Death+7. 断崖のフォール

「幸長ぁ、メシいっしょに食おうぜ」

「あっ……ああ、いいぜ」

「ユッキーこっち向いてよ~☆恥ずかしがってんの~?♡」


ようやく四限が終わった。

オレはトーラスと一言でも会話したり、ちょっと目を向けることだって出来やしない。すぐ隣で更科が教科書を見せてくれていたから、余計に細心の注意が必要だった。

だから、今のオレの状況は。常に体をべったりくっつけてくるトーラスに一切注意を向けずに平静を装うなんていう、地獄の精神拷問に架けられていた。

空手できつい鍛錬をしてきて、本当によかったぜ。一番の修行の成果が、死神なんて意味のわかんねえやつの誘惑で表れるなんてな…師範も草葉の影で泣いてるだろう。まあ、生きてんだが。

我ながら、よく四限まで耐えられたもんだと思う。そんなことさえつゆ知らずオレを誘ってくれた甲本に連れられて、屋上にメシを食べに行くことにした。


「そういやさぁ、YOU&MEの新曲聞いた?アレたぶん、幸長好きだと思うんだよなぁ」

「んっ?ああ、ままだ聴いてねえ。家帰ったらき!聴いとくぜ…」

「……どした幸長、具合悪いのか?」

「い、いや、何でもねえっ!気にしねえでくれよ……」


昼飯を食ってる間も気が休まらない。オレたち二人しかいねえから余計に目立つ。横合いから暇そうにちょっかいをかけてくるトーラスの呼吸が近い。……こいつ、ゼッテー後でしばいてやる。

と、


「それなら、いいけど。じゃあ俺、トイレ行ってくるわ」


しめた!耳に息まで吹きかけてきやがったトーラスの暴挙に限界まで耐えながら、オレは席を立った甲本をつとめて笑顔で見送った。

校舎の三階まで通じていくドアがきしんだ音を立てて閉まった、その瞬間。


「オラァッ!!てめえ〜〜〜!!よくも好き放題やってくれやがったなあ!!」

「あぎゃっ!?痛っ、痛い痛い痛いっ!!二人きりになったからってこんな無理矢理なんてっ、あっ♡」


オレはすかさず、真横で悠々自適に暴れ散らかしていたクソ死神に関節という名の鉄槌をくれてやった。

わずかに自由を残した指でばんばんオレの腕を叩きながら訴えるトーラスにかまわず、オレは逃れようと動き回るコイツに合わせて右へ左へ動き回る。


「こンの頭真っピンクのアホアホ死神が!!てめーらの冥府は彼岸花じゃなくお花畑が咲いてんのか!?」

「ちょっ、ひどいっ♡でも力強くて好きぃっ♡」


やっぱりどうしようもねえ馬鹿だ、こいつ。

これは今まで以上にきついお灸を据えてやらねえといけねえみたいだな。

そんなことを考えて一層力を入れると、動いた勢いで屋上を隔てるフェンスに体ごと激突した。


「えっ」

「あっ」


脳裏をよぎった嫌な予感は、その時にはもう的中していた。

ネジがゆるんでたのか、相当ボロボロになってたのか───そんなことはどうでもいいが。

オレのぶつかった部分のフェンスだけが、不運にも、べぎりと音を立てて崩れ去る。

そのとき体重を預けちまう形になってたのは、余計にまずかったんだろう。


トーラスだけを屋上に残す形で、オレは。

高さ十数メートルはある屋上から、真っ逆さまにコンクリの地面に向けて、頭から落ちていった。


「しまった!ユッキー!!」

「あ、ああ~っ……」


落ちていく体。もがくこともせず、自分の身を運命に任せるがままにしながら、ふと思う。


「あ~あ……」


第四のオレ、さよなら、と。


───

─────

───────


「……?」


黄金だった。

宝石みたいにかがやいていて、濡れてるみたいにまばゆい、透き通った黄金。

奥ゆかしくて、どこまでも価値があって、主張しすぎない。ただそこにあるだけで美しい、そんな高貴な黄金色。

オレはしばらく、目の前に広がるそんな光を、目をぱちくりさせて眺めてみていたが。

すぐにそれが、大きな瞳だってことに気がついた。


「な……なんだ……?」

「へえ。お前、死に慣れてるな」


深く威厳のある、それでいて威圧感はない、体の奥底まで響き渡るような、どこか人を安心させる声色が聞こえる。

オレは、ここでやっと───顔面の真ん前に、浅黒い女の顔があったことに気がついて。

そいつに足首をつかまれて、宙吊りにされていることを、ようやく理解した。


「こんな短時間で目を覚ますなんて、大したやつじゃねぇか。車輪のが入れ込むのも、よくわかる」

「うおあっ!?」


ふいに足首を離される。どかっと地面に落ちる前に、なんとか受け身をとって地面を感じた。

すぐに───信じられないことだが───オレを掴んでいたらしい、女の姿を見上げてみる。

……でっ、でけえ。

そこにいたのは、人間じゃありえねえような上背の高さをもった、険しい表情の女だった。

でけえのは背丈だけじゃない。もう、体の全部がでかかった。

サラシを巻いてきつく締め上げた胸元はそれでもはっきりわかる丘陵をなして、今にも窮屈そうに噴火しかねない。

いかにもどっかの武者が絵巻でまとってるような物々しい腰当てはオレの胴体よりふた周り以上もでけえんじゃないかってぐらいで、背中に巻いたこれまた極太の荒縄でしばり上げられている。

