第13話 祭囃子とりんご飴

二人でネットの動画を参考にしながら、浴衣を着付ける。初心者同士、慣れない手つきながら何とか形を整え終える頃には夕方と夜の中間。空は紫色を帯びていた。家の前の神社に続く道を時折、同じく浴衣を着た人たちが歩いて行く。

「私たちも行こっか。」

自分自身のメイクまで終えて、しずくは立ち上がる。

「うん。」

誘われて、いちかも夏祭りが行われる神社へと連れ立つのだった。

生温い風が吹いて、田園の畔道に生える背の高い草を揺らす。大合唱をしていたカエルの声が人々の気配に沈黙の帳を下ろした。時折、フライングのように鳴く一匹の声にしずくといちかは「まぬけだね」などと言って、笑った。

やがて神社が夜の暗さに浮かぶように輝いて見え始める。提灯の赤い灯りや、屋台を彩る電灯がまるで現実感のない宵を演出していた。

お面を被った子どもや、甚平を着た小学生たちが保護者に手を引かれていく。

鳥居をくぐると笛や太鼓などの祭り囃子と、アルコールを片手に盛り上がる大人が笑い声を上げていた。

町内の人間全員を集めたのではないかと思うほどに人の流れに、小柄ないちかはしずくを見失いそうになる。

「し、しず、く。」

いちかは跳ねるようにしてしずくに自分の位置を伝えた。

「いちか。こっち。」

しずくは人の合間を縫うようにして、はぐれかけたいちかの手を握った。

「手、繋いでいよっか。」

そう言っていちかに触れるしずくの手は熱くて、少し汗でしっとりと濡れていた。

売り子の呼び込みや、鉄板で食材を焼く音に惹かれて二人は屋台グルメをいくつか買ってシェアすることにした。その中には、児童館で働くみちが手がけた焼きそばも含まれていた。

「いちかー!譲羽ちゃんも、まあ可愛くなって!」

祭りの屋台越しに会ったみちは暑さに顔を真っ赤にしながら豪快に笑う。

「大盛りにしてあげるから、食べてって。」

その言葉通り、紙皿いっぱいに焼きそばを盛り付けて二人に手渡してくれた。

「ありがとうございます。食べきれるかな?」

しずくはその量に戦きながらも、笑顔で受け取るのだった。屋台の角に設置されたパイプ椅子を借りて、焼きそばをはじめとした料理を食し始める。

「おいしー!しずく、このフランクフルト食べてみて。」

「待って待って。焼きそば食べたい。」

二人で満腹になるほど食べて、ペットボトルのお茶を回し飲みした。

「ねえ、歯に青のりついてないよね?」

しずくは小さな手鏡を見て、念入りに確認する。いちかもその鏡を覗いて、大丈夫、と太鼓判を押すとようやくしずくは歯を見せて笑った。

「よかった。昔、青のり付着のままだったことがあって。同級生にすごく笑われたの。」

「ああー…、そういう記憶って残るよねえ。」

美意識の高いしずくのことだから、本当に苦々しい思い出だったのだろう。

「無理して、焼きそば食べなくても良かったんだよ?」

みちが用意した焼きそばにはたっぷりの青のりがかかっていた。それこそ、年頃の女の子が敬遠しそうなほどに。

「それはあり得ないね!」

愚問だとばかりにしずくは首を横に振った。

「あれほどのビジュアルの物を食べないなんて、大損だよ。」

少し焦げたソースの香りに、太麺でもちっとした見た目。ざく切りの野菜と目に鮮やかな紅ショウガのコントラストが何とも食欲をそそる。みちの作った焼きそばには天かすもたっぷり入っていて、屋台の中でもとても人気を博していた。いちかは誇らしく、くすぐったい気持ちではにかむ。「ありがと。お母さん、喜ぶよ。」

