Death+22. 神様の託宣

冥府はこの世の裏側にあル。

人間界でのあの世というものは、辛く苦しい責め苦が永遠に続く火の海とか、酒池肉林の贅沢ぐらしができる楽園とか、あるいは暗くて寂しい岩の穴蔵だとか、暗闇に満ちた王国だとか、実に色々なイメージで語られル。

死というものに対する人間の恐怖心は計り知れないものダ。故に古今東西、死後の世界は千差万別に想像されてきタ。

地獄、天国、ヘルヘイム、ニライカナイ、タルタロス、黄泉、アアル、ハイドゥ、地府、エリュシオン。神話の中のほとんどは地底にあって、人間の魂が行き着く先と言ウ。


「神様んとこ行くの久しぶり~!」

「俺も数十年振りだ」


では実際の冥府というのがどんな場所カ。別に責め苦を与えるようなことも無く、かといって綺麗なお花畑ということも無エ。

そこは正真正銘、神のおわす地なのダ。人間の魂を永遠に安堵するためのセーフティゾーン、神が産み出した命をねぎらうための安息所にして、神の居所。そういう意味じゃ、先に上げた天国でもあり、煉獄でもあり、冥府でもあり、地獄でもあるような場所であって、冥府を管理する我らが主は、取りも直さずこの世の生命の造物主たる女神に他ならなイ。

死んだ人間の魂は永遠に冥府に留まル。別の魂に生まれ変わるとか、犯した罪が罰せられるとか、そういうよくある話は無く、その後の永遠を絶対安全な世界の中で保証する空間。

それぞれの魂は永遠に神の身許で保護されて、魂の望んだ全ての現象が望むまま実現すル。うまい飯が食いたきゃその通りの飯が現れル。釣りでもしたきゃ釣具と餌と波止場が出てくル。女を抱きたきゃ理想の女が現れル。

死に別れた家族の魂と寄り添い永遠を過ごしても良シ。全く別の何かをするも良シ。成し得なかった事を再び行うも良シ。

現世を生き終った人間は基本的にすべての者が、好き勝手に、そんな生活を永久に送っていル。それがこの世に生命を受けた魂の、神からの寵愛なのダ。


だが、肉体を持って行動できるのは、やはり生きている間だけダ。

魂そのものに力は無イ。せいぜいが他の魂と呼応し、言葉のような何かを交わせる程度。冥府に存在する魂は、そのほとんどが自己完結して生活するより他に無イ。

人間は生きる限り、己の存在を生命それ自体によって世界に刻みつける事が出来ル。

それは他の存在と相互に干渉し合うことの出来る唯一の方法。

ワタシたちは多かれ少なかれ、そういう人間たちの織りなす営みへの憧れという物を持っていル。

集団を成し、文明を産み、法を作り、発展していク。ごく簡単に死んでしまう矮小なものが、それでもよりよい生命のために努力する過程。

それは霊には成し得なイ。我々のごとき人知を超越した存在であるならば、なおさらのことダ。


だからだろうカ。ワタシたちが運命ドゥームを持つ人間に、どうしようもなく惹かれてしまうのハ。

それは神の祝福と相克を成す、生存に課された圧倒的に不利な条件ダ。行動を阻み、行く手を妨害し、未来を摘み取る呪イ。

そんなハンデを背負っておきながら、他の人間と同じように生きていこうとする意思。ただでさえ人間は偉いというのに、これを勇敢と言わず何と言ウ。

特に、ユキナガ───あの男の運命は超越的ダ。絶望的とすら言っても良イ。世界のどこにいても感知できる程の強大な運命、そんなものを持っておきながら、まだ生きる希望を失っていなイ。

ああ、なんと、美しい命の輝きだろウ。思い出すだけで存在しない心の臓が高鳴ル。凍るように冷たい血が高揚すル。とっくに熱を忘れた筈の下腹がどくんどくんと脈打って、ワタシが雌だった事を思い出させル。

