Death+20. 恋路の先へ

「……そういえば」


更科と和解を済ませ、握り合った手をどちらともなく離す。その柔らかな手のひらの緩やかな暖かさと感触がまだ残り続けているうちに、更科はまたおずおずと口をひらいた。

その視線は、横に立ったカースの元に向けられていて。


「あの、カース、さん?……さっき、幸長くんにしてたのって……」

「?接吻キスだガ?」


びしい。凍りつく水が膨張とともに甲高い断末魔を上げるように、少なくともオレと更科の身体はその言葉と共に、氷のように固まっていた。

なんて事を更科の前で言いやがる。


「そ、そっかぁ……やっぱり見間違いじゃなかったんだ、あ、あははっ……」

「何を驚く事があル。呪縛の解除に接吻は付き物ダ。ワタシはそうして死者を送るんだヨ」

「あっ、そういう人……?」


原色に近い青に艶めかしい光沢を帯びた唇の隙間から、これまた真っ青な舌をぺろりと覗かせて事もなげにそんな発言をしてのけたカースの仕草に、どうやら更科は「そういう文化圏なのだ」という類の納得の仕方に落ち着いたらしい。

初対面の相手に舌をねじこんで来たのは伊達や酔狂じゃねえようだ。こいつは至って真面目に筋金入りのキス魔をやっているんだと認識を改めるべきだろう。

どうあれ今回ばかりはカースのどことない無神経さがピンチとなりチャンスになった、つまるところプラマイゼロ。キスされたのがプラスかマイナスかはここじゃ黙秘を貫かせてもらう。

……と。


「有紗ー?起きたの?」


うるさくしすぎたか、階下から更科を呼ぶ女性の声が聞こえる。

聞き覚えのある優しく柔和な声色が更科の母親のそれであることを思い出して、オレはようやく我が身に迫る危険に気が付いた。


「まずい、忍び込んでんだった!」

「ずらかるゾ!」

「さんね、んいか?のちょー。ばつま!たは。じゅー、まんえ!んい?かの、ばっ。きん!」

「あ、幸長くん!」

「……幸長!?待て、まだ権能を……!」


慌てて開いた窓から身を乗り出し、逃げ出そうとしたその瞬間。

綺麗なアルミサッシに靴下が滑り、身体ごと宙に投げ出される。ここが二階なのを忘れていたらしい。

そういえば、フォールの権能があったからここまで上がってこれていたんだったな。地味だったから記憶に残ってなかった。

そんな出来損ないの脳みそが詰まったオレの頭蓋は勢いよくコンクリに突っ込んで、ぐしゃりと音を立てて潰れていた。


───

──────

─────────


「……全く、俺が居なければ何も出来んな、お前は……」


一閃。蒼い条線を曳いて夜を裂く冴えた刃がオレの意識を引き戻す。

気付けばオレは、フォールの筋肉質な鋼のような背中の上で揺られていた。


「おい、おぶるな!雪乃に自転車返さねえと……!」

「では俺が自転車も持ってやろう♡」

「あ~~~っ!」

「いん、がお!ほー」


更科がオレの不甲斐ない姿をバッチリと視界に収めているのを見て最後に、オレは人生二番目の恥を新たにした。


「見ないでくれ、更科!更科~っ!」


─────────

──────

───


私の目の前で、幸長くんは私の部屋から落っこちた。

それでどうなったかは直接見てないからわからない。それでもただで済んだ訳がないなんてことは私にも分かる。

私は見てた、サッシから足を踏み外すのを。はっきり見てた、つんのめって頭から落ちていったのを。確かに聞いた、ごすん、という嫌な落下音を。

そもそもここは二階なんだから、たとえ足から落ちたってどこかはケガをしちゃってるはず。

直後にあの大きな死神の人……フォールさんが窓を器用に通り抜けて飛び降りるのに続いて、私も慌てて窓辺に駆け寄って階下を見下ろした時、私の瞳に確かにその光景が焼きついた。

地面に倒れている幸長くんと、その身体から半分ほど出ている光のモヤのような何か。私は何度か──大きな墓地とか、お寺とかに行った時に──その光の塊に見覚えがあったから、すぐに分かった。人魂だ。幸長くんの魂。それが今まさに、身体から漏れ出てようとしてるんだ。