「実際、すげー美味しかったからね。こちらこそ、ありがとうだよ。」

ごちそうさま、としずくは手を合わせるのだった。

腹が満たされると、今度はアトラクション系の屋台に繰り出すことにした。

スーパーボールすくい、輪投げ、お面の屋台など様々な遊びを的屋らしき大人が提供している。

「いちか、何して遊ぼうか。金魚すくいは?」

「…私、めっちゃ得意すぎてお母さんから禁止されてる。」

いちかがそう真顔で告白するものだから、しずくは盛大に笑ってしまう。

「どんだけだよ!」

「家で金魚すくいができそうなぐらい。」

巨大な水槽を前に困るいちかを想像して、更に笑いの沸点が下がった。

「わかった…、わかった。じゃあ、金魚すくいはやめよう。」

くく、と笑いを引きずりながら、こほん、と気を取り直す。「射的やろうよ。あのぬいぐるみ、可愛くない?」

しずくが指で示す方向には、クリーム色のうさぎのぬいぐるみが商品として射的ゲームの台に鎮座していた。

「本当だ、可愛い。」

「よーし、じゃあおじさん!一回やらせて。」

しずくが意気揚々と運営するおじさんに宣言して、代金を支払う。

「はいよ!一回で5発撃てるからね、頑張って。」

射的で使うコルク銃を用意してもらい、しずくは浴衣の袂を肩までめくり上げてぬいぐるみに照準を合わせた。いちかはその肩の丸みと肌の白さに束の間、心臓の鼓動を早める。が、当のしずくは無邪気に気が付かず、腕を目一杯伸ばした。

「えいっ!」

パンッと小気味良い音が響き、コルクの弾はぬいぐるみの腕に当たる。僅かに揺れるものの、背後に落ちることはなかった。それから4発ともに当たるが、重量があるのだろう。徐々にはずれていくが、獲得まではいかなかった。

「次、私ね。おじさん、二人がかりでも良いんでしょ?」

「良いよー。はい、じゃあ頑張って!コツは頭を狙うことかな。」

気の良いおじさんからアドバイスを得ながら、二人でぬいぐるみを追い詰めていく。

「いちか、あと少し!頑張れ!」

「任せてー!」

それぞれが二回分のコルク銃の力で大分とぬいぐるみは台から傾いてきた。そして、三回目。12発目の事だった。ようやくぬいぐるみの耳に当たり、大きくバランスを崩して台から落ちた。

「やったあ!」

しずくといちかは手を叩いて喜び合う。

「はい、おめでとさん。」

おじさんが、落ちたうさぎのぬいぐるみを仕留めたいちかに手渡してくれた。

「じゃあ、はい。しずくにあげるね。」

そのまま流れるように、いちかはしずくにぬいぐるみを抱かせる。

「いいの?」

「うん。今日のお化粧のお礼。」

いちかが笑って答えると、しずくはぬいぐるみをぎゅっと抱きしめた。

「ありがと。大事にする。」

その後、甘いものが食べたいといちかはりんご飴を購入して、食べながら屋台がまだまだ並ぶ神社の参道を二人で歩いた。

やがて屋台が途切れて、大量の風車がカラカラと音を立て夜風に回る場所まで辿り着く。色鮮やかな風車はまるで生きてるかのように死者を呼ぶ。

しずくといちかはしばらく立ち止まって、町名物の景色を眺めていた。

「!」

ぽつん、と水滴が一つ鼻の先に当たる。かと思えば、優しく温かい雨が周囲に降り出した。慈雨だ。

「しずく、こっち。境内で雨宿りしよう。」

「うん。」

いちかはしずくの手を引いて、屋根のある境内に避難する。何組かの先客に紛れて、二人は身を寄せ合うように雨を避けた。

金色に光る提灯に雨粒が伝って、落ちていく。子どもたちは弱い雨を物ともせずに、むしろ喜び駆けていった。

「…これで涼しくなるね。」

空を仰ぐと、丸くぼやけながらも月が見えた。恐らくこの雨も直に止む。さすれば、いちかが言うように丁度良く地面と大気を冷やされるはずだ。

「いちか、りんご飴の飴が垂れそうだよ。」

ふといちかの手元のりんご飴に気が付いて、しずくが指摘する。

「え?わわ、本当だ、」

いちかが慌ててりんご飴を見ると、ふわっと柔らかい影が手元に落ちた。しずくがいちかの身長に合わせて猫背になり、どろりと溶けて毒々しいほどに紅い飴を舌で掬い取った。一瞬、しずくの温かい舌の先がいちかの指に触れる。

「…。」

甘美な痺れを伴って、じん、といちかの胸の奥が疼いた。

「甘いね。ごちそうさま。」

しずくは唇に付いた飴を舌でぺろりと舐めて、顔を上げる。「あ、雨止んだね。」

気付けばその言葉通りに雨は止み、祭りは再び活気を取り戻していた。

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