GRIM+REAPER!

千貫期待値

死神の悪戯 編

Death+1. 不運の毎日

何をやっても上手くいかない日って、あるだろ。

そう、たとえばの話。

新学年の朝早々、たまたま目覚ましが鳴らなかったり。

たまたま昨日食った生ものが当たって、トイレに籠る羽目になったり。

制服がなかなか見当たらなくて、家を出る頃には遅刻寸前だったり。

急いで走ってみれば盛大にこけて、膝をすりむく羽目になったり。

まあ、誰にでもそんな日はあると思う。


そこでオレ、京崎幸長きょうさき ゆきながから質問だ。

───もし、それが毎日だったとしたら?

───もし、それが日常茶飯事だったとしたら?

───もし、それが気に留める事もないぐらいの日々のワンシーンだったとしたら、

お前らはどうする?

……ああ、別に答えなくてもいいぜ。


オレが、その実例だからだ。


「おわ!?」


それ見ろ!言ったそばからだ。

ごりっ、という音が爽やかな朝をつんざいて、派手に立った水音にスズメが飛び去っていく。

どうもオレは、頭より体のほうが利口らしい。空手で鍛えてるから、ってのもあるだろうが。

ボロボロになった側溝ごと水路に突っ込んだ片足を引き抜いてから馬鹿みたいにぼーっとその場につっ立って、やっと自分の身にどんな災難が降ってきたのかわかった。


「あーあー……」


ずぶ濡れになった靴下と靴とに目をやると、イヤでもため息が出てくる。わかったかよ。

有り体に言っちまえば、とんでもない不運。

それが、オレの生涯そのものだ。


「ツイてねえなァ、今日も……」


だからって自分が不幸だとか、生きるのがイヤだとか、そんなことはみじんも思わない。自分のツキのなさと付き合いはじめて16年も経てば、こんな生活にも慣れっこだ。

はっきり言っちまえば、もうなんとも思わないんだな、これが……

良いのか悪いのか、こういう災難はオレだけに起きるらしくて、家族も身の回りの連中も全員、何のこともない平穏な暮らしをしてる。

なんでオレだけが、とは思うが……まあ、こればっかりはどうしようもない。そんな事を考えるよりも、人生を目一杯楽しむほうがいい。

そういうわけだから、オレはまたかけ出していくんだ。記念すべき高校二年生、その最初の朝に間に合うためにな……


「……はぁっ、はあっ、はぁっ」


日和町ひよりがちょう、その名の通り年中日当たりのいい、海に面したこの街は、平地の繁華街からなだらかな丘にかけて住宅街が続いている。

オレの家は丘の上の方、対して目指す学校は丘のちょうど麓のあたりにある。オレはゆるい坂道をひたすらに下るような格好で、ただ走り続けていた。

交差点を越えて、踏切を越えて、信号を越えて、ただ下っていく。学校までは徒歩十五分、全力で走れば五分。……いや、これは見栄を張ったな。正しくは七分と少しだ。

今でこそ全力疾走しているが、普段のオレは別に真面目じゃない。多少遅刻したところで、これまたなんとも思わない。だいたいの人間はそうだと心の底から信じてるあたりが不真面目なトコなんだろうな。

それでも、春先の陽気がそうさせるのか、新学年ごときでいまだに舞い上がれるオレの純粋な感性のたまものなのかは知らねえが───とにかく今日こそは、オレがきっちり時間に間に合えるってことを証明してやりたい気持ちで一杯だった。

そうして両足をやりくりしていると、否応なしに濡れた左足のぐちょぐちょした不快な感触が主張してくる。うぜえ、うるせえ、気持ち悪い。そんな事を思いながらも、頭では別のことを考える余裕があった。


何度でも言うが、オレは運が悪い。それも最近は特に、その度合がひどくなってるように感じる。

子供の頃は、もっとマシだったような…気がする。悪い出来事も日に一回、二回程度だったはずだ。それでも、ずい分泣かされたもんだが……

でも高校に入ってぐらいか、近頃は輪をかけてひどい。一日に何回、なんて数えるのもばからしいぐらいだ。

なんてったって高校1年のころなんて、365日、どれだけ家を早く出ても、絶対に何かが起こって遅刻をしてきたんだからな。

もちろん、この説明で納得してもらおうなんて思っちゃいない。オレからすれば今の説明でそうですか大変ですね、なんて言う奴のことは逆に信用がならねえな。

「遅刻は遅刻」と薄ら笑いで無慈悲な宣告をしてくる担任の女教師の顔が浮かんできて、知らずと頭に血がのぼる。

だから今のオレは、またコケて坂を転がり落ちませんように、だとか、鳥のフンでも落ちてきませんように、だとか、そういう些細な事をぼんやり考えてた。

だが、不運はいつだって、本人の考えもつかないような場所から降ってくるもんなんだ。


曲がりくねった通りをかけ下りて一息つく。汗だくの前髪をぬぐい、四月の冷たい朝を吸い込んでぜいぜいと呼吸をすると、最後の下り坂がオレを迎え入れるのが見えた。もうすぐだ。

