Death+3. 車輪のトーラス

十字路を過ぎると、通学路も終盤戦だ。太陽はもうどこかに隠れて、いよいよ底冷えする春の夜が頭の上に襲いかかってきている。

道をのぼりきった辺りには大きい踏切があった。この辺のでかい街同士をつなぐ混む電車だが、経路の関係だかでこんな坂道の途中を通っている。

これに引っ掛かるとなかなか長く開かないから、こいつの周期を把握しておくのは登下校のこつでもある。まあ覚えたところで活用できているかというと怪しいもんだが。

カンカン鳴りはじめた踏切に向かいながら、オレは取り留めもないことを考えて、何ともなしに歩いていた。

まあ。要するには、その時もオレは不注意だったわけだ。

ぼうっと星の見え始めた空を眺めながら、あれはオリオン座だな、北斗七星は見えるか、なんて数え上げてみたり。

そういえば今日の晩飯は何だろうか、今日の気分は魚だな、それも煮付けよりは焼いたのが食いたい気分だ。焼き魚で頼む、そんな事を考えていたら。


不意に、星空と地面が入れ替わっていた。


「───え」


体が宙を舞っている。

空手の経験から、オレはすぐ分かった。足元を何かに掬われたんだ。

頭がぐわりと回り、脳みそをシェイクされたような不快感が踊る。

いったい何で滑ったんだ?

この体勢から受け身が取れるか?


いや、それよりも。

───この先は、遮断機の降りた踏切の中じゃねえのか。


ウソだろ?


スローモーションになった警報音が、反転した世界で鳴りやまない。

目の前から近付いてくる二つの光、黒い窓、夕焼けを反射する銀色。視界に入ったそれが、何なのか理解するひまもなく。


オレの体は、一瞬でばらばらになった。


───

─────

───────


「……はっ!?」


無になった意識が回復する。すぐにがばと起き上がるオレ。

……同じだ。今朝と同じだ!

気付けば踏切の外側に倒れていたオレはあたりを見回す。他には誰もいない。遮断機はとっくに上がっていた。

星と月のかがやきは一層強さを増していたが、地平線の朱色はまだ残っている。どうやら大して時間は経っていないらしかった。

身体のどこにも異常はない。どこも、何も変わりはない。だが、今なら鮮明にわかる。覚えてる。確信できる。


「……はぁっ、はぁっ、はぁっ、はぁっ」


オレは電車に轢かれた。絶対に間違いなくだ。

人智なんか及ばない速度の圧倒的な暴力が、オレの身体を消し飛ばしたんだ。

手足がちぎれて、頭が吹っ飛んで、内臓がぐちゃぐちゃになって、神経が爆発して……

そのことをと、オレの意に反して、飛び散ったハズの心臓が早鐘を打った。弾けたハズの肺がぜえぜえと呼吸する。なんなんだ、何が起こってる!?

怖がってるのか、このオレが!気をしっかり持て!自分にいい聞かせながら、丹田に力を入れて呼吸をととのえる。

しだいに意識と視界が澄んでいく。冷たい空気を身体いっぱいに吸い込んでいく、と。

すぐ近くに、もうひとつ。今の状況を把握するのに夢中で気が付かなかった、妙な気配があるのに気が付いた。


ぎゃるぎゃる、と、油の切れた歯車が軋んで回るみたいな音が、微かに、だが無視できないぐらいはっきりと聞こえてくる。

音のする方───ふっと上に目をやると、そこには信じられねえものがあった。


月の明かりに照らされて、おそろしく綺麗な女が立っていた。

その女は電車の架線柱の上に平然と片足立ちをして、線路の向こうの方を緑色の瞳を凝らしてじっと眺めているところだった。

長い金髪。腹と肩を出した、露出の多い際どい格好、そして頭の上に浮かんだ輪っか。どう見ても、ただもんじゃない。

それより何より、そいつが片手で抱えているものがヤバかった。

何でさっきまで気が付かなかったのか分からないぐらいのどでかい音を立てて、高速で回っている車輪みてえな何か。さっきから聞こえてた機械音はどうも、あそこから鳴っていたらしい。

