Death+12. 突然の訪問

耳を疑った。

更科が、オレの家に?

同級生が突然に連れてきた、不可解な死神の正体を改めにきたのか。

それとも。ろくすっぽ話しもできず別れちまったのに、更科の方も思うところがあったのか。

……どの道、放っちゃおけねえ。


「……分かった、すぐいく」


オレはされるがままになろうとした覚悟を一旦ほどいて、すぐに下半身の危機から脱出しようとした。

動きを止めて力が緩まった死神どもの隙を見逃さず、オレはすかさずベッドから抜けいでて、ドアノブを音を立てずに開け放ち、部屋の外まで素早く踊り出る。


「あっ!ユッキー待って!」

「幸長!」

「まて!〜」


後ろの三人から静止の声がかかる。知ったことか。危うく一晩で三匹の神と交わった男になるところだ。どこぞの神話じゃねえんだぞ。

廊下に出て、落ち着いて周りを見る。ほとんど電気の消された家の中はすっかり、がらんどうとして寝静まっていた。高窓からは月の奥ゆかしい青ざめた光だけが差し込んで、暗闇を頼りなく照らしている。

オレはすぐさま、向かいにある雪乃の部屋を確認した。扉の隙間から光が漏れていないのを見て、安心半分、みっともなさ半分のなんとも言えない気分になっちまう。

この町は、夜ふけに出歩いたってそう楽しいことは多くない。繁華街の明かりは早々に店じまいをするのが殆どで、目立つのは駅前のカラオケとか漫画喫茶、あとは夜の店ぐらいなもんだ。

そういうわけだからオレの妹も夜中は健全なことに友だちと通話してるかゲームしてるか本読んでるか、そのどれかに絞られる。部屋の電気が消えてるってことはもう明日に備えて寝てるんだろう。

何はともあれ、起きていなくて助かった。不健康な兄貴と違って、お前はすくすく育ってくれ。

暗い廊下を静かに、けれども急いで渡り抜き、階段に差し掛かる。フットライトなんて大層なものはないから足さぐりだが、階段までの距離、一段の高さ、段数、時間、生まれ育ったわが家のそういう感覚は身体が完ぺきに覚えている。

我ながら利口な身体を持ったもんだ。ほとんど無意識ですばやく階段を降りると、まだまだ冷え込む春先の玄関にたどり着いた。うすら寒く漂う空気に、ぶると肌が震えちまう。


「今開けるぞ、更科」


まずは更科に、なんて言おうか。家に上げるべきか、外で話すべきか。そう言えばパジャマのまんまだな……

いや、まずは謝らねえとだな。思えばあの場で逃げ出したりなんかしないで、ちゃんと話しておけば、こんな気持ちになることもなかったんだ。

何も運のなさだけじゃねえ。いざとなった時の覚悟ができてなかったオレの不甲斐なさも、この事態を招いたんだ。こんなタイミングでわざわざ来てくれたんだから、まずはしっかり、「ごめんなさい」を言わないとな。

考えを巡らせながら、裸足でに足を下ろす。土ぼこりに汚れたタイルはすっかり冷え切っていて、痛みに似たじんとした感覚が足裏を襲うのにも構わず、オレは迷わずドアを開けた。

それとほぼ同時に。さっき下ってきたばかりの階段の上から、オレにしか聞こえない声の、家中に響くような叫びが轟いた。


「───幸長!!!」

「え?」


開け放ったドアの向こうを見て、オレは呆けたような声を出す。

街灯もまばらなこの町じゃ、4月の闇はまだまだ深い。ドアの隙間から吹き込んできた冷たい夜風がひゅうと身体を打ちつけて、目が覚めるように視界がいっそう鮮明になる。

───だが。視界に映ったのは、

ドアの向こうは何もない、何もいない、完全な虚無の暗闇だった。まるでオレの家だけが真っ暗な空間に取り残されちまったような錯覚。

残酷なほど静かな、凍ったみたいな風の音だけが、オレの耳をもぎ取るように撫ぜていく。

空の僅かな月明かり、家々の小さな明かりが辛うじて天と地を分けているのが見えて初めて、オレはそれが現実の光景なんだって気がついた。

家の前には更科どころか、人っ子一人居るようには見えなかった。


だったら、だとしたら。

オレが電話してた更科は、何なんだ───?


