運命の呪い 編
Death+13. 祝詞のカース
───熱い。
口の中に、熱いものを感じる。
暖かくて、柔らかい。湿っていて粘ついた、それでいて優しさを覚える感触が、オレが最初に気が付いたものだった。
お湯と言うには生ぬるくて、水と言うには温かい。それはまるで、生きてるみたいにリアルな熱で。
オレはしばらく、その心地良い感覚にすっかり身をゆだねながら、視覚も、聴覚も、指一本の筋肉を動かすのも忘れて、宇宙空間にいるみたいな不思議な浮遊感の中をたゆたっていた。
その暖かいものは、誘蛾灯みたいにオレの意識を繋ぎ止めるように口の中で動き回っていた。時には回るように、時には叩くように、その度に言いしれない快感が身体の中を走りぬけていく。次はどんな風に動くんだろうか、次はどう回るんだろうか、そういう予想のつかなさで、いつしかオレは楽しくなっているようだった。
「~~~……なせ……!」
「……!……めろ……!!」
遠くから、微かに声が聞こえてくる。……黙ってろ、オレは今忙しいんだ。
暖かい感触がより一層、れろ、れろとうごめくのを感じながら目をつぶる。それとともに意識が急にはっきりとしだして、深海から釣り上げられたみたいに、目の前が明るくなりだしていく。
ああ、もう、終わっちまうのか。……仕方ない。生き返るとしようかな。
オレはこの世に七度目の生を受けるために、また五つの感覚を取り戻していった。
「離せ~っ!!もういいでしょ!?ユッキーから離れてよ~っ!!」
「お前、長過ぎだ!とうに還って居るだろう、好い加減にしろ!!」
「や。め、ろ~」
「んっ……♡ぇあ~っ……♡」
とんでもない美人に、オレは深い、
生暖かい感覚の正体は、これだった。口の中を執拗に、ねちっこく舐め回すような愛撫。
紫色の瞳が、わけもわからず目を覚ましたオレの視界と目が合うと、にいと細めた悪戯っぽい笑いを浮かべ。
息が止まるような、もしかしたらそれで窒息死しちまうんじゃねえかってぐらいの長い接吻をした後で。
ぷはあ、と息を吐き出して、そいつはトーラスとフォール、ルサールに羽交い締めにされながらも、平然とオレの目の前で笑みを浮かべてみせた。
暗闇に目が慣れてくると、そいつの顔がよく見えた。死人みてえな白い肌の上で、ところどころに呪文のような黒い模様が刻まれていた。
目付きの悪い紫色の瞳の下には深いクマが浮かんでいて、その横には青いアイシャドウが引かれている。さっきまでオレの口に覆いかぶさっていた唇と舌は、その両方がこれまた真っ青で、人間離れした色彩に染められている。
そいつは騒ぎ立てるトーラスとフォールに構わずに、しばらくオレの方を見つめた後で、ギザギザの歯を閉じてきしりと微笑む。
オレの口元から青い唇に、細く光る糸のような粘度のある線が伸びているのを見やって、オレはやっと自分が何をされていたのか理解した。……これは、オレの。
「ファーストキス、ご馳走さマ」
キシシ、と笑い声を上げたそいつの爆弾発言に、すぐに両脇の死神が不服そうに声を上げる。
「~~~っ、ずるいし……!いくら還すためだからって長くない?!」
「幸長の初物を、お前っ……!!」
……なにで喧嘩してんだ、てめえら。
そんな文句を言いたい気持ちをつのらせながらも、オレは口に残った暖かな感触を思い出す。
目の前のこいつが言った通り、それは、オレが感じたことのない体験に間違いはなかった。
「悠長にやってるオマエらが悪イ。還してやったんだ、感謝しロ」
悪びれもせずカラカラ笑いながら立ち上がったかと思えば、余裕綽々の態度でほか三人を見回す。
オレから無事に剥がれたのを見た三人はようやく掴んでいた腕を離して、ぐるると唸り声を上げんばかりにそいつを睨みつけていた。
今にも飛びかかられそうな敵意を向けられているのなんか気にもせず、その女は、まだ床に倒れてこんで呆然としているオレの方に視線を移しながら言った。
「ワタシは”呪死”の死神。───
黒いフードを被った、短い銀髪の女だった。頭の上には、古い文字をかたどったみたいな輝きが輪をなしている。ぼろ切れみたいなマントを羽織った下には、胸元と股を隠す黒いブラ、ショーツの他には何も身に着けておらず、不健康そうな身体はガリガリに痩せていて、肌の上から浮いた肋があらわになっている。
いくつもの古めかしい骨董品みたいなアクセサリーを首から下げていて、他にも装飾のついた首輪や腕輪、足輪が体中で鈍い輝きを放つ。何よりも目立つのは、腕と足と心臓を何本も貫く白木の杭。
名乗られなくても、死神なのは明白だった。カースと名乗ったそいつは、今まで会った三人と比べても、より一層に不吉で、禍々しい空気を全身から放っていた。