だが、なんだ。アレを見ているだけで、どうも寒気というか、怖気が走るような感覚がある。

本能的な恐怖とでも言えばいいのか。たとえるなら、生の心臓を握られているような。体の肉を全部はぎ取られて骨だけで吹雪の中に放り込まれたような、寒々しい緊張感が身体の内側から湧き上がってくる感じがした。


「あーあっ。もう二回目。一日に二回とか、ちょ~っちヤバすぎっしょ。思ったより早かったなぁ」

「それにしても、バナナの皮で滑ってとか、マジでベタすぎだし……まぁ……そこがユッキーの薄幸イケメンなとこなんだけどさぁ……」


獲物の回転を止めて、恍惚としたような表情でおもむろに女が独りごちる。

あらぬ方向を向いて何かのたまってるそいつに、オレはたまらず叫んだ。


「……おい!なんなんだ、おめぇは!」

「……う゛ぇっ?」


不意をつかれたように振り返った女は、そのまま瞳をぱちくりさせて、茫然自失としたように、柱の上で立ち尽くしていた。


「えっ……うそ。マジ?」


くそっ、反射的に動いちまった。相手が何なのかも分かってねえのに。

警戒をゆるめず中段に構える。脂汗を頬がつたう。

女はしばらくぼうっとしたようにオレの方を見ていたが、すぐに満面の笑みを浮かべて、


「ユッキー!!」


気付けばオレに、思いっきり抱き着いてきていた。


「……な、なっ」


思っていたより強い力の、飛びつくような抱擁。敵意がないことはそれだけでわかる。

そいつの身体は少なくとも人間のそれだった。ぎゅうと抱きつかれた全身を通して、柔らかく暖かい感触が伝わってくる。

でっ───でけえ!


「ぐっ、何だか知らねえが、はなしやがれ!」


強引に女をひっぺがす。すると女は「あぅ!」と素っ頓狂な声をあげて、名残おしげにオレから腕を放した。

……間近で改めて見ると、とんでもない格好をしてやがる。

ぎらぎらした銀の装飾のついた、黒が基調の服装だ。上は腹と肩を丸出しにしたタンクトップ、下はとんでもなく短いダメージ入りのホットパンツ。布の面積をモラルの許す限り減らしたみてえな服の間からは、明るい紫色の下着が惜しげもなくまろび出ている。

色んなとこに銀の輪っか状のピアスを刺してて、それだけ見れば、どっかの都会をふらついていそうな痴女、と言ってもギリギリ納得できる。

それでもそいつが完全に異質だったのは、頭の周りにまで車輪みてえな輪っかが、ぼんやりと光りながら回っていたこと。

もうひとつは、女が全身から放っている、とんでもなく不吉で、異様な雰囲気だった。

どちらにせよ───明らかに、ただものじゃなかった。


「うちが見えんの!?しかも触れる!?」

「見えるもなにも……お前、あんな柱の上にいたのに、どうやって飛び降りたんだ!?」

「……ふぅ~ん。へえ~っ。もしかして、うちが還したから、それで……?」


ぶつくさ喋り始めた女を、なおも警戒しながら観察し続ける。


「じゃあ〜……はじめまして、しないとね。うちはずっとユッキーのこと、見てたけどね?いちおう、ね」

「……何、言ってやがる」


そいつは当たり前のようにふわりと空中に浮いて、ごほんとひとつ咳払いをしやがった。

くそっ。何が何だかわからねえ。オレはこの女が馬鹿みてえなポーズを決め始めるのを、黙って眺めてる事しかできなかった。


「うち、冥府からやってきた轢死の死神!『車輪のトーラス』っていいま~す☆ ユッキー、今後ともヨロってことで!☆」


……。

…………?


