Death+19. 運命の夜に
気がついたとき、そこは修羅場だった。
相変わらず暗かったものの、鼻先で知らないにおいを感じとることができたから、今現在オレたちがいる場所がついさっき不法侵入をしでかした更科の部屋だってことをすぐに思い出すことができた。
オレの視界を埋め尽くしていたのは、まだ見慣れない淡い紫色の瞳だった。にやりとした笑みを浮かべてこそいたが、その奥で何か深刻なことでも考えていそうな、底知れないカースの表情だった。
感覚を取り戻した口の中で踊っている生暖かくて柔らかい感触は、やはり目の前の死神が恥も外聞もなくディープキスをしている事をはっきりと示していた。
ぷあっ、と青い唇が離れる。血色のよくない白い肌が離れていくと、周りの様子がよく分かった。
呆気にとられてオレを見ているトーラス、フォール、ルサール。
「ウソ……」
「……悪霊を、昇天させた……?」
「にん??げん??が???」
何やら真剣な表情のまま、睨むような鋭い視線でやはりオレを見るカース。
「てめエ……」
そして。……いつの間にか起き出して、ベッドに寝転がったまま、オレとカースの情事をばっちり見留めている更科。
「……えっ、えっ」
その場の全員が、目の前で起こっている現象を理解できないといったふうに固まっている。
この状況が絶対にまずい事だけは分かったが、生き返りたての頭がうまく働かない。
ああ、なんで誰も何も言わねえ。更科が見てる、いや、そもそも更科も死神は見えてる、そうじゃないキスを見られた。ぐわんぐわんと思考が安定しない中で現状の打開策を無駄に考えるが、どうしても脳が動かない。
どうする、どうする───そこでオレの表情をじいと見ていたカースがギザギザの歯の隙間からはあと息を吐き出して、鋭い声で静寂を破った。
「───落ち着ケ。整理しよウ」
───
──────
─────────
「トーラスで~す☆ぶい!」
「フォールだ」
「ル?サー、ルで。す、」
「ワタシはカース」
「よ……よろしくお願い、します……?」
オレは更科をどうにか宥めることができた。四人並べた死神どもが視えることから、向こうもただならぬ事態であることを察してくれたらしい。
真剣な面持ちでベッドに座り込む更科に、オレは死神の言葉をたまに借りながらも、ここ数日でオレの身の上に起こったすべてを話した。
オレの不運が、文字通り死ぬほどまで強まっていること。
運命で死んだ最悪の例が、悪霊であること。更科の命を危険に晒したのが悪霊であって、オレたちはそれを助けるために、更科の家までやって来たのだと。
既にオレの命は8回、運命によって奪われていることを伝えたとき、更科は目を見開いて、明らかにショックを受けていた様子だった。心苦しいが、ここまで来た以上は、何もかも更科に語らなければならなかった。
「……その悪霊に取り憑かれたから、私は……」
「そうだ。もう少しで死ぬところだったらしいぜ。……危なかったな」
「どうやって、私を助けてくれたの?」
「あー……それはだな……」
キスをして起こしました、なんてどこかの童話みたいな言い分で誤魔化しても仕様がない。
オレが更科にそんなことをしたなんてのは気付かれてもいないだろう。何より自分は今侵入をしている身だし、さっきの感触をまた思い出すと、どうも心の奥底が熱くズキズキと痛むような気がする。
きょとんと首を傾げる仕草、見開いた大きな瞳、長くて繊細なまつ毛、そんななんでもない表情を見ているだけで、顔から火が出そうになる。とてもじゃないが、誤魔化すのは逆効果だ。
オレは詳細を省いて、簡潔な真実だけを言う。
「……お前に憑いた悪霊の呪いを、オレが肩代わりしたんだ」
「それって、それじゃ、幸長くんが……?」
「ああ、オレが、更科の代わりに死んだだけで済んだ。更科が死ぬなんて"不運"は、オレには耐えられねえ」
「───……」
死んじまうのに早くも慣れちまったもんで、なんでもないことのように言い放った後で、オレは気が付いた。
更科の顔が、どんどん曇っていく。……当然だ、軽い気持ちで死んだなんて、無神経に言うもんじゃねえよな。
オレはあわてて笑みを浮かべながら、更科に続けて取り繕うような言葉をかける。
「なに、安心しろよ!なんてことねえ!現にオレは生きてるし、カースが生き返してくれた。お前が無事なら、それで───」
そこで。
ばちんと、オレの頬に、熱い感触が稲妻のように迸った。
「───え」
更科を向いていたハズの首が、いつのまにか左を向いている。
頬に残った熱い感触が、部屋の空気に冷やされて、徐々に痛みに変わっていく。