直感でそれに気付いた私が息をのんで瞬きをしてすぐに、そんな大事件は呆気なく終わっていた。

フォールさんがふっ、と呼吸するのが聞こえる。その大きな身体は私の部屋の窓からでも頭が覗くほどで、そこに映った金色の瞳は鋭く明るい光を放っていた。

いつの間にか手に持って構えられていたすごく大きな剣がわずかに動いたのが見えると、刃のところで反射する白い月明かりがチカチカと、幸長くんの身体の周囲でホタルみたいにまたたいた。

たぶん。私には見えなかったけど、今の一瞬で、目で追えないぐらいの速度で剣を振り回してたんだと思う。幸長くんの漏れ出かけていた魂は気付くとばらばらになってしまっていて、光る粒みたいになって元の身体に戻っていく。

やがてケガも何もなかったかのようにすぐ立ち上がった幸長くんは、フォールさんに猫みたいに首根っこをつかまれて、背中に問答無用で乗せられてしまった。

彼は私の方を助けを求めるようにふり返りながらも、大きな死神の身体ごと、ほかの死神といっしょに、夜の中へ溶けるように走り去っていった。

この間、10秒もなかったと思う。あぜんとしてそんな様子を見ていることしかできなかった私は、ドアの開く音に重なる、聞き慣れた声に注意を取り戻した。


「有紗、具合はどう?……あら、どうしたの。窓なんか開けて」


私はお母さんのそんな優しい声に振り返って、なんでもないように答える。


「……うん、もう大丈夫。ちょっと、夜風に当たりたくって」

「そう。……よくお水飲んで、あったかくして寝るのよ。学校はお休みしてもいいから、ちゃんと治してね」


ぱたん、と、気遣う言葉といっしょに、扉が閉まった。

私は窓の外にまた目線を戻して、幸長くんが消えていった方の暗い路地を見やり、さっきの光景を思い出す。

今さっきの出来事の意味が、誰に説明されるわけでもなく、私には何となく理解できてしまっていた。


「死んで……生き返った、ってことだよね」


大切な人が死んで、生き返った。そんな信じられない出来事があったなんて信じたくなかったけれど、私の心の中では「絶対にそうだ」という確信が生まれてきているのを感じた。

幸長くんが、普通じゃない運命に巻き込まれている。話を聞くだけじゃ正直いまいち想像のついていなかった事柄が、見てしまったことで急にすぐそばの現実なんだって実感がわいてきたみたいで、私はまた呆然としてしまった。

何より一番、私がショックを感じていたのは。そんな事件が目の前で起こっている間にも、私はただ見ているだけで、何もできなかったことらしかった。

そんな気持ちを感じてしまうこと自体に、少し驚いてしまう。私に何かが出来るわけでもない。多分、動いていたって状況は変わらなかったし、声を上げても死ななくて済んだ、なんてことはないと思う。

現に幸長くんは、もう私の知らないところで8回も死んでいると言っていた。そのうちの1回をたまたま見ていたからって、私がどうこう出来るものじゃないなんて、分かったはずなのに。