「……」

「……あ、あれ。なんか反応薄い……?現世じゃこういうの流行りなんじゃ……」


……あんだって?

死神?

死神って、アレか。

鎌持ったフヨフヨ浮く骸骨とかの、アレか?

ああ、でも、フヨフヨ浮いてるのはその通りか……

なるほど、なるほど。

本人がそう言ってるんだからな。そうなんだろう。

死神、死神ね。

へえ~~~~~っ


「そんなワケあるかよ~~~~ッ!!この車軸シャフト痴女がァ!なにもんだ!?正体みせやがれっ!!」

「きゃぁ!?痛いっ!ちょっ!痛い痛い痛いっ!」


不意を打って関節をキメる。完全に決まった。


「違うの~!マジ死神だって!マジマジ本当なんだもん!」

「ウソつけ!言い方がホントに聞こえねえんだよ!あと「ユッキー」ってなんだ!?馴れ馴れしい!何でオレの名前を知ってやがる!オレはてめぇみてえな女、会ったことも見たこともねえぜ!」

「知ってるしぃー!小学校行きたくないってダダこねてたのも、ナス食べられないって泣いてたのも小6でおねしょしたのだって見たもん!」

「なっ───」


その言葉にぎょっと竦んだばっかりに、オレはつい腕から力を抜いちまった。

半べそかきながら女が技から抜け出していくのも気に留めず、オレは頭をカナヅチで殴られたみたいな衝撃に呆然としちまってた。

こいつ、何で、オレの恥ずかしい過去を───


「……もう。失礼しちゃうし。やっと分かってくれた?今まで見えも触れも喋れもしなかったけど、ず〜っとユッキーの側にいたんだかんね?」


どうだ、と得意げに、女はまた蚊トンボみてえに空中に浮いてみせた。

気が遠くなるような思いで額を押さえる。……こいつが言ったのは、オレの子どもの頃のハナシだ。今となっちゃ一番隠してえ秘密。その姿は少なくとも、オレの家族しか知らねえ……ハズだ。

オレはそのころの弱虫のオレがイヤで、中学からはずっと空手に打ち込んで、自分を鍛えてきたんだ。おかげで泣き虫は治ったし、だいぶ丈夫になってきた自負もある。

だっていうのに。……あの女は、その時のオレの姿をまんまと言い当ててみせやがったんだ。

はあ〜、と、深いため息が、全身の底の部分から自然と出てくるようだった。身体からどっと力が抜けちまったらしくて、もう何か言い返す気にもなれない。


それに、内容はともかくだが……少なくとも、女の語気にまでウソが含まれてるようには聞こえなかった。

こうなっちまえば、ヤケだ。……もう、とりあえず、話すだけ話してやってもいいだろう。


「はあ、わかったよ。……トーラスって言ったか?」

「あ☆覚えてくれるとかやさしーっ☆トーラスだよっ♪」

「……今まで見えも触れもしなかったっつったな。他の人間には、今も見えねえのか?」

「ん〜……多分ね。ユッキーしか見えてないと思うよ?還した影響的な……?まぁ何とかなるっしょ☆」


適当で軽い調子に思わず額を抑える。……だが、あまりに現実離れした異常事態にあてられて、オレも頭がどうにかしちまっていたんだろうか。

このまま喋っていても埒が明かないとなって、思わずこんな提案をしちまったわけだ。


「……とりあえず、オレん家まで来いよ。ハナシはそれからだ」


すると、女───トーラスの顔が一瞬で、ぱあっと、見たことがないぐらいの明るい表情にかがやいた。


「やったぁ───!ありがと、ユッキー!」


一瞬どきり、としたオレの心臓を叩く。

ちっ、なんだよ、そのカオ。

もしホントに死神だってんなら、そんな、花が咲いたみてえな笑顔なんてしないでもらいたいもんだ。



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