ヒリヒリとした感覚を覚えながら、何が起こったのかわからないままに、恐る恐る更科の方を見やると。
涙目で、今にも泣きそうな顔をしたままオレをきっと睨んでいる、更科の顔があって。
「……なんで」
震えた声で、更科が訴えかける。口をかたく結んで、オレの頬を叩いていた手のひらを、膝に戻す。
そんな様子は、空手のおっかねえ師範代よりも、フォールの射殺すような瞳よりも、オレをさっき殺したばかりの呪いよりも。
何より恐ろしくて、心を痛ませるものに、オレには思えた。
「なんで、私に言ってくれなかったの。そんな、死ぬような目に遭ってるなんて、もう死んじゃった、なんて」
「それは……更科を、心配させたく……」
「───友達、でしょ」
「……」
「私だって、そんなに弱くない。だから、だから、そんなに簡単に、代わりに死んだなんて、バカなこと言わないでよ……」
絞り出したような、涙ながらの声。後ろの死神もすっかり押し黙っている。
それは霊障に侵されて、寝床で苦しみにあえいでいた時の途切れるような悲鳴よりも、ずっと悲痛なようで。
「私も、幸長くんのことが心配なんだから……!」
「……更科」
どうやら、オレはとんでもねえ思い違いをしていたらしい。
あれほど一緒にいて、同じ時間を過ごしてたっていうのに、オレは更科のことなんか何もわかってなかった。
更科は、思ってたよりずっと優しくて、ずっと丈夫で。……ずっと、強い女だった。
オレは顔を手で覆って泣きじゃくる更科のもとにひざまずいて、落ち着いて語りかけた。
「ゴメンな。もっと早く、相談すればよかった」
「……うん」
「オレはな。更科に死なれるなんて、まっぴらゴメンだったんだ」
「私も、嫌だよ……」
「そうだよな。でも、オレはもう、こんなとんでもねえ不運すら当たり前になっちまったのさ。それは多分、オレにはどうしようもねえ。……分かるんだ、自分のことだから」
「……」
「友だちが死ぬなんて、ショックかもしれねえ。でも、オレはこの運命を覚悟した。一緒に生きていくって決めたんだ」
後ろの死神たちをちらと見て、静かに言葉を続ける。
「オレには、死神がいるから。……だから大丈夫だ、更科。こんな不運でも、オレは絶対に、オレの日常だけは守りたいんだ」
更科は顔を上げて、充血した眼をそっとオレと、後ろの死神たちに向けると。
感極まったように鼻をすすって、オレの胸元に身体を寄せた。
それは心音を確かめるように、命の実感を得るように。目の前の友人がちゃんとこの世にいることを祈るような、そんな仕草だった。
「無理だけは、しないで」
「ああ、約束する」
「辛かったら、すぐ話して」
「約束する」
「……死ぬなんて、言わないで」
「それは、約束できねえ。でも、オレは幸せに生きてみせるからよ。……だから、そんな顔するなよ。見てろって、大して変わらねえかもしれんぜ」
「……っ」
オレは更科が安心できるように、それでもオレが、自分で選びとった決意を訥々と告げていく。
死ぬほどの不運。こんなメチャクチャな運命の中にあっても、オレのささやかな幸せだけは守り通す。……たとえ死んでも。
それがオレの答え。更科には心配をかけちまうことになるだろう。でも、こうなっちまったからには、オレはそうして生きていく。
たまたまとは言え巻き込んじまったからには、どうあれ言っておく必要があるだろう。オレの決意を、死神のいる、これからの生活を。
背後の死神達も、ずっと黙ったままで何も言わなかった。やっぱりこういう時は、こいつらも空気を読んでくれるんだろうな……。
「(あ~~~、マジでユッキーかっこよすぎ~~っ……♡さっきから神殺し文句連発しすぎぃ……♡有紗ちゃんいなかったら理性フッ飛んじゃってたかも……♡)」
「(流石は俺の婿だな……研ぎ澄まされた俺の精神をこうまで波立たせるとは。俺が所詮は一匹の雌であることを思い出してしまうではないか……♡)」
「(えっちす?ぎる、なこ。いつぜ、ったいお!かすか☆えったら、ぜった?いし!ぼり、とっ。たる!)」
「(ヤベ、腰砕けル……クソ、こんな呆れちまうほど甘い台詞に、このワタシガ。油断してた、ア、マジでイッ……♡♡♡)」
死神どもの頭の中もつゆ知らず、そんな事を考えていると。
オレの胸の前で、更科はしばらく口を閉ざして思案にくれていたようだったが、やがては意を決したようにして、不安げにオレの眼を見すえたあと、死神たちに顔を向けた。
「……皆さん。幸長くんを、お願いします」
「はぇっ!?……うん、もちろん、もちろん!」
トーラスが間の抜けた声をあげて返事したのを聞いて、オレは眉間にわずかなシワを寄せる。
