古扇 三
白鳥沙友里の目がまん丸になった。ただでさえ童顔で、胡桃のような眼をしているのである。それが水を吸ったように膨らんで、一昔前の少女漫画見たくなったものだから、可憐というよりはどこか異様な風貌になっていた。土門修平も沙友里の視線を眩そう――否、迷惑そうに受けて、
「沙友……何て顔してるんだ。そんなにビックリすることかい」
と言う。まばたきすると、僅かながら元に戻る目。それでも驚きを隠せない感じで、沙友里は、
「だって、あの、安倍晴明でしょう? あたしだって知っている名前ですよ? 修さん、安倍晴明と同じように鬼が見えてたんですか? え? じゃあ、ひょっとして、安倍晴明みたいに式神を使うなんてことも――」
できるわけないだろう、と、にべもなく否む修平。
「言ったろ。見えていたのは、うんと小さい子供のことだろ。見えてたからって何ができたってわけじゃないさ。父親や祖父に連れられて煤祓いに行っていた時だって、言われるままに指さしていただけだったんだからね」
そうでしたね、と、ちょっと残念そうな沙友里。それでも修平と陰陽の大家との異能的繋がりには浪漫あるいは憧憬を感じるらしく、
「でも、すごいことじゃないですか。そうかぁ――鬼が見えるってことは、そういうことなんですね。修さんの家系は、代々鬼が見えていたんですか?」
どうだろうなあ、と修平は欠伸をしながら言った。
「聞こうとも思わなかったが――代々、そういう職能にあたっていたくらいだから、代々歴々のうち、同じように見えた者はいたんじゃないか。もしかしたら父だって、祖父だって、幼少の砌には見えていたのが、年を経て見えなくなったのかも知れない。親父も鬼籍に入った今となっちゃぁ、確かめようもないがね」
ふうん、と口を尖らせて天井を睨む沙友理。修平は眉を潜めて、
「なんだい、妙なところを気にするね。こいつの話をするんじゃなかったのか」
「いや、扇のことも気になるんですけど、それよりも修さんの方に謎が多くて……やっぱり、修さんのお家も陰陽師系の祓師をやっていたんでしょうか」
さてねえ、と煮えきらぬ修平。はぐらかしているわけじゃなくて、本当に知らぬらしい。沙友理は呆れたように、
「ほんとに――自分の家に興味がないんですね、修さん」
自分の家だけじゃないよ、と修平は即座に切り返し、
「自分も含めて、人間関係一切のしがらみに興味がないだけだよ」
と、飄々と言ってのける。沙友理は、そんなもんですかね、と生返事。
「修さんの家系、調べてみたら面白いこと分かりそうなんだけどなあ。お家に、何も残ってないんですか」
黙って首を横に振る修平。残念、と沙友理はぼやく。
「涼ちゃんに探らせたら、きっと何か見つけてきますよ。一回、家探しさせてくれません?」
「そんなことに人を使うもんじゃない。それに――修さんと陰陽師との関わりなら、別のところから類推できるよ」
沙友理に応えたのは修平ではなかった。いつの間にやらオフィスに戻ってきていたのは、的矢局長。修平と沙友理は、おかえりなさいとほぼ同時に言い、沙友理が身を乗り出して、
「局長、知ってるんですか? 修さんの家のこと」
と問う。局長は、さてね――とはぐらかすように答え、自身の椅子にどっかり腰を下ろした。
「君等を局に雇用した時も、詳しく身辺調査をしたわけではないからね。知りうる情報の範囲での類推ってやつさ。さっき話に出ていた安倍晴明の家柄はね、室町時代の後期に自らを土御門家と称するようになったんだ。土御門家の祖は安倍有世と言われ、確か晴明から十四代目の孫にあたるんだが、この人の生没と、土御門家と名乗るようになったタイミングとが一致しないから、今では誤りだとも言われている」
「安倍晴明の流れをくむ家柄の名前が、土御門だとして、それが、修さんの家と何の関係が――ああ、そういうことですね」
話の途中で納得してしまう沙友理。わかったろう、と局長は微笑んで、
「修さんの名字は土門だろう。土御門から御の字を抜いた名前なんだ。土御門家は戦国時代に、土御門有脩が天文博士・暦博士を代々兼務するようになり、宮中の陰陽寮の執奏を掌握して、諸国の天文・暦道・天社神道・陰陽家を支配下においた。その門流は陰陽道と神道を習合した独自の信仰を伝承し、天文道、暦道、卜筮、占星、祓禊、咒禁、方忌など多方面にわたって最高権威として朝野に勢力をふるうくらいにまで肥大化したんだ」
「局長――変に詳しいですね。ひょっとして、修さんだけ身辺調査したんですか?」
猜疑心丸出しの沙友理。局長は苦笑して、
「さっき沙友も言っていただろう。土門なんて珍しいから、検討をつけて歴史を繙いてみただけさ。土御門家は改暦の主導権を握り、江戸時代には土御門神道を大成した。中世から近世にかけて、かなり強い力を持っていた。そのどこかの過程で分家された一つが、修さんの“土門”なんだろう。本来、本家と分家が違う姓を名乗るのは滅多にないが、本家に対して御の字を抜いていたわけだから、まあ何かしら事情があったのだろうと勘ぐりたくはなるがね」