「ぎっ!?」


考えを巡らすまでもなく、首に冷たく不吉な感触が触れた。……いや。触れた、なんて生やさしいもんじゃない。濡れそぼった生気のない人の指のようなものが、オレの首を両手で包んで、ぎりり、と力を入れて締め上げるのを感じた。

オレ、は。武道をやっ……てるからわ、かる。

こい……つ。マジだ。生半可、な。首絞め……じゃ、ねえ。

マジで、オレ、を。殺しに、きてやがる……!


「〜〜〜ッ、ッ!!」

「……更科、です」


首にまとわりついた腕みたいなものを掴んで必死に引き剥がそうと全力を込めたが、ぴくりとも動かない。まるで抵抗すればするほど溺れていく底なし沼みたいに、力を入れれば入れるほど、逆に喉元に食い込んでいくみたいだった。

すぐ後ろから、更科の声で。更科じゃないものが、無感動なセリフを吐いている。


「ここからでは間に合わん……!」

「ユッキーがまた死んじゃう!」


フォールとトーラス、ルサールが今まさにオレを殺そうとしている”何か”を攻撃しようと駆け寄ってきているらしかったが、オレの首もすでに、限界に来ていた。


「……てめ……誰、だ……」

「更科、です。私、更科」


首に掛けられた圧力は今やどんどん強くなって、もう万力みたいに締まってきている。このまま骨ごと首を握りちぎられる未来が急に現実味を帯びてきて、恐怖で身体が強張る。

それでも。今にも潰されそうな喉を回して、後ろの”何か”を見ようとする。

更科を。よりにもよって更科を。オレの大事な友だちを騙ったふざけた野郎のツラを、一度は拝んでおかにゃ、気が済まねえ。

蚊の鳴くみたいな声で出来るかぎりの威嚇をしながら、今にも折れそうな骨にも構わず、振り向いて。

”それ”を見た瞬間、心の底から縮みあがった。


「更科です 更科私 ワタシ私更科 ですワタし わたしゆき 幸な 幸長くんの前まえまヱま 前に前に前に」


学校の制服を着た更科と瓜二つのシルエットは、身体の全部が、塗りつぶされたみたいに真っ黒だった。

頭も、髪も、服も、リボンも腕も、オレの首を絞めてる指まで全部が、この世の絵の具を全部めちゃくちゃにぶち撒けて混ぜ合わせたみたいな、冒涜的で汚ならしい、濁った黒色。

顔があるはずの部分には白い穴みたいなものが幾つも空いていて、ぶっ壊れたラジオのような、録音をめちゃくちゃに再生するようなイかれた音声を更科の声で吐き出している。

それはオレにできる想像なんて笑えるぐらいちっぽけなほどの、人智を越えた、完全に得体の知れない化け物で。

理解できないその”何か”を前にして、オレの頭から急速に血の気が引いていく。……それはもう、頭に血が送られなくなっちまってたせいなのか、恐怖で完全にすくんじまったのか、そんな事はもう、どうでもよかった。

オレ、の、首、はもう、潰れる、から。


「私です幸長クン長くん更科でスワタし幸くん幸幸長幸長くん幸長くん幸長くん幸長くん幸長くん幸長くん」

「ユッキー!」


べぎりと、オレの内側から、鳴ってはいけない音が出る。オレの真っ赤で暖かい血液が、玄関先に撒き散らされていく。次の瞬間、視界が虹色にブラックアウトして、神経みたいな網目の輝きが見えたのを最後に。

オレはどうすることもできないまま、六回目の死を迎えた。



Death+1.

轢死 : 3

落死 : 1

溺死 : 1

?? : 1

Total : 6

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