そんな罪深い男の命運はこれから、神の裁きと言う名の俎上に上がる事になるのダ。しくじった、とワタシは後悔すル。


「どうなることやラ。やはりあの場で一発味見のひとつもしておくべきだったナ」

「カースまた変なこと考えない?まあ大丈夫っしょ、ユッキーだし!」

「お前は相変わらず呑気だな、車輪の」

「どきどき」


ワタシは空中を飛行し、車輪トーラスは水面をローラースケートで滑るように走り、水辺ルサールは泳ぎ、断崖フォールは川底をのしのしと歩き。

四柱で軽口を叩き合いながら、思い思いの方法で神のおわす玉座へ続く大河を遡上していくと、独特の重苦しく荘厳な雰囲気が漂ってくるのを感じタ。

とっくに慣れた感覚だが、やはり身の引き締まるような思いがするものダ。冥府を司り、ひいては全てを統べる者に相応しい強大な神気が色濃イ。

ついにワタシたちは、その玉座の前。繊細かつ豪奢な装飾によって彩られた、巨大な扉の前まで辿り着いていタ。


「───おヤ?」

「あれ、誰もいないじゃんね」


普通なら二柱一体で門を護っているはずの、冥府の門番の姿が見えなイ。

果たしてどこでサボっているのやラ。辺りを見回してみても影も形もなく、ぴたりと閉ざされた門前はただ静寂に包まれていル。

断崖フォールですら見上げるほどの高さがある扉。謁見の際は門番が開けることにはなってはいるが、マア死神ならばこの程度の重量物を動かすことは造作も無イ。

ワタシの権能で開扉の魔術オープンセサミを唱えてやっても良いが、さテ。こんなものは誰が行っても良かったのだが、果たして最初に動いたのは意外にも水辺ルサールだっタ。


「わた?しにま!かせ、ろ」


相変わらず妙な発音ダ。人間の発話形態に関心が無いのは彼女らしさもあるナ、などと考えている間に、凄まじい暴風が吹き荒れタ。

びゅうびゅういう轟音と共に幾重にも束ねられた大気の圧力が、凄絶な重さを持つ扉をいとも容易く地面に跡を残しながら強引に圧し開いて行ク。

水辺ルサールの権能は流体を自在に操ル。このくらいの芸当は文字通り逆立ちしていても可能だろウ。出来て貰わねば困るというものダ。

ちょうど全員が通れるくらいの隙間が出来たあたりで風を止ませた水辺ルサールと共に、ワタシらは死神すら骨の髄まで凍り付かせるような冷気を放つ扉の先を見据えタ。


「じゃあ、行くゾ」

「緊張しちゃうなぁ~……」

「神気が以前よりも強い。また精進を続けられている様だな」

「まじ?だり~!」


瘴気に満ちた暗闇を、ワタシたちは意を決して通り抜けていク。

やがて遠くに見えてきたのは、冥府の消えない紫色の炎が灯る、淡い光を放っているだだっ広い空間。

そこに座している神こそまさしく、すべての死者の王。汎ゆる者を迎える常世の主。富める者にして、なべての魂に永しえの安寧を約束する麗しき君。

生と死のあわいを息するごとくに司る、死神たちを束ねる主人にして、この世の生命を創り出し給うた張本神。

───名を、常世のエレボス。

その御姿は真珠のように美しい、白磁のような肌もつ聖神女。その頭上には権威の象徴たる王冠状の輪環が輝き、すべてを睥睨する如き巨大かつ豊満な体躯に黒衣のドレスを纏ウ。人間界で喩えれば、そうだナ。あたかも修道女シスターのような慎ましき出で立ちダ。神そのものをそんな風に表現するのもどうかとは思うがナ。

全ての魂は彼の者の御許にて安堵され、全ての生者は彼の者より生まれ出で、全ての死者は彼の者の治世にて永遠と成ル。正しく冥府の絶対者にして、死後の永遠そのもノ。

数多くの魂たちが彼女の周囲に飛び交って、その存在自体を祝福するように舞い踊ル。

無骨で質素な玉座に座したその御方は、数々の宝石が輝く細くしなやかな指を、楽器でもつま弾くかのように流麗に動かしながラ。


簡素に設えられた雀卓で三人麻雀をしていタ。


「あーっ!!ロンロンロンロン!!それロンです!!」

「ダメっすよエレボス様。見逃してたのが悪いっす」

「わぁい、フリテンだぁ~」

「うわぁん、わたくし字一色ツーイーソーがあ~!三麻だから上がれると思いましたのにい……!!」


なるほど、門番の二柱は遊び相手に駆り出されていたカ。

片や馬のような形の二本脚の上からスキニージーンズを履いた、やたらに尻のデカい黒髪の、頭の上から馬のような耳の生えている女。

片や側頭部に巨大な角を生やした、品性の欠片もなく雄の劣情を煽らんばかりの下劣な身体を牛柄ビキニに詰め込んだ白髪の女。

また、新しいお遊びに興じておられるらしイ。神というのは言うまでもなくヒマなものダ。

ワタシはごほんと咳払いをして、騒がしい玉座に向かって自分たちの存在を主張しタ。


常世エレボス様、祝詞のカース、車輪のトーラス、断崖のフォール、水辺のルサール。四柱、此処に馳せ参じましタ」

「あら?……み、皆さん、いつの間に……そ、それでは早速初めましょうか、ね!」

「あっ、会議にかこつけてこの卓なかったことにしようとしてます!?」

「もぉ~、最後まで打ってよぉ~!」

「え~い、うるさいですよ!私忙しいんですから!ほら片付けましょう!」

「ひーん!暇だって言うから仕事抜け出してきたのに!」

「あんまりだぁ~!」


相変わらずだナ。どうにもこの神サマはおっとりしておられる様ダ。雀卓を片付けて玉座の間を出ていく番人の二柱を目の端で見送りながら、ワタシたちは改めて玉座の前に向き直ル。


「ごほん。……ようこそいらっしゃいましたね、私の可愛い死神たち。……では、気を取り直して、お話を致しましょうか」


常世エレボス様は姿勢と語調とを正しながら、ワタシたちをこの地へ呼びつけた本題へと入っタ。


「あの、運命ドゥームを持った人の子について」



"生死" 常世のエレボス

──────全ての生と死

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