矛担ぎ 三
ぱたんと閉まるドア。遠ざかる足音。正和少年が出て行った後を見つめたまま、的矢局長は、牧さん……と呟く。
「あの子――どう見るね」
牧は肩を竦めて、
「この前の昭雄君と同じですね。最近の子どものトレンドですかい? 親の顔色うかがって、自分が見たこと経験したことさえ相談できないなんて」
どうだろうね、と困ったように笑う的矢。彼にも今年、来年、小学校を卒業する歳の長男がいる。自分の息子との対話がどうだったかを、思い出しているのだろう。
「他所は他所、うちはうちだから何とも言えんが……。我々の世代からすれば必要以上に周囲の反応に警戒する子供は多いかも知れんね。その警戒心が、友達や先生相手ならばまだしも、実の親にさえ向くんだからね。心は相当、疲れると思うよ」
「彼の口振りを考えても、親にかなり忖度している感じでしたね。自分が怪我したり、狙われているかも知れなかったりする恐怖や不安よりも、このことを打ち明けて親や周りの人間がどんな風に自分を見るのか――そっちの方が怖いって感じだ」
これは土門修平だ。牧は嘆息して、昭雄が手を付けなかったジュースの缶を取り、
「そんなだから彼岸に誘われたり、変なモノの気を感じる羽目になるんだ。ただ――どうですかね局長、昭雄君や浜村さんの時と違って、今回は人というより場所に拘る相手のような気がするんですが」
的矢は頷き、
「決まった路地、決まった時間での被害――たぶん場所に憑いているね。正和君にそれの存在が感得できるようになったのは、彼の気の持ちようや体質もあるだろうが、九割くらいはタイミングだよ。正和君にもそれは分かっているんだろう。彼は、自分の体質について相談しに来たわけではなかったからね」
そこで嘆息の小休止を挟み、
「深淵を覗き込む時、深淵もまたお前を覗いている……。『善悪の彼岸』という書に書いてある言葉だが、ニーチェも上手いこと言ったもんだよ。その場所が、その時間帯が与える影響で、無意識に彼岸に心寄せる瞬間を突かれたんだろう」
「まあ、早急に何とかしてやらんといかんでしょうな。気苦労の多い子なんだから、心配事は一つでも減らしてやらにゃあ」
缶の中を一息で空ける牧。うーいと噫を漏らしつつ、サングラスの奥で顔を顰めて、
「だが――彼の話だけじゃあ特定は難しいですな。一応は、付喪神っぽいが」
「ジャンパーの傷は、刃物による裂傷のようだったし、金属臭がしたというんだから、やはり金物の付喪神とみて良いんじゃないか」
これは土門だ。そう断定してしまえれば簡単なんだが――と牧は唸る。
「襲われた理由も釈然としないし、その場所、その時間帯に現れる理由も定かでない。鎌鼬だと言われた方がまだすっきりするよ。今のままじゃあ情報が少なすぎて、尻尾を掴むどころの話じゃない」
ふむ……と、土門も顎に手を当てて渋い顔。
と、そこへ、
「いや――今回のヤマは、そう難しくない。少なくとも、正体の判明ならできるよ」
土門と牧は殆ど同時に、奥のデスクの方を向いた。専用のアームチェアにゆったりと背を預けた的矢局長。煙草片手に余裕綽々のていである。
「本当ですか、局長――」
牧が言ったか、土門が言ったか。的矢は大様に肯いて身を乗り出し、煙草を挟んだ右手の肘を机について、
「修さんの言う通り、これは刃物の付喪神だ。そして俺の予想が正しければ――古い武器が変じた者である可能性が高い。そうなると始末が厄介なんだがね」
「その根拠は? 局長は何を掴んでいるんですか?」
そんな大層なものじゃないよ、と腕を組みつつ苦笑い。机の上の付箋紙と鋏を手にして、
「あのジャンパーの裂け目だよ。鎌鼬みたいだと言ったが、刃物で切られたような鋭さという以外、全然別物なんだ。普通、切り裂かれたという場合には、ほら、こんな感じに生地が二つに分かれるイメージだろう」
そう言いながら、紙の真ん中まで鋏を入れて見せる。頷く牧と土門。
「ところが、あのジャンパーの傷は、こうした切り裂き傷とは違っていた。切るというより、鋭い刃物で着くと言った感じだ。だから、あのジャンパーには裂き傷ではなく、刃物を突き入れた穴が空いていたんだ」
「突いた……と言うと、槍のようなものですか?」
