Death+6. 波乱の開幕
「さて、京崎は今日も遅刻、と……」
「あちゃ~、ドンマイユッキー!まぁ知ってたけど☆」
「ゼェ……ハァ……」
男子1000m持久走通学路杯を単独完走した栄誉もむなしく、オレが教室のドアを開けたのは朝礼が始まって3分後だった。点呼はもう終わっている、つまりはあの憎たらしい女教師の宣告どおり今日も今日とて遅刻をかましたわけだ。
二日目にしてオレの遅刻癖はクラス中に知れ渡っていたようで、特段の反応もなく迎えてくるのがしゃくに障る。オレだって遅れたくて遅れてるんじゃねえってのに。
道中であった不運といえばこうだ。踏切に掛かったあとに2回つまづいたこと、川に落ちかけたこと、たまたまいつも使ってる通りが水道工事だったこと……挙げていくとキリがない。
「それにしても、見ず知らずのお婆さん助けちゃうとか、ちょっとユッキーかっこよすぎない……?こんなのアリ?」
「……しょうがねえよ」
トーラスの言った通り、一番原因としてデカかったのは横断歩道でありえないほど重そうな荷物を抱えたバアさんに出くわしたことだ。手伝ってたら遅れる、なんて頭じゃ分かってたのに、気が付いたら体のほうが先に動いちまってた。
バアさんが歩いてたのが不運、ってのも何となくヒデー話だが、こうして遅刻したんだから、結果的にオレにとっては不運だったんだろうな。……逆に言えば───自分で言うのもなんだが───あのバアさんにとってはオレが来たのは逆に幸運だったんだろう。
不運とか幸運ってのは本人のとらえ方で変わるもんだ。貼り付いてくるトーラスを除けつつ、そんな事を考えながらオレは席についた。
「よう幸長、今日は何があったんだ?」
「ユッキーマジ偉すぎ〜っ♡なでなでしたげよっか?♡」
「るせっ、黙ってろ!」
「あんっ☆」
「えっ……そんなに荒れるほどのことが……?」
「ん!……ああ、まぁそんなとこだ」
オレにいつのまにか話し掛けてきていた甲本の動揺に気付いて初めてぞっとした。
……忘れてた。この女、オレ以外には見えてもいねえし、聞こえてもいねえ。ましてや触れもしねえんだ。ムリに誤魔化して何とか取りつくろう。
たまたま甲本が声を掛けてくれてて、逆に助かったぜ。遅刻魔ってだけじゃねえ、危うく虚空に向かって会話する不思議クンの烙印まで押されるところだった。
学校じゃコイツに話しかける、いや……見るのだってやめた方がいいな。ぬるりと始まりつつあるホームルームを適当に聞き流す構えを始めてそんな決意を新たにした時、左からまた控えめな声が聞こえてきた。
「幸長くん、おはよう」
「ああ、更科。おはようさん」
緩やかな挨拶に、少しぴりぴりと昂っていた感情が綻ぶ。なんて気持ちの良いやつなんだろう。
思えば一日で、ずいぶん状況が変わっちまった。爽やかな日常を送るはずだったのに、心配ごとがどかっと増えたもんだから、正直言って疲れていた。
三回死んだってのに生き返ったなんてウソみたいな体験、オレの不運がヤバイ呪いだったなんて真実、おまけに他の誰にも見えない死神、そんなものがオレの周りをフヨフヨ飛んでいるこの状況。チクショウ。この世の地獄そのものだ。
それでも、ああ、それでも。更科の、気の抜けたみたいに落ち着いた笑顔は変わらない。これが、オレの日常なんだ。
とんでもないことになっちまった人生の中でだって、確かにそのままの日常はあるんだ───
「ユッキー次数学だって!てか教科書持ってきてなくない?」
「やべえ!」
……しまった、つい反射的に。”反応しない”って心に決めたばっかりだったってのに、トーラスの指摘に思わず声をあげちまった。
だが、確かにその通りだったのはすぐに思い出した。そうだ。今日のオレは教科書類を一切持ってきていない。
家で時間ぎりぎりまで探しても見つからなかったもんだから、そのまま出てきちまったのをすっかり忘れてた。
一人で勝手に叫ぶような格好になっちまったこと、教科書全部を忘れたこと。二重にあわあわと、あからさまに慌てはじめたオレを怪訝そうに見ていた更科は、少し首を傾げるとこちらをきょとんと覗き込み、つぶやくようにオレに言った。
「……もしかして、教科書忘れた?」
なんて。なんていいヤツ。泣きそうだ。
情けなさと申し訳なさで頭がいっぱいになる。余計な心配かけて察させちまった。
ただ声を上げただけだってのに、やっぱり更科はカンがいい。よすぎると言ってもいいな。何だかんだ長い付き合いのたまものか。オレは感極まりそうになって声を抑えながら答えた。
「すまん、見せてくれ」
「いいよ〜……あ、机そっち寄せるね?」
「ありがとう、この礼はちゃんとするから……」
「う、ううん。これくらい大丈夫だよ。気にしないで」
えへへ、と更科の微笑が眩しい。もうすぐ始まる数学の教科書を取り出してくれる彼女を見ながら、オレは思案する。
死神がなんだ、不運がなんだ。オレにはこんなに良い友だちがいる。それは、たとえオレが何回死んだって変わらない、人生のささやかな温もりに違いない。
オレに幸運があったとすれば、こんな関係に恵まれたことなんだろうな。せめてこれぐらいは大事にして、楽しんで生きていければ、オレにとっては十分なんだ───
そんな事を考えていたら、不意にオレの右腕に、ぎゅむうと、柔らかい感触が当たるのを感じた。
……それが何かは、見なくてもわかった。いや、見ちゃいけなかった。
「……せっかく見てもらえるようになったのに、ちょっち複雑かも。うちは右にくっついちゃおっかな☆」
───この死神、本当に許さんぞ。
右腕に抱き着いて、無駄にでかい胸をこれ見よがしに押し付けて来たトーラス。かたや左側には、寄せた机の真ん中の教科書を覗き込むような格好で、呼吸の聞こえるほど距離の近い更科。
……もしかして。今日一日、この状態が続くのか?
リンゴンと、一限の鐘が鳴る。オレがようやく自分の窮状を認識できたのは、初老の数学教師が教室に入ってきたのとほぼ同時のことだった。
Death+0.
轢死 : 3
Total : 3
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