Death+9. 水辺のルサール

嗚呼。

ああ、おしまいだ。

なにもかも、なにもかもだ。

自棄になって湯に浸かる。もうどれだけ入ってるかわからない風呂の中で、オレは何もせずぼうっと白い天井を見つめていた。


流石にこれには、あいつらもこたえたらしい。二人とも一発ぶん殴って、今はオレの部屋で正座させてる。

あのトーラスが本気のトーンでごめん、と謝り、フォールに至っては「民の前で取り乱した未熟を恥じて」経なんて読みはじめる始末だった。

なんでも。死神を見れて、しかも話せるほどの霊感を持ってるやつは、この世にもそうそういるもんじゃねえらしい。

オレが特別なら、更科も特別だったんだ。考えてみれば、なんの不思議もねえよな。

アイツらも鼻っ柱をくじかれていい気味だ───そんな風に思いたかったが。あいにくオレも、すっかり生ぬるくなった浴槽で、ずーっと今日のことを考え続けてた。

まあ、間違いなく、幻滅されただろうな。バッチイって嫌われたって何も思わねえ。当然だ。連れてたひとりは痴女、ひとりは時代劇アナクロ女でおんぶにだっこだ。笑えるぜ、まったく……


「……あーあ……」


───オレの人生、いよいよ斜陽にさしかかってきちまったのかなァ。

否応なく、らしくもねえそんなネガティブな考えが浮かんでくるみてえだった。……相当参ってるな、オレも。修行がたりねえ。


「……チクショウ」


元はといえば、全部あいつらのせいで……

……いや、それはちょっと違うな。

あいつらだって、オレが不運じゃなけりゃ来なかったハズだ。

なら、オレの不運のせいか?

それも違う。

不運のせいにする人生は、とっくの昔にやめたんだ。じゃなきゃ、本当に不幸になっちまう。

だったらこの不運をもたらした、地獄の魔王とやらのせい?

そんなワケもねえ。

オレだって多分、呪われたのはたまたまなんだ。別に誰でもよかったんだろう。

極論をいえば、それはオレがオレとして生まれたせいって事になっちまう。

なら。オレの人生がこれほど台無しになったのは、オレの人生があったからってことになって。

堂々めぐりの考えが纏まらない。あ~~~~、くそ。気を抜くと考えてばっかなのがオレの悪いトコだ。


気づけば指の皮なんかすっかりふやけて、湯船に入り続けてるのも中々きつくなってきた。ぬるくなり出した水に身体が気づいて、と震えちまう。

いいかげん、出るか。こんな深夜まで何時間も浸かってるなんて、はじめてだ。

よっこらせ、と湯船を出た瞬間、ものすごい目眩が襲ってきた。目の前が暗転して、虹色のチカチカとした輝きが踊る。

……うっ、やべえ。いくらなんでも入りすぎたか……

おぼつかない視界の中で、支えになるものを探そうと手さぐりで浴室を動いていたら。不意に濡れた床で、ふやけた足の皮が盛大にすべった。


「!!?」


がぼがぼっ、と、吸い込むはずだった息がぬるま湯に変わっていて狼狽する。

転んだ勢いで湯船に突っ込んだのか!?……いや、大したことはねえ。足に力をいれて、落ち着いて体勢を立て直そうとすると、続けざまに激痛がオレの足を襲う。

あ、足がつった!?こ、こんな時に……!!


「~~~ッ!~~ッ!」


最初に水をまちがって飲んじまったのがまずかったらしい。思ったよりも呼吸が続かない。

焦ってもがいても、手がすべって上手くバスタブをつかめない。

ウソだろ、自分家の風呂場で……!まずい、肺に水が……!


