Death+25. 世界の終末

─────8:10


閑静であったはずのオレの街はもう、見慣れた景色の影もなく様変わりしちまっていた。

坂の上から見渡す眼下の街路には朝も早くから、行く宛もわからない自動車が四方八方へ途切れることのない渋滞を織り成している。

山間から覗き出した朝日に照らされる色とりどりの板金塗装は不規則なモザイク模様を路上に描き出して、オレの住む街がグロテスクに汚されているみたいだった。

恐怖に駆られたクラクションが当て処ない緊迫感をともなって終末のラッパを吹き散らかす中を、オレ達家族は山の上に避難していくつづら折りの人の群れに混じっていく。

寝耳にノアの洪水をぶち込まれたようなニュースに困惑を隠せていないのはオレだけではない、周囲のみんなが同じだった。逃げろと言われても、どこへ逃げれば良いのか見当もつかねえ。

結局のところみんなは災害といえばで、いちばん最善の対処法として真っ先に思い浮かんだ『高台に逃げる』って道を選んで、オレたちも愚直にそれに従っていたワケだ。

日本を更地にするほどの隕石を前に、オレたちの街にある名前もついてないような小高い山の上に逃げるなんてのが正解とはとてもじゃないが思えない。だがオレ達は、少なくともここにいるみんなは、そんな暗い予感をなるべく考えないように、思考を停めながら無心で足を動かしている、そんな感じがしてならなかった。

何かをしなければ。たとえ結果が同じだったからといって「死なないための何か」をしなきゃならない。それはもう「死なないこと」が目的じゃなくて、それをするために生きているのと同じじゃねえのか。

脳裏をよぎったそんな思いを振り払うように坂を登る。それでいいんだ。それが正しい。そう簡単に全部をほっぽり出す事なんて出来やしねえ。人は、それまでの人生を、続けてくために生きるもんだろう。

ある日突然世界が終わるとしたら、乱痴気パーティをしたりとか、全部かなぐり捨てて遊び放題をやるとか、そういう想像をすることはあるが。終わりってのは、案外こういう風に迎えるもんなのかもな。

───人間ってのは。オレは思う。周りに危険がないからこそ、イロイロ考えられる生き物なのかもしれねえな。

道の上で呆然と立ち尽くしている家族が、あっちへ行こう、いやこっちだ、なんて話をうわ言のように呟いている横で、小さな子供が声をあげて泣いているのを目の端で追いながら、ゆっくりと進んでいく巡礼の列に連れだって山頂を目指した。


─────8:30


山の上には展望台がしつらえられている。どこそこの誰が訪れましたとかいう歴史を書いたありがちな記念碑といくつかの望遠鏡、落下防止の柵だけが備えてある質素な広場は、こんな時間だっていうのに見たことが無いほどの混雑でごった返している。

頭を抱えて座り込む人、不安げに空を覗きこむ人、しきりに騒いでいる人、反応は十人十色のようだったが、その全員に、空の上に圧倒的としか言えない威容で迫ってきているCGのような巨大隕石への恐慌があったのは明らかだった。

フェイクかドッキリを疑う会話を交わしながらしきりにラジオやネットをいじくり回していた人も次々に、自分が得られる情報のすべてが『隕石が落ちて来る』という無慈悲な結論で終わるのを悟って、やがてはお通夜のように静かになっていった。


つまるところ、八方ふさがり。どうやらオレたち人間はもう、30分後には終わりを迎えちまうらしい。隣で不安げな表情をする雪乃をなだめつつ、オレもまた途方にくれていた。

これも、オレの不運のせいなのか?