……こいつ、またなんか余計なこと考えてやしなかったか。オレのそんな憂慮を置き去るように、続いてまた更科の控えめな声がした。
「幸長くんの不運は、私も知っていましたけど。……でも、正直、なにが何だかわからなくなっちゃって」
当然だろう。当事者のオレでさえ、何回か死ぬまで簡単に状況をのみこめなかったんだ。
更科がここまでオレのことを考えてくれてる事実に、少しうれしい気持ちが湧く。それでもその言葉は、どこか寂しいような空気を含んでいて。
「あなた達が死神なんだってこと、信じます。だからこれからは、あなた達が幸長くんを助けてあげてください。私じゃ、どうすることもできないみたい、だから……」
弱々しい、囁くようなつぶやきと共に、更科は押し黙る。そんな健気な姿に、オレの心がツンと痛くなった。
それは今生の別れを告げるような、もう二度と会えない人を相手にしたような、切ない別れの雰囲気。
ああ、それもそうだ。オレはひとり合点する。オレが自分の不運に納得できていても、更科が納得できるなんて道理はねえ。
こんなにワケが分からない目に遭うようになっちまった人間だ。オレはとっくに、更科の手が届かないところに来ちまったのかもしれない。
そんな奴と今までの日常を過ごすなんて、オレがよくても、更科がよくなきゃ意味がねえ。
また部屋に重苦しく悲壮な空気が流れかけたところで、トーラスが不意に馴れ馴れしく、更科の肩に手を置いた。
「そ〜りゃないっしょ、有紗ちゃん!」
「……へ?」
当惑する更科をよそに、トーラスはいつもの軽妙なノリのまま、陽気に続ける。
「まー確かに?ちょーっち難しい話しちゃったかもだけどさ。でもでも、有紗ちゃんがユッキーの友達、ってのは変わんなくない?」
「……それは……」
「その通りだ。それはあんまりだろう」
フォールも胡座をかいたままで更科の側に寄りながら、深く響くような声を掛ける。
「死神には死神の。生者には生者の領分がある。幸長に本当の意味で触れ合えるのは、やはりお前たちに他ならない。……確かに、幸長の死は受容し難かろう。だが、お前に出来ることが無くなった、などと思ってくれるなよ」
「み?ずく。せーぞ!」
「ワタシらは単に、この絶望的に運の無え男をこの世に還せるだけサ。人間は他人なしにゃ生きられねエ。ユキナガを本当に助けてえなら、オマエもちったあ手伝いなヨ」
「そうだそうだ!こっちはどんだけ有紗ちゃんがユッキーと遊んでくれてたか知ってんだから!」
やいのやいのと、死神たちが更科の周りで喧々諤々。だが、それは間違いなく、当の更科に幾ばくかの元気を与えるに至ったらしい。
弱々しい蚊の鳴くような声を発するばかりだった表情が、死神たちの言葉を受けて次第に色を取り戻していき。
やがては、くすりと笑みを漏らした。
「……そうだね。そうだった」
噛み締めるように、更科は言う。その調子には、自分の心の内をゆっくりと認めるような余韻があって。
「私だってまだ、幸長くんと友達でいたいよ」
更科はもう一度オレを眺めて、いつもの控えめな声で、オレに言った。
「これからも、よろしくね。幸長くん」
「……ああ」
オレはどこか気の抜けた、しかし確かに意思の点った言葉とともに、更科の差し出した手を握りしめる。それはこれからの日々をまた過ごしていく、そんな些細な約束。
こんな時にぼうっとしちまってたのは何の理由があったワケでもない、他のものに意識を、無意識のままに、奪い去られていたからだった。
それは紛れもなくオレの目の前で、なんでもない素朴な、更科の笑顔そのもの。
ああ、そうか。やっぱりオレは、取り返しのつかない事に気が付いたらしい。
オレが日常を誓った表情は、もはや、ちょっと違った日常へと変わっていた。
語り合うオレと更科から、死神たちがいつの間にか離れて、こんな話をしていたのにも知らずに。
「……見たよな、オマエラ」
「うん。悪霊が、昇天していった。……ユッキー何したん?」
「し!にが、みでも?ねー。の!に」
「悪霊を悪霊たらしめるのは、
「ワタシと仮説は同じだナ。───ユキナガが、悪霊の
「そんなんありえる!?」
「……いや、あり得んという事はない。だが、まさか……」
「兎に角、異常事態だナ。その辺諸々、冥府の神前で話すことになるゼ」
「あ?そこい、くのか」
「神様に会うの久しぶりぃー!」
「余り
「まあ、せいぜい備えることダ。どんな沙汰が降りるか見ものだゼ」
Death+0.
轢死 : 4
落死 : 1
溺死 : 1
呪死 : 2
Total : 8
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