない。むしろ九十九を待たずに捨てられ、霊魂を持ち売る前に無に帰する物の数の方が多かろう。が、古家や神社仏閣を筆頭に、霊魂を持ち売る可能性のある器物もまた、各所に有触れたものであろう。

 次々と捨てられていく道具の中で、付喪神と成って人に牙を剥くモノが出てくる。

 そこで必要とされるのが、九十九物怪取締局である。

 冗談みたいなこの組織は、実はある個人の私財を擲って設立された。その個人というのが現在も局長を務める、的矢茂である。

 東京は両国、清澄通から小路に入った先にあるのが、九十九物怪取締局の本拠。何の変哲もないビルの2階で、外から見えるように窓に「九十九物怪取締局」と貼り付けてあるだけなので、その存在を認知する者は殆どいない。

 もし器物に関する怪異に悩まされているなら、アポ無しで良いのでこの事務所のドアを叩くと良いだろう。不定休だが、よっぽどのことがない限り、誰かはいる。ただし全員が揃っている場合は、けっこうレアかも知れない。

 局員は、四人。

 牧大輔。三十五歳。体格が良く常時サングラスをかけているので、堅気の感を与えないが、本人は「九十九物怪取締局の良心」を自認している。

 土門修平。四十五歳だが年齢を感じさせず、見た目は牧よりも若い。常に凛とした独特の雰囲気を保ち、人によっては近寄り難さを感じる。時代物の古扇を持ち、野球ミットにボールを投げ込むように、扇を左掌にぴしぴし打つのが癖らしい。

 大鳥涼介。二十八歳。「怪異の生字引」を自称するメガネをかけたヒョロながの青年で、常に何がしかの書物を手に持っている。彼が事務所で来ている白衣には、左右合わせて十のポケットが付いており、その一つずつに文庫サイズの本が収まっているとか。

 白鳥沙友理。古い言葉で言えば、九十九物怪取締局の「紅一点」。二十二歳。大学卒業後、どこでどう求人を見つけたか、九十九物怪取締局に就職し、今では的矢から「裏局長」の看板を授かったという、恐らくは一番の変わり者。

 的矢を含めて五人。一癖も二癖もある人材が揃っている。

 ビルの2階部分を独占した事務所は広い。しかし依頼者の出入りが許されているのは、階段を上がった先にある局員室のみである。局長、局員ともにデスクがあるのはここだが、応接間も兼ねているので、入ってすぐのところに大きなソファーが置いてあり、仕事がないときは牧か土門がよくここで昼寝をしているのだそうだ。右側には給湯室。その横に次部屋に繋がる扉があり、「書蔵室」と下手くそな字で貼り紙がしてある。大鳥涼介が局員室にいない時は、大体この中にいる。

 依頼人は局員室のソファーに通され、居合わせている局員で話を聞くことになる。現在折り良く、一人の依頼人が局員室のソファーに案内され、オドオドした様子で座っている。歳は三十代後半。糊のきいた真っ白なシャツ。綺麗に剃りあげられた顎。曇りや傷のないメガネ。見目の良さには相当気を使っている様子である。

 対して取締局の方からは、局長の的矢の他、牧大輔と白鳥沙友理が居合わせていた。牧と沙友理とがソファーに腰掛けて依頼人と向かい合い、的矢局長はソファーの奥にある自分のデスクから話を聞く。依頼人の分も含めて四つのコーヒーが机上に置かれているが、これは造詣の深い局長が自ら淹れたものである。

 牧に促されて、男はぽつぽつと話し始めた。

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