Death+17. 解呪の方法
「うぅっ……ふっ……ぐぅうっ……!」
いざ部屋の中に入ってみれば、窓の外で感じていた底の見えない重苦しい圧力はどこへやら、いっそ清々しいほどシンと静まり返っていた。
六畳ぐらいの部屋は電気が消されていたが、暗闇に慣れた目でちょっとは内装をうかがい知れる。素朴なストライプの壁紙が貼られた空間の中に、本やノートが開きっぱなしの勉強机、いろんな高さの書籍がきちんと並べそろえられた本棚、大きめの衣装棚といった家具同士がサイズは違えどきちんと秩序だって並べられていて、しかし放置されたカバンやら壁にかかった制服やらが人の暮らす生活感を出している、そんなどこにでもあるような"他人の部屋"。
オレは人の家に上がったとき特有の未知の匂いを嗅覚におぼえて、強盗じみた真似をしていることへ多少の罪悪感をわきあがらせながらも、そんな意識と目線はすぐさま部屋の片隅へと奪われていた。
微かだが、確かに悲痛にうなされた声を上げながら眠っている、パジャマ姿の更科が眠るベッドに。
「……こいつは」
「ビンゴだナ。間違いなく悪霊憑きダ」
見慣れてるからなんだろうが、そっけない調子で淡白に事実を述べたてるカースを横目に、オレはたまらず更科のもとへ駆け寄る。酷いありさまだった。
綺麗な顔は苦悶の表情で歪められていて、眠っているというよりも気絶しているといった様子が近い。家族が病気を心配してのことだろう、枕元には簡単なおにぎりと栄養補助ゼリー、果汁ジュースらしき液体の入った透明な水筒が、寝ながらでも手が届くような気づかいを感じさせる距離感で置かれていたが、どれも口をつけられた形跡はない。
呼吸ははあはあと荒く、熱に浮かされたように頬を真っ赤に染めている。もんどり打つような激しい寝返りを何度も何度も打っていて、まるで痛みと苦しみから逃げようと必死でのたうち回ってるのにまったく逃げ場がない、そんな目を覆いたくなるほどむごい病状。……これが、霊障。
「ほんとにギリギリじゃん、やんなら早くしないと!」
「運が良いのやら、悪いのやら。冒されてはいるが、対処するなら間に合う範疇だ」
更科を眺めるばかりでしばらく呆然と立ち尽くしていることしか出来なかったオレは、死神の声で我に返る。
……そうだ。オレは更科を助けるために、ここまではるばるやって来たんじゃねえか。無断侵入までして看病しに来たワケじゃねえ。
オレが更科の呪いを肩代わりする。呪いを吸い出してオレに移して、そんでもってオレが死ぬ。それだけだ。
口で呪いを吸い出す。カースがオレを生き返したときそうしたみたいに。それは人間にも出来ると言ってた、あとはやるだけ───
と、更科の顔を見ながらここまで一人で考えたあと。急にふっと、大事なことを思い出して。
「……オレが更科にキスするってことか?」
トボけたような間抜けな声で、ついついこんな、今更すぎる質問をしちまった。
「ハ?そうに決まってんだろボケ!」
「まさかお前、考えずに言っていたのか?」
「あっ!ユッキーのピュアなとこ出てるー♡うんうん、そういうとこあるよねー♡」
「こー?ほーかの、じょづ!らやめ、ろ。」
一斉に死神どもからの、刺すような糾弾の嵐が吹き荒れる。……まずった、これは完全にオレが悪い。自分の馬鹿さ加減にほとほと呆れちまう。オレは両の頬を手のひらででぴしゃりと叩いて、改めて寝床に倒れている更科を見やる。
そんな事を改めて確認したからって、これからやろうとしている事の予定が変わるワケでも、今更怖気づいたなんてワケでもない。そんな事言ってオタオタしてる状況じゃねえし、それほどフヌケた弱っちい心なんて持ってねえ自負はあるつもりだ。
「ちな~、あんなディープキスしなくていいからね?ちょっと口つけて、中の悪いものを吸い込む感じ!」
「トーラスが言ってるのは全くの嘘ダ。
「こーど。なじょー、ほーせん?」
「こんな時に巫山戯るな、祝詞の。……幸長、車輪のが言った通りで良い」