今のオレには、学校の中にこんな女がいるなんて違和感を抱くまでもなく、すぐにわかった。こいつも───死神だ。

燃えるような赤くて長い髪を一つ結びポニーテールにして、ぎらぎらと生気にみちた黄金の瞳をこちらに向けているそいつは、刺々しい、しかし分厚く触れがたいオーラを放っている。

仮にも武道をやってきたもんの端くれとして、感じる。これは達人の気だ。

ごつごつした腹筋が物語る、極限にまで練り上げられた鋼のような肉体。その身に宿った途方もない技術。ひと息の呼吸を見ただけで、オレは絶対にこの女にはかなわねえと魂が理解しちまってた。

そんなオレの様子を見て、女はかたく閉じきっていた口を、ふっとゆるめた。


「見ただけで、俺を死神だと理解したんだな。───いかにも、俺の名は『断崖のフォール』」

「"墜死"の死神だ」


言うやいなや、女は不意にオレの近くまでかがんできて、ずい、と顔を近づけてくる。

……こいつ、フンドシかよ───


「どこを見てるんだ?」


刀を首筋に押し付けられたみてえな、一瞬の、鋭利な殺気。まじめに武の道を追ってきたオレでも……いや、オレだからこそ。そのひとことだけで、首が切り飛ばされるのを幻視するぐらいだった。

血の気が引く。情けねえことに、それだけでオレは蛇ににらまれたカエルみたいに動けなくなっちまった。


「成る程いい素材だ。だが、あんな場所から落ちた程度で死ぬような軟弱さは駄目だな。……お前、死ぬのを諦めただろ?」


眼光。そのひとにらみがあんまりにも鋭かったもんだから、オレはふるふると首肯で答えるしかない。

オレの生死は文字通り、この女に握られているような錯覚をおぼえていた。まあ、実際、オレを生き返したのはこいつなんだろうが。


「……まったく、情けねえ奴だなぁ。そんな事で、俺の婿がつとまると思ってもらっては困るぞ」


…ん?

今。

妙な言葉が、聞こえたような。


「可愛いやつめ……♡」


気付けば。女はオレの顎先に指を当てて。

まるで品定めでもするみたいに、オレの顔をとっくりと眺めていた。

その鋭い鋭利な眼光のなかには、どこか妖しく、なにか、蕩けたような光も混じっていて。


「……お前。俺のものになれ。そうすりゃ俺が、一からお前の根性を鍛え直してやるからな……♡」


あ。これ、ダメだ。

訂正しよう。こいつも、ダメだ。

くそ。トーラスの言うとおりだってのか。死神はこんなんばっかりなのか。

なんとか拒否しねえと、どう料理されちまうかわからねえ───!

それでも、頭の中ではそう思っていても。とっくに体はこの女に掌握されちまっているらしい。

ぶるぶると、肉体が自然と動くままに、その言葉のままに首肯しかけた、そのときだった。


「ちょいちょいちょーーーーーーいっっ!!ユッキーになにしてんのーーーっ!!」

「ぐあ!?」


凄まじい回転音と共に飛び込んでくる、出会ってまだ一日だってのにもう見飽きた姿。

トーラスがあの物騒な獲物を、女───フォールの後頭部にクリーンヒットさせていた。延髄への完ぺきな一撃、見事な狙いだ。

どがっ、とそのままこっちに倒れ込む巨体。あわててそこを退いた直後、ずしん、と木々の葉が揺れる。見れば、さっきまでオレのいた地面にはヒビが入っていた。

……えげつねえことしやがる。そう思う間もなく勢いよく抱きついてきたトーラスにあおられて、オレもそのまま地面にぶっ倒れた。


「ユッキーだいじょぶ!?ケガない!?あーあー、よりによってこんな男女オトコオンナなんかに還させることになるなんて……!」

「ざけんな!てめえのせいで死んでんだよ!!」

「フォールッッ!よくもユッキーを……!」

「ハナシ聞けよ」


ダメだ、ろくすっぽ聞く耳もちやがらねえ。

対して不意を打たれたフォールの方も、すぐに起き上がって下手人をと睨みつける。すさまじい威圧感だ。

フォールはやおら立ち上がると、ぼきぼきと音を立てて首を回し、刃渡り何メートルもあろうかという野太刀を音もなくぬらりと抜き放つ。

見るだけで息をのんじまうような、狂おしいほどに醒めた鋼のひらめきが目を奪う。妖刀だ───アレがフォールの鎌か。


「……車輪の。その男はな、俺がもらい受けることになってるんだよ。邪魔立てするなら、お前とて容赦はしねぇ」

「なってねえよ」

「そうだよねユッキー?あんなやつのものになんてならないよね!?」

「ああ、ならねえよ!」

「だってさ!やっぱユッキーはうちのものだもんねーっ♡」

「てめぇのでもねぇよッ!!」


びりびりと火花を散らすようにして、二人───いや、二柱って言った方がいいのか?面倒だし二匹でいいか───がいがみ合う。

フォールは妖刀を構え、トーラスも車輪の回転をいっそう強くし、両死神並び立たず。


「なら、力づくで奪ってやるだけだ。待ってろよ、男」

「ふんっ。うちのユッキーへの愛の深さを教えたげるんだからっ!!」


その時の戦いの様子と言ったらもう筆舌に尽くしがたいほどのありさまで、日本史に残るぐらいの死闘だったが、あいにくオレは見てねえからここには書けねえ。

勝手にやってろ。バレねえようにそ~っとその場を抜け出して、もうすぐ五限の始まる校舎に帰っていった。




“落死” 断崖のフォール

──────当事者の肉体の落下を原因とする死



Death+1.

轢死 : 3

落死 : 1

Total : 4

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