「~~~~ッッ」


ああ、クソ。限界だ。

ばちっ、と一気に、閃光が走ったように視界が暗くなって、思考が遠のいていく。頭に血が回らない、ゆっくりとした虚脱感。

俺の命を奪ってゆく、包み込むように優しいぬるま湯の中でかすかに残った意識は、不思議と凪の日の海面のように安らかな気持ちで、これまでの命を思い返す。

気持ちが沈んでたのも、あったんだろうかなァ。

……いつもなら、こんなに狼狽えたりしねえのに……

どこまでもダセえな、今日のオレ……

最期にそんな事を考えながら、オレはまた、五度目の人生に幕を降ろした。


───

─────

───────


「はっ」


ざばあ。

はあ、はあと呼吸する。……どうやら、また助かったみてえだな……湯気の混じった空気を肺いっぱいに吸い込みながら心臓に手を当てる。命の鼓動を実感して、オレはふうと安堵の息を吐き出した。

気がついたら、普通に風呂に入るような体勢に戻ってたらしい。さっきオレが死んだ時より湯はぬるくなっていて、ちょっとした時間の経過したことを暗示する。

そんなオレの、視線の先。向かい合うような形になって、誰かが湯船に入ってるってことがすぐわかった。


深い青色の中に星をちりばめたような、くりくりした綺麗な二つの瞳が、何も言わずにオレを眺めている。

オレの身長に比べても、そいつはずいぶんちんまかった。外にハネた青い髪、その上にぼんやり光るこれまた星のような輝きが線と線で繋がれて、輪のような星座を作っている。どうやら、こいつも死神らしい。

少女、というより見た目はもっと幼く見える。一見丸ハダカにも見えるが、白いヴェールみてえなものがまっ白い肌の皮膚から直接伸びるように流れていて、フリルのドレスを着てるようにも見える感じだ。……こりゃ、身体と一体化してるのか。

たとえるなら、人間大のクラゲみたいな幼女だった。湯船に浮かんだ白っぽいヴェールみたいな服だか身体だかが、余計にそう思わせる。


「……おめえが、生き返してくれたんだな。ありがとよ」


こっちをジッと見つめるばかりで相変わらず何も言おうとしないそいつを見て、オレの口からは自然と、そんな言葉が出てきていた。

……そうだ。これまでだってあいつらは、不運から助けてくれたんじゃねえか。……ちょっと動機は歪んじゃいるが、死ぬような目に遭ってきたオレの息を吹き返してくれてたのは、紛れもなくあいつらだ。

そう考えれば、恩は恩だ。多少べったりつきまとわれたり惚れられてたからって、いつまでも遠ざけようとして、しがらみを残しててもしょうがねえよな……

器がせめえのは、オレだけだったのかもしれねえ。

出たら、あいつらとちゃんと話し合うことにしようか───


「じゃあ、行くか」


ざばり、と湯船から出ようとしたところで───オレは、異変に気が付いた。

足がぬけねえ。いや、足どころじゃない。腕も身体も、引っ張ってみても、押してみてもだめ。どうやっても太い海藻がからまってるみてえに動かない。

じいっと、オレを目の前から覗き込んでる死神の瞳が、心なしか奇妙な光を放ったように思えた。

……これは、まさか。


「ル。サールお、ま?えす。き!」

「ああっ!!てめえっ!?」


そいつは片言の変な発音で、今日何回目かも聞き飽きた愛の告白を口にした。

結局、こいつも。こいつもなのかよォ~~~!?

気付いたときには、もう遅い。見れば浴槽の中は白いヴェールで埋め尽くされていて、水面からと、濡れた細い布のようなものが何本も浮き上がってきて、オレの身体をゆっくりと撫ぜる。───触手か、これは?