トーラスとカース、フォールの言葉を受けて、オレは苦しそうに息をしている更科の顔に向き合いながら考える。
今オレがここに居ること自体が、倫理にもとってるんだ。人の部屋に不法侵入してキスするなんてメチャクチャな行動の後ろめたさや申し訳なさ、躊躇う理由はいくらでも思いつく。でも明らかにそれだけじゃない原因が、オレを気後れさせているらしかった。
更科に嫌われるのはイヤだ。でも更科が死ぬのはもっと、もっと、もっとイヤだ。ただ、それをしちまったら、なんだか今までの更科との思い出が、全部ウソになっちまうような、台無しになっちまうような、深い不安にも似た言い知れない気持ちの悪い感覚が、心に押し寄せてきている感じがする。
ただのキスひとつ、ただ口と口をくっつけるだけ。それほど大それたことじゃない、たったのそれだけだ。そんな言い訳じみた事をどんなに心に言い聞かせても、そんな気がしてならなくて。
これは多分、更科からどうこう思われる、そういう部分の問題じゃねえのかもしれない。オレ自身の、オレだけの問題に思えてならなかった。
そこを踏み越えたら、後戻りできなくなっちまうんじゃないか。かえってオレは、何か大事なものを失っちまうんじゃないか。オレがそんな風にぐずぐず脳内をぐるぐるかき混ぜていたところで、
「うっ、うぐぅっ……幸、長……くん……」
目の前の更科が突然、オレの名前をうわごとのように呟きながら、大きく身悶えた。
「……助、けて……」
そんな、痛切な叫びを耳にした瞬間。気付けばオレはまだ身体の奥底から湧き上がってきていた、ざわざわした暗くて気持ちの悪い、こわばる感じをぐっと飲み込んでいた。
違えだろ。オレは何をしに来たんだ。
ただ、友達を助けたいから。そのために、オレに出来る限りのことをしてやる。
これでオレがどうなっちまうか、オレがどう思うか、そんなの二の次でいいんだ。
悪霊、運命、不運、呪い。オレたちの日常に降って湧いて出てきやがったワケの分からねえもののために、あっさり更科を奪われてたまるもんかよ。
その気持ちに、少なくとも間違いはねえだろ───!
意を決して更科のベッドの横で膝立ちになると、後ろから、突き刺すように平坦なカースの声がした。それはまるで、警告のような重みを含んでいて。
「ユキナガ。ワタシはオマエを今のところは還してやる、それは保証しよウ。だが、こんなケースは滅多にねエ。───あとでやっぱりオマエは死ななきゃならねエ、なんてなっても、恨んでくれるなヨ」
「……そんなん、どうだっていいぜ」
オレは更科の表情に目を落とし、自分にいい聞かせるように吐き捨てた。
「更科のこんなカオ見て、ほっとけるヤツがどこにいるんだ───!」
そうしてオレは、汗に濡れ、ぐっちょりと顔に貼り付いたきめ細かな薄茶の髪を恐る恐るかき分けて、いよいよ正面きって更科の顔と正対する。
絶え絶えになった吐息が近い。呼吸、鼓動、体温、におい、震え、普段は気にすることもなかったような当たり前の活動が、更科のいのちを主張している。
陶器みたいに白い顔、朱に染まった柔らかい頬、静かに閉じられた茶色の瞳は今にも開きそうな花の蕾みたいで、すぐに壊れてしまいそうな繊細なつくりに、ついつい触れる手が優しくなる。
近づいて行くとなおさら、細かい部分まではっきり分かる。長くて綺麗な睫毛、汚れひとつもない絹みたいな肌、こんなに目の前にいるのに視界に収まるほど小さな頭、端正でととのった鼻、ゆっくりと息を吐く唇、全部が、あれだけ一緒にいたって言うのに、オレの知らない更科みたいだった。
くそ。ちくしょう、イヤでも直視しちまう。
オレは口づけとともに、取り返しのつかない事に気が付いた。
───ああ。
やっぱり、可愛かったんだ、こいつ。
Death+0.
轢死 : 4
落死 : 1
溺死 : 1
呪死 : 1
Total : 7
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