「災難だな、オマエは呪いに巻き込まれたんダ」
そいつは懐から黒い半透明のフェイスベールを取り出して、鼻先と青色の口元を隠しながら、あっけらかんとオレに告げた。
「……呪死?……呪いで死んだ、って、どういうこったよ」
「別に驚くことじゃねエ。呪術、魔術、そういう人を害する業なんざこの世には一杯あるゼ。アフリカのブードゥー、ケルトのドルイド、北欧の
話を聞きながら、オレは愕然とする。……そんな超常現象じみたもんまで、人間の死因があるのか。
じゃあつまるところ、オレは現代日本で、そういうオカルトチックな死に方をしちまったわけだ。
「まあ、最近はさすがに数が減ったがナ。都市伝説みてえのが偶に有るぐらいダ」
「……そういえば。玄関。オレの血で汚れちまったハズじゃ……」
オレはよろよろ立ち上がりながら、最期に見た光景を思い出して、ふっと振り返る。
そこは暗くて分かりにくかったが、いつもと何ら変わりのない玄関。
オレが毎朝出掛けて行って、毎日帰ってくる、見慣れた、変わらず安心感のある玄関だった。
「なんだ、何も聞いてねえのカ。
ワタシが生き返したからナ、と付け加えたカースの言葉で思い出す。
そういや。最初に死んだときも、トラックの方は何ともなかったし。
電車に轢かれたときだって普通は大騒ぎだろうに、何事もなく走り去っていってたな。
生き返ると、死んだ原因ごとなかったことになる。……なるほど、大事そうなハナシだぜ。
続けざまに今回の死に様を思い出して、まだ口に残っているカースの舌の生々しい暖かさを思い出して、急に恥ずかしい気持ちが蘇ってきた。
「……いきなりキスしてくるたあ、ご挨拶じゃねえか」
オレはそんな気持ちをごまかすように、さっきまでの狼藉にちょっとした抗議の声を上げる。
するとカースは笑みを浮かべるとフェイスベールを持ち上げて、青い唇を開ける。その中で同じ色をした真っ青な舌をれろと蠱惑的に回してみせた。
「オレの武器はこの舌と口だヨ。こいつで呪いを吸い出してやったんダ。……もっとしたかったカ?」
「い、いや、別に……」
「オマエがその気なら、いつでも犯してやってもいいんだゼ。オマエみたいな1000年に1度、いや。見たことねえほどの不運のヤツを見てると、腹の底が疼いてたまらねエ……♡♡」
「……カース、調子に乗るな」
やっぱり、こいつもか。死神にとっては世界全体見回しても、それほどまでにオレの不運ってのは強いらしい。
そんな甘い誘惑を見かねたフォールがぎろりと、それだけで虫ぐらい叩き落とせそうなほどの殺気でカースを睨みながら、真に迫った恫喝を向ける。……傍から見てても恐ろしい。もしオレに向けられていたら怯んじまってただろう迫力を前にしても、カースはどこ吹く風といった様子だった。おとぼけたヤツだ。
「……遠慮しとくぜ」
「ギャハハッ、そうすると良イ。生きてるうちは生者とヤることヤるのが一番ダ。先客もいるみてえだし───なあ、
そこでようやく、カースはすぐそばにいた死神三人を意に介しはじめたらしい。改めて周囲を見回しながら、カースは続けた。
「テメーら雁首そろえて情けねエ。何してたんだ?置物カ?」
「うちらだって止めたし!でも、まさかあんなカッコいいセリフの後にこんな死に方するなんて……」
「ああ。いっそ美しいまでの死に振りだったぞ」
「なさ、け。ねー!」
ひでえ。……だが、思い出してみれば気付けたかもしれねえのはホントのことだ。
更科の番号は知ってるはずだ。連絡先も登録してあるから、更科ならすぐ分かる。
たとえ相手がそう名乗ったからって、違うかもしれないって疑いぐらいは持てたハズだ。
それを一人で突っ走って、「更科が向こうから来てくれる」なんてうまい希望にすがろうとした。ものごとを楽に解決しようとしちまった、オレの甘えが生んだ死だ。
「ワタシも久方振りの仕事だヨ。令和の時代にこんな
そこでオレの脳裏を、ふと、イヤな予感が駆けめぐる。
オレが死んだのは呪いのせいだ。それはカースが出てきた事からも、たぶん事実なんだろう。
だが。だが、それなら。
───なぜ、あの呪いは更科の姿をしていた?
オレの表情は、知らずのうちに強張っていたらしい。それをすかさず見咎めたカースがやおら口をひらいた。
「ああ、オマエの心配は分かるゼ。あの呪いの正体だロ?それも災難なこっタ」
「……どういう意味だよ」
一拍置いて、カースは告げた。
「あの娘。そろそろ死ぬゼ」
"呪死" 祝詞のカース
──────呪術・儀式・怪異等、
Death+0.
轢死 : 3
落死 : 1
溺死 : 1
呪死 : 1
Total : 6
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