「槍でも同じような穴が空くだろうが、もう少し細平な穴になるはずだ。あの穴、真ん中あたりはけっこう膨らんでいただろう。正和くんの証言からも、槍を取り回すほどのスペースや気配はなさそうだったしね。そいつが軽快な足取りで近づいてきたことを考えても、もっと手軽に扱える得物だ。片手槍は、突くよりも殴り切る方に向いているから、あのような傷にはならない」
「こいつは恐れ入った。あの傷から、そんなことまで――」
吸い殻を灰皿に押し付け、心底感じ入ったように言う牧。伊達に修羅場はくぐっておらんよ、と的矢は冗談とも本気ともつかぬ涼しげな顔で笑った。土門が顎の下に手を当てつつ、
「刀でも槍でもないとなると……何かもっと、特殊な刃物ですか」
「特殊は特殊だろうねえ。それでいて、槍や刀よりもずっと、付喪神になりやすい奴だ」
「局長には、全部見当がついているんですか?」
「まあね。俺の見立てじゃ、今回の犯人は――矛だよ」
矛――土門と牧、二人の口から同時に、同じ言葉が零れ出た。
「矛は薙刀や槍の前身で、片手で扱える武具だ。金属器の伝来と共に大陸から伝わり、鎌倉時代までは戦闘の主力でもあった。次第に戦争が騎馬を前提とするものになると、太刀や長巻、薙刀に立場を奪われ、足軽の台頭による集団戦闘が本格化すると、より長いリーチで相手を牽制できる槍が重視されるようになった。矛は専ら、神事だけに使われるようになって、武器としての役割は失われたというわけだ」
「局長……えらく詳しいですね」
一切の資料を参照、引用せず、さらさらと説明してのける的矢に、牧は呆れとも感心ともつかぬ顔を見せた。的矢は一言、まあね、とだけ言って受け流し、
「矛の刃は、丸みを帯びて鈍角なんだ。それをすごい力で突き入れると、ちょうどあのジャンパーに突いていたような穴が開くと思う」
「なるほどね。本来の役割を奪われた武器か。付喪神になる土壌としてはうってつけですな」
「仮にそれが正解だとすると――問題は、その矛が付喪神化した奴の目的ですね。刃物の付喪神ですから当然気は粗く、道を塞ぐ相手は誰だって突っかかるでしょうが、そもそも、何のために走っていたのか……。それが分からんことには、対応の仕様がない」
これは土門だ。牧も、そうなんだよなあ、と頭をがしがし掻き回す。的矢は肯定も否定もせず、指に挟んだ煙草から立ち上る煙を、じっと眺めていた。
「局長――それも読めてるんですか?」
土門の問に、的矢は曖昧に微笑んだまま、そうだねぇと呟く。
「修さんの言う通り、相手の目的は読みにくいね。辻斬りの真似事をしてるっていうんなら、場所と時間に縛られる意味がない。もっと多くの被害が出ているはずだ」
「しっかし、武具の付喪神が出る理由なんて、何かを襲う以外に考えられますか? 刀も槍も――もちろん矛も、根本は相手を傷つけ、殺すための道具。それが本来の姿でしょう。その本来のお役目を刀や槍に奪われたから怒り狂って、此岸に彷徨い出た。……それが違うってんなら、他にどんな目的があるのか」
「こっから先は想像になるんだが――そいつが走っているというところこそが、鍵なんじゃないかね」
「走っている――?」
「牧さん、いつものアレ、持っているだろう?」
もちろん、と答えながら牧が机の上に置いた、いつものアレ――真珠庵蔵の『百鬼夜行絵巻』が掲載されている、文庫本サイズの画録である。的矢はそれをぱらぱらと捲りつつ、
「実はね――俺もそこまで武具マニアってタマじゃないんだ。矛にだけやたら詳しいってのは、この得物が『百鬼夜行絵巻』の中ではちょっと特別な立場にいるからなんだよ」
的矢が開いたページは、掲載されている絵巻の出発の部分だった。
ひょろりと痩せた、青色の異形がいる。
検非違使の冠をかぶり、褌を締めている以外、裸体である。
骨ばった身体。足の指は二本。鋭い爪。鬼をイメージさせる顔。
青銅のような紺色の体色。どこか金属的な光沢がある。
右手で持ち、肩に担いでいる長柄の得物――これが矛である。
「そうか、これが矛の鬼――矛担ぎだったんだ」
絵をしげしげと眺めながら、牧が言った。土門も絵を眺めながら、
「この絵巻に描かれている鬼は、道具の名残を残す姿と、鬼なり異形なりがその道具を持っているだけの姿と、表面上の姿だけでは古道具との関連が見えないものとに三分される。後ろ二つについては、どうにも印象に残らないものだな。しかし……行列の先頭を歩く鬼なんて、覚えていて当然なはずなんだがなあ」