それでも、私が悲しかったのは。仮に幸長くんが私の目の前で、運命とか関係なく、今みたいに急なできごとで死んじゃったとしたら……。

その時も、私はこうやって、何もできないんだろうな。

そんなどうしようもない無力感が、私の心にじんわりと影を落とすような気がして。


「今まで通りに、できるのかな、私……」


俯いて、そんな独りごとをつぶやくと、間髪入れずに後ろから、ぴかぴか光を放っているような、陽気で可愛らしい声が、不意に聞こえてきた。


「あれっ、有紗ちゃんもしかして見えちゃってた系?還したらフツーわかんなくなっちゃうはずなんだけどなぁ。もしかしてこれも霊感のせい!?」


部屋には私しかいないとすっかり思い込んでいたから、突然の異物感をもって響いた聞き慣れない言葉に、ばっと振り返る。

その姿には、一番見覚えがあった。学校でずっと、幸長くんの右隣にべったり張り付いていた、凄く綺麗な、この世のものではない死神ひと

長い金髪で、吊り目がちな綺麗な眼、いっぱい付けたピアスに際どい格好。この人は、確か。


「……トーラス、さん?」

「やっほー有紗ちゃん!せっかくだしぃ、挨拶しとこ〜って思ってさ!けっこー昔から知ってるしね」


ひらひら手を振りながら言うトーラスさんは、ふわっと宙に浮き上がって、ホットパンツで露出させた長い足をぐいっと伸ばしながら、朗らかに続けた。


「昼間はゴメンね〜?ビックリさせちゃったっしょ?」


両手を合わせて謝罪のポーズを取るトーラスさんの言葉に、私は学校で姿を見せていたことを言ってるんだろうな、と思い至ると。

それといっしょに、彼女が学校で幸長くんにしていた色んなことも思い出してしまった。

耳にふぅーっと息を吹きかけていたり。恥ずかしげもなく身体に抱きついたり。……む、胸を押し付けたり……。

私はいつしか大胆にはだけさせた、トーラスさんの下着のはみ出す胸の部分に視線を落としていた。サイズの大きさではたぶん負けていないけれど、度胸の大きさまではとても届かない。

授業中にあんな事をされて我慢していた幸長くんは、正直言って可愛かった、なんていうのは秘密だけど。それでも私には、あんなアプローチが出来る気はしない。……出来るなら、私だって……。


「……いつも、あんな事してたんですか?」

「げっ!?……いやいやぁ、普段は遠くから見守るだけだし?いっつもああしてたら有紗ちゃんだって一回は気付くっしょ?」

「あ、確かに」

「うちもユッキーに見て、触ってもらえるようになって、マジ嬉しくてさ。ちょ~っち舞い上がっちゃってた、的な?いや~、それにしても、まさかうちらが視える人間がこんな近くにいたなんて!あはっ、あははははっ」

「そう、だったんですね……」

「(あぶなっ!抱き枕にしたり××したり××んのユッキーの部屋ん中だけで我慢しといてよかった~!)」


心の中でそんな事を叫んでいるトーラスさんの脳内は知るよしもなく、私はその言葉でどこか納得をしていた。

改めてまじまじと眺めてみても、やはり幽霊なんて言われてにわかには信じられないくらい、彼女たち死神というものは人間とほとんど変わらないほど鮮明に見える。

普通の亡霊とか幽霊は、見えても小さな人魂くらいか、ぼうっとした人型の光くらいのものでしかなくて、言葉らしい言葉を喋るものなんてなかった。

だから私は正直、あんまり私の霊感が好きじゃなかった。基本的にそれらは、見えてはいけないものだから。

けれど、目の前の死神たちからは、そんな空気は感じない。人と同じように喋れて、人と同じように見えて、それでも確かに人じゃない。

初めて見るものなのにどこか親近感を覚えてしまうのは、たぶんこの、持って生まれた霊感が、こうして触れ合うって形で役に立ってるからなのかな。

私が目の前で浮かぶトーラスさんを、ぎらぎら光るラメの入ったショッキングピンクのヒールを履いた足から、黄色い半透明の車輪か歯車みたいな頭の輪までをまじまじと見ていた束の間、彼女は突然、「てかさあ、」と切り出した。


「───有紗ちゃん、ユッキーのこと好きっしょ?」

「……へぁ!?」


急に何を言い出すの、この人!?驚きのあまり変な声が出てしまって、思わず口元を抑える。恥ずかしさで顔が熱くなる。

あまりに突然の、しかし芯をついた一言。私の本心を言い当てた彼女の言葉にとまどいを隠せないでいると、トーラスさんはふわりと空中で一回転して、私の目の前まで顔を近づけた。


