古扇 二
子どもの頃から、不思議なものが見えた。
他の人――取り分け、周りの大人には絶対に見えないものだった。
その姿形を何と形容したら良いか、分からなかった。そもそも、姿形とは言葉で表現できるものなのだろうか。人間の姿形を答えよと言われ、直立歩行で頭が一つ、一対の目耳に鼻と口が一つずつ……と答えていっても全容がうかがい知れないのと同じように、そもそも万物の姿形を言葉で切り取り、描くことなどできないのかも知れない。
だから、不思議なもの、と言っても姿が異形ゆえの「不思議」ではなかった。
むろん、巷の犬猫とは似ても似つかない形であることは分かっていたし、一般に知りうるどの動物とも違った姿であることも分かっていた。
だが、それが「不思議」の理由とはならない。
不思議なのは、その存在と、世界との――否、自分との関係だった。
自分以外の誰にも見えない存在であるがゆえに、「不思議」だったのだ。
物心付く前から見えていたそれを、自分以外の何者も認知してはいなかった。祖母によると、まだ首が座る前から決まった一点を見つめ、身体を起こせるようになる前から、その一点に向かって小さな手を伸ばし、わけのわからぬ赤子言葉で何か言っていたそうだ。部屋を変えると手を伸ばす方向は変わり、それは元の部屋の例の一点につながる方向であったという。
目には見えない何かがいる――その様子を見れば誰もが直感した。自分たちの目では写し取ることができない何者か、それがこの子供の目には、はっきりと写っているのであると。
そういった子供を、大人たちはどう扱うか。普通は、気味悪がるだろう。頭の異常を疑うかも知れない。あるいは「子どもの時にだけあなたに訪れる不思議な出会い」と信じて、成長の過程で見えなくなる日を今か今かと心待ちにしたかも知れない。
実際は、どれでもなかった。
たいそう喜ばれたのである。
見えないものが見える、その異能を。露一つ疑われもせず、歓迎されたのだ。
おおらかな家庭であったとか、理解のある家族であったとか、そういったわけではない。確かに理解はあっただろう。彼岸に棲む異類について、その存在を認める一定の理解はあっただろう。しかしそれは、職能に関わるからである。
故郷は、山にうずもれるようにしてひっそりと息づく小規模の山村である。
そこではそれぞれの家が代々受け継く仕事によって日常が編まれ、紡がれていく。
自分の家にも、代々の役割があった。そして、それを成し遂げるためには、この世には目には見えない異形がいるということ、それについて既知であることが絶対の条件だったのである。
自分が見たものを、否定されることは一切なかった。
一方で、執拗に警告はされた。言葉が理解できるようになって、最初に言われたことが、これだった。
彼らと絶対に、関わってはならない――と。そのために生活も随分と制限されていたように思う。たとえば寝る時は、固く閉ざした奥座敷から出ることは許されず、友達と外に遊びに出ることも厳しく戒められていた。それでいて夜中、父や祖父に連れられて、どこかにぶらりと出かけさせられることがあった。
思い返せば、それが当時の自分の仕事だった。
嫌な役目だった。
そんな実感はある。ただ幼すぎた故か、自分が何をしたのか、確たる記憶はない。
つらつら脳裏に浮かぶのは、奇妙で綺麗な衣装を身に着けさせられ、これまた奇妙な衣装を纏った父や祖父らに恭しく掲げられた記憶である。それはたぶん、誰かの家であっただろう。
耳元に何か囁かれ、促されるままに指さした。
恐らくは、自分にしか見えないものがいる方向を。
周囲のどよめき。青ざめた顔たち。その中で満足そうに頷く父親の顔――。
ぼんやりとした記憶はここで途切れ、その後、大人たちがどうしたかについては、まるで覚えていない。たぶん、見せてもらえなかったのだと思う。自分の役目は、いる方向を示すだけ。その範疇の外には一切、関わりを許されなかったのだ。
自分が何をしていたか、判断がつくようになったのは、ずっと後のことである。
その時にはすでに、件の役目からは引いていた。
見えていたはずのものが、見えなくなったからである。
小学校も二年目になった瞬間、向こうの方が急に姿を見せなくなった。草葉の陰、床の間の隅、夕暮れの向こう――どこを探してもいなかった。