「じゃあ、やっぱり修さんに鬼が見えたのは偶然じゃなくて、安倍晴明の――」
目を輝かせる沙友理。一方、修平と局長はそこまで浪漫に傾倒できないらしく、苦笑いしながら、
「まあ――そこは、どうだろうね。そもそも土御門家が掌握していたのは天文道と暦道であって、鬼だの祓いだの呪いだのという、沙友が好きそうなところは違っているからね。ただ、土御門の分家であった土門家に代々――かどうかは分からないが、鬼を見る異能が受け継がれていたとするならば、やはりその源流と結びつけたくなるのは人情ってもんだろうからね」
「あるいは、その特異な職能を受け継がせるための分家――ってことは考えられませんか」
これは修平だ。その可能性も否定はできないよ、と局長。
「土佐国物部村に伝わる民間陰陽道で、いざなぎ流というのがある。修さんの記憶に間違いがなければ、土門家が継承していた職能はむしろ、こっちに近い」
「いざなぎ流――いざなぎって、古事記の伊弉諾ですか?」
「大抵の人がそう間違えるんだが、実際は天竺にいざなぎ大王というのがいたそうで、その大王から伝授された二十四の方術に基づいて御幣、祝詞、呪文を駆使する。民間信仰の中でも非常に体系化、定式的な継承に優れたものだよ。ただ、土門家が基本は父子相伝だったのに対して、いざなぎ流は家元制度も世襲もなく、特定の教団すら持たない。地域の中で適格者を選んで太夫と呼び、膨大ないざなぎ流の職能を伝承するんだそうだ。そこは大きな違いとなる」
「そのいざなぎ流と、土御門家の関係は?」
「長らく無関係だと思われていたが、近年になって物部村の民家から土御門家による免許状が発見された。それによって江戸時代には、土御門家公認の地方独自発展型の陰陽道であったことが分かったんだ。修さんの故郷の村にだって、探せばそうした類のものが見つかったかも知れないね」
なるほど――と腕を組む沙友理。修平は一度口を挟んだきり、私は全く無関係でございと言わんばかりの涼しい顔である。局長は喋り疲れたか、あるいは古い知識を頭の奥底から引っ張り出してくるその労力に閉口したか、椅子に深々と背を預けて一息吐いていた。
「特異な職能を受け継がせるための分家――か。その特異な職能ってのが、修さんの言っていた、鬼や魔を祓うってことですか」
沙友理の問いに、局長は、そう考えたほうが自然かもしれんね、と応えた。
「土御門家は明治になって遍歴の権力を弱め、大蔵省から多数の門下歴学者を罷免された。陰陽寮と土御門神道も明治三年には廃止が布告され、家業としての陰陽道は終焉を迎える。土御門家は現在も存続し、晴明から数えて三四代の方が当主となっているが、陰陽道の一切から手を引いておられ、天社土御門神道にも殆ど関与されていないそうだよ。だが――」
と、ここで言葉を切り、煙草を咥えて煙を吹かす局長。天井に立ち上る煙を睨みながら、
「それは中央での話。本家から遠く離れた場所で独自発展を遂げた民間陰陽師までもが、一斉に活動を終了させたわけではなかろうさ。いざなぎ流や修さんの家のように特異な職能として村の要の一つになりもしただろう。たとえ糸のように細いものであったとしても、それが修さんの時代にまで続いていたというのは、驚きだがね」
「それも今は遠い昔の話。末裔がこの僕ですからね。土門家が受け継いできた何か――そんなものがあったとしたら、それはとうに失われましたよ。何せ村自体が森林開発やらダム建設やらで、地図上から消えているんですからね」
殆ど感情を感じさせない声で、後を続ける修平。局長と沙友理は黙して、修平の声に耳を傾ける。修平は手の上に視線を落とし、いついかなる時も携えている古扇を開いて、
「故郷の名残を留めるものと言えば、こいつだけですよ。こいつを通せば、見えないものが見える。その異能だけが、僕と幼き頃の記憶を繋げている」
そうそうそれ! と沙友理が再び身を乗り出して修平の顔を覗き込む。瞳を併せたくなくて、そっぽを向く修平。そんなやり取りを、的矢局長は横目で見て笑っている。
「忘れていました。この古扇との馴れ初めを話してもらうんでした。修さんのお家のことはお腹いっぱいですから、こっちの話をしてください」
なんだい、まだ聴くのかい、と面倒くさそうな修平。ちらりと横目で局長デスクを見やると、的矢は椅子に深々と身体を預けたまま、目を閉じている。草臥れて眠ってしまったか、あるいは修平に気を利かせて、聴かぬふりをしてくれているのか。
どちらであったにしろ、沙友理は一度食いついたら中々引き下がらない。修平はため息一つ吐いて、また話し始めた。
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