オレの全身はいつの間にかその触手に完全にからめ取られていて、身動きひとつ取れねえようになっていた。

そうして幼女の顔をした死神はゆっくりオレの目の前に顔を接近させて、小さな口をにひり、と微笑ませた。


「あん。しんし?ろか!べのし、みかぞ。えて、るあい?だ!にお。わる、」

「うっ、うわああああ~~~ッ!!」

「ユッキーだいじょぶ!??!?」

「幸長、大事ねぇか!?」


オレの悲鳴を聞きつけて風呂の扉を開けてやってきたのは、幸か不幸か、オレの部屋に座らせといた二人だった。

ほかの家族はもう、寝ちまったのか。そんなに長く浸かってたんだな……って。


「……てめえら、何でハダカなんだよ!?服着ろ!」

「ああーっ!また死神の子が増えてるー!?大変!!」

「……いくら何でも死にすぎだろう、お前」

「ハナシ聞けよって……!」


必死に扉の方から目をそらす。

何度も何度も体をなすりつけてくるトーラスのは、普段は隠しているぶん刺激が強い。

一方で、体を折り曲げねえと浴室にも入れねえぐらいでけえフォールのは、否応なしに主張する上に、サラシで固められていた分か。思っていた三倍ぐらいはある。

必死で反応しないようつとめる。もしこいつらに見られでもしたら一生の恥を一日で二回も更新することになる。そんなことになったらきっと───オレは一生立ち直れねえ。


「フォール、そっちもってそっち!」

「こ、こうか……?」

「や!めろ?~~~~~~」

「そうそうそうそうそうオッケー!いくよ~!3!2~!」


死神幼女を二人がかりでひっぺがす作業の間、オレはただ石像見てえに心頭滅却しながら、この時間が終わるのを待つしかなかった。


なんとか服を着て自室に戻ってくる。ほか二人もちゃんとまともな服装になって、変な死神はいつのまにか乾いていた、肌と一体化したドレスみたいな服……?に身を包んで、オレの部屋にいた。


「……で、なんなんだ、こいつはよ」

「この子はねぇ、『水辺のルサール』って言うんだよ。……ちょーっちクセつよいけど、カワイーっしょ?ま、うちの方がカワイーけど!」

「まあ、お前も死んだから知ってるとは思うが。"溺死"の死神だな」

「よろ?し。く卍」


小ぢんまりと座っているルサールに、あらためて目をやる。立ち上がればオレの部屋の天井に頭をぶつけるフォールと並ぶと、いっそうその小ささが分かるようだった。

……まったく。一時はどうなる事かと思った。

だが、さっきの決意もある。ここは穏便に済ませてやろうじゃねえか。オレは深呼吸して、ルサールの小さな手のひらに握手を差し出した。


「はぁ、まあ。よろしくな、ルサール」

「おーーーー!」


握り合うというには小さく、柔らかすぎる手。オレのごつごつと骨ばった手と比べてしまうと、すっぽりと一方的に握り込むような形になってしまった。

溺死の死神だからだろうか。陶器のように青ざめた白い肌は、血じゃなく水が通っているんじゃないかってほど冷たかった。

その時の体温があんまりにも低かったもんだから、オレは氷を溶かすように、ゆっくり熱を伝えていくようなイメージで、しっかりとその手を握り込んでいた。


「……ふわ!ああ〜。あっ、たか」


ルサールの手のひらがオレの温かさと区別がつかないくらいになって、肌で感じていた彼女の手が柔らかく溶けるように無くなり始めた頃。大きな瞳がそれと同じくらいに蕩けはじめたのを見て、オレは初めてはっとした。

……いけない。見た目が幼いもんだから、つい甘やかすような真似をしちまった。コイツもオレにお熱で、さっきまで湯船の中で縛り上げられてたことを思い出し、固く交わしていた握手をぱっと離した。


「む〜〜〜、そんなに長く握手して……!ルサールずるい!ユッキーうちともあっため合お〜♡」

「ルサールの手は冷たかったろう?俺が暖め直してやろう……♡」


すぐに死神どもが群がってきやがる。

みっともなく幼女に張り合ってオレの方に我こそはと身体を乗り出し始めた二人から逃れようとするが、そこはやはり人智を超越した二人。圧されてベッドの上でもみくちゃになり始めたあたりで、オレは声を上げた。


「……待て、待て!」

「お前らと、話したい事があるんだ!」




“溺死” 水辺のルサール

──────水・ガス等による呼吸器系の閉塞を原因とする死


Death+1.

轢死 : 3

落死 : 1

溺死 : 1

Total : 5

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