「うちも、ユッキーのことが大、大、大好きなの」

「……」


その声は今までと変わらないきらきらした陽気さで、けれどもその薄桃色の瞳は、蕩けたような、夢を見るような、それでもこの上ない真剣さをもって、私を見ていた。

私はこの眼に見覚えがある。それは毎日のように顔を突き合わせている、見慣れた自分の瞳と同じ。

恋をする、女の子の瞳だった。


「うちはもう、ユッキーに触れる。ユッキーと喋れる。こんなチャンス、もう二度とないかも。だからうちも、本気でユッキーのこと狙っちゃうから」


ちろり、と。血色の良い赤い舌を唇に這わせて、舐めるような仕草とともに、トーラスさんは言った。


「……ぐずぐずしてると取っちゃうよ、有紗ちゃん」


私はそんな宣戦布告を受けて、豆鉄砲を撃たれた鳩みたいにぼうっとしていたけど。

すぐに言われたことの意味がわかって、あわてて言い返した。


「私も。……私だって、私の方が、幸長くんのこと、好きだもん」

「あははっ!うちら、ライバル同士じゃん」

「ライバル……」

「そ。うちと有紗ちゃん、どっちがユッキーを誘惑できるか。どっちかが落とすまで終わらないかんね?」

「ゆ、誘惑って」


困惑する私をおいて、トーラスさんは「だからね」と続けた。


「有紗ちゃんも、ユッキーと一緒にいないとね?」


でも最後にユッキーを貰うのはうちだから。そんな言葉と共に笑いながら締めくくったトーラスさんの言葉で、私ははっと気が付いた。

トーラスさんは、私を気遣ってくれていたのかもしれない。超常現象に襲われるようになってしまった友だちと、これからも付き合っていけるのか。

そんな不安を私から取り除くために、幸長くんが好きな気持ちを、思い出させに来てくれたのかもしれない。それともそんな事はなくて、単に恋敵をけん制しに来ただけなのかもしれない。

どっちでもいい。どうあれ私の気持ちは、トーラスさんとのそんなやり取りで、もう一度はっきりさせることができたから。……それより、何より。

こんなケンカを売られて黙っていられるほど、私は弱くないんだから。


「……私だって、死神なんかに渡さないもん」


こっちからもと顔を近づけて、目の前にある透き通るような瞳をしっかり視界にとらえて、はっきり告げる。

私の答えを聞いたトーラスさんは、綺麗な吊り目をにやりとした笑みの形にして、心底楽しそうな満面の笑顔で、こう言った。


「じゃ、よろしくね、有紗ちゃん。これからリサリサって呼ぶから!」

「私も、トーラスって呼ぶね。……よろしくね」


トーラスとふたり、笑い合う。そこにあったのは新しい友情だけじゃない、確かに生まれた、譲れない戦いが静かに始まっていて。

私にとっても、いつもと違う日常が、こうして幕を開けていた。


「───あっ」


……と。

急にトーラスが、どこか見当外れな方にばっと首を回して、間の抜けた声を上げていた。


「うっそ。ユッキーまた?早すぎん!?」

『車輪の、早く来い!幸長がブルドーザーに轢かれたぞ!』

『どこほっ!つきあ。るい?て、る』

「うちも感じた、今行くからちょっち待てし!」

『間違いねえ、悪霊の運命を吸収してル。さっきまでより一層ヤベエ不運だゼ!』


遠くから声を飛ばす力でもあるのだろうか、この場に居ない死神たちの声とトーラスが焦ったように言葉を交わす。

会話の内容からして、たぶん。……幸長くんが、また死んだってことなんだろう。

トーラスはこっちを向くと、ひらひらと細くて綺麗な手のひらを振りながら、笑ってこう言った。


「……じゃ、うち行くから!リサリサまたね~っ☆」


快活なせりふの余韻だけを残して、まばたきする間に、煙のようにトーラスはその場から消えてしまった。

人間を超えた、死神っていう存在。私の大好きな人を、大好きな死神たち。死んでしまうようになったその人。

まだ、分からないことばかりだけど。それでも私がその人にできるのは、相変わらずただひとつの、なんでもないような些細なことで。

パジャマ姿でぐいっと伸びて、枕元のジュースに手をかける。それを少しだけ飲み込むと、甘酸っぱい果実の味がした。


「また明日、幸長くん」


届くはずのないいつもの挨拶といっしょに、私はまた、ベッドの上に横たわった。



Death+2.

轢死 : 5

落死 : 2

溺死 : 1

呪死 : 2

Total : 10

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