と唸るように言う。的矢は苦笑しながら、
「まあ、そこが間違いのもとさね。確かに絵巻の構成上は真っ先に現れる鬼のように見えるが……こいつは、百鬼夜行の先頭を走る鬼じゃないよ」
えっ、と的矢を見る土門。局長は画録を捲りつつ、
「この絵巻は、この矛担ぎが描かれている出発地点から、左に進行して異形どもの行列を追う構成になっている。その証拠にほら――矛担ぎの進行方向は左で、矛担ぎの向いている先に、二体目の鬼が描かれているだろう」
的矢局長が指さした通り、矛を担ぐ青鬼の進行方向の先に、大幣を掲げて走る赤めの異形がいる。その鬼の頭も矛担ぎ同様に、進行方向である左を向いている。
「矛担ぎは――しんがりだということですか」
土門の言葉に、的矢は肯いた。そうして次々にページを捲りながら、
「この絵巻はね、行列の最後尾から出発して、前を行く異形どもを眺めつつ次々と追い越し、行列の先端に至る構図だと思うのだよ。この遊園地のライドものみたいな動きや勢いが、この絵巻の面白いところだと思うのだがね。まあ、文庫サイズで区切られてしまうと実感しにくいかも知れないが。一巻ものとして、矛担ぎのいるスタート位置からどんどん左に眺め進んで、異形のなりをした奴らがどんどん右に流れていく感じは、中々粋なもんだよ」
なるほどねえ、と牧。
「付喪神の素性を知るためだけに使ってて、肝心の絵巻ってところを忘れてたぜ」
「この絵巻は背景がないから、時間の手がかりがない。しかし鑑賞自体に『動き』はあるから、矛担ぎからスタートして、最後の部分に至るまでに時間の経過を感じることはできるだろう。あるいは全く時間が動いておらず、この絵巻はあまりにも広い画角で、行列の先頭から最後尾までを同時間的に描き出したのかも知れない。いずれの場合であっても、ここに描かれた百鬼夜行の先頭はね、こうなるのだよ」
的矢が開いてみせたページには、空からこぼれ落ちてくる巨大な火の玉に驚き、踵を返して逃げようとする数体の鬼が描かれていた。
「このバカでかい火の玉が何なのか、色々な考察がある。夜明けとするのか、空亡とするのか、地獄の火車とするのか……だが何にしても、異形たちはこれに蹴散らされて百鬼夜行を終えるということだ」
「それが、百鬼夜行のゴールということですか?」
土門の問に的矢は首を横に振り、
「そこまでは分からない。これを夜明けだとするならば、鬼たちは夜行半ばで朝日によって駆逐されたことになり、まだゴールに到っていなかったのかも知れない。僕は勝手に思っているんだが、案外、このでっかい火の玉は付喪神たちを彼岸の果に連れ去る役目で、こいつに当てられた付喪神たちは古道具に戻れるのかも知れない。何にしても、百鬼夜行の先頭――行き着く先が、こうした形で駆逐されているというのが重要だ。そしてもう一つ重要なことは――」
「我らが矛担ぎは、その行列の最後尾にいる――ということですね」
サングラスの奥でニヤリと笑う牧。そういうこと、と的矢は肯いた。
「全容はつかめてきた感じですね。後の細かいことは――奴さんをどうにかしてから、明らかにしましょうか」
修さん今晩行けるかい――と、飲みにでも誘うような調子で牧が聞く。土門は事務所の時計を見つつ、仕方ないねと肩を竦めた。
「残業は嫌いなんだが――出る時間が出る時間だからね。牧さん、ちゃんとサポートしてくれよ」
「分かってるって。心配しなさんな。局長――今晩、ケリ付けますが、それで良いですね?」
的矢は頷いて、
「二人で行けるかい? 沙友理と涼介、呼ぼうか?」
「手は欲しいところですが、あの二人にはちょっと危険かもしれませんね。家財道具相手ならどうとでもなるでしょうが、武器由来の付喪神は気性が荒いし、臆せばそこにつけ込んでくる。二人とも、まだ経験不足かと」
だったら――と的矢は立ち上がり、うんと伸びをした。
「俺が出よう。久しぶりだが、たまには現場も経験せんとね」
そいつはありがたい――と、コート掛けから局長のコートを取ってくる牧。三人とも防寒に防寒を重ねた上で、並んで事務所を出ていった。これから三人で忘年会にでも出向きそうな雰囲気だが、土門の手にはいつもの古扇が、まるで護身刀のようにしっかりと握られているのだった。
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