人っ子一人いない道に向けて、はち切れそうな心臓を押さえて矢も盾もたまらず走り出す。切れかけの呼吸と限界が来そうな足の震えでいっぱいいっぱいだったもんで、その時の頭の中では、三分後の朝礼の事だけがぐるぐる回り続けていた。


だから、気づかなかった。


重苦しいエンジンの轟音、地面ごと揺るがすような振動、死角から飛び込んで来る巨体。

オレのすぐ横ざまから、どでかいトラックが突っ込んで来ていたことにさえ。


「……は?」


ありえねえ。

この道の脇道はここから入るだけの一方通行のハズで。

通るだけなら気にする必要もなくて。

そもそもそこを車が通るところなんか見たことがなくて。

朝っぱらから住宅街でトラックが飛ばしてるわけがなくて───


ぐしゃり、という、乾いた、嫌な、けたたましい音が、閑静な街を切り裂いた。


ああ、やっぱりな。

オレは頭より体のほうが利口だ。

肉が潰れて、骨が崩れる音。人体があっけなく砕け散るときの音が、内側から全身に響きわたって聞こえてくる。投げ出される身体、打ち付けられる衝撃。

痛みなんかなくて、自分が轢かれたって事さえ、まだわからなかった。

手足を揺らす衝撃、人体から鳴ってはいけない音。たとえるなら、踏まれた朝霜。川辺で風に折られる枯れ草。そういうものを想像しながら、自分の体に起こっていることをぼんやり他人事みたいに眺めるしかなかった。

これは夢でもなく、妄想でもなく、現実に起こったことで。止まらないし、もう戻らねえんだろう。

今壊れているのは紛れもなく自分で、この命はもう台無しだっていう断末魔の確信を全身が叫んでるのに。

オレはまだ、「学校に間に合わなくなっちまう」ってことしか考えてなかった。


視界が暗く、虹色に点滅しながらよどんでいく。

……なんでだ?

走っていれば今頃、ぎりぎりで校門をくぐり抜けているハズの体が、なんでここにある?

なんでオレは、面白いぐらいの血を噴き出して道にのたれてる?

なんで、手足が、動かない───?


考えて、考えて、考えて、その意識がシャットダウンする直前。

オレはやっと、自分が死ぬってことがわかった。


───

─────

───────


「……はっ!?」


黒く暗転したハズの視界に、ふいに光が舞い込んでくる。

ピンボケした風景にどうにか視線を合わせようとすると、ぐらりと世界が揺れる。どこだ、ここは?

両の腕に力を入れて、上体を起こす。そうこうしているとふと上から、誰かの呼ぶ声が聞こえた。


「おい、おい!大丈夫か、君!」


目をこすり、見上げると、40ぐらいのオッサンが心配そうにオレを覗き込んでいる。…誰だ、知り合いじゃない。

傍らにある、ドアの開け放たれたトラックを見るに──運転手か?よろよろと覚束ない足取りで立ち上がる。

確か、オレは…そうだ。いきなり出てきたこの車に跳ねられて、吹っ飛ばされて……

……どうしたんだった?


「大丈夫なのか!?立てるか!」

「ん?んん…あ、ああ。何とも…ねえみたいだ」


目立った痛みは、特にない。昨日不運にも噛んじまった舌がヒリヒリするぐらいだ。

本当に、何も異常はないらしい。ピンピンしている。ためしに飛び跳ねてみたり、手足をぶらつかせてみる。体のどこを触ってみても、骨のゆがみどころか、切り傷ひとつさえなかった。

夢見ごこちにぼーっとしていると、頭の中を元の心配ごとがよぎった。腕時計をちらりと見ると、時計の針は目指した時間を過ぎている。その瞬間、叩き起こされたように背筋が伸びた。


「……やべえっ!遅刻だ!」

「あっ、おい、君!」


まったく問題なく思い通りに動く五体を操って、オッサンの制止を振り切って走り出す。

なにはともあれ、動くならどうって事はない。オレの悪い想像が行き過ぎて、ちょっとした白昼夢でも見たんだろう。実際は多少こけただけだったんだ。

後ろから呼びかける声を置き去りにしながら、そういう納得を自分にいい聞かせる。

───運転手が呆然と立ち尽くす、そのさらに後ろ。誰かがオレを、一軒家の屋根の上から見下ろしていたことなんて気付きもしないで、オレは一目散に校門の中へ突入していった。



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