オレ一人死ぬどころの騒ぎじゃねえ。まるっきり地球の危機じゃねえか。

あんなもんが、よりによってオレの街に突然降ってくるなんて。

ええい、トーラスはまだ帰ってこないのか。人類が危ねえんだぞ。

どうしようもなく墜ちてくることが決定した、馬鹿馬鹿しいほど巨大な星を、オレは怒りとあきらめの混じった暗澹たる気持ちで見上げていた。

───と。


「……幸長くん!」

「幸長ぁー!心配したぜ!」

「更科、甲本……!お前らも来てたのか!」


よく見知った顔。更科と甲本が、オレに背後から声をかけてきていた。

オレはふり返って安堵の声を上げる。どうしようもない非現実的な状況でも、友だちがいりゃ多少は気が楽だ。雪乃を母親のところによこして、オレは二人と相対した。


「お前ら、家族は一緒なのか?」

「うん、一緒に避難してきた。けど、さっき偶然甲本くんに会って……」

「もしやと思って、探してたってわけさ」


甲本はそう言っておもむろに頭をかくと、空を指さして他人事のように呟く。


「あれ、なんだよ。本当に現実?」

「……信じたくねえが、現実みてえだな」

「そうか。……じゃあ、もう人生終わりかぁ。あーあー、こんな事ならもっと遊んでおくんだった!」


何でもないことのように言い放つ甲本だったが、多分ホントに言葉通り、死んじまうのを受け入れているってわけじゃなさそうだった。

仮にも人より死んでるオレだからわかる。「自分が死ぬ」とわかっている状態で迎える死の恐怖なんてものは、計り知れないだろう。フツーは、人は死んだらおしまいだ。

甲本もそんな思いは当然抱えていただろうに、にへらとした笑みをオレたちに向けて、あっけらかんと言った。

それはノンキを装って深刻になりすぎないようにしているような、なんとも甲本らしい優しさにも思えて。


「……でも、最後に三人で話せてよかったよ。友達と一緒なら、寂しくなくていいかもな」

「うん。……そう、だね」

「……ああ。会えてよかったぜ」


甲本の言葉に、オレと更科は神妙に答える。

皆が皆、オレも含めて、本当に隕石が落ちてくるかどうかなんて半信半疑だったみたいだが。どうしたってしんみりした空気になって、黙りこくる。

すると甲本が突然、ぱっと後ろをふり返って、いつものようにひらひらと手を振りながら、くるりと踵を返した。


「わりい、母ちゃんが呼んでるわ。またな、皆!」

「───ああ、またな」


"またな"。

オレにはその挨拶が、なんだか祈りのようにも聞こえていた。


─────8:35


更科と二人で、その場に取り残される。オレたちは意味深に、目くばせするように視線を合わせる。

まだ半日も経っていない昨晩に共有した秘密について、お互いに自然と話しはじめた。


「……あれも、ドゥームのせい?」

「多分、そうだろな。運命ドゥームってのは、普通じゃありえねえ災難のコトらしいし。あんなデカい隕石、あったらもっと早く見つかってんだろ」

「それもそっか」

「……ちぇっ、まだまだわからんコトだらけだ。こんな時に冥府なんか行っちまいやがって、あんの死神ども……」

「あはは……」


言葉が途切れる。二人して上を見やり、不気味なほどゆっくりと、しかし確実に大きくなってきている球状の異物を視界にとらえる。

空を覆い尽くさんばかりのそれは表面の岩のゴツゴツした質感すらはっきりわかるようで、それが逆にぞわりとした、他に例えようもない恐怖を与えてくる。

あの山が、あの谷が、あのクレーターが、オレたちを完膚なきまでに破壊しようとしている。小天体の山肌のリアルな起伏が確かな実在感をもって目の前に差し出されると、いよいよもって現実に、滅びが迫ってきていることが分かるようだった。

周囲のざわつきが次第に大きくなる。声を上げて泣く人まで出始めた。そんな騒ぎを尻目に、オレたちはまた、互いの瞳に視線を戻す。先に切り出したのは、更科の方だった。


「……幸長くん。これが、世界の最後の日かも、しれないね」

「ああ、そうかもな。……昨日あんなコト言っといて、最後はこんな終わり方なんてな。まったくダセえぜ」

「いいの。こうして幸長くんと、お喋りできてる、から……」


そういうと更科は、顔をわずかにうつむかせる。

雪乃と同じように、やっぱり不安でしょうがないのか。気分が沈んじまってるんだろうか。

そんなオレの心配をよそに、ふっと顔を上げて、こっちを見ていた。


「……どうせ最後なら、言っておきたいことがあるの」


頬を朱に染まらせた可愛らしい顔が、普段は伏し目がちな瞳で、オレの目をしっかりと見すえている。

それはまるで、忘れていた、今朝見た夢とオーバーラップするような光景。

オレはついつい、どこか儚さを帯びたそんな表情に、目を奪われていて。

更科が小さな口をゆっくりと動かして言葉を紡いでいくのを、黙って眺めていた。


「幸長くん、私───」


そんな、更科の言葉の途中。

オレの視界全体を野暮に遮るように、突然、と暗くふさぐものがあった。

顔を丸ごと覆うような、とんでもなく柔らかくて、暖かい感触が当たっている。

昨日から、さんざっぱら味わわされてきたせいだろうか。オレはすっかり、この感覚を覚えちまっていたらしかった。

オレが目の前のそれをひっぺがしながら叫ぶのと、そいつが声を上げたのは、ほとんど同時だった。


「トーラス、てめえ───!」

「ユッキ~~~~ッ♡♡♡」


四人の死神たちが、現世に舞い戻った。



Death+0.

轢死 : 5

落死 : 2

溺死 : 1

呪死 : 2

Total : 10

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