暫くの間は、自分に興味がなくなって眼の前に姿を現さなくなったのだと考えていた。が、やがて自分が見えなくなっただけだと悟った。
寂しさはなかった。ホッとした実感もなかった。ただ少しだけ、戸惑った。これまで当たり前に見えていたものが全部嘘だったかのように、日常の風景の中から、すっぽりと抜け落ちたのだ。
しかしそれが――そう見えることが本来の当たり前なのだと、すぐに理解した。元から見えなくても良いものが見えていたのだ。それが見えなくなったところで、不便など感じはしなかった。見えないものがいる世界にもすぐに慣れて、彼らの存在すら早々に記憶から消え去っていった。
自分の目から異能が消えたことについて、家族にはすぐに打ち明けた。父も祖父も想定済みだったらしく、そうか、と一言かえしただけであった。祖父は、少々残念そうな顔をしていたかも知れない。一方、母や祖母は、異能が消えたことをかえって喜んでるようであった。自身の実感としては嬉しくも悲しくもなかったけれど、これまで自分を縛っていた様々なものから放たれて、友達と夜まで外で遊べるようになったことは、確かに嬉しいことではあった。
やがて、村を離れた。元から過疎気味だった村が、自分の成長と共に見る影もなく衰退していくのは、見ていて痛々しかった。祖父母が村に骨を埋めたのをきっかけに両親は村に見切りを付け、山を降りたのであった。
それ以来、村には帰っていない。たぶん、もうなくなっているのだと思う。
見えないはずのものたち。世の闇に巣食う異類を隙見した経験――それは、子ども時代の思い出にすら登ってこない、極めてぼんやりとしたものでしかない。それを思い出として、そこから何かを拾い上げるには、あまりにも幼い頃の経験であった。何一つ自分の意思は関与せず、周りに促されるまま、流されるままに息をしていただけであった。故に、村を離れて暫くすると、記憶の片隅にも残らずに忘れ去った。
それが復活したのは、高校二年の古典の授業だった。幼少時代の経験とは真逆に、こちらの記憶は今でも鮮明に残っている。
入道雲の漂う、暑い夏の昼下がり。
昼食を経た後の古典など、拷問でしかない。誰もがうんざりし、先生ですら、早く終われ早く終われと願っているのが顔に出ている、そんな倦んだ時間でのこと。
何の気なしに教科書をめくっていて、ふと奇妙な話が載っているのを見つけた。進行中の授業で取り扱っている教材とは全く違う話であったが、そんなことはお構いなしに、一頁分にも満たない文章を目で追っていた。
根っからの文系で、古文もそこそこ読めた。それほど難しくない文面で、教科書の最初の方に掲載されていたため、一部訳や注釈に恵まれているのも幸いした。
日本最大の説話集として紹介されている、『今昔物語集』の一挿話である。
父の仕事についていった幼少の息子。父の仕事は、鬼や魔を祓うこと。
その祓いの最中に、二目とは見られぬ異形が、供物に集っているのを幼い息子は見た。
父は、我が子が修行を積まずとも見鬼の才を身に着けていることに気づき、自らが持てる術や作法の全てを指南したという。
非常に平明な言葉で綴られている物語の中に、幼き自分の全てがあるような気がした。不思議な興奮を覚えた。
急ぎ頁を捲ると、この話の説明が載っており、その中でもうひとつ、『今昔物語集』に同様の話があることを伝えていた。あらすじは似たようなもので、ある男が内裏より自邸に帰宅の途中、牛車の外にいた共の少年に呼ばれて外を見ると、やはり異様のなりをした禍者たちと遭遇。咄嗟の方術で難を逃れて以降、この見鬼の少年を重用し、やはり持てる全てを伝えることとしたという。
この二つの話に共通して出てくるのは、「父」であり「男」である陰陽師――賀茂忠行である。そして、彼の息子であり、見鬼の異能を持つ一人目の少年は、賀茂保憲。父と同じく陰陽道の達人で、当時の陰陽師の模範とされるほどの人物であった。
そしてもう一人――。
その名が目に飛び込んできた時、身体を走り抜けた悪寒にも似た衝撃。
それを忘れることは生涯なかろう。
幼き折、忠行に百鬼夜行の存在を教えて重用され、忠行と保憲父子に陰陽道を学び、天文道を伝授され、ついにはこの国に比肩するものなしと謳われた陰陽の達人――天文博士、安倍晴明そのひとであった。
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